ナチスと闘った作家トーマス・マン

2017年12月17日 19時51分45秒 | 社会・文化・政治・経済
作家のトーマス・マンは、ナチス・ドイツの手によって国外追放となった。
トーマス・マンは亡命作家となり、独裁者ヒトラーと闘い続けた。
トーマス・マンの亡命日記から、ポピュリズムの席巻がいなかるものを生み出すのかが読み取れる。
ポピュリズムはスピーディーに事態を進展させる。
つまり、恐ろしい状況が、気づいて時には取り返しができないことになるのだ。
国民はヒトラーの演説に熱狂した。
メディアもヒトラーに無批判となった。
それを助長したのが、一点集中主義である。
メディアは多様化すべきなのに、一つのニュースに飛び付いて報道する。
そうすると国民の注意が一点だけに絞られる。
多数派が一挙に形成されると、少数派の意見を出す場がなくなる。
メディアは多数なのにメッセージは一つという奇妙な状況となる。
日本が中国との戦争、アメリカの戦争にと突入する前に、ドイツ、イタリアとの同盟を選択した。
そして中国への侵攻、満州国の建国、アジアへの派兵。
その結果、アメリカとの戦争にまで至る。
人間は得てして、自分に都合の悪い情報を知ろうとしない。

トーマス・マンは、マスコミの意見をうのみにせず、多様な情報源を比較し、冷静に判断した。
そうしたマンが体現する精神力が市民社会に満ちていれば、ナチスへの熱狂的な支持は回避できたかもしれない。
熱狂しやすい国民は権力側の操作に弱い。
権力は常に国民を熱狂させ、操作しようとする。
熱狂することの危険さを知っているのは、少数派である。
マンのような冷静な人物を真っ先にナチが恐れたのは当然だ。
「マンの亡命日記で特に印象深かったのは、ナチズムが欧州をほぼ制圧し、絶望的な状況にあっても、決して屈しなかったマンの精神の力です。絶望的な状態だからこそ希望を持つ。楽観でも悲観でもない、冷静に屹立した<にもかかわらず>の精神力をマンあ持っていました」
ドイツ文学者・エッセイストの池内紀さん




取手大師通り「亀すし」へ行く

2017年12月17日 11時26分58秒 | 沼田利根の言いたい放題
昨夜は久しぶりに取手の大師通りにある「亀すし」へ行く。
5時40分、2階の座敷は取手二高野球部の同窓会会合。
30人くら入れる部屋がある。
1階の座敷は、7時からの会合。
6時過ぎに家人が来る。
ビールを飲んで待っていた。
今日は特上寿司。
家人の企業年金と株の配当が振り込まれたので、ご馳走してもらう。
家人は長男にも同じ株を勧めていている。
パチンコの元セミプロの長男は、株を買うほどの金を貯め込んでいたのだ。
長男のパチンコ仲間でプロの岡村兄弟は当時、2000万円ほどの金を貯め込んでいた。
パチンコ店から目を付けられるほど、岡村兄弟は稼いでいた。
3人が組んで、近隣のパチンコ店を狙い打ちしていたのだ。
守谷、牛久、筑波、土浦などまで行っていた。
長男には、意外にもパチンコの才能があったのだ。
沼田利根












2階会場に運ばれた料理

今年最後の支部の会合。

2017年12月17日 11時13分10秒 | 医科・歯科・介護
今日は、今年最後の支部の会合。
8時30分、林さんが車で迎いに来て、小堀(おおほり)の赤峯宅へ向かう。
利根川大橋から富士山が見えた。
帰りには筑波山がクッキリ。
雲は積乱雲のように浮かんでいた。
会合には12人参加。
今後の活動や、現在の各自の状況など聞く。
最後に、質問用紙が配られたが、当方は「好きな酒はなんですか?」であった。
ぴったりな質問だった。
皆が笑う。
「今年、辛かったことは?」
「カラオケは好きですか?」
「奥さんと喧嘩しましたか?理由は何ですか?」
「好きな食べ物は?」
「好きな女性のタイプは?」
箱からメモ帳を選び、そのメモに書かれた質問を読み上げ答える。
その後、クジを引く。
隣に座る、若杉さんが、麦焼酎田苑金ラベルを当てる。
だが、「お酒持ち帰ると奥さんに怒られるのでどうぞ」との麦焼酎田苑金ラベルを譲られる。
その後、何時ものお茶会となる。
だが、林さんの奥さんが車を使うと電話があり、串団子やミカン、お菓子などを食べずに帰る。
赤峯さんにはお世話になっているので、知人の藤井さんが霞ケ浦から宅配便で送ってくれたレンコンを二つ持って行く。
秋には、取手のブドウ園のブドウを家人が赤峯宅へバイクで届けた。


麦焼酎田苑金ラベル


12月16日(土)のつぶやき

2017年12月17日 03時29分30秒 | 医科・歯科・介護