映画 『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』

2023年07月19日 15時51分20秒 | 社会・文化・政治・経済

7月20日午前1時30分からCSテレビのムービープラスで観た。

(Dark Waters)は、トッド・ヘインズ監督、マリオ・コレアとマシュー・マイケル・カーナハン脚本の2019年アメリカ合衆国サスペンス映画

主演はマーク・ラファロ、共演はアン・ハサウェイティム・ロビンスビル・キャンプヴィクター・ガーバーメア・ウィニンガムビル・プルマンなど。

実話をもとに、環境汚染の実態を隠蔽していた巨大化学会社に闘いを挑むことになった弁護士を描いている[4]

この映画は、2016年のニューヨーク・タイムズ・マガジンナサニエル・リッチによる記事「デュポンにとって最悪の悪夢になった弁護士」に基づいている。この物語は、規制されていない化学物質で町を汚染した化学品製造会社デュポン社に対するロバート・ビロットの訴訟をマーク・ラファロが演じた。

 

ポスター/スチール写真 パターン7 ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男 光沢プリント

 

 

Dark Waters [Blu-ray]

 

1998年、オハイオ州の名門法律事務所で働く企業弁護士ロブ・ビロットが、見知らぬ中年男から思いがけない調査依頼を受ける。

ウェストバージニア州パーカーズバーグで農場を営むその男、ウィルバー・テナントは、大手化学メーカー、デュポン社の工場からの廃棄物によって土地を汚され、190頭もの牛を病死させられたというのだ。

さしたる確信もなく、廃棄物に関する資料開示を裁判所に求めたロブは、“PFOA”という謎めいたワードを調べたことをきっかけに、事態の深刻さに気づき始める。

デュポンは発ガン性のある有害物質の危険性を40年間も隠蔽し、その物質を大気中や土壌に垂れ流してきたのだ。

やがてロブは7万人の住民を原告団とする一大集団訴訟に踏みきる。

しかし強大な権力と資金力を誇る巨大企業との法廷闘争は、真実を追い求めるロブを窮地に陥れていくのだった……。

CAST / STAFF

マーク・ラファロ
ロブ・ビロット/製作

PROFILE

アン・ハサウェイ
サラ・バーレイジ・ビロット

PROFILE

ティム・ロビンス
トム・タープ

PROFILE

ビル・キャンプ
ウィルバー・テナント

PROFILE

ヴィクター・ガーバー
フィル・ドネリー

PROFILE

ビル・プルマン
ハリー・ディーツラー

PROFILE
監督トッド・ヘインズからのステートメント [読む]

COMMENT

※順不同、敬称略

海外でも日本でも、環境汚染は100年前から企業や経営者の強欲によって引き起こされてきた。そこでは常に命より金が優先される。本作はそんな愚かさが、時代や国境の区別なく、今なお脈々と受け継がれている悲劇を示している。 石井 光太(ノンフィクション作家)

ストーリー

弁護士のロバート・ビロット英語版は、農場経営者ウィルバー・テナントから村で連続して起きている不審死の調査を頼まれる。

ビロットはテナントに、不審死は化学企業のデュポン化学物質C8)を川や土壌に流出させ、生活水が汚染されていることが原因であると明かされる。

調査を始めたビロットは、デュポンが環境汚染を認識しながら隠蔽していることに気付き、訴訟に踏み切ることにした。

だが、アメリカ合衆国を代表する大企業のデュポンに戦いを挑むのはビロットにとって無謀な挑戦を意味していた。

部下や上司からの支持も失ったビロットは、デュポンからの脅迫で身に危険が迫る中、真実を明らかにするため、さらに訴訟に身を投じていく

だが、ラファロの揺るぎない姿勢は、自ら演じた主人公の弁護士ロブとリンクしてくる。

しかも、主人公の妻サラ役を演じた「プラダを着た悪魔」「インターステラー」のアン・ハサウェイをはじめ、「ショーシャンクの空に」「ミスティック・リバー」のティム・ロビンスビル・プルマンビル・キャンプら実力派キャストが集結。さらに「キャロル」「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ監督が、ラファロからのオファーを快諾しメガホンをとっているではないか。

本作のコピーに「真実に光をあてるためにどれだけのものを失う覚悟があるのか―」とある。

自らの大切なものを失うかもしれないことを覚悟して、巨大企業の隠ぺいを暴き、弱き者を救おうとすることは並大抵の信念ではないだろう。

ラファロは、そんな弁護士ロブをヒーローや聖人として演じるのではなく、プレッシャーやストレスとも闘いながら、真実をひたむきに追及する生身の人間として感動的に演じ切っている。

新型コロナウィルスの感染拡大を経験した私たちにとって、水質汚染問題もまた明日自分たちにも起こり得る物語で深い共感を呼び起こすだろう。

真実とは、正義とは何か、社会派の法廷ドラマとしても見応え充分である。

和田隆

キャスト

製作

2018年9月21日、トッド・ヘインズマシュー・マイケル・カーナハンの脚本から『Dry Run』を監督することが発表された。本作はマーク・ラファロパーティシパント・メディアによって製作された。2018年11月、ラファロが主演も務めることが決定した

2019年1月、アン・ハサウェイティム・ロビンスビル・キャンプヴィクター・ガーバーメア・ウィニンガムウィリアム・ジャクソン・ハーパー英語版ビル・プルマンがキャストに加わり、クリスティーン・ヴェイコン英語版とパメラ・コフラーがキラー・フィルムズの下でプロデューサーに加わった

撮影

主要な撮影は、オハイオ州シンシナティで開始した

マーク・ラファロと主人公の弁護士の信念がリンクし深い感動を呼ぶ

世界マーケット向けに娯楽超大作を生み出し続けているアメリカ・ハリウッドの映画産業。そんなハリウッド映画のスターであり、実力派俳優のひとりであるマーク・ラファロが主演とプロデューサーを兼任して、全米を震撼させた実話に基づく衝撃の物語を映画化した。

巨大企業との闘いを描いた内容のため、場合によってはスターの地位を失う危険性もありそうなもの。

しかし、主人公の弁護士と同様に、不屈の精神で本作を製作したラファロの熱い思いが見る者の胸を打ち、映画の持つ力を改めて感じさせてくれる。

もちろんこれまでにも「エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?」など、巨大企業のスキャンダルを描いたドキュメンタリー映画は数多くある。

また、アメリカのタバコ産業の不正を描いた社会派ドラマ「インサイダー」なども製作されて高い評価を受けているが、この「ダーク・ウォーター 巨大企業が恐れた男」もよく映画化することができたなと、久々に感心させられた。

環境汚染問題をめぐって、ひとりの弁護士が十数年にもわたって巨大企業との闘いを繰り広げてきた軌跡が綴られた記事を、環境活動家でもあるラファロが読んで心を動かされ、映画化を決意したという。

しかし、その巨大企業とはテフロン加工のフライパンなどで有名な大手化学メーカーのデュポン社である。映画化すれば、主人公のように強大な権力と資金力によって法定闘争に巻き込まれる可能性もあったはずだ。

公開

本作はアメリカで、2019年11月22日に公開された

評価

レビュー・アグリゲーターRotten Tomatoesでは236件のレビューで支持率は89%、平均点は7.3/10、批評家の一致した見解は「『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』はひどく腹立たしい不正行為の実話を力強く伝えることで、被害者に敬意を表し、且つ加害者に正面から責任を負わせている。」となったMetacriticでは38件のレビューを基に加重平均値が73/100となった

 


利根輪太郎の競輪人間学 牽制し合い敗退

2023年07月19日 15時51分20秒 | 未来予測研究会の掲示板

利根輪太郎はジンクスで、最初のレースは観るを貫くはずなに、7-2か7-3で決まりだろうと8レースの車券に手を出してしまった。

7-2-3(20・4倍) 7-2-4(16.8倍) 7-3-2(41・5倍)の3連単を各2000円 

3-7-2(57・7倍) 3-6-7(75・1倍)の3連単を各1000円投票した。

FⅠ  大宮競輪 デイリースポーツ賞

最終日(7月19日)

8レース

並び予想 1-5 2-7-4 6-3

レース評

酒井と新山は準決勝で共倒れに終わった東北両者。今日こそワンツーを決める。日高と桐山は初日共倒れなら、こちらも奮起!

1番人気7-2(5・9倍)

7-2-4ラインは6-3ラインを意識し過ぎた。

結果的に競り合い、7-2本命ラインは自滅、同様に6-3ラインも敗退して、第三のラインの1-5が出番となる。

買った期待の7-2、7-3ラインが消えて、1-4-5ラインとなった。

だが、配当の少なさにむしろ驚かされた。

最初から<本命ラインは消すこと>を貫く競輪ファンのいるが、そのことが凱歌となるような車券の結果に!

結果 1-4 3,410円(17番人気) 1-4-5 1万1,720円(52番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 1 田尾 駿介   14.1    
2 4 佐藤 礼文 3車身 14.3    
3 5 青井 賢治 1車身1/2 14.5      
4 7 新山 将史 3/4車輪 14.7   S  
5 2 酒井 雄多 1/2車輪 14.8   B  
× 6 3 桐山 敬太郎 3/4車身 14.3      
  7 6 日高 裕太 6車身 14.9    

 


最高の生き方は、自分らしく生きることだ

2023年07月19日 11時20分30秒 | その気になる言葉

▼経験を他者と共有すると幸福感が増大する。

悩みも喜びも分かち合い共に前進することだ。

▼どんな困難にも負けず、目標に向かって挑む中にこそ幸福がある。

▼最高の生き方は、自分らしく生きることだ。

そして自分自身の使命を自覚して生きることだ。

▼同じ言葉を聞いても、同じ本を読んでも、人によって受け取り方や考え方は当然違う。

そこで、それぞれの感想や考え方を語り、わかち合うことで、発見や気づきも生まれる。

▼いろいろな答えや価値観に<揺さぶられた>上で、「自分はこう思う」と判断する力を磨く訓練が「読書」である。

▼価値観が多様化し、先が見えない社会。

「人間としてどう生きるか」かが問われている。

自分にとって「正しい人生とは何か?」読書のなかで、答えが見えてくるかもしれない。

自分の悩みと向き合い乗り越えるためのヒントも、見えてくるかもしれない。

 


ことばのくすり~感性を磨き、不安を和らげる33篇

2023年07月19日 09時19分28秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 
日常を見る目が変わる、医療&芸術エッセイ 
「歩くこと」も「食べること」も、実はスゴイこと? 
医療と芸術の最前線にいる著者が、日常に潜む奇跡を鮮やかに照らしだす33篇。
 
1979年熊本生まれ。医師、医学博士。
軽井沢病院長にして、山形ビエンナーレ2020、2022 芸術監督。
東京大学医学部付属病院時代には心臓を内科的に治療するカテーテル治療や先天性心疾患を専門とし、夏には山岳医療にも従事。
医療の多様性と調和への土壌づくりのため、西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める
国宝『医心方』(平安時代に編集された日本最古の医学書)の勉強会も主宰していた。
未来の医療と社会の創発のため、伝統芸能、芸術、民俗学、農業・・など、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。
 
 

稲葉先生の著書は必ず拝読していますが「ことばのくすり」も素晴らしいです!
特に、学校へ行きたがらない娘を持つ親としてとても安心感を抱く事が出来、有難かったです

以前から、稲葉先生の著書を通して感じる事は大切にしている事への、一貫して変わらない姿勢と、その熱量。
今回、横尾さんとの対話の実現から感じさせていただきました。
 
 
しかし、そのままなおざりにできない。まるで絵本のようなふんわりした顔(=文章と文面)
をしているのに。

本書は、横尾忠則氏の推薦書評(のようなもの)を読んで購入した。

氏がたんにルーチンでいろいろな書を選び、そのなかから、読書を勧めようと、たまたま少々お気に召されたものを紹介されただけだと思っていた。
そうではない。
お二人に、何回もの対面の歴史(というと大げさだ)があるようだ。氏の書評にそんなことは披露されていなかった。
本書の著者はそれを「礼節」と言われる。(う~ん、なるほど。)
横尾氏の書評は「僕は絵を描くとき、脳からの言葉を排して、肉体を言語化する」という。

(いささか個人的だが、わたしは「イシグロ・カズオの小説の世界」を1枚の絵にしようと3年ほど苦闘している。今年3枚目の挑戦中である。「脳の言葉を信じない」と言われるのを感覚的に信じることができる。
一方で、言語を持たない生物に「絵」は描けないと脳科学・心理学研究者は言われる。この矛盾をどう克服するか。(脳の)言語を持つがゆえに、絵を描くことはできるが、その絵を肉体の言葉で絵を描くことで突破口はあると勇気づけられた。
今年は解決しそうだ。しかし、その絵の説明はすまい。)

本書の文体も、内容も、優しそうな、易しい顔をして、難しいことを言っている面も少な
くない。もう1回でも2回でも読み直す必要がある。

見た目では、ちょっと高額でもある。でも、含蓄がある。意外と難解である。でも買って後悔はしない。
高くもない。買って後悔しない。
 
 
私たちは、日々、膨大な「ことば」に触れている。
 
「ことば」は「くすり」にもなるが「リスク」もある。
ポジティブな言葉を聞けば前向きな気持ちにある。
しかし、ネガティブな言葉に触れれば気持ちが暗くなる。
 
著者の稲葉さんは、院長を務める病院の「おくすりてちょう」には、さまざまな作品に紡がれた良質な言葉を、患者がメモできるスペースが設けられている。
「言葉を良薬のように服用してほしいという思いを込めました」。
 
 
 
 

 

 

歌藝の天地 歌謡曲の源流を

2023年07月19日 08時08分34秒 | 社会・文化・政治・経済

 三波 春夫 (著)

「お客様は神様です」の名台詞とともに、国民歌手として親しまれ、日本の心を歌い続けた著者。

本書は、本年4月14日に急逝した著者が、長年の藝能活動にもとづく体験的歌藝論を、後進のために書き遺した記念碑的作品である。
第一章は、自らの青春の足跡を綴る。

十代で浪曲師の世界に飛び込んだ経緯や軍隊・シベリア抑留時代の苦悩、三十路を超えての歌手デビューとなった転機など、紆余曲折の人生を万感を胸に振り返る。

第二章は本書の中心テーマといえる日本の歌藝の歴史である。著者独自の史観にもとづき、浪花節、演歌、さらには放浪藝にまで言及。歌藝の変遷と民族的特色を明らかにしていく。

第三章からは、トップスターの座について以降の、さまざまな人物との出会いと感動、そして今日の歌謡曲や歌手についての雑感などを記す。
何事においても、常に真摯な姿勢を持ち続けた著者の、歌、藝、そして人生に対する、熱いメッセージが綴られる。

「芸能人とは、芸をもって大衆に喜びを贈り、奉仕しなければならない」

内容(「BOOK」データベースより)

「お客様は神様です」―この名台詞とともに国民歌手として親しまれ、日本の心を歌いつづけた著者。10代で浪曲師の世界に飛び込み、軍隊・シベリア抑留生活を経てデビュー、そしてトップスターの座に。本書は、この芸道一筋、紆余曲折の人生を万感を胸に振り返りながら、長年の芸能生活にもとづく体験的歌芸論を、浪花節・演歌の世界を中心に著したものである。後世に贈る記念碑的作品。 --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

三波/春夫
大正12年、新潟県生まれ。13歳の時に上京し、16歳で日本浪曲学校に入学。
南篠文若の芸名で初舞台を踏む。昭和19年、陸軍入隊。
終戦とともにソ連に4年間抑留される。帰国後、浪曲家として復帰。
昭和32年、歌謡界に転身し『チャンチキおけさ』『船方さんよ』でデビュー。その後、数々の長編歌謡浪曲を創作発表する。
昭和39年、レコード大賞特別賞受賞。『東京五輪音頭』『世界の国からこんにちは』の大ヒットで国民歌手としての道を歩む。
昭和51年、リサイタル『終り無きわが歌の道』で、さらに昭和57年、歌謡生活25周年記念リサイタル『放浪芸の天地』で、いずれも文化庁芸術祭優秀賞を受賞。昭和61年、紫綬褒章を、そして平成6年には勲四等旭日小綬章を受章。平成13年4月14日逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 
 
 
 

尼崎事件

2023年07月19日 08時08分34秒 | 社会・文化・政治・経済

2012年(平成24年)10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人・死体遺棄事件。1987年(昭和62年)ごろに発生した女性失踪事件を発端に、主に暴行や監禁などの虐待により死亡したとされる複数名の被害者が確認されている。

報道では尼崎連続変死事件などとも呼ばれることが多い。

概要
主犯の女性らと主な被害者家族らの相関図

主犯の女性らと主な被害者家族らの相関図

この事件の主犯格とされる女性は、少なくとも25年以上もの間、兵庫県尼崎市南東部で、血縁関係にない者で疑似家族を築きながら多人数で共同生活を営んでいた。そして、1987年ごろの当時、女性(A)が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり事件が表に出ることはなかった。

概要

主犯の女性らと主な被害者家族らの相関図

この事件の主犯格とされる女性は、少なくとも25年以上もの間、兵庫県尼崎市南東部で、血縁関係にない者で疑似家族を築きながら多人数で共同生活を営んでいた。

そして、1987年ごろの当時、女性(A)が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり事件が表に出ることはなかった。

概要
主犯の女性らと主な被害者家族らの相関図

この事件の主犯格とされる女性は、少なくとも25年以上もの間、兵庫県尼崎市南東部で、血縁関係にない者で疑似家族を築きながら多人数で共同生活を営んでいた。

そして、1987年ごろの当時、女性(A)が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり事件が表に出ることはなかった。

しかし、2011年(平成23年)11月に監禁されていた40代女性(Fの長女)が監禁状態から抜け出し警察に駆け込んだことで、Fの長女に対する傷害容疑で逮捕され、次いで、その女性の母親(F)の死亡事件が発覚した。

さらに、この事件を端緒に捜査は進められ、2012年10月に別件(Cの母年金窃盗事件)で逮捕されていた従犯者が全面自供したことで、ようやく一連の事件が明るみに出ることになった。この直後の2012年12月、Xは、事件について多くを語らないまま、兵庫県警本部の留置場で自殺した。

従犯者の供述をもとに、事件の捜査を続けてきた兵庫・香川・沖縄の各県警による合同捜査本部は[注 1]、2014年3月に解散し、捜査は事実上終結した。

確認された8名の死亡者のうち6名について、殺人や傷害致死の容疑などで、Xやその親族など11名が起訴され[1]留置場で自殺したXを除き10名に裁判が開かれた。

また、現在もXの周辺で3名の行方が判明しておらず、1名はXによって死亡したとされるが遺体が発見されておらず、他2名についてはXから逃れているために行方不明となっており公開手配されている。

数ある大量殺人事件の中でも逮捕、書類送検者の数が17名と多く、その中には被害者の子や姉妹といった親族や一連の事件が原因で殺害したものも含まれていることが、この事件の大きな特徴の一つである。

また、些細な弱みにつけこんで恫喝・脅迫して家族全体を支配する、いわば「家族乗っ取り」を複数回起こしていたことも明らかになった。そこでは、多くの人々が親族間での暴力を強要されたり、飲食や睡眠を制限されるなどの虐待があり、さらには、財産を奪われたり、家庭崩壊に追い込まれるといった被害を受けていたことも明らかになった。逮捕、書類送検者には、そういった事情により、Xに取り込まれ、疑似家族の仲間となったり、否応なく事件に関与せざるをえなくなった人物も多く含まれている。

また、親族と養子縁組をさせられたり、強制的に結婚させられたりするなど親戚になった者が多数いる。

事件関係者

(逮捕・書類送検者あるいは死亡・行方不明者のみ)

主犯女X【逮捕・死亡】
主犯女X
個人情報
生誕 1948年10月12日
 日本 兵庫県尼崎市
死没 2012年12月12日(64歳没)
 日本 兵庫県(兵庫県警察本部の留置場)
死因 自殺
殺人
犠牲者数 多数
犯行期間 1987年ごろ–2012年10月
国  日本
逮捕日 2012年10月
司法上処分
刑罰 なし(自殺により)
有罪判決 殺人罪・死体遺棄罪ほか
判決 なし(自殺により)

1948年生まれ。
2012年12月12日に兵庫県警本部の留置所で自殺している。
疑似家族の中で絶対的な権力を持ち、同居人には忠誠を誓わせ、逆らう者には制裁を加える一方で、観光旅行や外食に連れて行くなどもしていた。逃げ出すものもいたが、執拗に探し出しては連れ戻された。
1件の傷害致死罪などで起訴されていたが、死亡により公訴棄却になった。死亡後に長男・次男・長女に対する殺人に対する傷害致死などで書類送検されている[3]。

X一家

Xが複数の「家族乗っ取り」をする過程で親族と養子縁組を繰り返して形成された「家族」で、この中に血縁を持つものはいない

Xの義理の妹H(Aの長男の戸籍上の妻)【逮捕】
1953年生まれ[2]。
母親が実母を頼って間借りしていた関係で幼少のころからの付き合いで[4]、数十年間共同生活していた[5]。

1998年に母と養子縁組を結び、義理の妹になっている[2]。H本人の証言によると、XはHの両親を怒鳴りつけるなどしてHを家族から引き離してXとHは共同生活を送るようになり、同居開始後のHはXによってスナックやソープランドなどで働かされたり、売春を強要されたりするなどし、しかも給与のほとんどをXに奪われるなどしていた。また、生活で抱えた借金や疑似家族の重圧から、自殺未遂を図ったことがあったという。

[6]2001年にXの指示で、Aの長男と結婚している。Xの金庫番のような役割を担っており、一連の事件発覚に繋がる3遺体の遺棄場所を最初に自供したのは、この人物であると言われている。集団生活の日記をつけており、暴行・虐待は書かれていないが、死亡時期と符合するように被害者の名前が出てこなくなっているという[10]。次男の生みの親と言われている。
C家長男・C家母年金窃盗事件では、一審で懲役2年の実刑判決を受けている。
A長男・A次男・D長女に対する殺人罪などで起訴されて、懲役21年の判決を受けている。
Xの内縁の夫I【逮捕】
1950年生まれ。
Xとは、20代のころからの付き合いで[5]、長く内縁関係が続いたが、虐待されることもあったといい、従属的な関係であったと思われる。
A長男・A次男・D長女に対する殺人罪などで起訴され、うち2件については殺人罪、1件については傷害致死罪と認定され、懲役21年の判決が確定している。
Xの同居人女性G【死亡】
1941年生まれ。
兄と交際したことがきっかけで、知り合うことになったという[11]。家政婦的な存在として共同生活をしていた[2][12]。2000年に自宅マンションを購入する際の連帯債務者になっている。
2008年11月ごろに死亡したとされ、その死亡に関して、7名が監禁罪で起訴されている(主犯女の同居人女性U死亡・死体遺棄事件を参照)。
Xの戸籍上の息子J(Nの夫)【逮捕】
1986年生まれ。
戸籍上は実子だが、産みの親はHである[2][5]。2007年にNと結婚しており、子供が2人いる[14]。J本人の証言によると、幼少期から暴力を振るわれたり性的虐待を受けたりすることもあったという。逮捕後の裁判でJの精神鑑定を担当した臨床心理士は、虐待でPTSD並びに解離性障害になった」などと診断している。[15]
A長男・D長女に対する殺人罪などで起訴され、懲役17年の一審判決が確定している。
Bの四男の三男M(Xの義理の長男)【逮捕】
1982年生まれ。
B家乗っ取りの最中の1999年にXの養子になっており、2005年には改名もしている[2]。比較的に大事にされていたと思われる[16]。
A長男・A次男・D長女に対する殺人罪などで起訴され[17]、うち2件については殺人罪、1件については傷害致死罪と認定され、懲役21年の判決が確定している。
Xの義理のいとこ男性K(Cの元妻の連れ子)【逮捕】
1974年生まれ。[18]。
幼少期に母親がCと再婚し、後に激しく暴力を振るうことになるC家やD家の人達とも親交があった[19] [20]。Cの借金をきっかけに2002年ごろからXのもとで生活をするようになる[2]。130Kgを超える巨漢で[21]背中に入れ墨があり、Xの指示で、周囲に激しく暴力を振るうなどで恐れられた。2004年にXの伯父と養子縁組を結び、義理のいとこ関係になっている[22]
F死亡・死体遺棄事件では、F家母に対する死体遺棄罪などで、2012年9月に懲役2年6月の刑を受けており、一連の事件発覚時は服役中だった。
A長男・A次男・D長女に対する殺人罪とDに対する傷害致死罪などで起訴され[17]、無期懲役判決が確定している。
D家次女N(Xの次男Jの妻)【逮捕】
1985年生まれ[2]。
XがD家に関わる以前は名門進学校に通っており[23]、明るく優しい性格だったが、C・D家乗っ取り事件により、洗脳されたかのようにXに心酔し、Xらと共同生活をするようになる。Xから初期のころは虐待行為を受けることもあったという。常にXと行動を共にし、Xの片腕で存在ぶりを周囲に見せていた。2007年にXの戸籍上の次男と結婚し[2]、子供も2人いる[14]。J結婚は強要されたものではなく、相思相愛の関係であったという[24]。
Cの母への年金を窃盗事件して、一審で懲役2年の実刑判決を受けている。
A長男・A次男・D長女に対する殺人罪などで起訴され、懲役23年の実刑判決を受けている。
Xの同居人男性L(D家長女の夫)【逮捕】
1969年生まれ[2]。
沖縄県出身で、東京に出て働いていた。2006年ごろに友人のA家次男に誘われて、Xと共同生活をするようになる[25]が、しばしば、Xらから暴力を振るわれるなどの虐待行為を受けていたらしい[5]。2007年に、D家長女と結婚している[2]。日常的にXの運転手役を務めていたという[26]。
A次男・D長女に対する殺人罪などで起訴され[17]、懲役15年の一審判決が確定している。
Aの親族[編集]

Aと子供3人が実家を間借りして生活していたことがある。1980年代中ごろまでに、再び家族4人で共同生活を始める。

A【行方不明】
1927年 - 1928年生まれ。
1987年ごろに殺害され、尼崎の海に遺体を遺棄されたとの証言がある。当時は子供3人(A家長男、A家次男、A家長女)とともに共同生活をしていたと思われる(A失踪事件を参照)。2014年2月に逮捕者の供述に基づいて、遺体が遺棄されたとされる現場が捜索された[27]が、発見には至らなかった。
2006年に失踪宣告を受け、1994年に66歳で戸籍上は死亡扱いになっている[28]。
Aの長男(Xの義理の妹Hの夫)【死亡】
1953年生まれ[2]。
10代のころに知り合い、成人後、家族同然の付き合いをさせられ、1982年ごろ姉に連れられて熊本に逃げたが連れ戻され、以降は姉やAの次男と共に同居させられた[25]。同居後は姉や母が虐待されるのを見ていたが止める事は出来なかった[25]。その後尼崎市内の会社で20年以上勤め、働いて得た金を全額Xらに渡していた。Aは一家内唯一の定職者だった[2]。2000年にXが購入したマンションの名義上の所有者になっている。2001年に、義理の妹Hと結婚したが、結婚は形式的なものであったとされる。
2005年に沖縄県で転落死し、当時は事故として処理されたが、事件発覚後の捜査で、保険金目的で自殺を強要された疑いのあることが判明している。その死亡に関して、6名が殺人と詐欺罪で起訴されている(A家長男転落死・保険金詐欺事件を参照)。
Aの次男【死亡】
1958年生まれ[2]。
兄(Aの長男)と同じくXらと共同生活をしていたが、1997年に兄と熊本へ、2004年に単独で東京へ、2007年にCの弟と東京へ、逃亡しているが、その度に発見されて連れ戻されている[30]。
2011年7月ごろに死亡したとされ、その死亡に関して、7名が死体遺棄罪で起訴、その7名のうち、戸籍上の息子であるを除いた6名が殺人と逮捕監禁罪で起訴されている(Aの次男死亡・死体遺棄事件を参照)。
B家

1998年3月ごろ、Bの伯母の葬儀をめぐってXは難癖をつけ、親族を巻き込んで金銭を要求した

B【死亡】
1925年 - 1926年生まれ。
B家乗っ取り事件のさなかの1999年に病死しているが、死亡前には親族らによる暴行や飲食制限などの虐待を受けていたとの話もある。2000年にB家親族らとの窃盗事件が発覚した際に、この死亡に関しても捜査が行われたが、死亡診断書に外傷などの特異事項の記載がなかったため立件されなかった[31][32](B不審死事件を参照)。
Bの長男の長男【死亡】
1974年 - 1975年生まれ。
B家乗っ取り事件のさなかの1999年12月20日に、当時軟禁されていた団地から飛び降りて死亡した[33]。「親族会議」の最中に、突然走り出し、飛び降りたとの証言もある。2000年にB家親族らとXによる窃盗事件が発覚した際に、この死亡に関しても捜査が行われたが、不審な点は見当たらなかったとして、事件化されることはなかった[31][32](Bの長男の長男転落死事件を参照)。
Bの四男の長男【行方不明】
1975年 - 1976年生まれ。
2000年3月ごろから行方不明になっているが、何らかの事件に巻き込まれたといった話は出ておらず、自発的な失踪であると思われる。2014年2月に公開手配されている。
C家・D家[編集]

Cが多額の借金を抱えていたことから[22]、中学時代の知り合いであったIの内縁の妻であるXと関わることになる。また、Cの元妻の連れ子Kの面倒をCの妹Dが見れなかったとしてD宅にも押し入って虐待を加え金銭を要求した。

Cの母【死亡】
1924年生まれ。
2003年ごろからXに命じられたKらに暴行・虐待を受け、同年3月に死亡したとされ[34]、その死亡に関して、死亡者を含めて9名が傷害致死容疑で書類送検されたが、既に傷害致死罪の公訴時効が成立しており、いずれも不起訴処分になっている(C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。
C【書類送検】
1942年 - 1943年生まれ。
義理のいとこKの元父親(ただし、Kは元妻の連れ子で血縁関係はない)。2001年ごろに知り合い、共同生活をすることになるが[22]、当時務めていた学校用務員の仕事を退職させられ、その退職金の多くを奪われている[35][36] [37]。その後2007年にXのもとから逃亡していたが、逮捕後の2012年8月に警察により発見される[38]。
C家母(当人の母親)の傷害致死容疑で書類送検されたが、公訴時効成立につき不起訴処分になっている(C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。
Cの弟【死亡・書類送検】
1948年 - 1949年生まれ。
2002年ごろに共同生活を始めたとされるが、2007年に同居人のA家次男とともに東京へ逃亡している。その後、2010年2月に潜伏先でガンにより病死しているが、事件性はないとされる[39]。
1件の殺人と、2件の傷害致死容疑などで書類送検された[40]。
Cの妹(Cの母の次女)【行方不明・書類送検】
1952年 - 1953年生まれ。
2002年末ごろに後述のC・D家乗っ取り事件に巻き込まれたと思われる。2003年10月ごろから行方不明になっている[40]が、何らかの事件に巻き込まれたといった話は出ておらず、自発的な失踪であると思われる。2014年2月に公開手配されている。
Cの母(当人の母親)の傷害致死容疑で書類送検されたが、公訴時効成立につき不起訴処分になっている(C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。
C家孫【書類送検】
1980年 - 1981年生まれ。
Cの母(当人の祖母)の傷害致死容疑で書類送検されたが、公訴時効成立につき不起訴処分になっている(C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。
D(Cの母の長女)【死亡・書類送検】
1949年生まれ[2]。
香川県高松市のD家に嫁いでいたが、C・D家乗っ取り事件で、強要されて夫と離婚させられてしまう。2003年8月に元夫の助けを借りて単独で逃亡し、4年ほど和歌山県のホテルで住み込み仲居の仕事をしていたが、2007年末に居場所を発見され、尼崎に連れ戻された(D連れ去り事件を参照)。
2008年3月に意識不明の状態で病院に運ばれ、意識が戻ることなく、2009年6月に肺炎で病死している。その死亡に関して、1名が傷害致死罪で起訴されている(D家母不審死事件を参照)。
当人もC家母(当人の母親)の傷害致死容疑で書類送検された(C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。
Dの長女(主犯女Xの同居人男性Lの妻)【死亡・書類送検】
1982年生まれ[2]。
Xが関わる前はIT企業でウェブデザイナーとして働いていた[23]。しかし、C・D家乗っ取り事件により、Xらと共同生活をするようになるが、虐待を受けることも多かったという。2度逃亡しており、1度目の逃亡では、2004年3月ごろから2006年12月ごろまでの約3年間、居酒屋でアルバイトをしつつ大阪府枚方市内のアパートで1人暮らしをしていた[41] [42]。2007年に同居人男性Lと結婚している[43] [44]。
2008年12月に死亡したとされ、その死亡に関して、7名が殺人と監禁罪で起訴されている(Dの長女死亡・死体遺棄事件を参照)。
当人も3件の傷害致死容疑などで書類送検された。
D夫の兄【死亡】
1944年生まれ。
後述のC・D家乗っ取り事件で、虐待を受けていた弟(D夫)一家を助けようとしていたが、弟の家で軟禁状態にされ、勤務していた工場を退職したり、突然妻に「離婚する」とつきつけてきたりといった異変がみられるようになった[45]。2003年10月に、尼崎に引き返す際もDの長女、Dの次女姉妹とともに同行し、尼崎で共同生活をしていたと思われる。
その後、2004年1月に自宅マンションで死亡したとされる[46]。その死亡に関して、8名が傷害致死容疑で書類送検されたが、嫌疑不十分や、被疑者死亡でいずれも不起訴処分になっている(D夫の兄死亡・死体遺棄事件を参照)。
E家・F家[編集]

当時、大手私鉄会社に勤めていたEが、クレームに対応したことがきっかけでXがE一家やEの妻の母親Fの家庭事情に口を挟むようになる。

E【逮捕】
1969年 - 1970年生まれ。
大手私鉄会社に勤めていたが、2009年春にクレームに対応して以降、Xにより、E・F家乗っ取り事件に発展する。退職、転居、離婚を強要されるなど家庭は崩壊し、最後は元妻と次女の3人で無理心中をさせられる寸前にまで追い込まれた。
F(元妻の実母)に対する傷害致死罪などで起訴されており、大阪高裁で受けた懲役3年執行猶予5年の刑が確定している(F死亡・死体遺棄事件裁判を参照)。
Eの妻(Fの次女)【逮捕】
1970年生まれ。
Fの次女で、E家に嫁いでいた。後述のE・F家乗っ取り事件で、離婚、転居を強要されるなど、家庭に介入され、最後は元夫と次女の3人で無理心中をさせられる寸前にまで追い込まれた。2011年11月に警察に保護された時の体重は、虐待により35キロほどになっていたという[47]。
F(当人の実母)に対する傷害致死罪などで起訴され、懲役2年執行猶予3年の判決が確定している。(F死亡・死体遺棄事件裁判を参照)。
F【死亡】
1944年 - 1945年生まれ。
後述のE・F家乗っ取り事件で、2011年9月11日に死亡する。食事制限などの虐待により、体重は22キロほどになっていたという[48]。その死亡に関して、3名が傷害致死罪などで起訴されている(F死亡・死体遺棄事件を参照)。
F家長女【逮捕】
1968年生まれ。
後述のE・F家乗っ取り事件で、Fの死亡後は、集中的に暴力を受けるようになっていたが、監禁状態から隙をみて脱走し、警察に駆け込んだことが、一連の事件が発覚する端緒となった。
F(当人の実母)に対する傷害致死罪などで起訴されており、一審、二審で懲役3年執行猶予4年の判決が確定。(F死亡・死体遺棄事件裁判を参照)。
事件の経過[編集]
A一家、Xらと同居[編集]

Aの長男は10代のころにXと知り合い、成人後、家族同然の付き合いをさせられていた。1982年ごろ、A長男は姉に連れられて熊本に逃げたが連れ戻され、以降は姉やAの次男、Aと共にXと同居させられた[25]。A長男は同居後は姉や母が虐待されるのを見ていたが止める事は出来なかった。

A失踪事件(1987年ごろ)[編集]

Aは2006年にH(Aの長男の戸籍上の妻)による失踪宣告申し立てにより1994年5月に66歳で戸籍上死亡扱いとされているが、逮捕者らの供述によると、Aは1987年ごろにXの自宅などで家族らから暴行を受けて死亡し、尼崎市の海に遺体を遺棄されたという。

2014年2月にこれらの供述に基づいて、遺体が遺棄されたとされる現場を捜索したが、発見には至らず、捜索は打ち切られた。なお、この事件では殺人罪の公訴時効が成立していると思われる。

1997年、A長男とA次男は熊本に逃走するがXらに連れ戻される。
同年、A長女も逃亡する。以後、X宅に戻ることはなかった。
B家乗っ取り事件(1998年3月~2000年1月)

1998年3月、X伯母[注 2]にあたる人物の葬儀がBらにより行われた。その葬儀に関して参列していたXが「段取りが悪い」などとBらに難癖をつけてきた[51][52]。XはBだけでなく、滋賀県や京都府に住んでいたBの息子夫婦・Bの兄らを頻繁に尼崎市内のBの家などに集め、問題解決のための会議をさせた。Xは暴力団の存在をほのめかしつつ、威圧的に会議を取り仕切る一方で、けがをした人物の世話をしたり、借金を抱えていた人物の相談に乗るなど、B家親族への影響力を強めていった。

さらに、親族らに互いの不満を言い合わせるようになり、やがて親族同士で暴力や虐待を行わせるようになる。最初に矛先となったのはBで、叩かれたり、長時間立たされたり、飲食の制限をされるなどの虐待を受けていた。暴力や虐待を加えていたのは主に息子達で、Xは指示するのみで直接手を出すことはなかったという。

Bの孫らもXに呼び出され、しばらくするとXと親しくするようになり、親には反抗的な態度をとるようになった。Bの息子夫婦らは自身の子供を人質にとられた状態になり、一層Xとは隷属的な関係に陥ってしまったとされる。

こうして支配を強めていったXは様々なことを口実にして息子らに退職を強要したり、家を売らせた。ある親族の借金の肩代わりと称して、葬儀トラブルとは無関係の高知市の親類がXらに押しかけられてやむなく千数百万円を渡したという話もある 。

やがてB家親族らは兵庫県西宮市に団地を借り、そこで集団生活をさせられるようになる。また、そのころXはBの息子夫婦を次々に離婚させ、さらには孫のうち2名を養子にしている[63][64]。集団生活から脱走する者も続出したが、その多くは他の親族らに居場所を発見され、連れ戻されていたという。

B死亡

このB家乗っ取り事件のさなか、親族らからの暴行や飲食制限などの虐待を受けていたBが1999年3月に病死している。2000年にB家親族らとXによる窃盗事件が発覚した際にこの死亡に関しても捜査が行われたが、死亡診断書に外傷などの特異事項の記載がなかったため立件されなかった。

Bの長男の長男転落死

1999年12月20日には、Bの長男の長男が当時軟禁されていた兵庫県西宮市の団地から転落死した。「親族会議」の最中に突然走り出し、飛び降りたとの証言もある。

2000年にB家親族らとXによる窃盗事件が発覚した際にこの死亡に関しても捜査が行われたが、不審な点は見当たらなかったとして事件化されることはなかった。

窃盗事件でXら逮捕

こういった異常な状況に対し、虐待の事実を知った近隣住民が警察に通報することもあったが、被害者がXによる身内への報復を恐れて被害を訴えようとしなかった。また、被害者の中には警察に何度か相談する者もいたが、親族間の揉め事と処理されるなどして一度も事件化されることはなかった。

Bの甥(Bの兄の息子にあたる人物)は警察にXらの捜査させるために刑事事件を起こすことを考え窃盗をすることを持ちかける[67]。Xはその話に乗り、B家親族らに窃盗をさせるようになった。そして2000年1月、Bの甥は警察に窃盗行為を告白し、XとB家親族らは窃盗容疑で逮捕され、窃盗の罪で起訴されたXは懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けた。この逮捕により、B家親族らは、Xから解放されることとなった[31]。ところが、養子縁組をしていたBの孫2名のうち、1名は縁組を解消したが、もう1名Bの四男の三男であるMはそれ以降もXとの養子関係を解消せずに、一連の事件終結まで共同生活を続け、殺人罪などで起訴されている。

C・D家乗っ取り事件(2002年ごろ~2003年10月)

多額の借金を抱えていたCは中学時代の知り合いだったIと再会し、Iの内縁の妻であるXと知り合った。2002年ごろ、CはCの弟とK(Cの元妻の連れ子)と共にXのマンションでXらと共同生活をはじめた。2002年11月にはCはXにより学校用務員の仕事を辞めさせられ、退職金の多くをXに奪われた。

2003年2月、XはKの面倒を誰が見るかを親族会議をして、その結果香川県高松市のD家に嫁いでいたCの妹Dが面倒を見ることになり、2003年2月4日D夫妻がKを連れ帰った。一方でXはKに無理難題を言ってD夫妻を困らせるよう指示を出し、KがD宅で暴れたためDはXにKを引き取るよう泣きついた。

XはKを預かることができなかったことに対して怒り、自分の身内やDの親族(Cの母やC・Cの弟・Cの妹など)ら10人ほど連れて高松市のD宅に押しかけてきた。Dの家に居座り始め、Kの面倒を見ることができない代償やCの借金問題を口実に、金を工面するよう求め、D家の親族も集めて会議をさせた。会議においてXは主にD夫妻やC母、C妹に責任を求め、この時Cはすでに金を持っていなかったため詰め寄られず、Cの弟もXらの言いなりになっていたためXらに責められることはなく、C母・D・C妹はKだけでなく親族であるCやC弟にも殴られた[72]。その対象は最初はCの母が主に受け、その後Dに変わっていったという[73]。当時78歳だったC母は長時間正座させられたり食事制限されたり寒い中1人廊下に出されるなどの虐待を受けたという。また、当時20歳のDの長女と17歳のDの次女Nも両親への暴力を強要され、やがて、NはXに心酔するようになり、通っていた名門高校を中退した。

D家は、親戚からかき集めるなどして、約2000万円をXに渡した。さらに、話し合いの末にD夫妻は離婚することになり、D夫が親戚から借り集めたD夫からDへの「慰謝料」はそのままXの手に渡った。「慰謝料」を受け取ったXらは40日程居座った高松市のD宅を後にし、尼崎に引きあげた。Dは娘2人を連れて尼崎市に転居したが、直後にはXのもとで生活をしていたようであるという。

Cの母死亡・死体遺棄事件[編集]

Xらが高松から尼崎に戻ってきた2003年3月6日、自宅マンションで飲食制限などの虐待や暴行を受けていたCの母が急死した。遺体は高松市のD家の家屋に隣接する倉庫の床下地中に遺棄された。2012年12月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。

この事件では、X、K、C(被害者の長男)、Cの弟(被害者の次男)、Cの妹(被害者の次女)、Cの甥(被害者の孫)、D(被害者の長女)、Dの長女(被害者の孫)、Dの次女N(被害者の孫)が共謀してCの母を死亡に至らせたとして、傷害致死容疑で書類送検されたが、傷害致死罪での公訴時効が成立しており、いずれも不起訴処分になっている。

それから一月ほど経った2003年5月、高松市で一人で暮らすDの元夫のところへ、Xが「Dがだらしないから迎えにこい」と電話をかけてきた。Dの元夫が尼崎に出向いてDを高松に連れて帰ると、その直後にXがD家長女と次女Nを伴いやってきた。D長女とNは尼崎でXに挨拶をしていなかったとD元夫妻を責め、暴行を加えた。さらに、Xは身内やK、そしてC家の親族を高松に呼び寄せ、D家に再び居座り始めた。

D元夫妻は再び金銭を要求され、暴力、虐待を受けた。暴力を振るっていたのは、主に娘やKだったという[78]。D元夫の兄が心配してD宅に現れたが、軟禁状態にされ、しばらくすると、弟であるD元夫に暴力を振るうようになっていった。

こうした状況に対して、被害者やその親族・近隣住民らからの警察への通報・相談は合計36回あったが、主に暴力を振るっていたのが娘ら身内であることから被害届を出すのに消極的だったり、また、金銭問題などは親族間の問題としていずれも事件化されることはなかった。

2003年8月、D元夫は監視の隙をついて、DとD長女を逃がしたが、D長女は途中で発見され、連れ戻されてしまった[82]。以降、さらにDの元夫への暴力は酷くなり、身の危険を感じたDの元夫は一旦、家を離れることを決意し、9月に家を出て、親類宅などに避難した[83]。Dの夫は標的を失ったXらが娘らを解放して尼崎に戻るのではないかと考えていたが、しばらくしてから戻ってみると家はもぬけの殻になっていた。Xは10月ごろ、Dの長女、Dの次女N、Dの夫の兄を連れて尼崎に引き上げていた。

2003年10月ごろ、Cの妹失踪。その後Xの家には戻っていない[40]。何らかの事件に巻き込まれたといった話は出ておらず、自発的な失踪であると思われる。2014年2月に公開手配されている。
D元夫の兄死亡

D元夫の兄は尼崎の自宅マンションでXらと同居するようになってしばらく経った2004年1月、食事制限などの虐待や暴行を受けた末に死亡したとされる。遺体はC家母の家の床下地中に遺棄された。2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。

この事件では、X、H、I、M、J、Cの弟、D家長女(被害者の姪)、N(被害者の姪)が共謀してD元夫の兄を死亡に至らせたとして傷害致死容疑で書類送検されたが、司法解剖で死因が特定できず、虐待行為の詳細が解明できなかったことから嫌疑不十分で、あるいは被疑者死亡により、いずれも不起訴処分になっている。

2004年3月ごろ、D長女はXのマンションから逃走。飲食店でアルバイトをしつつ大阪府枚方市内のアパートで1人暮らしをはじめた。
2004年8月、各地を転々としたD夫は家族の情報を少しでも得るために尼崎に戻り、以降事件終結まで尼崎で潜伏生活を送る。
2004年、A次男はX宅から抜け出し東京で生活する。
A家長男殺人・保険金詐欺事件(起訴案件)

2005年3月、Xらは総額4950万円を超える多額の借金などによる困窮を打開するため、A家長男を事故死に見せかけて殺害することで生命保険金を得ようと計画した[2]。XはA家長男に自転車に乗って対向車線に飛び出すことで事故死に見せかけて死ぬことを命じ、Kが現場に同行したが、A家長男はこれを実行に移すことができなかった。Xはこの制裁として、3日間にわたって食事を与えず、暴行を加えた。A家長男に車の前に飛び出す事はできないが高いところから飛び降りることなら出来ると言わせたXらは、同年6月上旬、観光旅行を装って沖縄県にA家長男を連れ出した。6月30日、沖縄県国頭郡のロッジにてA家長男と「死別の挨拶」を交わした。翌7月1日、A家長男のネックレスなどを遺品分けとして譲り受けた上で、Hを撮影者役として記念撮影を装ってA家長男に背を向ける形でKらが並んで立つ事でA家長男を飛び降りさせて死亡させた。これにより生命保険金合計5000万円を騙し取った。また、被害者が名義上所有していたXの自宅マンションの残りローン約3000万円も完済された。

この事件では、X、H(被害者の戸籍上の妻)、I、M、J、K、Cの弟、Nら8名が共謀してA家長男に自殺を強要して殺害し、A家長男にかけられていた保険金を詐取したとして、死亡しているXとC家次男を除く6人が殺人と保険金詐欺で逮捕、同罪で起訴されている。X、C家次男の2名(いずれも死亡)は、同容疑で書類送検された。

同月ごろ、A次男の東京の潜伏先にXらが現れ、連れ戻される。
2006年初め、Aの次男の紹介でLがXらとの共同生活を始める。
2006年12月、逃亡していたD長女は友人と運転免許の更新に行き、更新センターに現れたK・Nらに連れ戻される。現場にいた友人はすぐに警察に相談するが警察はD長女の妹であるNがD長女の捜索願いを出していたことを挙げ、「捜索願を出せるのは家族だけ」「民事不介入」を理由に相手にしなかった。後日、D長女はKらと共に荷物を取りに友人らの元に現れたが、その時のD長女は友人らと目を合わせようともせず、人が変わったように淡々としていたという。
2007年8月ごろ、C逃亡。以後、Xの元に戻ることはなかった。
2007年10月、A次男はCの弟と共にX宅から抜け出し東京での潜伏生活をはじめる。
D連れ去り事件(起訴案件)

共に虐待を受けていた元夫の助けを借りて2003年8月に脱走に成功していたDは、その後、和歌山県のホテルで住み込み仲居の仕事をしていた。ところが車を購入するために住民票を移したことで、Xらに居場所を特定され、2007年12月、X、K、I、M、J、D家長女、N、Lはホテルの社員寮に押し入り、Dを脅迫した上でX宅に拉致した。

この事件では、X、H、I、M、J、K、L、Dの長女(被害者の長女)、N(被害者の次女)ら9人が、身体に危害を加える目的でDを尼崎に連れ去ったとして、既に死亡しているXとD家長女(被害者の長女)を除く7人を生命身体加害略取容疑で逮捕した。I、M、J、K、N(被害者の次女)が同罪で起訴され、Hは同幇助罪での起訴、そして、Lは「従属的な立場だった」として不起訴処分(起訴猶予)になっている。また、既に死亡しているX、D家長女(被害者の長女)ら2名が、加害目的略取容疑で書類送検された。

D傷害致死事件(起訴案件)

2008年3月、Xから「Dの態度が悪く腹が立つ」などと言われたKはDの頭を激しく振るなどの暴行を加えて急性硬膜下血腫の障害を負わせた[2]。Dは意識を回復する事なく、この時負った障害に基づく遷延性意識障害に起因する肺炎で2009年6月22日に死亡した。

この事件では、X、K、L、D家長女(被害者の長女)、Nの5名が共謀してDに暴行を加え死亡に至らせたとして、K、L、N(被害者の次女)が傷害致死容疑で逮捕された。しかし、N(被害者の次女)、Lは「死に直結する暴行ではなかった」として不起訴処分になり、Kのみが同罪で起訴されている。また、既に死亡しているX、D家長女(被害者の長女)ら2名が同容疑で書類送検された。

D家長女死亡・死体遺棄事件(起訴案件)

2008年6月ごろ、D家長女はLとともにXらからの虐待に耐えかねて沖縄県まで逃げるが、2008年7月ごろに発見されてX宅に連れ戻された。逃走の制裁として自宅マンションのベランダに設置していた物置に監視カメラをつけた上で半袖シャツ姿にしたD家長女とLを閉じ込めた。Lは忠誠を誓って許されX宅で普通に暮らすことを許されたが、D家長女に対する監禁は継続され、D家長女は暴行を加えられるなどして衰弱していった。2008年12月8日ごろ、D家長女は低体温症により死亡した 。遺体はC家母の家の床下地中に遺棄され、2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見された。

この事件では、X、H、I、M、J、K、L(被害者の夫)、N(被害者の妹)の8名が共謀してD家長女を殺害したとして、既に死亡しているXを除く7人が殺人と監禁容疑で逮捕、同罪で起訴されている。また、Xは同容疑で書類送検された。

女性G監禁・死亡(2008年11月)(起訴案件)

このDの長女が監禁されていたさなかの2008年11月5日ごろ、J・N夫婦の長女(Xの孫)にGが暴言を吐いた[25] ことを知ったXは謹慎を命じ、その後無断で謹慎を破って外出した制裁としてGを同時期にD家長女が監禁されていた物置に監禁した。その後Gは11月10日に死亡した。遺体はC家母の家の床下地中に遺棄された。2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。

この事件では、X、H、I、M、J、K、L、Nの8名が共謀してGを監禁し暴行を加え死亡させたとして、既に死亡しているXを除く7人が傷害致死と監禁容疑で逮捕された。しかし、監禁期間が1週間程と短期間だったことや、食事も与えられていたことに加えて、被害者には高血圧症や心臓肥大などの持病があり、「病死の可能性が高く、虐待行為で死期が早まったと言えない」などとして、逮捕者7名全員が傷害致死罪については嫌疑不十分として不起訴処分になり、監禁罪のみで起訴されている。また、既に死亡しているXが傷害致死と監禁容疑で書類送検された。

2009年夏、逃亡し東京に潜伏していたA次男はXらに居場所を突き止められ、尼崎に連れ戻される。この際、A次男とともに逃亡していたC弟も連れ戻す予定だったが、C弟の知人はC弟を庇って居場所を明かさなかったためXらは連れ戻すのを断念して尼崎に帰った。
2010年2月、C弟ががんにより病死
E・F家乗っ取り事件(2009年4月~2011年11月)

2009年4月、Xが「孫の乗ったベビーカーが車両のドアに挟まれた」と鉄道会社にクレームをつけた。これに対応したのが、当時その会社に勤めていたEだった。Eは上司と一緒に何度もXの自宅マンションに謝罪のために足を運んだ。Xは話し合いの場にKを同席させ、「この子は元ヤクザ。怒らせると何するかわからんで」と脅かす一方で、Eが話し合い中に一度も時計を見なかったことを褒めるなどして、徐々にEを取り込んでいった。やがて、Eは家族や将来の夢などプライベートな話をXにするようになり、妻や2人の娘とともに、家族ぐるみで付き合うようになった。

しかし、XはEの日頃から抱いていた喫茶店を開きたいという夢を聞き出すと、Eにその夢を実現させる為として執拗に退職を迫るようになった[99]。Xらに会社にまで乗り込まれるなどされて、2010年4月にEは退職した。その後もXのE家への過剰な干渉は続き、E夫妻を頻繁に呼び出し、Eが退職前に妻としていた事前の約束を破って競馬をしていたことや、浮気話をEの妻から聞いたXは、二人に離婚を迫るようになった。そのことでE家夫婦家族やE妻の母Fが住んでいた尼崎市内の二世帯住宅にF家長女(Eの妻の姉)やEの親族らも集められ、家族会議が開かれた。Xが会議を取り仕切り、2010年11月に二人は離婚した。

離婚後もXの干渉は続き、EをXの自宅マンションに隣接するワンルームマンションに引っ越させ、離婚のことで近所に変な噂がたっていると理由づけて、二世帯住宅に住んでいたEの妻や子供達を転居させた。Xはその後再び親族らを集め、子供の養育問題について家族会議を開かせた。家族会議は連日行われ、徹夜で開かれることもあった。会議では些細なことでE元夫妻が吊し上げられ、時には飲食の制限などの虐待や、親族同士で暴力を振るわせることもあった。また、この会議では親族関係にないXやKも、Eらに暴力を振るうことがあったという。そうしているうちに、2011年当時小学6年生と小学4年生だった2人の娘はXに懐き、Xの自宅マンションで暮らすようになり、両親を敬遠するようになっていた。

2011年6月、東京の親類のところへ身を隠していたFが連れ戻された。EのワンルームマンションでE元夫妻、Fの長女、F、そしてEの次女ら5人で共同生活をさせ、子供の養育費の捻出や二世帯住宅の処分などについて話し合いをさせた。Eの長女だけはXに優遇され、Xの自宅マンションで起居した。

A家次男死亡・死体遺棄事件(2011年7月)(起訴案件)

このE・F家の乗っ取りのさなかの2011年7月25日、Xが財産目的で介入していた家族から預かっていた女児の胸をA家次男が触ったことに怒ったXはKらと共にA家次男に暴行を加えベランダの物置に監禁した。X、K、Lらがさらに暴行を加え7月27日にA家次男は死亡した。XらはA家次男の遺体を尼崎市内の倉庫に運び、ドラム缶に入れた上でセメントを流し込んで放置し、その後11月4日ごろに倉庫から運び出してドラム缶ごと岡山県備前市の海中に投棄して遺棄した。2012年10月に関係者らの証言に基づき、遺体が発見された。

F家母死亡・死体遺棄事件(2011年9月11日)(起訴案件)

一方で、E・F家では睡眠・食事・トイレはXの許可が必要になり、それを守らなかったり、家族会議の発言内容次第で、他の親族やXらに暴力を振るわれた。やがて、虐待されている者同士で互いを監視するような状況になったという。そしてFに暴力や虐待が集中するようになり、Fは2011年9月11日に死亡する。遺体は、EとKでドラム缶にコンクリート詰めにされ、内縁の夫Iが借りていた貸倉庫に放置され、2011年11月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見された。

この事件では、X、E(被害者の次女の元夫)、F家長女(被害者の長女)、Eの妻(被害者の次女)、Kら5名が共謀して死体を遺棄したとして死体遺棄容疑で逮捕、同罪で起訴されている[110]。さらに、X、E(被害者の次女の元夫)、Eの妻(被害者の次女)、F家長女ら4名が共謀してFを殺害したとして殺人と監禁容疑で逮捕されたが、殺人を裏付ける十分な証拠がないとして殺人罪の適用は見送られ、傷害致死と監禁罪で起訴されている。

Fの長女逃走・Xらの逮捕 

Fの死亡後は、Fの長女に暴力が集中するようになった。10月30日未明、Fの長女は車の中でXやEから何度も顔を殴られたり、タバコの火を押し付けられるなどの激しい暴力を受け、手足をテープで縛られ、ワンルームマンションに閉じ込められた。Fの長女は、寝入っている監視役のEの隙をうかがい、手足のテープを噛み切って2階の窓から飛び降りて逃走した。そして、大阪市内のホテルに数日間宿泊し、11月3日に大阪市内の交番に駆け込んだ。自身が受けた暴力や、Fが死亡したことを警察に話し、話に信憑性があると判断した大阪府警は兵庫県警に連絡した。

一方、Fの長女の逃走後、事件の発覚を恐れたXは、全ての罪をなすりつけるために、Eに遺書を書かせ、元妻と次女とともに、車で海に飛び込み自殺をさせようとしていた。11月4日夕刻、E元夫妻は自殺を決意し、次女と尼崎市内のスーパーの駐車場に止めた車の中にいた。並んで止めた車には、自殺を見届けるためにXとKがいた。そこへ、行方を捜していた兵庫県警が駆けつけ、間一髪のところで3人を保護した。そして、XとEは、Fの長女への傷害容疑で逮捕された。

X逮捕後

2011年11月7日、兵庫県警が尼崎市内の貸倉庫でFの遺体が入ったドラム缶を発見、同月26日にFへの死体遺棄容疑でXらを逮捕。2012年2月8日にはFへの殺人、監禁容疑でXら再逮捕。この報道を受けて、Dの夫が神戸地検尼崎支部に駆け込み、紹介された警察にこれまでの経緯を説明。

2012年8月、偽名を使って尼崎市に潜伏していたCを兵庫県警の捜査員が発見。Cの証言からHとNがCとCの母の年金を無断で引き出したことによる窃盗容疑で再逮捕された。この再逮捕での取り調べ中の9月、Hがこれまでの殺人・死体遺棄について自供した。NもHの自供内容を認めた[38]。

10月、尼崎市のC母宅床下からD長女、Dの夫の兄、Gの遺体が発見される。同月30日には岡山県の海からA次男の遺体が発見され、12月3日には高松市の農機具小屋でC母の遺体が発見される。同月5日、A次男への殺人・逮捕監禁容疑でXら7人を再逮捕

Xの自殺

2012年12月12日午前6時20分ごろ、兵庫県警本部の留置所にて、Xが布団内で長袖Tシャツを首に巻きつけ、自殺を図っているのが発見され、病院に搬送後、死亡が確認された。

一連の事件が発覚した2012年10月以降、弁護団や留置係の警察官らに「生きていても意味がない」「死にたい。どうすれば死ねるのか」などと自殺をほのめかす発言を複数回していたという。逮捕後、主犯とされる容疑者が死亡したことにより、この事件の真相解明は極めて困難な状況になったと言える。

なお、Xの遺体を引き取る親族はおらず、2012年12月19日に神戸市によって火葬されている。


家族喰い――尼崎連続変死事件の真相

2023年07月19日 07時56分41秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
主犯・角田美代子の“家族乗っ取り"はなぜ起きたのか。

2012年12月12日、兵庫県警本部の留置施設内で、ひとりの女が自殺した。
女の名は角田美代子。尼崎連続変死事件の主犯である。美代子と同居する集団、いわゆる“角田ファミリー"が逮捕され、これまでの非道な犯行が次々と明らかになってきていた矢先のことだった。
主犯の自殺によって記憶の彼方に葬り去られようとしているこの事件の裏側には何があるのか? 尼崎を中心とした徹底取材をもとに、驚愕の真相を白日の下に曝す。
百田尚樹氏をして「ホラー小説も逃げ出すくらいに気味の悪い本だった! 」と言わしめた問題作!

【目次】
プロローグ
第一章 角田美代子と裏稼業
第二章 グリコ森永事件との奇妙なつながり
第三章 親の愛に飢えた少女
第四章 非公然売春地帯への紹介者
第五章 最初の家族乗っ取り
第六章 警察の怠慢
第七章 美代子の暴力装置
第八章 被害者と加害者の父
第九章 谷本家の悲劇
第十章 自由への逃走、追跡後の悲劇
第十一章 崩れる大人たち
第十二章 さまようファミリー
エピローグ

ある日、ほかに客がいないのを見計らって、飲食店主から一枚の写真を見せられた。
「あんなあ、小野さん。この人、美代子らに脅されとったんや。でもな、いま行方がわからへんねん」
安田さん(仮名)の存在については、その後に出会った報道関係者の誰一人として知らなかった。
つまり彼は、尼崎連続変死事件の捜査において、行方不明者としてカウントすらされていないと見るべきだろう。いったいこういう人物が何人いるのだろうか。それこそが、角田美代子の関わった事件の真の闇の部分である気がした。
心のなかで警戒信号が点滅した。
(「プロローグ」より抜粋)
 
二〇一二年一二月一二日、兵庫県警本部の留置施設内で、ひとりの女が自殺した。女の名は角田美代子。尼崎連続変死事件の主犯である。美代子と同居する集団、いわゆる“角田ファミリー”が逮捕され、これまでの非道な犯行が次々と明らかになってきていた矢先のことだった。主犯の自殺によって記憶の彼方に葬り去られたこの事件の裏側には何があるのか?尼崎を中心とした徹底取材をもとに、驚愕の真相を白日の下の曝す、問題作!

About the Author

おの・いっこう/1966年生。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。
「戦場から風俗まで」をテーマに北九州監禁殺人事件、アフガニスタン内戦、東日本大震災などを取材し、週刊誌や月刊誌を中心に執筆。尼崎連続変死事件では100日以上にわたり現地に滞在し取材。著作に『完全犯罪捜査マニュアル』(太田出版)、『東京二重生活』(集英社)、『風俗ライター、戦場へ行く』(講談社文庫)、『灼熱のイラク戦場日記』(講談社電子文庫)など。
 
 
 

角田美代子の件はひたすら胸くそ悪い。
ここまで増長する前になぜ誰も止められなかった?

警察は無能だ。
存在意義はほとんどない。
1人や2人殺されても動かないんだから。

じゃあ、誰が止められたのか?
家族を、殺されたお前らだよ。

例えば瑠衣のオヤジ。
お前何やってたんだ?

なんで娘が殺されるまで逃げ回ってたんだ?
娘が殺される前に、お前が罪をかぶって美代子をやれば良かっただろ。

ここに、ハッキリ断言しておく。
角田レベルの頭のおかしなサイコパスに目をつけられたら、逃れる術はない。
例え、自分が有罪になっても、やられるまえにやるしかない。
自分の大切な人間を守るためだ!
穴の縁から闇を見る。

とにかく登場人物がたくさんいて
血縁関係があったりなかったり
ないのに縁組していたり無茶苦茶なので
事件の全貌は、読み終わった今でもよくわからない。

だけどわからないなりにわかろうとしてみる。

貧困、虐待、放置、無学無知。

寂しさ。

そういう過程を経て成長した人間のその先に、
たまたま堕落した生き方や
暴力的な支配しかない世界が待っていたとしたら。

「へえ、こんなに簡単にお金が稼げるんだ。」
「暴力で支配すれば、皆が言うことをきくんだ。」

そのことを異様に思うのではなく、
そんな価値観しか選べなかったのだとしたら。

こういう人間ができるのも、
こういう事件が起こるのも、
ありうることなんだとわかりました。

あと警察はもっとまじめにやれ、
このスカタン。

ルポライターは、筆力があるというより
努力と根性で取材・表現する人という印象です。
この事件のためにはあるべき1冊。拍手。
 
 
あまりに複雑な尼崎事件、まず概要を知るために同著者の『連続殺人犯』から読んでおいたためか、他のレビューにあるようなとっつきにくさは感じませんでした。ただそもそもが複雑な事件なので、確かに予習しておいた方が良いかもしれません。
ただ、週刊誌等のルポルタージュをよく読まれる方には非常に読みやすいのでは。また、取材での証言をベースにしている事で、通常では見えない「世界」の存在が臨場感を持って感じられます。ともすれば、自分も角田ファミリーから脅迫を受けているような切迫感・焦燥感すらありました。北九州のいわゆる松永太事件を扱った『消された一家』と比較されることが多いですが、あちらはあまりに凄惨な犯行手口を記述するために非常に淡々と感情を殺した書き口ですが、こちらのテーマはそこではなくやはり「すぐそばにある闇社会の入口」、またそれが関係した人々に後々まで及ぼす影響と言うことでしょう。その観点で読むと大変に興味深い内容です。

なお、これを読了したあとに新版(文庫)が出ているのに気づいてしまったので、今度はそちらも読んでみる予定です。
 
 
あれだけの事件を起こした殺人鬼とも言える角田美代子が自殺した。
事件が闇に葬り去られてしまわないようにと思い読みふけった。
関係者が次々とあの一家について語る様子が、臨場感があり、まるで
サスペンス映画を観ているような感覚になった。
一気に読めてしまう。
 
 
先ず、著者は随分深く取材されて今迄知り得なかった事件の詳細や人間関係が詳しく把握出来た。
元凶は間違いなく角田美代子だが、共犯の角田ファミリーも怖ろしく思う。
初めこそ恐怖に支配されて、身内への暴力を強要されていたかもしれないが、次第に自らの欲望による暴力へと変貌していく様が読みとれる。
美代子の取り巻きでいる事で得られる贅沢三昧の生活や、自らが他者を虐げる事で得られる充足感によって、身内を傷つけることに対する罪悪感も薄れ、挙句に殺害まで発展しても自らの身の保身に奔走する。人の心の深淵を覗き込んだ様な気がして、共犯者達も美代子と同様、ドス黒く歪んだ精神の持ち主なのだと思い知らされた気がしてならない。特に、実の姉や母を手にかけた瑠衣被告に対しては、嫌悪感しか感じない。
この事件の加害者達には全員、その命をもって償って欲しいと切に願う。脅されていた、騙されたでは済まない現実がそこにはある。
ただ残念なのは、取材がしっかりされているのに時折、時系列がおかしなところがある。そこだけが残念でならない。
 
 
事件の闇に興味を持ち、もっと知りたいと思って買いました。

■困ったところ
わかりにくい。
おそらく原因は事件ではなく、取材を主体にしているところ

○構成
事件のことを順番に語って欲しかったが、
取材のことを順番に語っているため、肝心の事件のことがわかりにくい。
取材の単位で文章が構成をされており、
被取材者ごとに章立て、その人から聞いた証言がまとめて語られる。

一応証言者を登場させる順番は事件の時系列に沿っているのかもしれないが、
とにかくわかりにくい。

○文章
第三者目線(三人称)で事件を語っていく
のではなく、
取材する著者(一人称「私は」)の目線で取材自体を語るので、感情的で装飾的。
著者が取材に苦しんだり、取材協力に感謝したり、事件の闇に恐怖したりする様が描かれる。
申し訳ないがイライラした。

■良かったところ
独自の取材で非常に事件に近い人から話を聞けている。
また取材での会話がそのまま記されているので、
当人たちの温度感が伝わりやすい。
ただし構成と文章に難があり、最後まで読めていない。

事件自体に良く精通している人であればこの構成や文章でも良かったのかもしれないが、
事件を概要程度しか知らない人間からすると読みにくすぎる。
取材のスタートが遅かったから他との特色を出すためにこんな取材のやり方をしました、
といったことは求めていなかった。

安い買い物でもないし時間も割いたのにので非常に残念。
 

記憶に未だ新しい、とまでは言えないかも知れないが、
日本中の耳目を一時集めた尼崎連続変死事件のルポルタージュである。

主犯格と目された故・角田美代子容疑者の自殺により、
報道の興味は潮が引くように消えていったような印象があるが、
その後も丹念に取材を続けた結果をまとめた著作である。

某売れっ子作家が帯に
「ホラー小説も逃げ出すくらいの気味の悪い本だった!」という言葉を寄せているが、
そんな言葉が紙吹雪のように軽く感じられる、とにかく驚くべき事件で、
かつ、いろいろ考えさせられる本である。

本の最後の方に見開き二ページに渡り、被害者と加害者の関係を示す
まるで徳川将軍家と御三家の家系図のような複雑な関係図が出てくるのだが、
そこには被害者と加害者が斑に入り交じる。
Webでも同様の図を見たが、より一層に複雑な関係図であり、
関係図を指を挟んで都度見返しながら本文を追わないと、事件の全容がつかめない
(つかんだところで市井の市民が理解できる範疇を超えているが)。

このような人間関係を、複雑な養子縁組、情報操作、暴力、はたまたマインドコントロールにより
敵味方を作って支配し搾取を続け、そして逆らう人間、価値の無くなった人間は切り捨てるといった
圧倒的に気味の悪い事件であるが、冷静さを失うことなく丹念な表現で描いているのは
取材経験豊富な著者の力量と考える。

事件の詳細経緯はもとより、主犯格、角田美代子容疑者の生い立ちといった背景へのアプローチもあり、
立体的、具体的、包括的なルポルタージュになっていると感じた。

以下、感想である。レビューワーはかつて法学部で(真面目な学生とは言い難いが)
大体の刑事事件の背景は特定の個人だけでなく社会的な問題が潜んでいると学んでおり、またそう理解している。
そして、やはりこの事件にもそれを感じたが(端的にいうと、犯人は悪いが犯人だけが悪いわけではない)、
感情的な問題もはらむため、その部分は避けての感想である。

本では軽くしか触れられていないが、
故・角田美代子容疑者は、いまなお存在する模様のグループの一員であり、
また、この事件と同様に、弱者を食い物にしている現在進行形の事象は、他にもあるとのことである。

すなわち、この事件そのものは、まとめを得る程度には一応の終結を見たとしても、
特殊な一事件として記憶の片隅から消してしまうのは、
表現が適切か分からないが、勿体ないと思われる。

例えば、事件の犠牲者のなった方の一人は、
娘の結婚相手の男性が、勤め先で角田美代子のクレーム応対にあたり、
それがきっかけとなり、角田美代子ファミリーに乗り込まれ、
そして、娘から、娘の結婚相手の男性からも暴力を振るわれている。

あまりに不条理な出来事であるが、
似たような事象が、日本のどこかで現在進行形的に起こっている可能性があるわけであり、
その災いが自分に降りかかる可能性も無くはない。
とすると、事件から学べることがあるのではないか。

被害にあった人々(被害者が場合により加害者だったりするのでややこしいが)を見ると、
金銭の扱いが雑だったり、赤の他人に不相応な過大な信頼を寄せたり、
家族関係がしっくり行っていなかったりと、どこか脇が甘い所がある。
それをもって被害者側の責に帰すのは筋違いであるが。

また、民事不介入を理由に、事件に深入りする機会を度々逃がし
被害の拡大を止められなかった兵庫県警であるが、
「兵庫県警けしからん」という怒りを持つのはたやすいが、それで問題が解決するわけではなく、
普段は喧嘩や盗難や交通事故といった分かりやすい事件を捌くのを主とする警察の現場レベルが
事件を事件として認識できる事案であっただろうか、とも思う。
相手は見開き2Pの人間関係を操る、いわばちょっとした新興宗教みたいな組織だったのだから。

被害から逃れた方の中には、警察が頼りにならなければ弁護士にも相談しており、
そういう毅然とした態度にでると、
加害者側は「めんどくさい人」として、あっさり手を引いている。
警察が頼りにならなければ、別の手立てを探すという知恵も必要なのではないか。
 
コストパーフォーマンス:70点
内容:80点
読みやすさ:80点
見やすさ:70点
 
 

マインド・コントロールの仕組み

2023年07月19日 07時32分35秒 | 社会・文化・政治・経済
 
西田公昭 (監修)
 
「マルチ商法」「デート商法」「催眠商法」「霊感商法」「なりすまし電話詐欺」「点検商法」「占い詐欺」「ブラック企業」「DV被害」「賛美のシャワー」「確証バイアス」

身近に潜む“心の支配者”たちの手口とは?

マインド・コントロールとは、コミュニケーションを駆使して、自分にとって都合のよい方向へと、相手の意思決定を誘導する心理操作のことです。

本書は、豊富な図版・イラストでマインド・コントロールの仕組みを徹底解説しています。


目次
はじめに
【CHAPTER1】マインド・コントロールとはなにか
マインド・コントロールとはどんな技術なのか?
心の支配はなぜ起きるのか
破壊的カルトとマインド・コントロール
【コラム】SNSを使った勧誘
マインド・コントロールと洗脳の違い
マインド・コントロールが変える5つのもの
マインド・コントロール下で反社会的な行為を行うのはなぜか
【コラム】人民寺院事件
誰でもマインド・コントロールされる危険がある
【コラム】ザ・ウェーブ
【インタビュー】マインド・コントロールをより深く理解するための西田公昭先生の特別授業 1時限目

【CHAPTER2】事例で学ぶマインド・コントロールのメカニズム
心に影響を与える6つの原理
【コラム】ミルグラム実験に見る服従の心理
カルト宗教(破壊的カルト)
テロ組織
マルチ商法
【コラム】パーティーからマルチ商法へ誘導
デート商法
催眠商法
霊感商法
なりすまし電話詐欺
点検商法
占い詐欺
ブラック企業
グルーミング
DV被害
監禁事件
【コラム】マインド・コントロールと殺人・遺棄致死事件
【インタビュー】マインド・コントロールをより深く理解するための西田公昭先生の特別授業 2時限目

【CHAPTER3】なぜマインド・コントロールから抜け出せないのか?
いつでも元に戻れると錯覚する
相手を支配し続けるための4つのコントロール
予言が外れても信じ続ける理由
自らの意志で大金を献金する理由
【コラム】オウム真理教事件
もし家族や恋人がマインド・コントロールされたら?
マインド・コントロールされないための心得
【インタビュー】マインド・コントロールをより深く理解するための西田公昭先生の特別授業 3時限目
 
【監修】
西田公昭(にしだ・きみあき)
立正大学心理学部教授。博士(社会学)。日本社会心理学会会長。国際連合安全保障理事会テロ対策研究パートナー。日本脱カルト協会代表理事。
1984年、関西大学社会学部を卒業し、同大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。スタンフォード大学客員研究員などを経て現職。
カルト宗教のマインドコントロールの研究や、詐欺・悪徳商法の心理学研究の第一人者として、新聞やテレビなどでも活躍。オウム真理教事件や統一教会、尼崎連続変死事件など多数の裁判で、鑑定人および法廷証人として召喚される。著書には『なぜ、人は操られ支配されるのか』(さくら舎)、『マインド・コントロールとは何か』(紀伊国屋書店)、『だましの手口 知らないと損する心の法則』(PHP研究所)など多数。
 

なぜ、人は操られ支配されるのか

 
 
 西田 公昭 (著)
 
誠実な人ほど操られやすい!

騙されるとき、人は思考停止になり、心が支配されている。
心を操るテクニックがマインド・コントロールだ。
人の心は弱く、簡単にひっくり返る。「自分は大丈夫」と思っていても、不意打ちをされたり集団の中に入れられれば、誰でも正常な判断ができなくなる。
いまは詐欺や悪質商法だけでなく、企業、家庭、学校、SNSでも操りと支配が横行している。
カリスマに頼りたい心が支配を招く。その最たるものがオウム真理教事件や尼崎連続変死事件などのカルトである。

オウム事件などの心理鑑定人もつとめた心理学者が、心を支配するテクニックと対処法を明かす!
「信じる・信じない」のしくみ、ミルグラムの服従実験、洗脳プログラムなど、興味深い事例も盛り込んだ。
不安や依存は「支配される」の第一歩。誰もが操られ支配される危険に満ちた現代に警鐘を鳴らす!
 
 
人が騙される仕組みについて、基本的な仕組みの整理が分かりやすく示されており、参考になります。
ただし、参考文献や引用等に関する脚注がなく、さらに理解を深めることができないのが残念です。
 
 
 
文章がわかりやすく、時間を忘れて一気に読んでしまいました。何度も繰り返し読んで必要な箇所は定着させたいです。
 
 
 
 
軍国主義も、西田先生によれば、(実質的に)マインド・コントロールだと。ちょっと定義・概念が広すぎではないでしょうか。。。
 
 
 

いろんな世界の支配の意図を読み解く鍵
2019/9/8発行なのか、内容もリアルタイムの世間に語る感じでニュースを聞いている感じで読みました。
今、ルシファー・エフェクトを読んでますが、著者のジンバルドーさんの研究がその後の事件に役立つことや、今はその実験が倫理的に問題視されてるなど、カオスが率直に語られています。
「支配」は「思考停止」「依存」「不安」「全体主義」、、バイアス関連の今読んでいるファクトフルネスなども読み込めると思いました。自分がおもう自分自身に対しても今以上に幅をもたせておこうと思う一冊でした。

支配から自分を守る10の方法(目次からそのまま)
1、常に誠実でなくても良い
2、相手の誘いを断っても良い
3、答えをすぐに出さなくても良い
4、知らないことを恥じなくていい
5、難しい問題には正解はないと心得る
6、すぐに親しくなろうとする相手に注意する
7、おかしいと感じたら全力でその場から逃げる
8、他人に依存しないで自分で考える
9、従うことに慣れてはいけない
10、できる限り情報を集める
という、凄惨な事件に対峙してきた心理学者からの知見は多くの人の助けになると思いました。
 
 
これまでに起こった事象を振り返りながら、心理学を交えて解説しているが、ニュースのコメンテーターが我が物顔で発言しているのと、さほど変わらない。
しかし、なぜこの書籍を買ってしまったのかの裏付けにもなった。以後、気をつけたい。
 
 

分かりやすいし、読みやすい。

様々な詐欺、パワハラなどの背後にある人間の関係、インターネットの「いいね」への過剰な欲求や外集団に対して起こりやすい「反発」など、今の日本で見られる状況などとともに、オウム真理教や尼崎連続変死事件といった具体的で話題になった事件にも言及しながら、支配と被支配との関係を明らかにしている。マインドコントロールと洗脳の違いもはっきりと分かった。

最後の方にまとめられている「支配から自分を守る10の方法」はシンプルだ。しかし、実践は難しいかもしれない。なぜなら、著者が幾度となく指摘しているように、「支配される」ことには、ある種の安心感があり、「ラク」でもあり、場合によっては多少の「成果」さえあるからだ。しかし、思考停止したままの状態が続いたときに起きる破綻は怖ろしい。

この「支配から自分を守る10の方法」について具体的に書かれているエピローグ部分だけでもとりあえず読んで欲しい。タイトルにあげた「現代の日本は、自分で考えないでいい、ラクな社会になっていないでしょうか」や「支配されやすくなっているのです」といった著者の指摘は、今の日本への警鐘である。
 
 

洗脳・マインドコントロールの第一人者として知られる西田先生の本。
一般向けに書かれているせいか、読んでみて、確かにそうだとは思うものの、もう少し踏み込んだ内容が欲しかった。

「支配」という状況は決して特殊な状況ではなく、会社の同僚、配偶者、ママ友といった、
日常の人間関係の中に「相手の意のままに動かされ、自分の意志が言えない状況」になっていると、
支配されているといえる関係性になっていることがある。
起点になるのは、人を内と外に分類し、外を敵とみなすことからはじまっていることが多い。

例えば、栄光浴(身近な人が成果を上げたことを我が事のように自慢する姿勢)がいずれは「支配」につながる「思考放棄」として紹介されている。
ただ、例えば、ロザンの菅さんが氏原さんがクイズ大会で優勝すると喜ぶのも一種の栄光浴になると思うが、それが不健康な「支配」へ繋がるかといえばどうだろうか。
「支配」へ繋がっていく思考状態とそうではないものはかなり地続きにグレーにつながっていると思う。
そのうちのどれが気を付けないといけないものかを線引きしない西田先生の姿勢は、
話のテーマに対して、非常に誠実な態度だと感じたが、逆になにかの理解が進んだようにも思えなかった。

西田先生が関わられた洗脳・マインドコントロール事件をベースにもっと突っ込んだ話が読みたかったところ。