サンタクロースからのプレゼント

2018年12月25日 21時02分35秒 | 創作欄

徹はクリスマスは好きではない。
ジングルベルのメロディーが街中に流れると切ない気持になった。
それは幼児の記憶によるものだ。
徹はサンタクロースが実在すると思っていた。
5歳の徹は何度も夜中に目覚めて、枕元を確認した。
でも、プレゼントは届いていなかった。
母親を起こして聞いてみようとしたのに、母親の姿はなかった。
何時も母親を真ん中に、川のように徹が右側に寝ていて、左側に双子の妹が寝ていた。
父親は別室に寝ていたが、この夜は帰宅していない。
母親は疑心暗鬼にかられ、夫を探して渋谷界隈に居たのだ。
夫婦は浮気を疑い痴話喧嘩になっていた。
「子どもの前だぞ、冷静慣れ」と父親がなだめる。
「また、女ができたのね」と母親が詰め寄る。
母親の大声で妹の明子が泣きだす。
徹は居間にいてはダメと感じて、妹を寝室に連れて行く。
二人は毎年、サンタクロースからのプレゼントを待っていた。
例年どおりならプレゼントは父親が銀座の三越で前日買って、子どもの枕元に置いておく習わしであった。
それなのに、父親は妊娠した愛人が流産して、その夜は渋谷の日赤病院へ行っていた。
一方、母親は夫の愛人が住む渋谷道玄坂のアパートへ様子を探りに行っていたのだ。
後年、徹は母親から父親の多くのトラブルを聞かされた。
それなのに、何故か父親に対する嫌悪感が生まれなかった。


力が備わると目線が高くなる

2018年12月25日 19時11分36秒 | 沼田利根の言いたい放題

「古今東西、政権というものは、力が備わると目線が高くなる。
<これくらい大丈夫だろう>と高をくくり始め、しだいに謙虚さを失わっていく。
明治政府もその道を歩んだが、西郷隆盛だけが違っていた」歴史学者 磯田道史(48)さん
明治維新によって「近代化がもたらされ、民を豊かにしたように見えたけれど、その実、新政府高官はみんなおいしい弁当(果実)を食べ、貴族の地位を分け取りにしていました」磯田さん
西郷はそれを見越して下野し、時代に取り残された不平士族に担がれた。
彼らに寄り添い、自ら滅び去ることで次の時代が開けると信じた。
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江戸の徳川幕府は終わったが、身分制度は継続された。
役者が変わっただけでなのあろう。
夜明け前と期待されたが、陽は昇らなかったのではないだろ

うか。

政府は華族や士族の身分を編成してゆきました。
とくに近世の公家や大名、維新の功労者たちからなる華族には爵位が定められ、特権があたえられました。


目線の低い政治とは?

2018年12月25日 15時49分25秒 | 沼田利根の言いたい放題

国民と膝詰めで語り合える政治であろうか。
相手と膝を突き合わせるほど接近してつめよること。


普段から人に寄り添って政治をしていれば、不誠実な対応は絶対にできないはずです。
だが、政治家自身の目線は低すぎると指摘する声もある。
以下引用

大前研一「日本の政治家は目線が低すぎる」
矮小化した議論ではこの国は変わらない
現在の小選挙区制の選挙区当たりの平均有権者数は35万人で、これは市長選レベルに等しい。
市長選レベルの小さな選挙区から出てくるから、目線が低くなって、地元への利益誘導が政治活動の中心になる。
天下国家を論じたり、外交、防衛、経済といった日本の長期的な課題に向き合ったりする政治家が出てきづらいのだ。

議員になることが目的化して、「この国をこうしたい」という情熱とエネルギーを持った政治家が本当に少なくなった。
小選挙区制の弊害についても国政レベルの議案にあげるべきときが来ている。
安倍一強の忖度政治でいや気がさしていた国民ではあるが、民進党の分裂と小池強権政治とを天秤にかけて今回は怒りを鞘に収めた。

自動運転で動くなら課題も論点も必要ないかといえば、そうではない。
日本はどんな状況下でも無人で自律的に走れる完全自動運転の「レベル5」ではない。

 


日本で国会専門テレビが育たなかった

2018年12月25日 14時00分37秒 | 社会・文化・政治・経済

C-ネットの社長だった田中良紹さん(73)は今も残念がっている。

平成ネット政治史
/8 国会TVの登場と退場 「未編集」好評でも資金難=逢坂巌

毎日新聞2018年12月24日 東京朝刊

オピニオン

国会TVの活動を振り返る田中良紹さん(元TBS政治記者)
国会審議を毎日、テレビで見られる時代があった。

20年前の1998年1月、CS放送で日本初の政治専門局「国会TV」がスタートした。

審議のある日は本会議や委員会、調査会を開会から閉会まで編集せずに放送した。

週末や夜間は収録分を再放送。
生出演した政治家が、電話してきた視聴者と直接話す「コール・イン」も取り入れたほか、米国の議会なども流した。

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米国議会専門テレビC-SPAN

C-SPAN(Cable-Satellite Public Affairs Network)はアメリカ合衆国議会を中心に、政治を専門とするケーブルチャンネルのことである。
主に議会中継や、一般教書演説や民主党全国大会、共和党全国大会などの生中継行事、アーカイブなどが中心である。
本部は首都のワシントンD.C.にある。
C-SPANとは、アメリカ合衆国ワシントンDCに本社をおくケーブルテレビ局です。
ケーブルテレビ業界各社が資金援助する非営利の私企業です。
税金や公的資金は一切受けていません。
1979年に米下院議会中継を始めて以来、1986年には上院議会中継を、また1989年にはラジオ放送も開始しました。
中継の全てをノーカットで放送し、その評価・判断は見る側に委ねる、それがC-SPANです。
C-SPANとワイドスタッフ
1990年、C-SPANは海外番組枠を拡大し、日本からの番組を放送し始めました。
ワイドスタッフはC-SPAN の日本通信特派員として、国会での総理大臣の所信表明演説や来日した要人の講演などの模様を提供しています。
全米の6,500万世帯という視聴者が、日本発の情報を得られているのです。

大森実氏はアメリカ日誌のなかで・・・
「C-SPANという政治専門のケーブルテレビ・チャンネルに、日本の政治評論家、森田実氏が映し出された。
同氏の講演が延々1時間以上も放映されたのである。
日本の政治・経済をテーマに、通訳を入れた日本人評論家の話がブラウン管を通じて流れるなんて、まったく前例のないことだった。」(月刊誌サンサーラの1997年4月号より)



幸楽苑 10円で極上中華そば

2018年12月25日 12時46分39秒 | 日記・断片

午前10時に佐々田さんと待ち合わせをして、取手国道6号に面した幸楽苑へ行く。

隣はキリンビールの取手工場。
既に駐車場に行列ができていて、午前10時30分に開店。
我々は19番と20番の整理番号をいただき、店内中央の4人席へ。
一人で来た人はカウンター席へ案内される。
店内が満席になり、さらに駐車場には長い列ができる。
10円で極上中華そば「ごちそう様でした」
食後は、ヤオコウでコーヒーを飲みながら歓談した。


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2018年11月度既存店客数前年比105%クリア
お客様へ感謝を込めて
『幸楽苑ファン感謝祭』開催中
全店舗合わせて先着約 50,000 名様に「極上中華そば」10 円でご提供

25 日(火)には、「幸楽苑ファン感謝祭」として、幸楽苑全店舗で先着 100 名様限定にて「極上中華そば」(税込421 円)を 10 円でご提供いたしております。


夜間高校へ通学

2018年12月25日 07時36分14秒 | 創作欄

本当はその人に興味があり、近づきたいのだけれど、心の壁ができてしまう。
自分の方から心を開く、そんな特別なことではなかったと思い返す。
「ここに座っていい?」と相手の人が徹に笑顔で声をかけて来た時、言葉を交わせば良かったのに、徹はその人の視線を避けるように黙ってうなずいただけだった。
シャイな性格がこの時も邪魔をした。
徹は意識過剰になって、頭が空っぽになる。
彼は高校を2年で中退して、夜間高校へ入り直していた。
徹のクラスはわずか15人だった。
最高年齢の生徒は27歳の元ボクサーで、ヤクザ-の親分のボディーガードをしていた岩城昇。
最年少は18歳の徹だった。
夜間の高校へ働きながら通学する生徒は、みなが疲れていている様子であったのに、親の脛をかじって生きているような徹は爽快な気分であった。
教師たちは、生徒たちが居眠りをしても咎めることは一度もなかった。
古文の厳格な教師の志村春樹は、元陸軍中野学校出で、戦後に教育大学へ入り教師になっていた。
徹は全日制の高校で志村春樹の厳しさを知っていたので、別人を見る思いがした。
生徒に鉄拳制裁をする教師であったのだ。
全日制の教師が夜間の授業にも携わっていたので、「徹、大学へ行くのか?」と体育の教師の本田猛士朗も徹に声をかけた。
大学の付属高校であったで、体育館は共有であった。
本田は東京オリンピックへ向かい体操種目の練習をしていた。
徹たちはトランポリンをしていた。
その日の講師は高校へ教育実習に来た体操の渋江葉子選手だった。
渋江も東京オリンピックを目指していた。
渋江は20歳の初体験の高辻明子にトランポリンの初歩を教えていた。
徹は直に、バック転を覚えた運動神経のよい明子を意識し始めていた。
「夜間高校も悪くないか」と徹は前向きな気持ちとなる。
そして、明子と肩を並べて講義を聞くことにもなる。


輪子の競輪日記 ケントう憤晴らす

2018年12月25日 00時45分29秒 | 未来予測研究会の掲示板

デビュー前からマスコミの注目を集めていた山崎賢人選手。

S級入りこそ南潤選手、松本貴治選手らに先を越されたものの、8月オールスターでG1初参戦で優参の偉業を果たすと、その後は一気にトップスターへの階段を駆け上がった。

9月共同杯1114着、10月親王牌1181着、そして11月取手では記念初Vを4連勝で飾っている。

同月競輪祭12962着の準決は、果敢に逃げるも後続が大きくもつれて太田竜のまくりに屈したもので、評価を下げる必要はない内容だった。

山崎 賢人

最終日、前日の落車で「どうなるの?」と輪子は心配していた。
でも、9レースで輪子を喜ばせた。
武蔵さんが勝負に出た。
1-3-7
3-1-7
の2点で十分。
と武蔵さんは輪子に「輪ちゃん買って来てきてくれ」と2万円を渡す。
最近できた特別観覧席の個室で。
テーブル席は白いビニールカバーで覆われている。
テレビモニターが前後の壁に4台。
椅子はゆったりしていて、武蔵さんは腰を前方に傾け、ふんぞり返った様子で座っていた。
結果は1着が同着。

1-3-7 600円(4人気)
3-1-7 1060円(8人気)

テレビモニターの写真判定を見て「針1本の差だな」と武蔵さん。
輪子は1万円を武蔵さんからいただく。
「九州3番手の合志は、足がないからいらない。1番山崎 賢人番 3番山田 英明 7番
森川 大輔で決まるな」と武蔵さんが予想したとおりのレース結果。
「さすがね」と輪子は感心した。
前日のケントの落車は、「スピードが上がる前で軽傷」と専門紙に記されていた。