<人生の目的は幸福になることだ>

2017年11月13日 13時53分43秒 | 社会・文化・政治・経済
女性は本然的に<生命を慈しむ心><平和を愛する心>を持った存在。
互いの心を尊重し合う女性の連帯が平和な社会を映し出す。
差異による分断が世界中に広がる現代。
だからこそ慈愛の声で人と人を結び、幸福社会の礎となる女性の連帯が期待される。
<人生の目的は幸福になることだ>
自分一人だけの利益の追求。
エゴに満ちた歪んだん心。
人間の<負の課題>は看過できない。

何があっても揺るがない<心の芯>を確立することだ。
躍動する女性たちの<新しい力>が地域、社会、世界をも変える原動力となるはず!

「私たちの内部には、みずからそれと知らない、いいものが沢山ひそんでいる」思想家・エマソン

幸せは、他から与えられるものではなく、自ら創りだしていくもの。
自身の無限の可能性を信じ抜く中で、困難に打ち勝つ力を発揮していける。

いじめから子どもを守る!

2017年11月13日 13時03分10秒 | 医科・歯科・介護
加速する前に<ブレーキ>を

子ども自身が何かがあった時<つながる先>を持つことが大切。
いじめられて苦しい時に、孤立して一人で悩むのではなく、誰かに話を聞いてもらえると、大きな力となる。
誰かに相談できる子どもほど、いじめの悩みが軽くなるという結果が実際出ている。
相談先は小学生<親・先生>、中学生<友人・知人>。
国や民間団体などが、子どもの相談を受け付ける電話を開設している。
最近は、相談ツール通して、LINを使うこともある。
複数の大人が情報を共有し、連携を密にすることが解決につながる。
ゆっくり<休む場所><避難できる場所>があることが何よりの力になる。
NPO法人「ストップいじめ!ナビ」副代表・須永祐滋さん

人生の完成を目指す

2017年11月13日 12時43分39秒 | 社会・文化・政治・経済
人生の完成を目指す人は前だけを見つめている―トルストイ

人材育成の第一歩は、相手を信じ抜くことだ。
どんな人にも必ず長所がある。
その長所を生かす、存分に活躍させることだ。
新しい力の躍動によって、新しい歴史は開かれる。
明治維新のために、有能な人材を集めるために奔走した坂本龍馬。

「凡人の長所を取り入れ、これをそれぞれの役割に用いて、その優れたところ、才能や特技を十分発揮させることが重要である」西郷隆盛

差異に根ざす偏見を乗り越え、共生

2017年11月13日 12時01分37秒 | 社会・文化・政治・経済
偏見は、<異質なもの>に対する誤解や無理解から生じる場合がほとんどだ。
互いの差異を尊重し、たたえあう、多様性。
差異は人々を分断する<壁>ではなく、互いを触発する<刺激>であり、かけがいのない<特長>なのだ。
異質なものへの人の内にある<狭量>という心の壁。
人類は、人種や思想の差異に根ざす偏見を乗り越え、共生し、さらにたたえ合う理想の世界像を描き、前進することだ。

人民に奉仕

2017年11月13日 11時42分29秒 | 社会・文化・政治・経済
「人民に奉仕する。これを一生涯、やり通すためには、自分の修養を深めなければなりません」

周 恩来(しゅう おんらい、ヂョウ・オンライ、1898年3月5日 - 1976年1月8日)は中国の政治家。
字は翔宇。中華人民共和国が建国された1949年10月1日以来、死去するまで一貫して政務院総理・国務院総理(首相)を務めた。
毛沢東より5歳年下。
戦前から中国共産党に参加して、長征中の遵義会議で毛沢東を支持してから、一貫してその信頼が厚く、時として牽制し合いながら、1976年の死去まで中国の指導者として活躍した。
文化大革命中も失脚しなかったことなどから「不倒翁」の異名がある。
天津の南開中学を経て 1917 年日本に留学。
帰国後,南開大学に入り、五・四運動に参加し、逮捕投獄された。
「我が国は賠償を求めない。日本の人民も、我が人民と同じく、日本の軍国主義者の犠牲者である。
賠償を請求すれば、同じ被害者である日本人民を苦しめることになる」

1972年に、日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られている。

妻は鄧穎超、子女は孫維世(養女・文化大革命で迫害死)、李鵬(養子・のちに国務院総理)。
周恩来は江蘇省淮安の官僚地主の家に生まれた。
周恩来が13歳となった1911年、辛亥革命が起きる。
翌1912年、清朝が崩壊し、中華民国が建国された。
1913年、周恩来は天津の南開中学校に入学し、革命の息吹に触れる。
南開中学卒業後の1917年に、日本に留学。
日本語の習得不足により第一高等学校と東京高等師範学校の受験に失敗し、東亜高等予備学校(日華同人共立東亜高等予備学校)、東京神田区高等予備校(法政大学付属学校)、明治大学政治経済科(旧政学部、現政治経済学部)に通学。
日本では勉学に励む他、友人と活発に交流して祖国の将来について語り合っている。
また日比谷公園や靖国神社、三越呉服店や浅草など、各所を積極的に見てまわっている。
1918年5月1日には靖国神社の大祭を見物し、「それを見てはなはだ大きな感慨を催す」。
また6月2日にも游就館を訪れたことも日記に記している。
日本社会や日本人についてもよく観察しており、これが知日派としてのベースをつくった。
同年、留学生の一斉帰国運動も起きるが、周恩来は冷静な対応をしている。
一旦中国に帰るが、再来日。
やがて、母校の南開学校が大学部を創設するということを知って、帰国を決意した。
船に乗るために神戸に向かう途中、京都の嵐山に寄って歌った詩「雨中嵐山」は、嵐山の周恩来記念碑に刻まれている。
河上肇の著書で初めてマルクス主義に触れ、京都大学でその講義を聴講もしている。
1919年4月に帰国し、南開大学文学部に入学。
その直後に中国近代史の起点となる五・四運動が起きる。
周恩来は学生運動のリーダーとなって頭角を現していく。
なお日本滞在中の様子については、『周恩来 十九歳の東京日記』が最も正確で詳細な記録である。
東京日日新聞の神近市子記者のインタビューを受けたという、従来の伝聞や伝記にあった誤りも指摘されている。

自分の道は自分の力で切り開くしかない

2017年11月13日 05時25分07秒 | 社会・文化・政治・経済
勝利への揺るぎない一念
<必ず勝つのだ>と強気に挑む。

知識と勇気は偉大な仕事をつくる-エマソン

<いざ>という時が大事だ。
その時に人間の真価が分かる。
ひるむ前にまず<行動>だ。

今、<考える力>が無くなっている―建築家・安藤忠雄さん
読書によって考え抜く力が付く。
それが<生きる力>になる。
吉川英治の小説「宮本武蔵」を読んだ時は、「覚悟して人生を生きること」を学びました。
自分の道は自分の力で切り開くしかない。
うまくいかなかったり失敗しても、それを乗り越える<胆力>が必要だと思った。
未来のことを考えると、おのずと<行動しなければ>と思うう。
今の自分をつくった目に見えない<根>の部分が大事だ。

政策力 発信力 現場力。

2017年11月13日 04時58分27秒 | 社会・文化・政治・経済
値域での地道な取り組みが一番の基本だ。
訪問対話や地域サポートなどの日常的活動を強化する。
議員に期待されるのは、1)政策力2)発信力3)現場力。
インターネットを通じた情報発信が不可欠だ。
政党には本来、民意をしっかり受け止めて政策を実現し、その結果についても民意をさらに問い直していく役割がある。