利根輪太郎の競輪人間学 相変わらずの不徹底!

2023年07月02日 21時45分19秒 | 未来予測研究会の掲示板

GⅢ 前橋競輪 開設73周年記念三山王冠争奪戦

最終日(7月2日) 10レース

8レース 7-5 4,050円(14番人気)

9レース 5-3 390円(1番人気)

10レース?

出目作戦では、10レースも5番絡みの車券である。

そこで、2-5 5-2 3-5 5-3 5-7 7-5の車券で勝負した。

友人の若竹さんは、人気薄の9番か8番で勝負してたのを思い出したのだ。

9番は吉田 敏洋選手であったので買うつもりであった。

ところが、我孫子の勝負しが、「このレースは3番が軸だ」と強気の発言だった。

「そうかもしれない」と応じてしまった。

そこで、2-3 3-2の車券も追加する。

並び予想 5-1-4 2-9-6 8-3-7

レース評

地元三割増しの言葉もあるし小林−恩田から。本線と同等評価は上田先導の九州トリオ。印は回らなかったが中部勢も僅差だ。

1番人気 3-7(6・1倍)

 

結果 9-5 1万70円(30番人気) 9-5-6 8万7,810円(187番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
  1 9 吉田 敏洋   9.7 S  
2 5 小林 泰正 1/2車輪 9.6    
  3 6 吉永 好宏 1車輪 9.6      
4 4 新田 康仁 1/4車輪 9.3      
5 1 恩田 淳平 3/4車身 9.5      
6 7 井上 昌己 1車身1/2 9.7      
× 7 3 中本 匠栄 1/2車輪 9.9      
  8 2 谷口 遼平 1/2車身 10.0   B  
9 8 上田 尭弥 大差 11.1    

 

 

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何より大事なのが「信用」

2023年07月02日 12時05分38秒 | その気になる言葉

▼仕事こそ自身を鍛える修業の場である。

▼何より大事なのが「信用」だ。

それには、自分のなすことに確信を持つのだ。

惰性と慢心を排し、何ものにも揺るがぬ自己を確立していくのだ。

▼正しい努力が成功をおさめなかったためしはない―思想家・エマソン

▼一念を定めることは決して特別なことでなく、誠実に、真面目に、今いる場所で地に足をつけ、使命を全うすることである。

▼たとえ、どんな苦難に直面しようとも、「今から」「ここから」わが人間の劇が始まると確信し、自分らしく、たゆまぬ挑戦を続けていくことだ。

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「答えの芽」は、常に現場にある

2023年07月02日 11時29分38秒 | 社会・文化・政治・経済

▼かつては分かりやすく存在していた問題は、なくなったのではなく、社会に「あってはならぬもの」として、皆の目につかないように周囲に追いやられ、見て見ぬふりをされているだけともいえます。

私は社会学者として、そうした中心から外れ「周縁的な」地域や人たちを対象の研究を続けてきました。

そうした地域や人々がはらむ問題にこそ、現代社会の課題の本質が見えてくると考えるからです。

▼「あってはならぬの」として周縁化された存在は、問題それ自体がなくなったわけではないのに、「色」を取り除かれ、あたかもなくなったかのように見えます。

そうした状態を「漂白」と呼んでいます。

見て見ぬふりをされてきた、人たちに目を向けるということは、漂白されてしまった問題に色を付け、描き直していく作業ともいえます。

どんな課題にも、見た目以上に複雑な背景があるし、そに複雑さの中に入ってこそ、解決する道が見えてくると思います。

「答えの芽」は、常に現場にあるというのが私の確信であり、一つの信仰心に近いものだといえます。

社会学者・東京大学大学院 開沼 博 准教授

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失敗の科学

2023年07月02日 11時05分58秒 | 社会・文化・政治・経済

マシュー・サイド (著), 有枝 春 (翻訳)

失敗から学習する組織、学習できない組織

だから人は、同じ過ちを繰り返す――。
英タイムズも絶賛! 22カ国刊行の世界的ベストセラー、ついに日本上陸 !


なぜ、「10人に1人が医療ミス」の実態は改善されないのか ?
なぜ、燃料切れで墜落したパイロットは警告を「無視」したのか ?
なぜ、検察はDNA鑑定で無実でも「有罪」と言い張るのか ?
オックスフォード大を首席で卒業した異才のジャーナリストが、
医療業界、航空業界、グローバル企業、プロスポーツリームなど、あらゆる業界を横断し、失敗の構造を解き明かす !

<目次>
第1章 失敗のマネジメント
「ありえない」失敗が起きたとき、人はどう反応するか
「完璧な集中」こそが事故を招く
すべては「仮説」にすぎない

第2章 人はウソを隠すのではなく信じ込む
その「努力」が判断を鈍らせる
過去は「事後的」に編集される

第3章「単純化の罠」から脱出せよ
考えるな、間違えろ
「物語」が人を欺く

第4章 難問はまず切り刻め
「一発逆転」より「百発逆転」

第5章「犯人探し」バイアス
脳に組み込まれた「非難」のプログラム
「魔女狩り」症候群 そして、誰もいなくなった

第6章 究極の成果をもたらす マインドセット
誰でも、いつからでも能力は伸ばすことができる

終章 失敗と人類の進化
失敗は「厄災」ではない

内容(「BOOK」データベースより)

誰もがみな本能的に失敗を遠ざける。だからこそ、失敗から積極的に学ぶごくわずかな人と組織だけが「究極のパフォーマンス」を発揮できるのだ。
オックスフォード大を首席で卒業した異才のジャーナリストが、医療業界、航空業界、グローバル企業、プロスポーツチームなど、あらゆる業界を横断し、失敗の構造を解き明かす!

著者について

マシュー・サイド
1970年生まれ。英『タイムズ』紙の第一級コラムニスト、ライター。オックスフォード大学哲学政治経済学部(PPE)を首席で卒業後、卓球選手として活躍し10年近くイングランド1位の座を守った。
英国放送協会(BBC)『ニュースナイト』のほか、CNNインターナショナルやBBCワールドサービスでリポーターやコメンテーターなども務める。
 
 
 
失敗を責めるのではなく、受け入れて学ぶ。
どこでも誰でもみんな口ではそう言いますが、本当にできてますか?
みんな保身のために失敗はしてないと言い、失敗を隠します。
私もそうでした。
それではダメなんだということを痛いほど教えてくれます。
最高の本でした。
認知的不協和という概念が大事ですね!

間違えたことを認識してないと改善はありません。
 
 
ビジネスに携わる場合もそうでなくてもあらゆる人に必読の本だと思います。
 
 
失敗から次を考えるという、勉強になる本
 
 
失敗することは恥ではなく、
新たな発展、また自身の成長につながるヒントである

それを素直に認め、失敗を受け入れることが最大の価値だとこの本を読んで感じた
 
それを実際の仕事や教育の場で実行するのはなかなか難しい。
まずは結果を率直に受け入れることと同時にチャレンジを奨励することが大切なのだと理解した。
失敗を気楽に出せるような雰囲気作りの大切さが、よくわかりました。失敗の隠蔽は、医療系の介護業界でも、見られることだと思います。
 
 
 
やる気や勇気を充電したい時に、また読み返そうと思う本です。
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悪しき人間の力は、悪人をつくってしまう

2023年07月02日 10時43分29秒 | 社会・文化・政治・経済

▼人は、生命と生命を触発し合いながら成長する。

そして、善き人間の力は善人をつくる。

悪しき人間の力は、悪人をつくってしまう。

善き人間と人間との関係を持つことが、絶対に必要n法則である。

▼昨今のいわゆる「特殊詐欺」や強盗は、まさに悪人の跋扈である。

いわゆる「闇バイト」の悪の連鎖を生んでいる。

日本の現代社会における「安易な人間」の増加にほかならないのだ。

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「かわいい」論

2023年07月02日 10時43分29秒 | 社会・文化・政治・経済

四方田 犬彦 (著)

メディア掲載レビューほか

「かわいい」論
様々な場面で使われる「かわいい」という形容詞。著者は「かわいい」を21世紀の日本の美学と位置づけ、その分析を試みる。

まず「かわいい」の源流が11世紀の『枕草子』にあり、江戸期の歌舞伎や大衆小説を経て、太宰治ら現代の作家にも受け継がれ、独自の美学へと洗練されてきたことを解説する。

また、「かわいい」の構成要素として、美しさのほかに醜さ、不気味さなどのグロテスクも微妙に交じっていることを指摘。重要な属性である小ささと、日本文化の「縮み」志向との関係も探る。

ハローキティ、パフィー、ポケモンなど、「かわいい」が世界で受け入れられ、巨大な市場を作り出している背景を検証。「かわいい」文化を多方面から分析したユニークな1冊である。


(日経ビジネス 2006/03/20 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画

 

内容(「BOOK」データベースより)

世界に冠たる「かわいい」大国ニッポン。キティちゃん、ポケモン、セーラームーンなどなど、日本製のキャラクター商品が世界中を席巻している。
その市場規模は二兆円ともいわれ、消費社会の文化商品として大きな意味を担うようになった。では、なぜ、日本の「かわいい」は、これほどまでに眩しげな光を放つのか?本書は、「かわいい」を21世紀の美学として位置づけ、その構造を通時的かつ共時的に分析する、はじめての試みである。
 
 

かわいい博物学入門という感じで、きもかわまでに至るが、それが何かまでの論考は、むしろ読者に委ねられている。
著者の鍵は、アウシュビッツの洗濯場に描かれたかわいい子猫の落書きにある。
庇護されるものとして従属する「かわい」そうなかわいいと、天皇に対して発せられるそれが同じか?答えは示されない。
 
 
縮小される事で強度が増す。

未成熟なものに対する文化的な価値観の相違により、
日本ではプラスであっても、そうではない文化圏もある。

美しさの排他的完全性に対する、かわいさの非保護感の吸引力。

こうやって、言葉を分析するのか、という、勉強にもなる。
自身のプリクラを掲載する著者の感覚は理解できない。
それは、決して、かわいくはない。
 
 
かわいいイメージに関するアンケートや性差の問題などはとても参考になる。
また,かわいいのイメージの根源に無感動に相対する感覚的な躍動感があるという分析は優れたものに思える。

一方で,調査不足の感は否めない。
たとえくだらない本の類だとしても,12年も前に出版された増淵宗一の『かわいい症候群』くらいは引用すべきではないのか。
とりわけ,第2章のかわいいの日本における使用の話や第3章などでも登場するかわいいの政治性については大幅に増淵に被ってしまっているのだから。
本を書く前に,かわいいに関する先行研究のリサーチはしなかったのだろうか。

第6章以降の内容は薄さを感じざるを得ないし,著者は多面的に見ようとしているのだろうが,彼の関心の中心に人間のかわいさに関するモチーフがあるため,対物・非ヒトかわいさに関してイメージを得たかった身としては物足りなさを感じた。

しかし,かわいいというイメージは子どもに理解できるというものなのか,それとも子どもに訴えると(大人が)思っているものなのか。
著者の用法のなかでも定まらない。
このあたりの問題はぜひ知りたいのだが。
 
 
かわいいについて、様々な新旧の文献や例を示して
網羅的に論じられた本です。
学生にとられたアンケート結果も新しく
興味深い結果を引き出してくれています。

しかし、「きもかわ」についてなど
恣意的な質問項目になっている部分もあり
前提ありきの分析なのではと
思わされる部分もあります。

また、セーラームーンに関する記述では
原典に本当にあたったのかな?
というような、記述も見られたので
本書全体に対する信頼性が
損なわれてしまっているように感じました。
 
 
 
本書の狙いや述べようとしていることは分かります。
また、読んでいて納得したり、勉強になるところも多々あります。
ただ、どうしても「かわいい」という定義がしっくりきませんでした。
当たり前ですが、昔と今とでは「かわいい」と評されるものは変わります。
たとえば、昔のものを今の感覚で「かわいい」という。
それはあり得ることですが、そのもの(作品)が作成された当時に「かわいい」と評されていたのか?といえば、疑問符がつきます。
調査が足りていないというのは筆者も認めているところであり、今後、さらなるグレードアップを望みます。
 
 

 

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大泉黒石: わが故郷は世界文学

2023年07月02日 08時31分51秒 | 社会・文化・政治・経済

四方田 犬彦 (著)

「俺は国際的の居候」と嘯く大正時代の作家、大泉黒石。

ロシア人を父に持ち、複数語に堪能なコスモポリタンだった。

『中央公論』連載の『俺の自叙伝』で一世を風靡するが、才能を妬まれ、虚言家だと罵られ文壇追放、忘れられた作家となる。

国家も民族も飛び越え、人間性の普遍へと向かおうとした異端の文学者が、今、蘇る。

四方田 犬彦は、日本の比較文化学者、映画史家、評論家。

大阪府生まれ。東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程中退。

大学入学当初は、由良君美の一般教養ゼミに所属、宗教学科時代は柳川啓一に師事、大学院では佐伯彰一に師事。

時代が早すぎた異能の人 本邦初の評伝

偏狭な日本の文壇は「混血の寵児の活躍を許そうとは」せず、やがて文壇から追放され、やがて筆を絶つ。

「世界市民」「世界文学の人」「異端を突き抜け普遍に到達しようとする稀有の存在」

「空虚な狂言家」として閉鎖的な分断から追放されたことを惜しむ。

「複数の言語と文学の間を自在に往還し、博識と戯作の文体をもって、大正時代の文壇を」恐ろしい速度で駆け抜けたのである。

 

 
厚労省のホームページによると、1957年の日本人男性の平均寿命は64歳であり、1957年の日本人の死因の第一位は脳血管疾患である。大泉黒石は1957年に脳血管疾患(脳溢血)で64年の生涯を終えている。日本人としては異色の生涯を送ったが、生涯の終わりは普通の日本人的であったようである。
本書はその大泉黒石の伝記+作家論+作品批評(紹介?)である。
各賞の候補になりそうな力作、意欲作、野心作で、あとがき及び帯には、ちょっと「息の詰まるような」大泉黒石への大賛辞が書かれている。
しかし、黒石は『人生見物』(1924年)では、「「息の詰まるような力作」と広告に吹聴されるような力作は、どうも僕には向かない。この際は成るべく息は詰まりたくない」(eBook版139頁)と書いてはいる。(本書ではこれに続く長い文は81頁で引用されているが、この文は引用されていない)
①目次と内容または関連作品
一、虚言の文学者・・生涯の要約。長崎で出生。産後の母の死。父ロシア人で母日本人。小学3年で父のいる漢口へ。父死亡し、伯父のいるロシアへ行き、モスクワ小学校に入る。パリに移り、リセに通うが素行不良退学。スイス、イタリアを経て、長崎で中学を卒業。ロシアに戻り、ペトログラードの高校に入るが、ロシア革命となり帰国し、京都の三高に入り、美代と恋愛結婚。
三高学費未納で退学、一高に移るがこちらも退学。様々な職業を体験したのち、シベリア出兵に乗じて、記者修行の名目で三度目のロシアへ。
1917年帰国後、ロシア・ジャーナリストとして活躍し、総合雑誌に寄稿。中央公論社編集者から自伝執筆を勧められ、自伝を中央公論に発表し、流行作家となる。
1930年代には、小説の注文は激減し、温泉評論と山岳紀行を書く。
(美代夫人との間に四男五女を得たが、1942年に離婚し、弟子またはファンであった約10歳年下の女性と中央線沿線で同棲し、のちに横須賀に移る)
戦後は横須賀のアメリカ海軍基地の通訳として生計を立てる。(美代夫人は一家を率い、長野に疎開。戦後は一家を率いて東京に戻り、一家の再建のため奮闘した)。
黒石は1957年横須賀で死去。(連絡を受けた長男と次男が遺体を引き取った)。
二、トルストイを訪問した少年・・論文『杜翁の周囲』(24歳)『露西亜の伝説俗謡の研究』(25歳)
三、二冊のロシア巡礼露西亜文学・・『露西亜西伯利 ほろ馬車巡礼』『ロシア秘話 闇を行く人』(26歳)
四、黒石、売り出す・・中央公論大正8年9月号掲載の「幕末武士と露国農夫の血を享けた私の自叙伝」(26歳)。大正10年1月号の第四編で完結。『俺の自叙伝』(一編+二編。26歳)。
五、『俺の自叙伝』・・雑誌掲載「俺(私)の自叙伝」第一編〜第四編(26歳〜27歳)。『人間開業』(「俺の自叙伝」全四編を収録。編題は改変。33歳)。
六、周縁と下層・・『俺の自叙伝』。
七、とうとう文壇追放・・『人生見物』(31歳)、『人間廃業』(33歳)。
八、『露西亜文学史』1、九、『露西亜文学史』2・・・『露西亜文学史』(29歳)
十、老子の肖像・・・『老子』(29歳)
十一、老子の肖像2・・『老子とその子』(29歳)
十二、『血と霊』の映画化・・『血と霊』(30歳)
十三、差別と告白、そして虚無・・『預言』(31歳)
十四、幻想都市、長崎・・・黒石の短編小説。約50篇。
十五、混血と身体の周縁・・短編「葡萄牙女の手紙」(28歳)「父と母の輪郭」「女が男になる話」。エッセイ「勧燬淫書徴信(いんしょせいばつ)」(36歳)
十六、峡谷への情熱・・・峡谷紀行エッセイ集『峡谷を探ぐる』(36歳)ほか3冊。
十七、奇跡の復活『おらんださん』・・『おらんださん』(48歳)
十八、戦時下の著作・・国策歴史小説『白鬼来 阿片戦争はかく戦はれた』(49歳)、食べられる植物『草の味』(50歳)、黒石最後の本で、海軍航空部隊礼賛小説『ひな鷲わか鷲』。(51歳)
十九、戦後の零落・・進駐軍通訳官となった黒石。
二十、黒石の文学・・作家大泉黒石論。
あとがき。大泉黒石年譜。
②復習
○ebook版の『人生見物』(1924年)、『人間廃業』(1926年)、『人間開業』(『俺の自叙伝』の改題版1926年)を購入し、読んだ。
③私的感想
○著者の思い入れの強さ、オマージュの激しさに息が詰まるところ、ちょっと違和感を覚えるところもあるが、全体として、たいへん面白く、有用な本だった。タイミングよく(というより出版戦略的に)5月に『俺の自叙伝』が岩波文庫化される(解説は四方田氏。編題は改題のままのよう)。
○一から七までの少年時代、青年時代、流行作家時代がドラマティックで、特に面白かった。
十五の短編小説解析で黒石と夢野久作を比較するのも興味深い。
○「大泉黒石は今日、あらゆる日本文学史から排除されている」(6頁)というのは、ちょっと大げさに思う。
1970年代の戦前異色大衆作家復刊ブームでは、黒石の本も出たが、あまり話題にならず、1980年代に全集が出たが、あまり話題にならなかったということで、誰かの悪意があるわけではないだろう。
宣伝が弱かったことが主原因ではないか。
今回は、天下の岩波書店本でこれだけ強力にプッシュし、天下の岩波文庫での自叙伝復刊が加われば、黒石復活は間違いないだろう(と思う)。
○183頁では、1942年の離婚前のこととして、「文壇を追放された作家は酔うとしばしば家族に乱暴を働き、そのため子供たちは父親の帰宅時間が近づくと避難するという事件がたびたび起きていたからである。一家で交番に駆け込んだこともあった。黒石の三女澧によれば、すぐ下の弟滉は幼い頃に庭に穴を掘り、毒薬で父親を殺す計画を殺害する計画まで立てていたという」と黒石のDV家父長ぶりを書いている。
一方、あとがきに書かれた四女淵さんの思い出話では「黒石は背がとても高く、とても丁寧な人物でした。子供たちにむかってさえ敬語を用いるようなところがあり、ピュアそのものという感じの人でした」とある。この落差が興味深い。
○十九、戦後の零落、は個人的には、本書の中で一番面白かった。史料が少ないので、著者も苦労されたと思う。
しかし、戦後の黒石について「零落」とか、「晩年はさぞかし無念の思いを抱いていたことだろう」(9頁)とか、「黒石は文字通り、零落の極みにおいて亡くなったのである」(197頁)とか、「通訳として無為な日々を過ごしていた」(197頁)とか書くのは共感できない。
黒石が人気作家だった過去に死ぬまでこだわり続けたとことを実証する史料は提示されていない。
思うに、戦時中に家族と別れて若い女性と同棲を始め、戦後は通訳として働いた黒石は、それなりに充実していて、それなりに幸せだったのではないか。
○「戦後、大量のアルコールに体内を蝕まれて、不運の生涯を閉じてしまう」(69頁)、「アルコールに耽溺する毎日」(9頁)とアルコール依存の話が繰り返されるが、どの程度のアルコール依存であったのか、具体的内容はない。
入院の話や他人への暴力の記録はない。
戦後早期の男性なので一般的に今より酒量は多いだろう。
死の4年前まで(戦後の7、8年間)は通訳の仕事をしていたのだから、アルコール依存があっても、仕事ができ、日常生活が営める程度のものであったのだろう。
○大泉黒石は日本人男性の平均寿命まで生き、日本人に一番多い脳血管疾患で亡くなっている。
不運な生涯であったかどうかは見方によるだろう。
④復習の感想
○『人生見物』(1924年)は読みやすい。
前半の前半は月島での苛酷な工場労働の話。
前半の後半〜後半の前半は黒石と万之助の東京→釜山→長春→ハルピン→シベリアのチタまでの珍道中またはとんでも旅行記。
後半の後半は15、6歳のロシア少女カーチャに惚れてしまった万之助が、カーチャの父親の家に求婚に行くのを黒石が手伝う。
著者は月島の部分を褒めているが、私は旅行記と求婚大作戦がたいへん面白かった。
○『人間廃業』の前半はちょっと読みにくい。
文士批判、文士廃業の話が、映画の話、映画製作の話、トルストイ映画『復活』の話に変わっていく。
映画製作の内情は面白いが、展開めまぐるしく、叙述スタイルも現代人にはわかりにくく、なかなか難解。
○『人間開業』(『僕の自叙伝』)は面白かった。
5月に岩波文庫版が出るので、そちらで一緒にレビューさせていただこうと思う。
⑤蛇足
○本文での記述は見つからなかったが、年表の1950年には、「横須賀基地周辺で英文の恋文代筆をして糊口をしのぐ」とある。
英文の代筆ということは、映画『恋文』(1953年)と同じく、オンリー達の恋文だったのだろうか。興味深い。
○青空文庫に、現時点では、黒石作品はないようだが、次の5作品が、作業中、となっている。「黄夫人の手」「血と霊」「人間料理」「不死身」「幽鬼楼」。

 

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作家・大泉黒石

2023年07月02日 08時31分51秒 | 社会・文化・政治・経済

大泉 黒石(おおいずみ こくせき、1893年(明治26年)10月21日/1894年(明治27年)7月27日 - 1957年(昭和32年)10月26日)は日本作家、ロシア文学者

自称「国際的の居候」。

アナキスト的思想を盛り込んだ小説『老子』『人間廃業』などのベストセラーがある。

生涯

長崎県八幡町(現在の長崎市八幡神社境内にて、ロシア人アレクサンドル・ステパノヴィチ・ワホーヴィチと日本人本山恵子の間に生まれる。

日本名、大泉 清。ロシア名アレクサンドル・ステパノヴィチ・キヨスキー

父はロシアの農家の出でペテルブルク大学出身の法学博士

 天津の領事館に勤務していたが、ロシア皇太子時代のニコライ2世侍従として来日した折、日本側の接待役でロシア文学研究家だった恵子と知り合い、周囲の反対を押し切って結ばれた。

恵子は産後の肥立ちが悪く、清を産んでから一週間にして死去(享年16)。

このため、清は母方の祖母に引き取られ、大泉姓を継いだ。

小学校3年まで長崎で過ごしたが、漢口の領事をしていた父を頼って大陸に渡ったところ、まもなく父とも死別。

このため、父方の叔母に連れられてロシアに行き、モスクワの小学校に編入(ロシアでは近所にレフ・トルストイがいた)。

その後、フランスに移り、パリリセに数年間在学したが停学処分を受け、スイスイタリアを経て日本に戻り、長崎鎮西学院中学を卒業。

さらにロシアへ戻り、ペトログラードの学校に在学したが、ロシア革命の混乱を避けて帰国し、旧制第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)に入学。

在学中、幼馴染の福原美代と結婚。

その後三高を退学し、1917年に上京。

第一高等学校に在籍したが、まもなくこちらも退学した。

石川島造船所書記から屠殺場番頭に至る職を転々としつつ小説家を志し、1919年『中央公論』誌編集長滝田樗陰に認められて、同誌に特異な自伝『俺の自叙伝』を連載し脚光を浴びる。

以後、ベストセラーになった『老子』、その続篇『老子とその子』、『人間開業』、『人間廃業』などを世に送り出して文壇の寵児となった。

 ゴーリキーを愛好し、『どん底』の原典訳や、『露西亜文学史』も執筆した。一時期映画界にも関わり日活にシナリオを書いたこともある。

しかし『中央公論』ではそれまで説苑欄に寄稿していたのを、創作欄に小説を掲載したところ、 村松梢風や大泉など情話作家と呼ばれた作家の創作欄掲載に対して芥川龍之介佐藤春夫らが抗議するということがあり、 また1926年頃から超国家主義的な世相や混血児への差別などを背景に文壇で疎外されるようになった。

その後は紀行文などを執筆し、戦時中は食用雑草の献立法『草の味』も刊行。

戦後は横須賀で、語学を活かして通訳として生計を立てて暮らした。

ロシア文学者としての著書に『露西亜文学史』。

1988年には『大泉黒石全集』が緑書房から刊行された。

息子は俳優の大泉滉。孫(娘の子)はアメリカのソーシャライトであるアナ・シェイ

作品

1922年6月刊行の『老子』は、の老哲人李耳が旅先で、旅芸人の鳳と、革命家の労働者彭と知り合い、宿の娘を救い出そうとして犯罪に巻き込まれ、獄中で「道」の哲理を説くに至る物語。

3ヶ月間に13版を重ねる売れ行きを見せ、続いて同年11月に続編『老子とその子』も出版された。

当時中村星湖はこれを宗教文学と呼んだが、後年に由良君美は「ニヒリズム文学」「国家も社会も否定する無為のアナキズムに本来の人間主義を真のインターナショナリズムを回復しようとする」立場と評している

実際に甘粕事件などの思想弾圧を背景とする検閲による伏字も多く、1923年7月に『老子』出版記念講演会が予定されたが官憲により中止された。

著作リスト

小説・ノンフィクション

  • 『露西亜西伯利ほろ馬車巡礼』(磯部甲陽堂) 1919
  • 「俺の自叙伝」(玄文社) 1919/岩波文庫 2023、他に『虚人列伝』(学芸書林、ドキュメント日本人9) 1969に抄録
  • 『闇を行く人 ロシヤ秘話』(日新閣) 1919
  • 『悲劇小説 犯さぬ罪』(盛陽堂) 1920
  • 『恋を賭くる女』(南北社) 1920
  • 『露西亜文学史』(大鐙閣) 1922/改題『ロシア文学史』(講談社学術文庫) 1989
  • 『小説老子』(新光社) 1922
  • 『老子とその子』(春秋社) 1922
  • 『血と霊』(春秋社) 1923
  • 『弥次郎兵衛喜多八』(盛陽堂) 1923
  • 『大宇宙の黙示』(新光社) 1924、のち改題『予言』
  • 『黄夫人の手』(春秋社) 1924
  • 『人生見物』(紅玉堂書店) 1924
  • 『人間廃業』(文録社) 1926
  • 『人間開業』(毎夕社出版部) 1926
  • 『眼を捜して歩く男 怪奇小説集』(騒人社書局) 1927、のち騒人文庫
  • 『灯を消すな 趣怪綺談』(大阪屋号書店) 1929
  • 『峡谷を探ぐる』(春陽堂) 1929
  • 『当世浮世大学』(現代ユウモア全集刊行会、現代ユウモア全集) 1929
  • 『峡谷と温泉』(二松堂書店) 1930
  • 『読心術』(万里閣書房) 1930
  • 『天女の幻』(盛陽堂書店) 1931
  • 『山と峡谷』(二松堂書店) 1931
  • 『峡谷行脚 <附>山と温泉』(興文書院) 1933
  • 『おらんださん』(大新社) 1941
  • 『山の人生』(大新社) 1942
  • 『白鬼来 阿片戦争はかく戦はれた』(大新社) 1942
  • 『草の味』(大泉清名義、大新社) 1943
  • 『ひな鷲わか鷲』(大新社) 1944

作品集[編集]

  • 『黒石怪奇物語集』(新作社) 1925、のち桃源社 1972
  • 『大泉黒石全集』全9巻(造型社・緑書房) 1988
    1. 人間開業
    2. 老子
    3. 老子とその子
    4. 預言
    5. 人間廃業
    6. 葡萄牙女の手紙
    7. 眼を捜して歩く男
    8. 恋を賭ける女
    9. おらんださん
  • 『不死身 幽鬼楼』(勉誠出版、大衆「奇」文学館) 1998
  • 『黄夫人の手 黒石怪奇物語集』(河出書房) 2013

翻訳

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