日本では、1990年代半ばから若者の仕事環境を徐々に変えていった。
会社や役所では、派遣や契約など非正規雇用が増えた。
一方、正社員の労働時間が長くなった。
職場でのゆとりが失われていく。
昔は、会社、役所で働く未婚者は、男女とも正社員でった。
労働組合の交流会や職場の飲み会などで親しくなる機会が多かった。
しかし、短期間勤務の非正規社員、特に女性社員が増えると相手と親しくなる前に辞めてしまうということが起きる。
非正規社員の増加は、単に収入問題だけでなくて、結婚難問題にもなっている。
(日本人は総じてシャイで、気に入った人がいてもなかなかきっかけがないと声をかけない)。
バブルの発生期は、やれ財テクだ、土地投機だと煽り、バブル崩壊後は、貸し渋り、貸しはがし。いずれにしても極端から極端、オール・オア・ナッシングである。
国家構想や長期的展望に立ち志を以て産業や社会基盤を再構築しない限り、日本は底なしの奈落へと落ちいてくことになる。
日本は、どちらに向いて進んだらいいのか。腹を据えて見極めなければならない時なのである。
1997年暮れには、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、徳陽シティ銀行と立て続けに破たんした。
金利がいくら低下しても雇用が不安定で将来の収入の確保が覚束なければ、借金をしてまで住宅を買おうという意欲が持てない。
91年、バブル崩壊後、地価は、急速に値を下げている。地価が急速に値を下げているのに、有利子負債、即ち金融機関からの借入金は、1995年まで増え続けている。
1995年は、住専問題が政治問題化した年である。
住専問題とは、1995年8月には大蔵省の住専立ち入り調査が行われ、農林系1社を除く全体で、総資産の半分に達する6.4兆円の損失があることが判明した事を言う。
そこから、金融機関の貸し渋り、貸し剥がしが社会問題化したのである。
地価が暴落した事で土地の担保価値が下がり、それまで、地価の値上がりを当てにした含み経営が破たんした。利益が上がった時に将来の地価の値上がりを前提として不動産を買いそれを担保に更に資産を買い増しするといった経営が一転して裏目に出るようになる。
地価の暴落によってそれまで優良資産であったものが一転して不良資産となる。不良資産、不良資産というが、その実態は不良債務である。
こうなると不動産を買ってキャピタルゲインを求めるというビジネスモデルが通用しなくなり、地価の下落に拍車をかける事になる。
行政は、バブルの後始末に懲りて今度は地価の上昇を徹底的に抑え込むようになる。
それまで、土地を担保にした融資に積極的というか、強引な融資までしてきた金融機関が掌を返したように、貸し渋り、貸し剥がしに走る。
自業自得ともいえるが、借り手がいなくなり、金利が低下した事で金融機関の業績は急速に悪化する。金利をいくら低くしても借り手が表れない。それは資産価値が下落した事で担保価値が低下した事によるのと、金融機関が極端な保守主義に陥った事に起因している。中小金融機関の預担は、急速に低下し2017年現在、中小金融機関は50%を切るまでに至っている。
この様な状態は、資産価値の下落がもたらした事であって民間企業や金融機関の経営の仕方が悪かったからではない。資産価値の下落が、過剰投資、過剰負債、過剰雇用の状態を招いたのである。この点を錯覚してはならない。経済的状態というのは、その経済的状態を成立させている状態とその状態を引き起こした要因の二つから検証すべきであり、結果だけから判断すると物事の本質を見誤り、適切な対策が立てられなくなる。病気で体力を失っている時に、更に体力を奪う行為を強要すれば病気は改善せずに悪化するだけである。
逆境を乗り越える適応する能力。
「レジリエンス」=復元力、抵抗力でいじめに勝ち抜く。
困難な状況でも正常な平衡状態を維持できる力。
ネガティブな出来事から立ち直りを導く心理的特性。
心の「弾力性」と「柔軟性」豊んだ「折れない心」を如何に育むかである。
ある種の楽天性、健康な「鈍感力」にも相通じるのがレジリエンス。
充実した人生を送るためには、健康であることが一番。
節度ある食生活と運動習慣・歩くことが重要。
健康は知恵、幸福も知恵で勝ち取るものだ。
特に血管の病気、動脈硬化で脳梗塞、腎不全、心疾患などの、危険な病気が引き起こされる。
将来、健康でいられるか。
それは、日々の心掛けが大きく影響することは間違いない。