木村徹は子どもながらに、「美しい人」に心を動かされた。
小学校の授業参観の日に、「綺麗なお母さんだ」と思わず見惚れたものだ。
その一人が荒井桃子の母親で着物姿であった。
また、奈々瀬陽子の母親は濃紺のスーツ姿で、西洋の美少女を想わせる陽子の4歳の妹を連れて来ていた。
徹と反目していた貴公子のような大倉勝治の母親も、人の目を引き付けるような美形であった。
目鼻立ちが整っていた大倉君は母親似であったのだ。
徹は自身の母親が「綺麗なお母さん」でなかったことに落胆した。
綺麗な人と親しくなりたいと徹は願っていたが、中学でも高校でも願いは叶わなかった。
荒井桃子の母親は東京女子大学を出ていた。
そして東京帝国大生と親しくなり男子を産み、未婚の母となる。
相手はドイツのベルリンに逃げるように留学してしまう。
ナチスが台頭する前にロシアへ渡るが、そこで足どりを断ったとされている。
徹の母親は東京女子大学を2度受験し失敗していた。
徹の母親と荒井桃子の母親はともに文学少女であり、作家・吉屋信子のファンであったことから、心を許す仲となる。
幼子を抱えていた桃子の母親は、24歳の時に間借りしていた大家の奥さんから荒井由紀夫を紹介され再婚した。
そして美人4人姉妹を産んだのだ。
秋田美人の桃子の母親は、娘時代に地元で<秋田小町>と呼ばれていた。
呉服屋に生まれ、和服を愛した桃子の母親は、78歳で亡くなるまで着物で過ごした。
徹の母親は、桃子の母親の影響で和服を着ていた。
美しはなかったが、日本的な<上品さ>を目指してようだ。
徹の母親は家政婦として多くの家へ派遣されていたが、和服姿を貫く。
徹の母親は64歳の時に和服姿の美しい婦人と親しくなる。
その婦人の娘が徹の妻となる。
残念ながら妻は、母親に似ておらず父親似であったのだ。
「綺麗なお母(義母)さん」
少年の夢は30歳で現実となったのだが・・・
それは人間関係断絶の始まりでもあった。
小学校の授業参観の日に、「綺麗なお母さんだ」と思わず見惚れたものだ。
その一人が荒井桃子の母親で着物姿であった。
また、奈々瀬陽子の母親は濃紺のスーツ姿で、西洋の美少女を想わせる陽子の4歳の妹を連れて来ていた。
徹と反目していた貴公子のような大倉勝治の母親も、人の目を引き付けるような美形であった。
目鼻立ちが整っていた大倉君は母親似であったのだ。
徹は自身の母親が「綺麗なお母さん」でなかったことに落胆した。
綺麗な人と親しくなりたいと徹は願っていたが、中学でも高校でも願いは叶わなかった。
荒井桃子の母親は東京女子大学を出ていた。
そして東京帝国大生と親しくなり男子を産み、未婚の母となる。
相手はドイツのベルリンに逃げるように留学してしまう。
ナチスが台頭する前にロシアへ渡るが、そこで足どりを断ったとされている。
徹の母親は東京女子大学を2度受験し失敗していた。
徹の母親と荒井桃子の母親はともに文学少女であり、作家・吉屋信子のファンであったことから、心を許す仲となる。
幼子を抱えていた桃子の母親は、24歳の時に間借りしていた大家の奥さんから荒井由紀夫を紹介され再婚した。
そして美人4人姉妹を産んだのだ。
秋田美人の桃子の母親は、娘時代に地元で<秋田小町>と呼ばれていた。
呉服屋に生まれ、和服を愛した桃子の母親は、78歳で亡くなるまで着物で過ごした。
徹の母親は、桃子の母親の影響で和服を着ていた。
美しはなかったが、日本的な<上品さ>を目指してようだ。
徹の母親は家政婦として多くの家へ派遣されていたが、和服姿を貫く。
徹の母親は64歳の時に和服姿の美しい婦人と親しくなる。
その婦人の娘が徹の妻となる。
残念ながら妻は、母親に似ておらず父親似であったのだ。
「綺麗なお母(義母)さん」
少年の夢は30歳で現実となったのだが・・・
それは人間関係断絶の始まりでもあった。