生命の開花

2017年12月03日 20時58分04秒 | 社会・文化・政治・経済
「本当の幸福は、心が強いかどうかで決まる」
多くの人は、自分の不幸は他人や環境、境遇のせいにする。
また、いじめられる、ばかにされる、思うようにいかない、などと嘆く。
だが、心の問題なのだ。
苦難の中に意味を見いだす。
その過程の中で、同じように悩む人々に幸福の道を示す自分に気づく。
こうした生命の開花を釈尊の仏法(仏教)は教えている。

老作家は何をしたかったのか?

2017年12月03日 19時42分30秒 | 社会・文化・政治・経済
永井 荷風1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。
時局に迎合せず、他人を慮ったりもせず勝手気ままに振る舞うことで「個人」を体現した。
哲学者やアーティストはもっとも怠惰で暇そうに見える徘徊の最中にこそ重要な思索と創造を行う。
遊歩者は、徘徊する路地に同化しまうのではなく、そこにいる住民やそこにある事物とのあいだに批評的な距離を置く。
私生活の破綻
華やかな慶應義塾教授職の一方で芸妓との交情を続けたため、私生活は必ずしも安泰でなく周囲との軋轢を繰り返した。
1912年、商家の娘と結婚させられたが、1913年に父が没して家督を継いで間もなく離縁している。
1914年、新橋の芸妓・八重次(のちの藤蔭静枝)を入籍して、末弟威三郎や親戚との折り合いを悪くした。
しかも八重次との生活も、翌年には早くも別居、荷風は京橋区築地(現中央区築地)の借家へ移った。
以降妻帯することはなかった。
関係した女性たちについては、自らが『断腸亭日乗』1936年1月30日の記事に列記している。
1910年の大逆事件の際、荷風は「日本はアメリカの個人尊重もフランスの伝統遵守もなしに上辺の西欧化に専心し、体制派は、逆らう市民を迫害している。
ドレフュス事件を糾弾したゾラの勇気がなければ、戯作者に身をおとすしかない」と考えたという(「花火」1919年)。
時折、娼婦や女中を入れることはしたが、妻帯し家族を持つのは創作の妨げと公言し、基本的には一人暮らしだった。
1926年(47歳)ころから、銀座のカフェーに出入りする。
荷風の創作の興味は旧来の芸者から新しい女給や私娼などに移り、1931年『つゆのあとさき』、1934年『ひかげの花』など新境地の作品を作り出す。
1937年、『濹東綺譚』を朝日新聞に連載した。

『濹東綺譚』(ぼくとうきだん)は、永井荷風の小説。

私娼窟・玉の井を舞台に、小説家・大江匡と娼婦・お雪との出会いと別れを、季節の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている。
荷風の日記『断腸亭日乗』には荷風の玉の井通いの様子が書かれており、主人公の大江は作者の分身と考えられる。
荷風の小説中、最高傑作ともされ、1960年・1992年・2010年に映画化された。
初老と26の女のあうだに芽生えた腐れ縁は儚い。
結局、老作家は何をしたかったのか?

私娼窟・玉の井を舞台に、小説家・大江匡と娼婦・お雪との出会いと別れを、季節の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている。荷風の日記『断腸亭日乗』には荷風の玉の井通いの様子が書かれており、主人公の大江は作者の分身と考えられる。荷風の小説中、最高傑作ともされ、1960年[2]・1992年・2010年に映画化された。
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耽美主義は、道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。
これを是とする風潮は19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。
1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にあるとする立場である。
アルジャーノン・スウィンバーンがある絵画を評して曰く「この絵の意味は美そのものだ。存在することだけが、この絵の存在理由 なのだ」という表現が耽美主義の本質を説明している。耽美主義者の中ではオスカー・ワイルドなどが代表的である。19世紀の末に近づくにつれ、デカダンスの様相を呈した反社会的な動きとなっていった。これは、当時ヨーロッパを席巻していた楽観的な進歩主義へのアンチテーゼでもあった。

その反社会的思潮から悪魔主義などと括られることもあるが、耽美主義自体は悪魔主義や退廃芸術とは必ずしも一致しない。
むしろ感性の復興という意味ではルネサンスとも通底している。
その一方で神秘主義とも相通じるものもある。
フランス人作家ペラダンは「美が生み出すのは感情を観念に昇華させる歓びである」と語っている。同性愛やサディズム、マゾヒズム、エロチシズムなども、耽美主義の作風に含まれることが、しばしば見受けられる。
耽美主義の流れは日本の知識人や文化人、芸術家にも影響を与えた。
谷崎潤一郎は、著名な日本の耽美主義の小説家である。
また、三島由紀夫も耽美派に含まれる場合がある。

12月2日(土)のつぶやき

2017年12月03日 03時31分28秒 | 医科・歯科・介護