夢の不思議

2017年11月26日 05時33分04秒 | 日記・断片
思えば、夢の中で多くの体験をしてきた。
同じ夢を繰り返し見ることもあった。
だが、自分が死にそうになったが、死でしまった夢は1度も見ていない。
それらの夢は、記憶の衰えのように目覚めると直ぐに消えてしまう。
もしも、夢をそんまま記憶していたら、不思議な世界を再現できるはずだ。
夢の中では現実にはあり得ないことが現れのである。
映画やテレビの映像が脳に残像として留まり、新たなストーリを構築するのだろうか?
空襲の体験や冒険の体験、時代を超えた体験で、自分が平安や鎌倉時代に生活をしていた。
また、20数年前に死んだ両親、死んだ友人らが現代に蘇え、パソコンを操作したり携帯電話を使用しているのだ。
夢でなければ出会いない人との出会いも。

漁夫の利の北津留 翼選手

2017年11月26日 04時31分43秒 | 未来予測研究会の掲示板
競輪祭の12レース準決勝戦

漁夫の利とは、二者が争っている隙に、第三者が利益を横取りするたとえ。
競輪の難しさであり、特徴とも言えるのが、いわゆる漁夫の利。
北津留翼(福岡90期、32歳)は、漁夫の利を得て、決勝進出した。
12レース準決勝戦は
7-9-1
2-4
5-6
3-9
の各ラインの4分線

7-9-1ラインの内側で2-4ラインがイン(内側)で粘る。
さらに、3-9ラインが外で7-9-1に競り込む。
その間隙を5-6ラインが一気に叩く展開となる。
5番は北津留 翼で1着に。
8番は3番に着いた渡邉 晴智で2着に。
本命の7番平原 康多は3番松谷に競り込まれたが、かろうじて3着に。
対抗であった9番武田豊樹は2番浅井康太にイン粘りされて9着に沈む。
力が衰えた武田が2番手を浅井に狙われたのだ。
まさかのイン粘り戦法であった。
武田選手は外側に張られて後退する場面も目立ってきた。



























取手競輪場の周辺

2017年11月26日 03時20分10秒 | 創作欄
時間はあるのに、何か日々空回りしていた。
やるべきことがあるのに手が着かない。
こうして人生は無為に過ぎて行くのか?
朝から酒が飲みたくなり、稲葉酒屋へ向かう。
学校へ向かう中学生たちとすれ違う。
昨年、肝臓がんで死んだ酒友だちの小杉勝雄は「おいネイちゃん酒飲むか?ニキビ治るぞ」とすれ違った女学生にワンカップを見せ高笑いをする。
「俺もあのようなバカな小杉のような酒飲みになった」と野村徹は自嘲する。
利根川の堤防の草の上に腰を下ろして酒を飲む。
雲雀がさえずる快晴の空を呑気な気分で見上げる
失業して約1年が過ぎたが職を探す気にもなれない。
「独身であるから真剣になれないだよ」と母親の貞子は言うので、「そんなの関係あるか」と開き直る。
結局、昼の時間帯となり部屋を出る。
「昼食べて行きなよ。ソバだよ」と台所で母親が声をかけるが、「外で食う」と無視する。
市民会館の傍の郵便局で2万円を下ろす。
3年前に日光の温泉旅館の風呂場で心筋梗塞で亡くなった父親が遺した郵便貯金はまだ600万円余残っていた。
温泉好きの父親は農繁期が終わると俳句仲間たちと旅行をしていた。
「親父も満足の人生だっな」と徹なりに納得した。
父親が嫌っていた競輪場へ徹は利根川沿いに歩いて行く。
途中にある河川敷のゴルフ場を眺める。
水曜日であるが、ゴルフに興じる人たちがいる。
「遊び人の俺と同じか」
土手を下ってふれあい道路を渡り、その道に面した寿司屋に入る。
競輪客を目当てに定食をやっている。
昭和47年、取手競輪場周辺には屋台の店も居酒屋もあり繁盛していた。
白山通りがシャッター通りになるずっと前のことだ。

北の方面に真っ赤な炎

2017年11月26日 02時23分24秒 | 日記・断片
午前3時40分ころ、玄関の扉を開くとサイレンの音が交錯するように、唸りを挙げ広がっていた。
サイレンは東からも西からも北も響き渡り、闇を切り裂くように不気味に高まっていく。
東6丁目の通称グリーンベルトに出ると、北の方面に真っ赤な炎が立ち上がっていた。
火事は意外に近い、旧第一中学の方面である。
だが近いと想ったのに、芸大通りまで出るとどこにも炎は見えない。
あれは幻覚であったのだろうか?
周辺を歩き回る。
僅か数分の間に闇は静寂に包まれていたのだ。
井野団地にも異変が見られなかった。
サイレンの音に起こされた人も少なくなかったのか、電灯で2階の窓が明るい家が多い。
台宿の丘からなら火事の炎が見えただろうと丘の家を見上げた。
家々の窓が灯されていた。
火事が消化されたのなら、戻って行く消防車の鐘の響きを聞かれるはずであるが、その気配もなかった。
また、東5丁目にある第26消防分団のシャッターも閉ざされおり、消防車が出動していなかった。
火の見櫓があったころは、サイレンが鳴り消防団員を動員していた。
火事はどこだったのか?翌日の新聞にも出ていなかった。