公益社団法人 自由報道協会(英語: Free Press Association of Japan、略称:FPAJ)は、縛りなく自由な報道を目指すジャーナリストによって2011年1月に発足し、取材、報道に携わるすべての記者に公平に開かれた記者会見の開催等の活動をしている団体。
2012年(平成24年)10月1日より、公益社団法人となった。
2013年5月21日付の自由報道協会ホームページの「お知らせ」によれば、今後は自前の会見の開催より、公的な会見の開放を求める申し入れや、会員に対する記者証の発行など、フリーランス、海外メディア、ネット、雑誌などを舞台に活躍するジャーナリストのサポート活動に重点を移くとしている。
「日本全国の公的な記者会見の開放を訴えるとともに、記者会見を代行主催する非営利団体」であり、「いわゆる『メディア』にはならない」、としている。
フリージャーナリストが殆どの記者クラブ主催の記者会見に入れないことに批判的で、記者会見オープン化を主張していることで、自由報道協会が発足された。
寄付金を募り運営されている。
あのころは、仕事の同僚や、記者仲間の自宅アパートなどに泊まり歩いた。
中野駅、新宿御苑駅、三鷹駅、亀戸駅、明大前駅、下北沢駅の周辺のアパートだった。
小田急線の最終電車は24時20分。
終電を過ぎても、神田、水道橋、新宿などの周辺で飲んでいたり、マージャンもして、記者仲間のアパートにお世話になる。
女性のアパートにも。
でも、深い仲にはならなかった。
2人、3人で泊まり込んだのだから。
ある日は、
「どうするのよ。はっきりして。私は千葉の女だから」と神楽坂のアパートで先輩のタイピストの堀田禎子に言われた。
同僚で大学の後輩の熊が二人の結婚を勧めた日である。
彼女は5歳年上の人だった。
これまで出会った女性のなかでは一番の美貌であった。
「先輩、いい返事してくださいよ」と熊が日本酒をコップに注ぐ。
どこかで三味線がなっていた。
時計を見ると午後11時だった。
「考えさせてくれ」と徹は優柔不断だった。
後輩の久美子は、同僚の幸助に振られて布団を被って寝ていた。
久美子を新宿の居酒屋でスカウトしたのが幸助だった。
「君、タイプできる?」と店の店員に声をかけたら、「私、できます。職を探していの」と答えたのが、中村久美子だった。
タイピストの一人であった中年の女性は、乳がんで入院していた。
支社長は酔った神田のバーの席で「土田君は元従軍慰安婦なんだ」と明かす。
徹はその日から、支社長を憎むようになる。
バーのママさんは不快は表情を浮かべていた。
「ママさんは、徹さんの恋人みたいね」と店のエッちゃんが言う。
「そんなこと言ったら徹さんに失礼よ」とママさんがたしなめた。
ママさんには画家の恋人がいることを徹は知っていた。
結局、徹は結婚についてママさんの意見を聞いてみた。
「どうかな、彼女を愛して行けるの?」
「それが、分からないのです」
「性格が合うかしら、とても堀田さんは気が強そうだし、徹さんには素朴な感じの人が会うと思うの」とママさんは言う。
性格が強い徹の母親と同じようにも彼女を想っていたのも事実だった。
徹は酒が好きな堀田禎子に誘われ、そのバーには何度か来ていた。
厚生省日比谷クラブで出会った人たち。
いわゆる業界誌・紙の編集者・記者たちである。
専門紙としての誇りから、厚生記者会の面々には「負けてなるものか」と闘志を燃やしている者もいた。
東京大学などの国立大学、早稲田大学、慶応大学などの私立大学を出ていれば、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞などの記者になっただろう。
どこにどこような分かれ目があったのだろとうか、エリートになれなかった人たちが身近にいた。
千葉大学、埼玉大学、横浜国立大学出の人。
意外に早稲田大学出身者も多かった。
小説家を目指している人も数人いた。
芥川賞、直木賞を目指している者も居て、実際に当時のメジャーではない文学賞を受賞している者も居た。
文芸評論家や文学者を目指して酒を飲めば文学談義となる。
だが、徹は彼らと距離を置いていた。
交際を深めたのは、無頼派たちであった。彼らはどこか屈折したいた。
学生運動をしてきた若者たちや労働組合の活動に携わっている若者たちであった。
28歳、酒で亡くなったのは学生運動の続きをして、機動隊に捕まった福田君であった。
日比谷公園の松本楼が放火された日に、日比谷クラブに戻って来ない女性記者も一人いた。
「後輩たちが居たので、デモに加わったの」と彼女は首をすくめて言う。
1日で警察から解放された女性記者。
「一緒に帰りましょ」と徹は彼女に言う。
「私は、結婚しているのよ。誤解されるから嫌」と彼女は霞が関駅へ向かって駈け出す。
皆がまだ20代の若さ。
偶然にも小学校時代、中学校時代を共にした者も居た。
「どの出身?」と聞いたり、聞かれたり。
日比谷クラブの冷蔵庫には常時、ビールが入っていて、日本酒もあった。
酒は飲めなかった徹が、酒を飲むようになったのは26歳のころ。
酒のつまみは、幹事が厚生省の売店で買って来る。
お役人によるレクチャー(記者会ではない)が午後7時ころに行われることもあった
総会の日には、「ゼンセイ」という飲み会が午後6時ころから始まる。
酒を飲みんがら、マージャン、囲碁・将棋も行われる。
土曜日には、新橋の場外馬券場に行く者もいる。
中には厚生省のお役人に「買ってきてよ」と馬券を頼まれる者も。
徹は酒を飲み、午後8時ころ厚生省内を回るとお役人もビールなどを冷蔵庫から出して飲んでいる。
徹はお役人から「飲めよ」とビールを勧められた。
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10円カレーチャリティーセールのはじまり
昭和46年秋、沖縄デーの大混乱の中、過激派の放火により松本楼は炎上焼失しました。
沖縄返還協定強行採決に端を発して国会が空転、強行採決に抗議するデモなどが起き、これに連動して過激派集団がゲリラ行動を起こします。
集会場のひとつとなった日比谷公園では、不許可のデモを強行しようとしたグループと機動隊が衝突。
学生暴徒が日比谷松本楼の窓ガラスを割って乱入し、ガソリンを蒔き、放火したのです。
全国からのあたたかい励ましに支えられて、昭和48年9月25日に、新装再オープンすることができました。
そのときの感謝の心をこめた、記念行事としてはじまったのが「10円カレーチャリティーセール」です。
昭和58年、創業80周年を迎えたこの年は、再建10周年でもあり、なにかと話題の尽きない年となりました。
第11回「10円カレーチャリティーセール」では、主旨に賛同した森繁久彌さんが1日社長を務めてくださいました。
昭和歌謡・昭和アイドルもブーム!?
まだニッチではありますが、70~80年代の昭和歌謡もじわじわブームとなっています。
その時代のアイドルをまねた歌手グループがデビューしたり、アイドルが昭和歌謡を歌うライブが開催され、年配者だけに限らず若者も足を運んでいるようです。
なぜ、昭和〜平成初期を知らない若者がそれらのものを「懐かしい」と思い、愛着を持つのでしょうか。
それは現代の環境がそうさせているのかもしれません。
なんと若者が銭湯に行くことが増えているそうです。
喫茶とは酒類を扱わない、純粋な喫茶店のことです。
1980年代にピークを迎え、当時の学生は足繁く通っていました。
最近は安くて速くて美味しいとされるファーストフード店などに押され、お店の数は減少傾向にあります。
しかし、昭和の雰囲気が残る純喫茶の方が「落ち着くし、何時間でも居たい」と思っている方がまた徐々に増えてきました。
昭和は元年から20年の初期、21から40年までの中期、41年から64年までの後期の3つに大きくわけられています。昭和40年代以降は現在のミドルエイジの皆さんが生まれた年代なので、なにかと記憶に残っていることが多いでしょう。
一体何が魅力的なのでしょうか?
昭和中期の歴史的な出来事といえば、昭和24年に湯川秀樹が日本人初のノーベル賞物理学賞を受賞という大快挙がありました。アジア人としては3人目の受賞でしたが、日本人としては初の出来事で、しかも敗戦後なんとなく元気をなくしていた日本国民に勇気と希望を与えてくれたとても素晴らしい歴史的な出来事です。
昭和中期にブームとなったのが昭和34年、皇太子明仁親王が正田美智子さんと結婚。「ミッチー・ブーム」と呼ばれたのは昭和33年~34年にかけて婚約から結婚までの間に起こった日本の社会現象のひとつです。
昭和中期のエンターテイメントってどんなものが流行していたか知っていますか?昭和37年に大ヒットしたのがあの「スーダラ節」です。日本を代表する昭和中期のヒットソングで、ハナ肇とクレージーキャッツが発表した累計売上80万枚という爆発的な人気曲です
今の時代では有人宇宙飛行なんて言葉自体がかなり昔ぽっく聞こえてしまいますが、人類のテクノロジーは昭和の中期にとても目覚ましい発展を遂げています。1961年、ソ連の軍人でパイロットであるユーリイ・ガガーリンが初めてボストーク1号に単身登場して人類初の有人宇宙飛行に成功しました。
昭和38年にスタートした「小さな親切運動」は東大卒業式の告辞で早朝の茅誠司が重要性を訴えたことから社会的に共感が寄せられて始まりました。
日常の中で親切な行動をすることを目的としてボランティアや環境美化、高齢者のサポートなど。
ストレス社会の現代こそ大切にしたい心がけかもしれませんね。
マリリン・モンロー来日
東京に日本初のボーリング場オープン
唯物史観は、「唯物論的歴史観」の略であり、史的唯物論(ドイツ語: Historischer Materialismus)と同義である。
19世紀にカール・マルクスの唱えた歴史観である。
その内容は、人間社会にも自然と同様に客観的な法則が存在しており、無階級社会から階級社会へ、階級社会から無階級社会へと、生産力の発展に照応して生産関係が移行していくとする歴史発展観である。
ヘーゲル哲学の弁証法(矛盾から変化が起こる)を継承しており、人間社会の歴史に適用された唯物弁証法(弁証法的唯物論)とも言える(しかし、唯物史観は弁証法的唯物論をそのまま適用したものではない、と述べるマルクス主義者もいる)。
またフォイエルバッハやフランス唯物論者たちから唯物論を継承している。
第二次世界大戦後の日本の歴史学者に強い影響を及ぼし、多くの歴史教科書等に反映されている。
マルクスやマルクス主義者の理論は歴史の発展過程を以下のように説明する:
- 社会の発展は、その社会のもつ物質的条件や生産力の発展に応じて引き起こされる。
- 社会は、その生産力により必然的に一定の生産関係(おおまかに言うと経済的な関係)に入る。それは社会にとって最も重要な社会的関係である。
- 生産力が何らかの要因で発展すると、従来の生産関係との間に矛盾が生じ、その矛盾が突き動かす力により生産関係が変化(発展)する。これが階級闘争を生み出し歴史を突き動かす基本的な力であると考える。
- 生産力や生産関係は、個々の人間の意図や意志とは独立して変化する。
- 政治的法律的上部構造は、生産関係を中心とする経済のあり方(土台=下部構造)に規定される。(下部構造が上部構造を規定する)
- 今ある生産関係の形態がもはや生産力の発展を助けず、その足かせとなるとき、革命がおきる。
狩猟採集社会は、経済力と政治力が同じ意味を持つ組織であった。封建社会では、王や貴族たちの政治力は、農奴たちの住む村々の経済力と関係していた。農奴は、完全には分離されていない二つの力、すなわち政治力と経済力に結びつけられており、自由ではなかった。マルクスは、資本主義では経済力と政治力が完全に分離され、政府を通して限定的な関係をもつようになる、と述べた。
勝負師の武蔵さんが落胆している輪子に「輪ちゃん、そんなに沈むな。当たり金だ」と1万円札を差し出す。
「ええ、今のレース取ったの?」と驚く。
武蔵さんは、以下のように説明する。
島田竜二選手は41日間も欠如していたが、前期得点はS級1斑で106・2。
今期は96・32でA級戦では評価を下げている。
44歳になっているが、この9レースでは、明らかに各上の存在。
そこで武蔵さんは、2-1-3と2-5-3からの3連単1000円なので、134万7800円を手にする。
当然1-2-5、5-2-1を2000円押さえていた。
3-8-2の並びなので、3番手の位置が不利なので2着の可能性も考えていた。
「この人は、やはり非凡なんだ」と輪子は見直すなした。
3連単 2-1-3 13万4780円(288人気)
伊東温泉競輪開設68周年記念「椿賞争奪戦」が12月13日~16日の日程で開催された。
「伊東温泉競輪は、温泉の中にあるの」と聞く人がいて、「山の中、駅からバス、歩いて行けない」と答える人に、「歩いて行ける距離だよ」と元法務省の木島さんが言う。
「俺も歩いて行った」と我孫子の佐伯さんが応じた。
輪子は「いつか行ってみようかな」とつぶやく。
最終日9RにはレインボーカップA級ファイナルを開催。
A級1・2班戦のベスト9がS級特進をかけて激しいバトルを繰り広げる、とネットの情報にあったので、輪子は興味をもった。
「このレースはかたいな」と周囲の人たちが言う。
そこで、輪子は、武蔵さんの予想に乗って、5-1-7(オッズ1660円)に1000円、1-5-7(オッズ1420円)に500円。
押さえに5-1-3(オッズ3120円)を500円。
ところが、4番加倉正義選手の後輪と5番嶋津拓弥選手の前輪が接触、車体がまさかの故障、ずるずる後退する5番選手を見て「ああ、何てこと!」と輪子は車券を握り締めた。
「最近、ツキに見放されているな」と落胆する。
本命ライン 5-1-7
3-8-2
4(単騎)
6-7
結果は
2車単 2-1 1万9690円(52人気)
3連単 2-1-3 13万4780円(288人気)
予 想 | 好 気 合 | 総 評 | 枠 番 | 車 番 | 選手名 府県/年齢/期別 | 級 班 | 脚 質 | ギヤ 倍数 | 直近4ヶ月の成績 | |||||||||||||
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競走得点 | S | B | 逃 | 捲 | 差 | マ | 1 着 | 2 着 | 3 着 | 着 外 | 勝 率 | 2連 対率 | 3連 対率 | |||||||||
◎ | 10 | 1 | 1 | 丸山 啓一 静 岡/43/74 |
A1 | 追 | 3.92 | 96.26 | 2 | 0 | 0 | 2 | 11 | 2 | 10 | 5 | 8 | 4 | 37.0 | 55.5 | 85.1 | |
11 | 2 | 2 | 島田 竜二 熊 本/44/76 |
A1 | 追 | 3.92 | 95.54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 2 | 5 | 2 | 2 | 18.1 | 63.6 | 81.8 | ||
× | 4 | 3 | 3 | 吉田 茂生 岐 阜/28/98 |
A1 | 逃 | 3.92 | 97.37 | 1 | 11 | 8 | 13 | 1 | 0 | 19 | 3 | 0 | 5 | 70.3 | 81.4 | 81.4 | |
10 | 4 | 4 | 加倉 正義 福 岡/47/68 |
A1 | 追 | 3.92 | 95.00 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 3 | 9 | 3 | 5 | 7 | 37.5 | 50.0 | 70.8 | ||
○ | 7 | 5 | 嶋津 拓弥 神奈川/32/103 |
A1 | 逃 | 3.92 | 97.75 | 3 | 4 | 1 | 7 | 2 | 0 | 4 | 6 | 2 | 0 | 33.3 | 83.3 | 100.0 | ||
6 | 5 | 6 | 日当 泰之 青 森/30/92 |
A1 | 逃 | 3.92 | 93.41 | 2 | 10 | 3 | 6 | 1 | 0 | 6 | 4 | 4 | 10 | 25.0 | 41.6 | 58.3 | ||
△ | 10 | 7 | 太刀川 一成 千 葉/38/100 |
A1 | 両 | 3.92 | 95.44 | 4 | 0 | 0 | 3 | 11 | 3 | 11 | 6 | 1 | 9 | 40.7 | 62.9 | 66.6 | ||
▲ | 13 | 6 | 8 | 笹倉 慎也 富 山/33/91 |
A1 | 両 | 3.92 | 94.27 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 6 | 3 | 5 | 9 | 26.0 | 39.1 | 60.8 | |
注 | 9 | 9 | 安部 達也 埼 玉/41/83 |
A1 | 追 | 3.92 | 97.18 | 1 | 0 | 0 | 1 | 13 | 6 | 12 | 8 | 3 | 4 | 44.4 | 74.0 | 85.1 | ||
【誘導員】高橋 健太 A1 |
大阪での国際博覧会(万博)開催の是非を問う声がある。
災害が相次ぐ日本列島を強靭にすることこそ急務と疑問を投げかける。
同様の声は東京のオリンピック開催についてもあった。
開催が本当に必要なのか?
と問われれば、開催されてもいいと思うのだ。
つまり、マイナスよりプラスならいいのでは。
マイナス思考はどこまでいってもマイナスしか導き出せないから。
過去の日本開催のオリンピック(東京、札幌、長野)と大阪万博、つくばの科学万博はマイナスに働いたのか、と問いたい。
経済効果と財政問題を問うのも理解できるのであるが、日本を訪問する外人とボランティア含む国内の人々との交流はマイナスに働くことはないだろう。
将来の日本を背負う若者たちへの影響を考えてもプラスとなるはず。
外国へ行かなければ見られない万博を国内で見られるのである。
それは絵画展についても言える。
フランス、イタリア、ロシアの美術館へ行かなければ観ることができない世界の巨匠たちの名作を国内で鑑賞できることは、実に素晴らしいではないだろうか。
昨日は午後1時からの八重洲地区の会合には、普段参加しない方も来た。
地元ではあるが、別の地区や支部に派遣されている方だ。
各役員4人が挨拶をして、1部の会合は終了。
2部は懇談会、赤飯、四川料理、サラダ、豆などが出された。
1年を振り返ったが、あっと言う間のように感じられた。
堀江さんが入院したが、姪の方は「もう、縁を切りましたから、関係ありません」と関わりを拒絶。
「400万円を出して面倒を見てもらおうとして、放り出され家の名義も姪のものに書き換えられたの」と中田さんが憤慨していたが、どのような経緯でそのよに険悪な関係になったのであろうか?
東京に住んでいた姪の方が、千葉県柏に越して来たそうだ。
堀江さんが亡くなれば、取手・東6丁目の自宅は姪のものとなるのだろう。
また、90歳の高田さんから会合の様子を聞くための電話がある。
会合へ出られないほど、足が衰えてきたのだ。
先月、えりちゃんが車で迎えに行ったのに、2階から降りるのが大変だそうで、「今日は出られない」と言われたそうだ。
ずっと車を運転していたが、今年に入り車は廃車にしている。
頭がしっかりしていて、認知症にはならない人だ。