不完全燃焼の青春の果て

2017年10月31日 21時22分24秒 | 創作欄
印刷工場の営業課長の市村貞夫はいわゆる、すけこましであった。
すけこましとは、女をものにすることや、それがうまい人のことをいうが、市村は典型的なすけこましであった。
印刷工場は、鉛の活字とインクで空気まで淀んでいた。
使い古された活字を熔かして、再利用する部署もある。
市村課長は空気洗浄機が敷設されている事務所に居て、スーツ姿で過ごしていた。
元ダンス教師を自称していたが、前歴は定かではない。
全ての職員は汚れたグレーの作業服を着て、工場内を忙しく動き回っていた。
真田徹は、新聞仲間から市村の良からぬ行状を聞いていた。
「うちの女性社員も、市村の奴にたらし込まれたんだ。女はどうして、市村のような男の餌食になるのかね」
建設関係の専門紙の記者である多田慎之介が顔をしかめた。
上野駅に近いガード下の居酒屋で、徹は驚くべき話を聞かされた。
「真田君の会社の経理の人だと思うけど、市村が言ったんだ。あの子はお皿だと・・・」
「お皿?」と徹は聞き返す。
「よく分からないけど、性交したら膣が浅かったらしいんだ」
経理の大原峰子と徹は同郷であり、親しくしていた。
多田と3人で上野の夜桜へ行き、帰りに酒を飲んだことがあった。
市村はもう1人の経理の木村鈴子にも手を伸ばそうしていた。
だが、鈴子は従兄が興信所に勤めていたので、相談して上で多田の経歴を洗い出していた。
市村は未亡人3人から金を騙しとった詐欺罪と未亡人の娘への強姦罪で懲役刑を受けた犯罪歴があることが明らかとなったのだ。
野田典子は徹の編集助手のような立場であった。
「1日も早く、真田さんのような取材記者になりたいの」と典子は言っていた。
その典子に市村は手を伸ばしていた。
典子は毎週、印刷工場へ新聞原稿を届ける立場であった。
「君の書く原稿はいいよ。早く一人前の記者になるといいね」と市村は典子の気持ちをくすり引きつけた。
「編集長は、認めてくれないけど、私のこと市村さんが認めてくれたの」典子は上気した様子であった。
市村がドライに典子を誘っているのを、徹は印刷工場で目撃した。
「女を車に乗せたら、俺が女に乗る」と市村はうそぶいていた。
「驚いたわ、市村さんはポルシェに乗っているのね」22歳の典子は少女のように無防備に映じた。
「ドライブ、何時行くの?」徹は心の乱していた。
「今度の日曜日よ。軽井沢へ」典子は胸を膨らませている様子である。
妻子のいる34歳の徹は突然、典子を所有したい欲情に支配された。
「市村に典子を奪われまい」という身勝手な男の情念が募る。
徹はその夜、印刷工場を出ると典子を浅草に連れて行く。
そして、神谷バーで電気ブランを飲み、その勢いで典子に懇願するように言ったのだ。
「典子さん、俺と本気で恋をしないか?」
「恋を?冗談でしょ」典子は声を立て笑ったのだ。
徹は典子の手を握り締めた。
周囲の客はもはや眼中になかった。
典子は何故か、手を握り返してきた。
「どうしたのかしら、私、嫌と言えない」典子は涙を浮かべていた。
徹が予期もしない反応を典子は示したのだ。
「波長が合ってしまったのね」
徹はほとんど恋愛経験もないまま、見合い結婚をした。
恋といものに憧れながら、それを果たせないできたのだ。
不完全燃焼の青春は灰色そのものであった。

もし、生きていたら

2017年10月31日 12時34分56秒 | 創作欄
毛利医師は恵理子の訴える副作用について、「そうですか。どうしょうかな」と一瞬沈黙した。
「どうしようかな。化学療法1週見送りましょうか」と恵理子に視線を注いだ。
恵理子は「化学療法、延期してください」と言おうとしたが口に出さなかった。
「では、薬の量を80%にしてみましょう」と毅然とした態度を示す。
3週間ごとの化学療法は鈴木恵理子の食慾を奪い、口内炎を悪化させ、手足の痺れを誘発していた。
声も少し変化したようだ。
それから3週間後も、80%に減らした化学療法を受けた。
その結果、これまでにない手足の痺れを経験することになる。
リンパ節までに転移したがん細胞は、転移の可能性を否定できなかった。
治療にはメリットとデメリットがある。
「化学療法に同意」し署名したのだから、「副作用は仕方ない」と恵理子は諦める他なかった。
がん患者に良かれと思って医師は、点滴の化学療法と内服薬の抗がん剤を処方い続ける他ない立場である。
同じ化学療法を続ける人たちと恵理子は何度か言葉を交わした。
それは、恵理子よりさらに辛い体験であった。
恵理子がママとして働く柏のカラオケスナックへ誘った患者の一人が先月亡くなった。
48歳の若さであった。
「もし、生きていたら来春、温泉に一緒に行こうか」と清水春子が言っていた。
「そうだわね。草津温泉はどう」
「福島の飯坂温泉もいいのよ。中学生の時に修学旅行で行ったの。猪苗代、五色沼、松島も良かったな」春子は遠くを見るような視線を壁の絵に向けた。
絵はお客の画家が画いた福島県の安達太良山であった。

失う」ことが苦しみだけではない

2017年10月31日 11時54分13秒 | 社会・文化・政治・経済
毎日新聞の「人生相談」の作家・高橋源一郎さんの欄に毎回、感嘆し次も読みたいと心待ちにしている。
今回は47歳の女性の相談に経験豊かな高橋さんがアドバイスをする。
「別れた人と仕事継続、せつない」
8年間、公私ともにパートナーだった人に新しい良い人ができました。
仕事はそのままと言われ続けています。
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これからあなたはいろいろなものを失ってゆくことになるでしょう。
パートナーを失うことはその始まりにすぎません。
若さを、美しさを、健康を、感覚の鋭さを、あなたは失ってゆくでしょう。
では、それは、耐えられない苦しみでしょうか。
そうではないことえをあなたは知っているはずですね。
なぜなら、あなたが従事している「芸術」という営みは、「失う」ことが苦しみだけではないことを、人間に伝えるために存在しているからです。
一枚の絵、一つの曲、一編の詩、一冊の小説、どれも作り手たちが、何かを失うことをひきかえに作りだされたものばかいです。
喝采を受けず、冷たく無視されても、作り出すこと自体が、彼ら自身への幸せな贈り物であることを知っているからです。
あなたもまた、ずっと前またその世界の住人だったではありませんか。

政策の貧困のツケは国民に跳ね返ってくる

2017年10月31日 11時05分57秒 | 沼田利根の言いたい放題
何の意味のある総選挙だったのか。
終った今も分からない。
不意打ちの衆議院選挙だった。
自民党の長年の連立相手である公明党が存在感のある役割を果たせずに議席を減らし、希望の党は中途半端で埋没した。
首相の解散権の行使の仕方が日本の政治にダメージを与えている。
日本の政治は権力争いと政策遂行のバランスのあり方が未成熟だ。
計画的に大きな政策に取り組めない。
政策の貧困のツケは国民に跳ね返ってくる。
解散とは、首相が全衆議院議員の身分を奪うことだ。
これほど強大な権限は憲法のどこを探しても見つからない。
4年の任期を十分に使うためにも解散権に憲法上の制約をかける議論が必要だ。
制度が悪いというなら見直す議論を始めればいいが、何かを変えようというエネルギーは感じられない。
東京大学元学長・佐々木毅さん
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不可解なのは、なぜ安倍政権は延命を続けているのだろうか。

中選挙区に戻す論議や1票の格差問題を国家で論議しないのは何故か。
また、安倍首相に解散をなぜ許したのか。
反対の立場で再考を促した者は居なかったのか。
解散しようとしても党内の反対でできなかった過去(三木武夫首相、海部俊樹首相)のこともあるのだが。
安倍1強では、とても無理なことなのか・・・
沼田利根

<夢>を持つことが大切

2017年10月31日 07時28分10秒 | 社会・文化・政治・経済
常に独創性を持った挑戦しつづける人。
ビジネスマンは<夢>を持つことが大切である。
夢を持つことは自分の心を奮い立たせるだけではなく、生きる喜びと働く楽しみを生み出すことにつながる。
心の発電機をいつも回転させることだ。
樋口廣太郎さん

ネバーギブアップの精神
前例のないものに挑戦しゆく意欲。
行動力のある人材。
企業の本当の力は、夢や強力な意欲、挑戦の心を持った人たちが、組織内にどれだけいるかによって決まる。

人材を育てるには、できるだけ自由な発想ができるような立場にすることだ。
<逆境はチャンス>
ピンチの時、恐怖心に訴えるのはよくない。
これからのリーダーに期待されるのは、励ましであり、欠かせないのは人間性だ。

企業のリーダーシップとは、部下を管理することだと考えている人間が一番困る。
管理ではなく、部下の能力を充分に引き出すことだ。
そのためには、リーダー自身が豊かな発想を持って、部下と一緒に仕事をすることが必要だ。

日露戦争に従軍した徹の祖父

2017年10月31日 07時00分04秒 | 創作欄
徹は何時からか昼食を食べなくなった。
約1時間の昼休み、皇居周辺や北の丸公園を走ったりしていた。
歴史的な建造物の一つであった九段下ビルの2階が彼の勤務先であり、靖国神社にも度々行く。
元帝国日本軍人と想われる老人は、軍服姿であり幾つもの勲章を胸に下げていた。
コールマン髭は白く威厳を帯びていた。
拝殿前で深く腰を折る姿を見て、徹は幼い日を思い出していた。
日露戦争に従軍した徹の祖父虎吉はコールマン髭を指で捻るような仕草をして、乃木将軍の話をした。
祖父19歳の昔話であり、旧乃木邸に徹を連れて行ったこともある。
進駐軍の米兵のジープを見て、「クソやろうども」と吐き捨てた。
祖父は孫の徹と次郎を靖国神社に連れて行ったこともある。
また、二人の孫に太閤記などを読み聞かせながら、「じいちゃんは、戦国時代に生まれたかったな」とつぶやいた。
剣道6段の祖父が徹に竹刀を振らせたのは5歳の時であった。
だが1年後、銭湯で倒れ翌日、呆気なく亡くなってしまった。
祖父が残した日本刀は何時の間にか箪笥から無くなっていた。
そのころ始まった後楽園競輪へ通い始めた父親の明男が売ってしまったのである。
父虎吉に頭が上がらなかった明男は、タガが外れたように不肖の息子になってしまった。
その父親明男を嫌っていた徹は、皮肉にも30歳で競馬にはまり不肖の息子になったのだ。

相手を説得して合意をつくり上げていく技術

2017年10月31日 06時09分38秒 | 社会・文化・政治・経済
欧米や中国人は言葉を大切にし、たくさんの言葉を用いて自由に生き生きと表現をする訓練をしてきた。
作家・五木寛之さん

日本では饒舌より沈黙が美徳であったため、議論を通して自分の考えを鍛え上げることに慣れていない。
根回し、以心伝心を重視してきた。
いわゆる忖度である。
一方、政治エリートたちは、思索を言葉にし、相手を説得して合意をつくり上げていく技術を磨いていない。
このため度々失言を繰り返している。
タフな討論を日常的にこなしている海外の政治指導者と互角に渡り合えるだろうか。