「悩みある少女、簡単に誘い出せる」

2017年12月14日 16時58分52秒 | 医科・歯科・介護
「座間の事件参考」 

札幌の少女誘拐容疑で男起訴10代前半の少女が札幌市南区のマンションに連れ込まれた誘拐事件で、札幌地検は13日、未成年者誘拐と児童買春・ポルノ禁止法違反(製造)の罪で、札幌市南区真駒内本町7、会社員佐々木隆光容疑者(34)を起訴した。
道警によると、少女は会員制交流サイト(SNS)のツイッターに「家出したい」と投稿しており、佐々木被告は「座間の事件を参考にした。
「悩みを抱えた少女は簡単に誘い出せると思った」と供述しているという。(北海道新聞)12/14(木) 9:57配信
神奈川県座間市では10月30日、アパートの1室で高校生を含む男女9人の遺体が見つかる事件が発生。
容疑者の男は、悩みを投稿した女性のツイッターに「一緒に死のう」などと返信し、誘い出したとされる。
起訴状によると、佐々木被告は11月16日、少女が未成年と知りながら、家出をするよう連絡して自宅マンションの居室に連れ込んで20日まで誘拐。
少女の裸などを撮影して動画を保存したとしている。
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無知と言うべきか、想像力の無さと言うべきか呆れる。
基本的には、教育の問題であろう。
まずは、悪い大人が居ることを教えることだ。
道で声をかけられても男の誘いに簡単に乗る場合もあるだろうが、今日の風潮である<ネットへの依存や安易な思い込み>は信じがたい。

<生を全うする>

2017年12月14日 16時40分28秒 | 社会・文化・政治・経済
<死の問題>こそ最優先して直視すべき人生の根本問題。
なぜなら、より良く人生を生きるためである。

<死>をどう捉え、向き合うかという課題。
<死を待つ>のではなく、<生を全うする>
そのために充実した時間を過ごす。
<いい人生だった>と最後まで健やかに暮らせることが理想である。

<生命尊厳>を基調とする<対話>

2017年12月14日 16時22分27秒 | 社会・文化・政治・経済
今、全世界は、<人道>と<人権><平和>を渇望している。
だが、戦争、紛争、テロは絶えず、生命を脅かす危機の状態は深まるばかりだ。
難民、貧困、飢餓、環境破壊など人々を窮地に追い込んでいる。
戦争、紛争には莫大なコストもかかる。
最善の道は、あくまでも<対話>である。
「話せば分かる」
「理解」は話すこと、聞くことで可能となる。
<生命尊厳>を基調とする<対話>が期待される。

人の真心を、自身の決意に変える

2017年12月14日 09時58分02秒 | 社会・文化・政治・経済
誠実に生きていても、不運な事態に遭遇することもある。
例えばリストラ。
家を買ったばかりであれば、生活設計も狂うだろう。
また交通事故にあったり、大震災に遭ったり、がんなどの深刻な病気にもなる。
答えが出ない難題もあるはず。

救いは友人、知人たちの存在である。
当事者が立ち上がるまで寄り添い、共に耐え続ける、周りの人々の慈悲の心と姿勢に勇気が湧く。
人の真心を、自身の決意に変える。

崇高な目的に生きることで大きな力を得る。

北朝鮮への帰還事業

2017年12月14日 09時01分21秒 | 社会・文化・政治・経済
1959年に始まった北朝鮮への帰還事業で、約9万3000人の在日朝鮮人が海を渡った。
革新政党や文化人、新聞までが帰還をあおった。
「北朝鮮の社会主義建設はめざましい・・・。近代的ビルが並び、それはことごとく労働者の住宅」(1959年12月26日の朝日新聞)

在日朝鮮人の帰還事業とは、1950年代から1984年にかけて行なわれた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住のこと。

北朝鮮では帰国事業と呼び、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)が推進した運動という側面からは帰国運動。
または帰還運動と呼ばれる。
朝鮮総連と対立関係にあった在日本大韓民国居留民団の立場からは、北送事業と呼び、「在日韓国(朝鮮)人の追放を計画した日本の政策に北朝鮮が便乗したもの」との主張がある。
日本と北朝鮮には国交が存在しなかったため、日本赤十字社(日赤)と朝鮮赤十字会(朝赤)によって実務が行なわれた。1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航し[2]、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。
93,340人が北朝鮮へと渡り、そのうち少なくとも6,839人は日本人妻や子といった日本国籍保持者だった。在日朝鮮人は日本から地理的に近い朝鮮半島南部の出身者が多かったが、そのような者にとっては、祖国ではあるが異郷への帰還となった。
帰国船の費用は北朝鮮が負担し、事業の後期には万景峰号(初代)が使われている。
日朝間を頻繁に行き来する帰国船は、北朝鮮による朝鮮総連への指導・連絡や日本・韓国への工作員送り込みにも利用された。
吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。
このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。
1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」。
さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。

吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」、さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。

精神闘争が必要である

2017年12月14日 07時56分12秒 | 社会・文化・政治・経済
行動の奥に慈悲の心があれば必ず相手に通じる。

現実の意思疎通を大事にすべきだ。
会って語る。
これが絆を結ぶ基本である。

平和をつくるのも、文化をつくるのも人間である。
ゆえに、その人間をつくることが、一切の価値創造の根本となる。

精神闘争が必要である。
自分の弱さに挑む。
苦労に苦労を重ねて
自己の精神を磨けていく。

生き方の<核>となる哲学を育む

2017年12月14日 07時41分17秒 | 沼田利根の言いたい放題
土台がしっかりしていなければ、すべては砂上の楼閣になってしまう。
学問は真髄を学ように深く学ぶのである。
知識を豊かに広げながら、生き方の<核>となる哲学を育む。
知識が即、智慧ではない。
知識は智慧を開く門になるが、知識自体が決して智慧ではない。
とくに仏法の智慧は慈悲と一体である。
大学で何を学んできたのか、と問われても、残っているのは大綱だけにすぎない。
だが、現代文学研究会などのサークルでの恩師との語らい、学友との交流は大学ならでの学びの場であったと思う。
また、卒論のために多くの関係書籍に目を通したながら思索したことはその後の生き方にも投影された。
大学院へ進むことを断念したことがくやまれるのだが・・・