▼自らの可能性お強く信じ抜こう!
前へ前へ進む力は、自身の生命の中にあるのだ。
▼奉仕することが私の宗教—ガンジー
▼慈悲の「悲」は、<同苦>を意味する。
深い悲しみを知る人は、他者への深い慈しみを持つ。
同苦してくれる存在がいれば、人間は強く生きられる。
▼自らの可能性お強く信じ抜こう!
前へ前へ進む力は、自身の生命の中にあるのだ。
▼奉仕することが私の宗教—ガンジー
▼慈悲の「悲」は、<同苦>を意味する。
深い悲しみを知る人は、他者への深い慈しみを持つ。
同苦してくれる存在がいれば、人間は強く生きられる。
▼個性を最大限に生かし、自分らしく幸福に生きることだ。
▼逆境こそ挽回のチャンス!
▼逃げられない困難に直面した時、人生の岐路に立たされた時こそ「飛躍のチャンス」である。
▼原点の思いを抱き、勇気を持って一歩踏み出し、何事にも挑戦を続けていくことだ。
▼屈しないことこそ勝利!
▼何かを変えるには、変わらないもの、変えてはならないものの価値を真っ直ぐに見るつめ直すことである。
▼過去の成功体験に執着し、<これまで通りで良い>とい自分の安易さとの格闘の日々でもある。
続いて3作目の『STALKER’S PREY 3』、すなわち『サメストーカー リターンズ』(2021年)のあらすじはこちら。
7月3日午前4時35分からCSテレビのムービープラスで観た。
観なかった午前1時30分からサメストーカービギニング、3時5分からサメストーカーが放映された。
恋が止められないサイコパスが父親になり警察に現れる『サメストーカー リターンズ』
複数回に及ぶ悪行の末、その名が世間に知れ渡った連続殺人鬼、ブルース・ケイン。が、当の本人は未だ消息不明となっていた――。
『サメストーカー リターンズ』© MMXX Johnson Production Group Inc. All Rights Reserved
一方、女子高生コートニーは、立入禁止区域の小島で友人たちと羽目を外している最中、獰猛なサメの群れと遭遇してしまう。かろうじて彼女を助け出したのは、デビッドという偽名を用いて島の灯台に身を潜めていたブルースだった。
友人たちと夜の海で遊んでいたコートニーは、突然サメに襲われたところをデビッドというサメの研究員に救われる。海洋生物学に憧れていたコートニーにとって、サメのことを熱心に語るデビッドは理想のヒーローだった。そして、2人は親交を深めていくが…。
やはり過去作と似たり寄ったりの筋書きである。
とはいえ3作目では、ブルースがヒロインのスマホに遠隔操作アプリを仕掛けるといった謎のテクノロジースキルを披露するほか、なぜか母親への執着心がクローズアップされ出すなど、そのサイコパス度は妙な方向に増している。
また後半には、少々意外な展開が待ち受けていたりも。
『サメストーカー リターンズ』© MMXX Johnson Production Group Inc. All Rights Reserved
二人はたちまち恋に落ちるが、デビッドはコートニーの両親から信用を得られなかった上、初恋の女性“アリソン”の名を口走ってしまったことでコートニーからも見放されてしまう。相次ぐ悲恋に逆上するブルースだったが、コートニーが彼の子を孕んでいたと知って――。
『サメストーカー リターンズ』
やはり過去作と似たり寄ったりの筋書きである。とはいえ3作目では、ブルースがヒロインのスマホに遠隔操作アプリを仕掛けるといった謎のテクノロジースキルを披露するほか、なぜか母親への執着心がクローズアップされ出すなど、そのサイコパス度は妙な方向に増している。
また後半には、少々意外な展開が待ち受けていたりも。
――というわけで総括だが、本来極めてハイスペックかつ容姿・出自共に恵まれているはずのブルースが、毎度毎度つまらない失言や精神的未熟さによって意中の相手を射止め損ね、逆恨みするそのポンコツっぷりには、もはや一周回ってある種の愛嬌を感じなくもない。
シリーズを通して「特別ビビッと来るような長所は見当たらない反面、いずれも及第点には達しており、なんだかんだでまあまあ見られる」出来栄えではあるため、それ相応に面白くもある。「サメ映画」とは言い難いが、そこそこアリ寄りなティーン向けサスペンスには違いない。
『サメストーカー』シリーズ3作はCS映画専門チャンネル ムービープラス「サメストーカー イッキ観!」で2023年4月放送
7月4日午前1時からCSテレビのザ・シネマで観た。
5時間に近い長編映画にまず驚かされた。
話が飛躍して、何が何だかというのが感想である。
脚本ヴィム・ヴェンダース
「夢の涯てまでも」
撮影ロビー・ミューラー製作会社トランスパシフィック・フィルムズ=
アルゴス・フィルム=
ヴィレッジ・ロードショー=
ロードムーヴィーズ配給 ワーナー・ブラザース
日本ヘラルド映画公開
1991年9月12日
1992年3月28日上映時間158分
179分(ヨーロッパ版)
288分(ディレクターズカット版)製作国 ドイツ
アメリカ合衆国
日本
フランス
オーストラリア言語英語
ドイツ語
日本語製作費$23,000,000 興行収入 $829,625
『夢の涯てまでも』(ゆめのはてまでも、原題:Until the End of the World / Bis ans Ende der Welt)は、1991年制作のドイツ、アメリカ、日本、フランス、オーストラリア合作のSF映画。
ヴィム・ヴェンダース監督。
本作のために、トーキング・ヘッズ、デペッシュ・モード、ルー・リード、ニック・ケイヴ、R.E.M.、ジェーン・シベリーなど数多くのアーティストが新曲を描き下ろした。
主題歌はU2の「夢の涯てまでも」(Until the End of the World)で、後にアルバム『アクトン・ベイビー』に収録された。
旅をテーマにしてきた、それまでのヴェンダース作品の集大成的な内容で、世界十数カ国でロケーション撮影を行った。NHKの全面協力によるハイビジョンの導入なども話題となった。
2019年にクライテリオンよりディレクターズ・カット版のBlu-rayが発売された。上映時間は、公開時より100分以上長い288分。
日本では、2021年11月より「ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ」として劇場公開された。
1999年、制御不能になった核衛星の墜落が予測され、世界中が不安に怯えていた。
その頃、クレアはヴェネツィアの友人宅からあてもなく車で出発する。途中、何者かに追われるトレヴァーという謎の男を拾ってパリで降ろす。
その後、元恋人の作家ユージーンの許に身を寄せたクレアだったが、何故かトレヴァーのことが気になり、彼を追ってベルリンへと向かう。
私立探偵のウィンターからトレヴァーがお尋ね者であることを聞いたクレアは、ウィンター、ユージーンと共に奇妙な追跡劇を開始する。
東京で遂にクレアはトレヴァーに追い付いた。
実はトレヴァーは、科学者の父ヘンリーが発明したカメラで盲目の母エディスに見せる映像を集めるために世界中を旅しており、その新発明を狙う各国のエージェントに追われていたのだ。
様々な映像を収め、両親の待つオーストラリアへと向かうトレヴァー達だったが、その途中、核衛星がついに爆発する…。
5時間に近いので通してみるにはかなり長いが、このボリュームがなければこの映画は究極のロードムービー、叙事詩にはなり得なかったと思う。
前半2時間半は1980年後半ぽい雰囲気と近未来が合わさったような不思議な世界観で描かれるロードムービー。
ここのパートがとにかくよい。
彼女は彼女の中の幻想を追う。その精神こそがロードムービーだよね。
特にロマンスカーや箱根のシーンが素敵。日本人だからかな。中盤2時間、SF的な世界観と終末期、それと対比されるような美しい共同体社会、音楽、踊り、火を囲む人々。
前半で描かれていた関係性が崩れて調和に向かっていく感じ。
この、それぞれが請け負っていた仮面が剥がれて、人間対人間の関係性として、純化されていく感じがとても良い。追う者も、追われる者も、音楽を前に皆同じ。
ラスト1時間は夢(過去)に囚われるクレア。
映像に囚われたクレアをコトバで救うのは皮肉かね。4時間の終盤に差し掛かってこの洗脳されるような荒い映像はちょっときついね。ラストシーンは気の利いた感じね。
そういえば最初の1、2時間のところで定期的に流れる、久石譲のキッズリターンでサンプリングされてるあの声、あれなんなのかめっちゃ気になる…
1990年に製作された架空の1999〜2000年の世紀末が舞台の映画。軌道を外れて落下するインドの衛星をアメリカの核弾頭が撃ち落とそうとしていて世界の終わりが囁かれる。5時間あるけれど。3本の連作映画という感じ。
SFとか東洋の造形とかトンデモ映画の感じはあるけれど、撮影が全部キレキレなので、なにをやってもいいという感じがある。
ユージーンがサミュエルをボコボコにする殴り合いで泣いた。
①クレアとトレヴァーの出会いから核爆発、目的地の到着まで。
恋人とパリで暮らすフランス人歌手のクレアは、交通事故をきっかけに知り合ったニースの銀行強盗の集団に、パリに現金を運ぶのを条件に分け前の譲渡が持ちかけられる。
パリへと金を運ぶクレアは、トレヴァーという男と彼を追う謎の黒人に知り合い、トレヴァーをパリへと送り届ける。
再び平穏な暮らしに戻り、銀行強盗と落ち合う期日を待つうちにトレヴァーの追手をパリで見かけたクレアは、トレヴァーの行方を追ってベルリンへ飛びGPSみたいな機械を持つウインターという探偵を雇ってトレヴァーを追いかける。
帰って来なくなるクレアを追いかける夫のジーンも巻き込まれ、トレヴァー、クレア、ジーン、ウインター、トレヴァーを追うアメリカ人、FBI、KGBの追いかけっこはモスクワ、北京、東京へと移動。クレアは東京のパチンコ屋で失明して動けなくなっているトレヴァーを発見する。
日本の田舎の療養地で視力を回復したトレヴァーはサミュエル・ハーヴァーという本名と、彼の父親が発明した盲人にも見える映像を撮影するカメラ、息子の撮影した映像を待つ目の見えない母親の話をクレアに伝え、アメリカで彼の妹の映像を撮り、強盗団のチコと落ち合ってオーストラリアに暮らす彼の両親のもとを目指す。
オーストラリアに追いかけっこのメンバーが全員集結すると、核弾頭が衛星を破壊し、電磁パルスで一時的に世界中の電子機器が使えなくなった状態で
②サミュエルの撮ってきた映像を母親に見せるためには、サミュエルの知覚を母に同期する必要があるがうまくいかない。
クレアが撮影したサミュエルの妹の映像を同期するとき、クレアがサミュエルの代わりとなることで母が映像を見られるようになる。
集落に集まってきた探偵や強盗やジーンたちはバンドを組み始める。音楽を奏でて2000年の到来を祝う中、クレアが亡くなる。
③サミュエルの父、ヘンリーは脳波を読み取る機械の改造して人間の夢を撮影可能にする。この計画に反対した研究所のメンバーは集落をどんどん去っていき、最後にヘンリー、クレア、サミュエルだけが残される。
3人とも自分の夢を見るだけの中毒になって廃人化してしまう。
ユージーンが、廃人化したクレアを研究所から連れ出し、ヘンリーはFBIに捕らえられ、サミュエルは岩場の迷宮に迷い込み、集落は完全に解散。エピローグ的にそれぞれの末路が描かれる。
というのが大筋で、ヘンリーの発明は明らかに2000年に映画の再発明を描いている。
マックスフォンシドーが演じるこのアメリカを追われた天才眼科医というのは、ニコラス・レイかサミュエル・フラーのために書かれたような役で、オーストラリアの集落はハリウッドを追われた映画監督がハリウッドの外に作ったユートピアとしての夢の撮影施設。そこではたった一人の盲人のための映画が作られている。
この映画監督の息子、正体不明の男サミュエルがヴェンダースの分身。
彼は全時代のアメリカを追われたアメリカ映画の監督に代わって世界中で映画を撮っている。
カメラに同化することが不吉な死を招くことは彼の失明が象徴しているが、その失明を日本の田舎に暮らす笠智衆が薬草で治すというモチーフは、アメリカ映画の息子で、ヨーロッパ人でありつつコスモポリタンであろうとするヴェンダースが日本人の映画になにを期待しているのかよくわかる。
映画を撮ると死んでしまうが、日本人はそれでも死なない作法を知っているということなのだろう。
ボニクラ展開や、ホークス的な理由もなくどこまでも追いかけてくる女、泥棒たちの共同体というモチーフがちりばめられた①はぐっとくる。
へんな東洋、へんな未来の造形もぜんぶ映画のための舞台装置として撮られているのがすごくいい。
②、③は①ほど面白くないけれど、2000年に映画が再発明されてセカイ系的な「きみとぼく」の世界観の引きこもりになり、人類がYOUTUBE漬けの廃人になるという予言には必然性があって苦い。