米国は戦場とはるかに遠い国

2017年11月10日 21時00分43秒 | 沼田利根の言いたい放題
米国は、南北戦争を例外として、国内が戦場となったことがない国である。
このことは、非常に重大な問題を提起している。
第一次世界大戦、そして第二次世界大戦、さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争など。
それゆえに、米国国民は戦場の悲惨で非人間的な現実を体験していない。
これまでの戦争の戦場は、米国本土とは遠く離れた他国でのことである。
厭戦思想は、あくまで米国兵士およびその家族らの思いであり、戦場を経験した国の国民感情ほど切実な問題とは大きな隔たりがあるはずだ。
北朝鮮がもしも戦場となったら、韓国、日本も戦場となり、はるか遠く離れた米国本土には戦場としての被害は及ばないだろう。
日本国民には、その現実への想像が及ぶことが期待されるのだ。
沼田利根

介護施設でのボランティア活動

2017年11月10日 15時46分50秒 | 沼田利根の言いたい放題
昨日(江見宅)に続いて、八重洲地区のブロック会合が東4丁目の中田宅開かれた。
今年の2月以来だ。
担当責任者が金曜日が休みなので、本日の午後1時からの会合となる。
まず、歌の合唱。
ついで、月刊誌の巻頭言の朗読。
ついでみなさんの一言。
介護施設でのボランティア活動の話に興味がわく。
何らかの形で体験したいと思う。
ハーモニカの演奏で介護施設を訪問する友人や歌と日本舞踊で訪問する知人も居るのだが・・・
また、たくさんもらっていた薬を止めたら体の具合が良くなった高浜さんの体験談にも考えさせられた。
家にこもって、外出は買い物だけで、1日の大半、テレビを観ているいる人もいたが、寝たきり老人となることが懸念された。
ところで、新聞がポストに3日間溜まっていたことで心配された掘さんと電話連絡が会合後に取れた。
弟さんの所にいることが明らかになる。
会合後、お茶会となり、五目御飯が出された。
何時も中田さんの気遣いに感謝する。
先日の「とりで産業まつり」で買ったお茶をあげた。
家人の友人の娘さんが嫁いだ店の自家製茶である。
「お茶無かったので、嬉しい」と喜んでもらえた。

生活者とは?

2017年11月10日 11時59分52秒 | 社会・文化・政治・経済
よく政治家や政党が「生活者」という言葉を使用します。
なんですかこれ?
造語?
非生活者って存在するの?
国民とは違うの?

生活者の視点。
生活者のための政治

生活者とは?
多様な価値観を持って、多様な生活行動をする者のこと。
社会学、経済学などの分野で使用される。
社会という相互作用の場に存在する人間を指し示す言葉で、経済学の分野では、1940年代から大熊信行が使用している。

マーケティングにおいて、商品やサービスをただ消費する単位として、消費者と言うのに対し、販売促進のターゲットを生活者とみると、そのアプローチの方法やイメージ、アイデアなども大きな広がりを持つようになる。

顧客、消費者より幅広い概念として用いられる。
生活する人。
日々の暮らしを営む人。
また、「生活」という観点から人間をとらえた言葉。

マーケティングにおける生活者と消費者の違いはなんですか?
顧客を「生活者」と呼ぶとき、単なる購入・利用シーンを超えて、その人の生活全体を包括的に理解し、その中で自分たちが提供している商品やサービスがどのような意味を持つのかを広い視野で理解しようとします。

新しい地平線がある

2017年11月10日 11時18分00秒 | 社会・文化・政治・経済
すぐに結果が出なくとも、確信を深めるなかで、必ず<よい方向へ>さらに<よい方向へ>と希望が開けていくことは間違いないことだ。
自分の可能性を信じることに尽きる。

<苦労し、結果を出した分、全て君の力となる>

「先を目指す人間には新しい地平線がある」イギリスの作家・スティーブンソン

年齢はどうであれ日々進歩する人が青年

生命は感応である。
響き合う。
まず、子ども(生徒)を好きになる。
子どもの生命は敏感であるので「自分のことを本当に思ってくれる人」の言うことに、率直に耳を傾けてくれるはずだ。

<この苦しみもいつか必ず、誰かの支えになる日が来る>と信じて歩む。
自身の心の変化が、<いつか>をたぐり寄せる。

屈折・鬱屈する人たちの狂気

2017年11月10日 10時02分13秒 | 医科・歯科・介護
車(自動車)は走る凶器ともなる。
ハンドルを握ると性格・人格が変わるとも指摘されている。
つまり、刃物など武器を持った人間が人を恐れなくなるのに似ており、突然、豹変し狂暴ともなるだろう。
コンプレックスや欲求不満があると、負の属性(攻撃性など)が現れてくるのだと想われる。
しかも、何処の誰だか相手には分からないので、仮面を付けているようなもので、身勝手で理不尽な行動にもなる。
自分が支配者になったと思いあがらせるところに危険が潜んでいるのだ。

仏のただ一つの願い

2017年11月10日 05時16分47秒 | 社会・文化・政治・経済
確信が自信となる。
それは観念ではない。

<信受>とは、仏(釈尊)の教えを信じて受け入れることだ。
知恵・知識ではなく、自身に内在する仏を覚るには<信>以外にはないのである。
釈尊は自分と同じく・等しくと呼びかけたのである。
釈尊と平等であることを民衆たちが、心から信じるかどうかだ。
仏(釈尊)の目的は、民衆自身(衆生)を自身(仏)と同じ境地に導くことであった。
全ての人に、仏の生命を開かせたい-それが、仏のただ一つの願いであった。

11月9日(木)のつぶやき

2017年11月10日 03時28分23秒 | 医科・歯科・介護