利根輪太郎の競輪人間学 運よく4-7車券をゲット

2023年07月08日 10時31分30秒 | 未来予測研究会の掲示板

GⅢ 小松島競輪  阿波おどり杯争覇戦

3日目(7月7日)

7レース

レース評 1-7 3-9-8 2-4 6-5

格上の意地がある三谷から。マークは山本で近畿ワンツー決着だ。互いに動ける九州勢はデキいい伊藤が前で自慢の快速披露。

1-3 3-1 3-9 9-3の3連単で勝負する。

押さえに2車単車券は、1-4 3-4 3-7 1-2 2-4と買う。

更に、3連単が3番を軸にしているので隣の4番軸からも買い、4-1 4-3 4-7 4-9とした。

連戦連敗なので、<出目作戦もダメなのか?>と4番流しの車券は無駄ではと内心疑っていた。

だが、運よく4-7をゲットできたのだ。

1番人気 1-7(3・8倍)

結果 4-7 2万4,200円(49番人気)  4-7-6 46万6,560円(391番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 4 嶋津 拓弥   11.8   野口乗り交
2 7 山本 伸一 1/2車輪 11.5   三谷追中鋭
  3 6 中島 詩音 1車身1/2 11.3     後方捲繰上
  4 2 野口 裕史 タイヤ差 12.0   B 赤板で先制
5 5 横山 尚則 1/4車輪 11.1     中島追内突
× 6 3 伊藤 颯馬 3車身 12.1   S 5番手捲ず
  7 8 栗田 貴徳 1車身1/2 11.9     G前で接触
8 9 金ヶ江 勇気 3/4車身 12.3     G前で接触
1 三谷 竜生         好位踏押圧

楽観主義の人は強い

2023年07月08日 08時36分41秒 | その気になる言葉

▼自らの本分を果たすことこそ名誉である。

▼健康は、何があっても負けない自分自身の前向きな生き方の中に「こそある。

▼人生は、芝居に出ているようなものだ。

経済苦の自分、病気の自分を演じているのなのだ。

▼自分の苦しを「業」だととらえるだけでは、後ろ向きになる。

それを、あえて「使命のために引き受けた悩みだ」と前向きにとらえるのである。

▼何が起こっても、それを楽しんでいく。いい方向、楽しい方向へ、前向きの方向へと受け止めていく、

それが、究極の楽観主義なのだ。

そして希望をもって「こんな苦しみや病気に負けてたまるか!絶対に生き抜いてみせる!」と、病魔を打ち破っていく。

このように、楽観主義の人は強い。

いい方向へいい方向へと自分でとらえ、自分で「そうなる」「そうしてみせる」と決めることだ。

▼病気になるのは、決して敗北ではない。生命が弱いからではばい。

使命を果たす中での病気という苦難は、自身の成長を阻もうとする魔の働きである。

ゆえに、怯んではならない。

勇敢に立ち向かう「勇気」で勝利するのだ。

▼成果を出したい―そのためには、自分の心と、命と、とことん向き合うことが不可欠だ。

 


仏教がインドで衰退

2023年07月08日 06時52分11秒 | 社会・文化・政治・経済

インド仏教はなぜ衰退したのか

インドが衰退した理由としてよく知られているのが、ヒンドゥー教に攻められたということです。

4世紀にインドに定着したヒンドゥー教は、同じくインドで信仰されていた仏教を攻撃したため、インドにおける仏教は衰退した。

やられたらやり返す」という考えを持たず、戦争を好まなかった仏教は、
攻撃によって衰退したというのです。

もし自分が仏法者でなければ、仏教がインドで衰退した理由はそれでいいのですが、自分が仏法者である場合には、このような環境要因だけで流すことはできません。
なぜなら仏教では、すべての結果には必ず因と縁があるからです。
因とは直接的な原因で、自分の行いのこと、
縁とは間接的な要因で、他人の行いや環境要因です。

この因と縁が、どんなことにも必ず両方あります。

しかも、他人の行いは変えることはできませんが、自分の行いは変えられるので、未来を変えるには、自分の行いを反省することが大切です。
以下で詳しく解説します。

インド仏教の歴史

まず、衰退するには一度は興隆しなければなりません。
一度は仏教はインド中に広まっています。
仏教はどのように始まり、インドに広まったのでしょうか。

仏教は約2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまが、
35歳で仏のさとりを開かれて、
80歳でお亡くなりになるまで説かれた教えです。

お釈迦さまには十大弟子をはじめ、悟りを開いたお弟子が千人以上あり、
わずか45年間で爆発的に仏教は広まりました。

インド仏教の興隆の経緯

お釈迦さまがお亡くなりになると、
十大弟子の一人、大迦葉だいかしょう(マハーカッサパ)
仏教の教団を率いてお経をまとめます。
これが第1回の経典結集けつじゅうといわれます。

経典結集(仏典結集)についてはこちらをご覧ください。
大迦葉(摩訶迦葉・マハーカッサパ)の妻子は?阿難と果たした重要な役割

そして多くの人へ伝えていきました。

それから約200年後、紀元前3世紀にインド史上最大の国を築いたアショーカ王は、
仏教に深く帰依して、第3回の結集けつじゅうを行い、
インドの内外に仏教を広めます。

アショーカ王について詳しくは下記をお読みください。
アショーカ王とは?ダルマで統治し今も石柱の残るインド最強の王・仏典を結集し仏教を世界宗教に

1世紀から北インドから中央アジアまで治めたクシャーナ朝のカニシカ王も、
仏教を保護して第4回の結集けつじゅうを行い、多くの人に広めました。

中インドのサータヴァーハナ朝では2世紀頃、
龍樹菩薩(ナーガールジュナ)が現れ王家の帰依を受けて、
大乗仏教を理論化し、多くの人に広めます。
中国や日本では、龍樹菩薩は八宗の祖師といわれ、
多くの宗派から祖師と尊敬されています。

西暦320年にグプタ朝が建国され、北インドの広い範囲を統一します。
ところが、グプタ王朝は、身分制度を固定化するために、
それまで衰退していたバラモン教を国教にします。
そして民衆の俗信だったヒンドゥー教がバラモン教と融合して勢力を増していきます。
だからといって、仏教が衰退したわけではありません。

仏教もグプタ朝の保護を受けて発展していきます。

中国の三蔵法師法顕ほっけんは、399年に長安を出発してグプタ朝を訪れ、416年に帰国しています。
無著菩薩や世親菩薩も小乗仏教から大乗仏教に転向すると
グプタ朝の後の首都のアヨーディヤーで活躍しました。
また、法隆寺の壁画に似ているアジャンター石窟の観音菩薩の壁画も、

グプタ朝の時代に描かれたもので、インドの文化が花開いています。

5世紀頃から世界最古の大学といわれるナーランダー大僧院を建立したのもグプタ朝の歴代の王たちです。
仏教の中心地として数千人の僧侶が集まり最後まで仏教を支えました。
6世紀にエフタルが侵入してグプタ王朝は分裂してしまいますが、
大体それまでがインド仏教の最盛期で、千年以上もインド文化が興隆し、
東洋の文化の発祥地となりました。

インド仏教の衰退の経緯

6世紀にグプタ朝に侵入したエフタルのミヒラクラは、シヴァを信仰しており、
仏教を徹底的に破壊します。
それによってガンダーラや、4世紀に、『法華経』や『阿弥陀経』を翻訳した三蔵法師・ 鳩摩羅什くまらじゅうが仏教を学んだカシュミールの仏教は、壊滅的な打撃を受けてしまいました。

7世紀に、西遊記のモデルになった三蔵法師・玄奘げんじょう
中国からナーランダー大僧院に留学した時も、
カシュミール一帯の仏教は荒廃していたと記しています。

7世紀のインドはしばらく無政府状態で混乱しましたが、
その頃から仏教では急速に祈祷を行うようになります。
やがて8世紀に入るとインドの北東部にパーラ朝が起こります。

仏教の盛んな地域は狭くなりましたが、パーラ朝の歴代の王は仏教に帰依し、保護しました。
二代目のダルマパーラ王は、西暦800年頃、密教の中心になったヴィクラマシラー寺を建立しました。

やがて10世紀以降、イスラム教がインドに入って来て、

悪貨が良貨を駆逐するように仏教はインドで衰退し、
大体12世紀頃に仏教は壊滅的な打撃を受け、
1203年にヴィクラマシラー寺がイスラム教徒に破壊されて滅亡したといわれます。

この時、ほとんどの僧侶は殺され、あとはネパールやチベットに逃げました。
ですが、インドに僧侶がまったくいなくなったわけではありません。
ナーランダーに住んでいた僧侶は70人くらいに仏教を説いていたと伝えられていますし、その他にも細々とは続いていたようです。

仏教が衰退した後のインド

インドの仏教が衰退してしまったことは、インドの人々にとっても大いに不幸なことでした。
その後のインドは、お釈迦さまがお亡くなりになる時、
涅槃経』にこう説かれた通りになっていきます。

一切外学の九十五種は、皆悪道に趣く。
(漢文:一切外學九十五種 皆趣惡道)

一切外学の九十五種」とは、仏教以外の宗教のことです。
これを仏教では「外道」といいます。
皆悪道に趣く」とは、人々を苦しみの世界に落とす

ということですから、お釈迦さまは、
仏教以外のすべての宗教は、人々を苦しみの世界へ落とすと
説かれていた
のです。

実際、お釈迦さまの遺言通り、仏教がなくなり、

ヒンドゥー教やイスラム教ばかりになってしまったインドは、
外国に征服されるようになっていきます。

19世紀には、キリスト教のヨーロッパから侵略され、
イギリスの植民地とされて搾取され、進歩発展が妨げられてしまいました。

現在では世界の三大宗教の一つに数えられる仏教。
インドでもバラモン教をしのぎ、あれほど栄えた仏教がなぜ衰退してしまったのでしょうか?

この衰退の経緯を考えると、一見、イスラム教徒が侵入して、寺院を破壊したことに大きな原因があるように見えます。
ところがそれは、仏教では縁であって因ではありません。

仏教では、すべての結果には必ず因と縁があると教えられています。

一切法は因縁生なり。

一切法」というのは、すべてのもののことです。
すべてのものは「因縁生なり」というのは、因と縁がそろって生じるということです。
因だけでも結果は起きませんし、縁だけでも結果は起きません。
すべてのものは、因と縁がそろって初めて生じるのです。

ですから、インド仏教が衰退したという結果にも、因と縁があります。

では、因と縁とは何かというと、
」は自分の行い、
」は環境や他人の行いのことです。
ですから、インド仏教が衰退したのはイスラム教徒の攻撃によるというのは縁のことです。

縁だけでは結果は起きませんので、仏教徒側にも何か因があります。

縁だけを問題にすると、縁によって結果がすべて決まってしまい、自分にはなす術がないことになります。
それでは縁に縛られているようなものです。
仏教では自業自得なので、自分のたねまきを反省しなければ、どんな縁によっても崩れない継続した発展は望めません。

インド仏教が衰退した仏教徒自らのたねまきは何だったのでしょうか?
それには2つ考えられます。

1.国の保護を受け民衆の支持を失った

1つは国王の帰依を受けて、国の保護で大寺院を建立し、僧侶が生活していたことです。
僧侶は民衆に仏教を伝えなくても生きていけるため、僧院で高度な教えの研究に打ち込むようになります。
そして一般の人々にはそれほど仏教を伝えず、自分たちで難しい教えを論じ合うことに力を入れていたために、人々の支持を失ってしまったのです。

国家の支援だけで運営するようになると、国家の保護がある間は存続することができますが、国が滅ぼされると、それと共に滅びてしまいます。
やはり楽なことをしていると、それなりの報いを受けるのです。

では同じように国家の保護を受けていたヒンドゥー教は、なぜ滅びなかったのでしょうか。
ヒンドゥー教の場合はというと、それほど大きな寺院を持たず、民衆に浸透していたために、イスラム教徒が入って来ても、民衆を皆殺しにでもしない限り、壊滅させることができなかったのです。

このようなことからすると、人々の支持を失えば、いずれは滅びてしまうということです。

江戸時代の日本でも、徳川幕府の保護を受けて、寺が現在でいう戸籍などを発行する市役所のような役割を果たしていました。
そのため、新しい人に仏教を伝えて自分の寺に所属させることは禁止され、幕府の役人のようになってしまったので、人々の心が離れていきました。
しかも態度が偉そうだったため、人々の不満が募り、明治時代に入った時に廃仏毀釈はいぶつきしゃくの大弾圧で、仏教は大きなダメージを受けています。

また、現在の日本の仏教でも、仏教は非常に深いということで、大学で専門的な難しい研究をしているだけでは、人々の支持は得られないため、危険な状況にあります。

2.祈祷を取り入れて仏教の強みを失った

もちろん、民衆の支持を取りもどそうという努力がなかったわけではありません。
仏教の僧侶でも、危機感を持って何とかしようとしました。
それが、民衆に浸透しているヒンドゥー教で行っている儀式や祈祷を取り入れることです。
仏教では初めは人々の関心を引くつかみとして、方便として行い始めました。

ところが、お釈迦さまは、祈祷をしたり、
現世利益を祈ったりすることは説かれていません。

仏教の教えは、商売を繁盛させて、
お金を儲けるためのものでもなければ、
病気を治したり、縁結びや、子宝に恵まれるための教えでもありません。
色々な苦しみの根本原因を抜いて、
あるがままで、変わらない幸せになる
底知れず深い教え
です。

ところが、
儲かりますよ、病気が治りますよ
という単純で程度の低い教えのほうが、多くの人に分かりやすく、
悪貨が良貨を駆逐する
といわれるように、広まっていくのです。

しかし、それで苦しみがなくなるわけではありません。
病気が治っても一時的で、また次の病気になりますし、
やがてすべての人が死んでいきます。
また、健康でお金があるのに、
幸せではない人はたくさんあります。

その、次から次へとやってくる苦しみの根本を抜いて、変わらない幸せにするのが仏教です。

仏教は「仏の教え」と書くように、教えが命ですが、その教えを自ら変えて仏教独自の強みを失い、ヒンドゥー教とあまり変わらない状態になって、力を失ってしまったのです。

日本は仏教が花開く地

今回の記事では、インド仏教が衰退した理由について、
一般的には他宗教に攻められてインド仏教は衰退したと見られていますが、もし自分が仏法者であれば、そのような環境要因だけでなく、インド仏教の変化にも原因を求める必要があります。

上記では自分が仏法者であるとして、衰退の理由を2つ解説しました。

1つは、国の保護を受け民衆の支持を失ったこと、
もう1つは、祈祷を取り入れて仏教の強みを失ったことです。

特に2番目の理由は、現代の日本でも同じ現象が起きています。
仏教を教えるはずのお寺で、

お釈迦さまの説かれなかった葬式法事先祖供養ばかりが行われ、
祈祷や、おみくじなどの占いをするところもあります。
さまざまな迷信も横行しています。
一方、人類が到達した最も深い教えといわれる、本来の仏教の教えを聞くことができなくなって、独自の強みを失っています。
葬式なら葬式業者には負けますので、仏教は急速に衰退の一途をたどり、仏教は滅亡寸前の危機的な状況にあります。

現代では、中国も共産主義となって仏教は衰退し、
韓国でも、キリスト教ばかりになって仏教が衰退しています。
今日では、世界最大の仏教国となっているのが日本です。

昔から日本は、「大乗相応の地」といわれ、
まことの仏教が花開くにふさわしい土地である、
ともいわれています。

仏教には、苦しみの根本原因を知らせ、
それを断ち切って、どんな人でも未来永遠の幸せにする、
底知れない深い教えが説かれていますので、
日本人の私たちが、この尊い教えを学び、
未来へ伝えていきましょう。

その、どんな人も本当の幸せになれる仏教の教えは、
一言では述べられないので、メール講座と電子書籍で、
分かりやすく学べるようにまとめてあります。

 

この記事を書いた人

長南瑞生
 
 
 

長南瑞生

日本仏教学院 学院長

東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。

仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。


ヒンズー教

2023年07月08日 06時52分11秒 | 社会・文化・政治・経済

ヒンドゥー教(ヒンドゥーきょう、ヒンドゥーイズム、英: Hinduism、ヒンディー語: हिन्दू धर्म、サンスクリット語: सनातनधर्मः)、慣用表記でヒンズー教、ヒンヅー教、ヒンド教、ヒンドゥ教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教、またはインド的伝統を指す。西欧で作られた用語である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で10億人、その他の国の信者を合わせると約11億人以上とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。

語源と名称
「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する sindhu に対応するペルシア語。「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられ、西欧に伝わり、インドに逆輸入され定着した。同じ語がギリシアを経由して西欧に伝わって India となり、こちらもインドに逆輸入されて定着した。漢訳では「身毒」「印度」と表記され、唐代にインドへ旅した仏教僧玄奘による「印度」が定着している。インドが植民地化された時代にイギリス領インド帝国を支配した大英帝国側が、インド土着の民族宗教を包括的に示す名称として採用したことから、この呼称が広まった。そのため、英語のHinduは、まずイスラム教徒(ムスリム)との対比において用いられるのが現在では一般的で、イスラム教徒以外で小宗派を除いた、インドで5億人を超えるような多数派である、インド的な複数の有神教宗派の教徒の総称である。

同じくヒンドゥー教と訳される英語のHinduismは、最も広い意味・用法ではインドにあり、また、かつてあったもの一切が含まれていて、インドの歴史では先史文明のインダス文明まで遡るものであるが[1]、一般的には、アーリア民族のインド定住以後、現代まで連続するインド的伝統を指す。このうち仏教以前に存在した宗教をバラモン教(Brahmanism)、特にヴェーダ時代の宗教思想をヴェーダの宗教(Vedic Religion)と呼ぶこともあるが、これは西欧で作られた呼び名である。インド哲学研究者の川崎信定は、これらの用法は、日本の漢訳仏典の中の仏教・内道に対応する婆羅門教(ばらもんきょう)の用法に対応していると言える、と述べている。

ヒンドゥー教を狭い意味で用いる場合、仏教興隆以後発達して有力になったもので、とくに中世・近世以後の大衆宗教運動としてのシヴァ教徒、ヴィシュヌ教徒などの有神的民衆宗教を意識しての呼び方であることが多い。

日本では慣用表記ではヒンズー教、ヒンド教、一般的にはヒンドゥー教と呼ばれるが、時にインド教と呼ばれることもある[5]。中国、韓国でも「印度教」と呼ばれるが、現在のインドは世俗国家であり国教はなく、インド憲法では信教の自由が規定されておりインドでこのように呼ばれることはない。

信者

地域やカースト(後述)によって信仰形態が著しく異なる
一般のヒンドゥー教徒は、輪廻などの宗教観念を共有しながらも、長い歴史を経て生活に深く根付いた習慣や身分(カースト)に従って多様な生活を送っている。日々の礼拝・儀礼や年中行事や冠婚葬祭の習慣はカーストや土地や信仰する神によって著しく異なる場合が多い。カーストによる差別は1950年にインド憲法で禁止されているが、それでもまだ根強く残っている。
多数の言語を話す人々に信仰されている
ヒンドゥー教の聖典「ヴェーダ」は古代インドのヴェーダ語で書かれている。しかし現在のインド人はヴェーダ語から生じた古典サンスクリットではなく、各地の言語で生活しており、インドは多言語国家である。インド憲法で公式に認められた公用語は23言語、他に準公用語の英語がある。例えば世界遺産マハーバリプラムがあるタミル・ナードゥ州ではタミル語が使われ、隣のアーンドラ・プラデーシュ州(数多くの遺跡があるハイデラバードを州都とする)ではテルグ語が話されている。タミル語とテルグ語は言語も文字も違う。更にデリーの人はまた別の言葉ヒンディー語を話す。よってヒンドゥー教を「様々な言語を話す人々に信仰されている宗教である」ということも可能である。
アジア地域などにおける信仰の広がり
インドでは人口の81.4%を占める8億2760万人、ネパールでは人口の過半数、バングラデシュでは人口の14%、スリランカは15%がヒンドゥー教徒である。インドネシアのバリ島では人口の約9割がバリ・ヒンドゥーと呼ばれる独自の習合宗教を奉じ、マレーシア、シンガポールにも相当数の信者が住んでいる。パキスタンでは1.6%程度であり、キリスト教に並んで多い。さらに、インド洋のモーリシャスや南太平洋のフィジー、南米のガイアナのように、インド系移民と在外インド人が多い国でも信者が多い。世界全体での信者数を比較してみるとヒンドゥー教徒は仏教徒よりも多くなる。
特徴

狭い意味でのヒンドゥー教は、バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教である。紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入した。彼らは前1500年頃ヴェーダを成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。

紀元前5世紀頃に政治的な変化や仏教の隆盛があり、バラモン教は変貌を迫られた。その結果、バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行く(バラモン教もヒンドゥー教に含む考えもある)。ヒンドゥー教は紀元前5 - 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。その後、インドの民族宗教として民衆に信仰され続けてきた。

神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、四住期に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)や職業(ジャーティ)までを含んだカースト制等を特徴とする宗教である。

三神一体(トリムールティ)とよばれる近世の教義では、中心となる3大神、すなわち

ブラフマー:宇宙、世界に実存、実在の場を与える神
ヴィシュヌ:宇宙、世界の維持、平安を司る神
シヴァ:宇宙、世界を創造し、その寿命が尽きた時に破壊、破滅を司る神
は一体をなすとされている。 しかし現在では、ブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ神が二大神として並び称され、多くの信者がいる。ヴィシュヌ神を信仰する派をヴィシュヌ教、またシヴァ神を信仰する派をシヴァ教と呼ぶ。

ヒンドゥー教の神や祭祀は一部形を変えながらも、日本の仏教に影響を与えている。以下にヒンドゥー教の特徴を解説する。

ヒンドゥー教の範囲
インド国内の広義の定義においては、「ヒンドゥー教」にはキリスト教やイスラム教などインド以外の地域で発祥した特定宗教以外の全ての宗教が相当する。一例として、インドにおいて仏教はヒンドゥー教の一派とされる。インド憲法25条では、(ヒンドゥー教から分派したと考えられる)シク教、ジャイナ教、仏教を信仰する人も広義のヒンドゥーとして扱われている。

ヒンドゥー教には極めて様々な信仰、霊性や風習が包括され、かつ体系化されている。一方でキリスト教に見られるような教会制度や宗教的権威は存在せず、また預言者も居なければ纏まった形の共通の聖典も存在しない。よってヒンドゥー教徒は多神教、汎神論、一神教、不可知論、無神論、ヒューマニズムを自身の思想として自由に選ぶことができる。ヒンドゥー教の包含する信仰、思想、真理は広範で、そのため「ヒンドゥー教」に包括的な定義を与えることは困難である。これまでにも、1つの宗教である、1つの風習である、信仰の集合である、生活様式である、と言った具合に様々に定義されてきた。西洋の言葉上の観点からはヒンドゥー教は、例えばキリスト教等と同様に1つの宗教であるとされているが、インドでは「ダルマ」(dharma)という語が好まれる。この語はいわゆる「宗教」よりも意味が広い。特にヒンドゥー教の伝統主義者はサナータナ・ダルマ(Sanatana Dharma、永遠の、あるいは古代のダルマの意)という語を好む[17]。

インド、インドの文化、インドの宗教に関する研究、そしてヒンドゥー教の定義は、植民地主義の利益を目的とし、西洋の持つ「宗教」という概念の枠組みから行われてきた。1990年以降はこれら西洋のもたらした影響や、それによって生じた変化などがヒンドゥー教の研究者の間でも議題に挙がるようになり、それは西洋的視点に対する批判へと引き継がれている。

主要な神々
3大神はそれぞれ神妃をもち、夫婦共に多様な化身を有する。

ヴィシュヌ神
世界維持の神、慈愛の神、毘盧遮那、盧遮那。鳥神ガルーダに乗る。10大化身と呼ばれる多数の分身を有するが、それぞれの分身にはヴィシュヌ神としての自我は無く、それぞれの自我を持つ。例えば釈迦は釈迦であって釈迦ではなく、ヴィシュヌ神である。10大権現という概念の方が理解しやすい。
ラーマ
ヴィシュヌ神の化身。叙事詩『ラーマーヤナ』で大活躍する。
クリシュナ
ヴィシュヌ神の化身。叙事詩『マハーバーラタ』の英雄、民間に人気のある神。
釈迦
仏教の開祖である釈迦牟尼はヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の9番目の化身とされている。
ラクシュミー
ヴィシュヌ神の神妃、富と幸運の女神。北伝仏教では吉祥天。
シヴァ神
創造と破壊の神、乗り物は牡牛のナンディン、虎の皮をまとい首にコブラを巻く。しばしば結跏趺坐して瞑想する姿で描かれる。北伝仏教では大自在天(降三世明王に降伏され仏教に改宗したとされる)。
マハーカーラ
シヴァ神の化身。チベット仏教など仏教においても信仰される。北伝仏教では大黒天。
パールヴァティー
シヴァ神の神妃、ヒマラヤ神の娘。穏やかで心優しい。
ドゥルガー
パールヴァティーの化身の一つで美しい戦いの女神。虎に騎乗して水牛に化けた悪魔を倒す美しい神像が有名。
カーリー
パールヴァティーの化身の一つで荒々しい殺戮の神。しばしば多くの生首を首、腰に巻き付け殺戮に狂う荒神の像で現される。コルカタ(カルカッタ)の地名はカーリーから来ている。
ブラフマー神
形而上および現実に存在する全てに対して実存する為の縁起を与える神。神であれ、人であれ、実存しているのならばブラフマーの働きに依存している。神学的哲学の根元。擬人化され水鳥ハンサに乗った老人の姿で表される。北伝仏教では梵天。新義真言宗では大日如来。釈迦もしばしば言及したとされる。
サラスワティー
ブラフマー神の神妃、北伝仏教では弁才天。
3大神は、信者個人の信仰においては並立しているわけではない。たとえば「シヴァ神」を最高神と崇める人にとって、「ヴィシュヌ神」は劣位ではあるが敬うべき神である。また神話の中で3大神の化身と共に活躍する神や、3大神の子神も信仰されている。

ガネーシャ
シヴァ神の子供で象の頭を持つ神、鼠に乗る。富と繁栄、智恵と学問を司る。北伝仏教では歓喜天(聖天)。
ハヌマーン
外見が猿の神、叙事詩『ラーマーヤナ』でラーマ王子を助けて活躍する。身体の大きさを自由に変えられる。孫悟空の元になったと考えられる。
インドラ
雷神、天空神。『リグ・ヴェーダ』の中心的な神で、古くバラモン教の時代には盛んに信仰された。北伝仏教では帝釈天。
カーマ
恋愛、性愛、和合を司る神。
インドの国立博物館にヒンドゥー教の神々の多様な神像が収蔵・展示されている。

四住期
四住期(アーシュラマ)とはヒンドゥー教独特の概念で、最終目標の解脱に向かって人生を4つの住期に分け、それぞれの段階ごとに異なる目標と義務を設定したもの。なお四住期は、上位ヴァルナのバラモン、クシャトリア、ヴァイシャにのみ適用され、エーカージャ(一生族)であるシュードラ及び女性には適用されない。四住期について概略を示す。

受胎から入門式(8 - 12歳)までは四住期に入らず、この間は一人前の人間とは見なされない。
学生期 - 本来の意味は、特定の師匠(グル)に弟子入りして聖典ヴェーダを学習する時期であったが、クシャトリアは武人としての技能の鍛錬や行政統治の実務の勉強も行い、ヴァイシャも世襲の職業に関する勉強も行った。現在では就学期間に相当。
家住期 - 学生期を終えると家業に務め結婚して家族を養う家住期に入る。男子をもうけて先祖の祭祀を絶やさないことが重要視される。このためインドでは中国のような一人っ子政策は受け入れられにくい。『カーマ・スートラ』は家住期を充実させるための経典である。家住期において家長は家業を繁栄させて大いに儲け、その金を喜捨することも重要と考えられている。
林住期 - 家住期を終えると解脱に向けた人生段階に入る。孫の誕生を見届けた家長は家を離れて荒野や林に住み、質素で禁欲的な生活を営む。
遊行期 - 林住期を終えると住まいを捨てて遍歴行者となって放浪し、解脱を目指す。
過去においても現在でも、全てのヒンドゥー教徒が四住期を全うするわけではない。ちなみに仏教の開祖釈迦も当時のバラモン教の教えに従い、四住期に則った人生を送っている。即ち男子をもうけた後、29歳で釈迦族の王族の地位を捨て林間で修行をし、その後悟りを開いて布教の旅に出ている。

業と輪廻
詳細は「輪廻#ヒンドゥー教における輪廻」を参照
業(カルマ)
業はサンスクリットで 本来は行為の意味。因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、死によっても失われず、輪廻に伴って、代々伝えられると考えられた。『ウパニシャッド』にもその思想は現れ、輪廻思想・業感縁起の基礎となる。宿業思想に発展し、一種の運命論となった。中国、日本の思想にも影響を与えている。
業はインドにおいて、古い時代から重要視された。ヴェーダ時代からウパニシャッド時代にかけて輪廻思想と結びついて展開し、紀元前10世紀から4世紀位までの間にしだいに固定化してきた。
輪廻(サンサーラ)
ヒンドゥー教では、輪廻を教義の根幹とし、信心と業(カルマ、karman)によって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする。具体的には、カースト(ヴァルナ)の位階が定まるなどである。生き物は、行為を超越する段階に達しないかぎり、永遠に生まれ変わり、来世は前世の業(行為)によって決定される。これが、因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されて一部のインド人の死生観・世界観を形成してきた。
カースト
詳細は「カースト」を参照
身分(ヴァルナ)と職業(ジャーティ)
ヒンドゥー教の特徴のなかで、カースト制度の存在が大きい。カーストは歴史的に基本的な分類(ヴァルナ)が4つ成立し、その下に職業を世襲するジャーティ(生まれ・出生)と呼ばれる社会集団が形成されて、例えば「牛飼い」や「大工」や「床屋」などの職業が世襲されてきた。結果としてインドには非常に多くのカーストが存在する。カーストは親から受け継がれるだけで、生まれた後にカーストを変えることはできない。ただし、現在の人生の結果によって次の生などの生で高いカーストに上がることができるという。現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きるべきだとされる。

基本的な4つのカースト(ヴァルナ)とカースト外の身分には、以下のものがある。

ブラフミン(サンスクリットでブラーフマナ、音写して婆羅門・バラモン)
神聖な職についたり、儀式を行うことができる。バラモンというのは「ブラフマン(梵)を有するもの」の意味で自然界を支配する能力を持つものとされている。「司祭」とも翻訳される。本来のバラモン層は下層集団が持たぬ知識、認識及び、その発見方法としての母(汎)知識-例えば数学-の存在を発見し、蓄積、独占した集団である。
クシャトリア(クシャトリヤ)
王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」「戦士」とも翻訳される。釈迦がこの階層に生まれた。
ヴァイシャ
商業、農業、牧畜、工業及び製造業などの職業につくことができる。のちには主として「商人」を指すようになった。
シュードラ(スードラ)
古代では、一般的に人が忌避する職業のみにしか就くことしか出来なかったが、時代の変遷とともに、中世頃には、ヴァイシャおよびシュードラの両ヴァルナと職業の関係に変化が生じ、ヴァイシャは商売を、シュードラは農牧業や手工業など生産に従事する広汎な「大衆」を指すようになった。「労働者」とも翻訳される。
ヴァルナをもたない人びと
ヴァルナに属さない人びと(アウト・カースト)もおりアチュートという。「不可触民(アンタッチャブル)」とも翻訳される。不可触賎民は「指定カースト」ともいわれる。1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。彼ら自身は、自分たちのことを「ダリット(Dalit)」と呼ぶ。ダリットとは壊された民 (Broken People) という意味で、近年、ダリットの人権を求める動きが顕著となっている。カーストによる差別は1950年に憲法で禁止されている。
改宗
他宗教から改宗してヒンドゥー教徒になることは可能である。しかし、そこにはカースト制がある。カーストは親から受け継がれ、カーストを変えることが出来ない。カーストは職業や身分を定める。他の宗教から改宗した場合は最下位のカーストであるシュードラにしか入ることができない。生まれ変わりがその基本的な考えとして強くあり、次の生まれ変わりで上のカーストに生まれるしか方法はないと経典には記されているのが特徴である。そのため改宗による移動を行えないという点がある。

ヒンドゥー教からイスラム教や仏教へと改宗する場合は、下位のカーストの者が差別から抜け出すためであることが多い。しかし、皮肉にもイスラム教徒や、パキスタン人の間にも若干のカースト意識は有ると言われている。カーストはヒンドゥーに限らず、イスラム教徒や仏教徒なども含めた全インド文化に共通する意識であるとも言える。

河川崇拝
詳細は「ガンジス崇拝」を参照

ワニに乗る女神ガンガー
ヒンドゥー教では河川崇拝が顕著であり、水を使った沐浴の儀式が重要視されている。特にガンジス川(ガンガー)は川の水そのものがシヴァ神の身体を伝って流れ出て来た聖水とされ、川自体も女神ガンガーであるため「母なる川ガンジス」として河川崇拝の中心となっている。ガンジス川添いには沐浴場(ガート)が設けられた聖地が点在する。ヒンドゥー教徒は、沐浴場に設けられた石の階段を下りて川の水に頭までつかって罪を清め、あるいは水を飲む。

菜食主義
詳細は「インドの菜食主義」を参照
ヒンドゥー教は不殺生を旨とし、そのため肉食を忌避するので菜食主義の人が多い。しかし、身分やしきたりによってその度合いが異なる。一般的な菜食は植物に加えて鶏卵も可とする人と、鶏卵を不可とする人がいる。また上位カースト階級には、収穫の際に地中の生物を殺す惧れのあるタマネギなどの根菜類を不可とする人もいる。いずれの場合も牛乳および乳製品は良く食べられる。ところが宗派によっては祭りに際し犠牲獣を供することがある。その際、宗教儀式にしたがって神に捧げられたヤギなどの犠牲獣の肉を「お下がり」として食べる場合もある。しかし、どのような場合においても牛、特に瘤牛は神話にも出てくる聖獣で絶対に食べない。一方、同じ牛でも水牛は次々と姿を変える悪魔マヒシャの化身の一つであることから、コブ牛との扱いには差があり、家畜として使役され、その肉は輸出品にされている。

聖牛崇拝

牛の各部分が特定の神格を具体化しているというヒンズー教の教えを示した図、ラヴィ・ヴァルマ作「84柱の神格を持つ牛」。牛の保護を訴えるパンフレットの一部より
ヒンドゥー社会において牛は崇拝の対象となっている。ヒンドゥー教徒でインド思想研究者のベンガル人クシティモハン・センは、民衆ヒンドゥー教における牛の神聖視の起源は、全くわからないと述べている。神話にも牛が度々登場し、たとえばシヴァ神の乗り物はナンディンという牡牛である。実社会でも牡牛は移動、運搬、農耕に用いられ、牝牛は牛乳を供し、乾燥させた牛糞は貴重な燃料(牛糞ケーキ)となる。ただし聖別されているのは主として瘤牛であり、水牛は崇拝の対象とはならない。

ヒンドゥー神学では、牛の神聖性は輪廻と結びついている。ヒンドゥー教の輪廻の考え方は上下87段の階梯構造となっているが、最上段の人間に輪廻する1つ前の段階が牛であり、牛を殺した者は輪廻の階梯の最下段からやり直さなくてはならなくなると言われる。また、ヒンドゥー神学者は牛には3億3千万の神々が宿るとし、牛に仕え、牛に祈ることはその後21世代に渡ってニルヴァーナをもたらすという。

民衆の牛への崇拝はインド大反乱のきっかけとなったとも言われ、マハトマ・ガンディーが牛への帰依心を言及したことも、彼が民衆から聖人のような名声を得る理由の一つとなっている。

ヨーガ

庭園に坐すヨーギー
ヒンドゥー教の修行としてヨーガが挙げられる。ヨーガは『心身の鍛錬によって肉体を制御し、精神を統一して人生究極の目的である「解脱」に至ろうとする伝統的宗教的行法のひとつである』[29]。ヨーガはヒンドゥー教の専有物ではなく、インドの諸宗教で実践されており、仏教に取り入れられたヨーガの行法は中国・日本の禅宗などの修行法にもつながっている。

ヴェーダの権威を受け入れ、ブラーフマナ(バラモン、司祭)階級の社会的階層の優位を容認する諸学派は「正統バラモン教」と認められ、その6系統のうちヨーガ学派は、心身を鍛錬しヨーガの修行で精神統一を図ることで、解脱に達することを説いた。正統バラモン教の各学派も、その学派の教学を学ぶことと並行して、ヨーガの修行を行っている。ヨーガ学派に代表される古典ヨーガの沈思瞑想による修行法は、4-5世紀頃に編纂されたといわれるヨーガ学派の教典である『ヨーガ・スートラ』にも書かれている。

また身体を鍛錬するヨーガは、13世紀に始まる「ハタ・ヨーガ」と呼ばれる流派がある。「現代ヨーガの父」と呼ばれるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(英語版)(1888年 - 1989年)らによって、体操などの西洋身体文化をもとに作られたヨーガも、伝統的なハタ・ヨーガに倣って「ハタ・ヨーガ」と呼ばれるが、古典ヨーガとも元来のハタ・ヨーガとも関係は薄いという。現在日本で行われている「ヨーガ教室」等の多くはこの流派に入る。

グル信仰
ヒンドゥー教で重要な位置を占めているのが、グル(サンスクリット語で「重いもの」「闇から光へ導くもの」「木星」「導師」という意味)である。グルはヨーガの修行を成就するにあたって、必要不可欠なものとされ、尊敬と崇拝を集めている。

女性
『マヌ法典』では、女性はどのヴァルナ(身分)であっても、入門式(ウパナヤナ)を受けてヴェーダを学ぶ男子として「再生」するドヴィジャ(二度生まれる者、再生族)ではなく、入門式を受けられず一度生まれるだけのエーカージャ(一生族)とされていたシュードラ(隷民)と同等視され、女性は再生族である夫と食事を共にすることはなく、祭祀を主催したり、マントラを唱えることも禁止されていた。解脱を目指して修行するヨーガ行者も男性である。

少女、若い婦人、あるいは老女すらも、何事をも独立になすべきではない。たとい、家庭内においても。婦人は幼児期にはその父に、若いときはその夫に、夫が死亡したときには、その息子に従うべきである。婦人は独立性を得るべきではない。マントラ(真言)で浄化されて結婚する夫は、その妻に、妊娠に適する時期においても、適さない時期においても、現世においても、また来世においても常に幸福を与えるであろう。行状が悪く、あるいは放縦、あるいは美徳を欠いているとしても、貞節な妻は、夫を常に神のように尊敬すべきである。(『マヌの法典』)

ヒンドゥー教の解脱や浄性に関する価値観において女性の位置づけは低く、一般的に無知で不浄で社会的にも霊的にも劣っていると考えられてきた。とはいえ、女神信仰やシャクティ思想には女性性への強い崇拝が見られ、女性がいかなる信仰・思想でも例外なく劣位であったとも言い難い。『リグ・ヴェーダ』では家庭で妻が神事を司るよう説かれ、『マハーバーラタ』では妻が神を祭るのに適しているとされた。『ウパニシャッド』には、最も高度な討論で女性が主導権を握る例が複数あり、『マハーバーラタ』の王であり勇ましい女戦士チトラーンガダの物語など、ヒンドゥー教の聖典・古典が例外なく女性に対して抑圧的なわけではない。

中世に女性は家事に専念することが求められるようになり、社会的地位はかなり悪化した。これがイスラム教や中東地域の習慣の影響なのか、インドのヒンドゥー教社会内部の変化によるものなのか、明確にはわからない[37]。社会的地位にしろ、価値にしろ、近代インドにおいてヒンドゥー教とイスラム教の女性に差はなく、両者とも社会的にも経済的にも完全に男性に依存していた。

伝統的な価値観において、妻や母としての女性の役割はしばしば称賛されたが、個人としての女性の社会的地位は極めて低かった。夫との関係性以外に個性は全く認められず、夫の付属物として扱われ、従属を名誉として受け入れるよう教えられ、生まれ持った才能や望みを表現する手段はなかった。ホールカル家当主としてインドール藩王国を統治した女性アヒリヤー・バーイー・ホールカルなど政治の場で活躍した個性的な女性もいたが、例外であり、全体を変えることはなかった。上流階級の女性が屋外で働くことはタブーであり、北インドでは女性を隔離するパルダ制度の下で生活した。農村の女性にはパルダ制度はなく、男性と共に野良仕事をしていたため、上流階級の女性より相対的に自由で、男性に対する地位も高かった。

女性としての規範通りに生きれば、良き母良き娘として尊敬され、戦争や混乱の中でも、女性は乱暴されることもなく、丁重に扱われ、人混みの激しい場所に一人で出かけても危険はなかったという。

ヒンドゥー教の立法者達は妻の地位をかなり制限しており、一般的に女性の財産所有権は否定されていた。

後代の立法者達は、男性のみに高等教育を受ける権利を認めようとし、ほとんどの女性に教育を受ける権利はなかった。

19世紀に、イギリスの支配から脱しようと様々な社会運動が行われるようになると、西洋の平等や個人主義の理念の影響を受け、女性の地位改善も叫ばれるようになり、20世紀になると、急進的な民族運動の台頭でさらに運動は活発化した。インドが独立すると、インド憲法で男女の完全な平等が保証された。男女の不平等は多くの形で残されているが、両性の平等に向けた運動が続けられている。

結婚
幼児婚が全国的に見られ、7、8歳、時に3、4歳で結婚する女性もいた。結婚は全て家長が決定し、同じジャーティ(カースト)の内部で結婚する。少年少女の自由な交流は禁じられていた。近世インドは基本的に家父長制であり、家族を年長の男子が支配し、男系相続だった。ケーララ地域に例外的に母系制がみられた。

イギリスからの独立まで一夫多妻が許されていたが、裕福なもの以外は一夫一婦制が普通だった。一妻多夫は厳禁とされていた。

上流階級では、結婚には莫大な持参金(ダウリー)を持たせる習慣が広くあり、ラージプータナーやベンガル地域で特に行われていた。

高カーストの女性は再婚が許されなかった。一方、男性と共に野良仕事をする農村の女性は、多くが再婚の権利を持っていた。寡婦の生活は悲惨なもので、禁欲的で厳しい規則に縛られ、現世の幸福を全て捨て、亡き夫の家族や自分の兄弟の家族に滅私奉公することが求められた。夫が死亡した場合に、妻が夫の遺体と共に焼かれ殉死するサティーという儀礼があり、これはラージプータナー、ベンガル地方その他の北部インドを中心に行われていた。


リグ・ヴェーダには登場する神々の多くは、自然界の構成要素や諸現象、その背後にあると思われた神秘的な力を神格化したものである[45]。多数の神が登場するが、その中で重要なのは雷神インドラ(日本では帝釈天)、アグニ(火の神)、ヴァルナであった。現在では前述のヴィシュヌ神等に押されて影が薄い。

『リグ・ヴェーダ』に登場する神々は、各々が独立した個性を有しているわけではなく、属性や事績を共有することが多い。また狭義のヒンドゥー教で見られる人格神的な形態を取らず、神像や恒久的な寺院建造物の存在も確たる証拠は見つかっていない。バラモン教の祭祀は具体的な目的に対して行われ、バラモンが規定に則って空き地を清め、そこに目的に応じた特定の神を招き、供物や犠牲を祭壇の火炉に捧げる「供犠」が主体であった。

現在のヒンドゥー哲学の基本となる「因果応報」「霊魂不滅」「輪廻」などの諸観念の淵源は、ウパニシャッドが完成した頃まで遡ることができる[47]。ウパニシャッドは紀元前800 - 500年頃にガンジス川流域で作られたインド古代哲学の総称である。なおヴェーダに登場するヴィシュヴァカルマン神(造物や工巧の神)は、現在でも物造りの神様として、インドの各工場で祀られている。現在この神の祭りは毎年9月17日に行われている。

バラモン教からヒンドゥー教へ
バラモン教は、インドを支配するアーリア人の祭司階級バラモンによる祭儀を重要視する宗教を指す。紀元前5世紀頃に、バラモン教の祭儀重視に批判的な仏教とジャイナ教が成立した。

更にインド北西部は紀元前520年ころにはアケメネス朝ペルシア、前326年にはアレクサンドロス大王に支配された。その後仏教はアショーカ王(在位紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)の帰依などにより一時期バラモン教を凌ぐ隆盛を示した。この時期にヴェーダを基本とする宗教であるバラモン教は「支配者の宗教」からの変貌を迫られ、インド各地の先住民族の土着宗教を吸収・同化して形を変えながら民衆宗教へ変化していった。このため広義のヒンドゥー教にはバラモン教が含まれる。

ヒンドゥー教にはバラモン教の全てが含まれているが、ヒンドゥー教の成立に伴って、バラモン教では重要であったものがそうでなくなったり、その逆が起きたりなど大きく変化している。

紀元後4世紀頃、グプタ朝がガンジス川流域を支配した。グプタ朝はチャンドラグプタ2世(在位紀元385年 - 413年)に最盛期を迎えるが、この頃に今もヒンドゥー教徒に愛されている叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』がまとめられるなど、ヒンドゥー教の隆盛が始まった。

また東南アジアの「インド化」に伴い、5世紀頃から中国の史料にヒンドゥー教に関する記述が見られる。以降、島嶼部では古マタラム王国やマジャパヒト王国など、大陸部では扶南国などで栄えた。アンコール朝では12世紀前半まではヒンドゥー教のシヴァ派とヴィシュヌ派が立国の思想となっていた。

六派哲学
バラモン教は上記のように具体的な目的に対して神に「供犠」を捧げる、いわば「ギヴ・アンド・テイク」の宗教であったのに対し、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神のような至高の神への絶対的帰依(「バクティ」と呼ぶ)に基づく信仰態度が多くの大衆に受け入れられ始めた。この時期に六派哲学と呼ばれるインドの古典哲学が確立し、互いに論争を繰り広げた。インドの学問のおよそ全般は、輪廻からの解脱を究極の目的とし、宗教的色彩が濃く、固有の思想体系を伝える哲学学派も、宗教の宗派とほとんど区別することができない。

ヴァイシェーシカ学派 - 多数の実在を認め、物質を無数の原子からなるものと規定した。
ニヤーヤ学派 - 実在を認めつつ、主宰神「シヴァ神」の証明を試みた。
サーンキヤ学派 - 世界は精神と物質から成るとした二元論を展開した。純粋精神が物質から離れた時に「解脱」が達成されるとし、最高神の存在を認めない。
ヨーガ学派 - 教説のかなりの部分をサーンキヤ学派と共有するが、最高神の存在を信じる。「解脱」の手段としてのヨーガの行法を発達させた。
ミーマーンサー学派 - ヴェーダの「供犠」を受け継ぎ、正しい祭祀が(神を通さず)直接果報をもたらすものとした。
ヴェーダーンタ学派 - 根本聖典『ブラフマ・スートラ』に則り梵我一如を追求した。この学派がその後のヒンドゥー教の正統派の地位を継続している。
「インド哲学#比較」も参照
不二一元論とバクティ
ヴェーダーンタ学派の思想の中で最も有名なものに不二一元論がある。これは、精神的実在であるブラフマン(梵)またはアートマン(我)以外に実在する物は無い、言い換えれば「今目の前にある世界は幻影に過ぎない」という思想。この思想を突き詰めてゆくと、シャンカラ(700年 - 750年頃)の説くように「ブラフマンは人格や属性を持たないもの」となり、無神論的一元論に達する。この教義は現在でもヒンドゥー教の正統派としてインドの5箇所の僧院で代々「シャンカラ・アーチャーリヤ」の名を継承する学匠によって不二一元論の法灯が維持され続けている。シャンカラ後の不二一元論は、11世紀の神学者ラーマーヌジャによる被制限者不二一元論、13世紀の神学者マドヴァ(英語版)の二元論へと発展していった。現代インドのパンディット(伝統的スタイルのバラモン学者)の大部分はヴェーダーンタ学徒で、その八割以上はシャンカラ派に属していると言われる。ヴェーダーンタ哲学がその2000年以上の歴史において、インドの宗教、文化、社会、政治等に及ぼした影響は非常に大きい。

5世紀〜10世紀の南インドでは「至高の神への絶対的帰依」「自己犠牲をいとわない神への奉仕」を信仰の柱とするバクティと呼ばれる信仰形態が顕在化し始めた。このバクティに関して、12世紀から13世紀にかけてヴェーダーンタ学派の学匠達によって「ヴィシュヌ神」を崇拝する信仰が理論化された。バクティーは一般庶民の信仰形態として現在まで広く行われている。不二一元論とバクティは正反対とも言える形態だが、現在のヒンドゥー教の中では問題なく同居している。

その後のヒンドゥー教

カジュラーホーのヴィシュヴァナータ寺院(1002年頃)シヴァ神を祀る。寺院の壁面には多数の彫刻が浮き彫りされている
その後北インドではイスラム教徒の征服王朝が交代する時代に入る。タージ・マハルなど北インドの著名な文化財はイスラム教様式である。しかし庶民や南インドの王朝はヒンドゥー教を信奉した。ヒンドゥー教では ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが3大神とされた。各神は多様な側面を持ち、その性格は一様ではない。その中でヴィシュヌやシヴァは民間宗教の神を取り込んでゆき、多様な神話を通じて多くの信徒を有している。ヒンドゥー教の複雑さ・分かりにくさの一例として、たくさんの神々を崇める多神教としての姿、シヴァまたはヴィシュヌを至高の神とする一神教的な姿、教理を哲学的に極めた不二一元論のような無神教としての姿のすべてを内在している点が挙げられる。

インドがイギリスの植民地となって久しい19世紀に、ベンガル州を中心に知的エリート層によってキリスト教とヒンドゥー教の知的交流が盛んになり、西欧的な合理主義に基づいて、インドの近代化とヒンドゥー教の復興・改革を目指すヒンドゥー教改革運動(英語版)が起こった。インドの歴史的個性・古典・文化のすばらしさが説かれ、ヒンドゥー教の近代的解釈を行って信仰態度を確立し、植民地時代のインド(英語版)で民衆に自信と勇気を与え、「インド」を認識し、ナショナリズムを盛り上げた。こうした現代ヒンドゥー教の改革運動を担った人々は、多くが上部カースト出身のインド人だったが、神智学協会のアニー・ベサントのような外国人もいた。

のちに「ヒンドゥー・ルネサンス」「ベンガル・ルネッサンス(英語版)」と呼ばれる改革の創始者は、「近代インドの父」とも呼ばれるラーム・モーハン・ローイである[53]。バラモン階級出身でウパニシャッドの影響を受けていたローイは、ユニテリアン主義の影響も受け、神は超越的な存在であり聖像などで表現し得ないものと信じ、宗教は合理的で倫理的な体系であるべきであり、道徳法は理性によって理解されるべきと考えた。ローイの兄の妻はサティー(寡婦殉死)で死亡しており、彼はこれに大きなショックを受けたと言われ、サティーや幼児婚といったヒンドゥー教の慣習を非道徳な儀式として非難し、1829年のサティー禁止法の発布に影響を与えた。また、聖像礼拝やカルマ、輪廻といった概念を迷信として、キリスト教の改革運動をモデルとしたブラフモ・サマージ(ブラフモ協会)という宗教団体を設立した。

ローイは訪英中に客死してしまうが、その仕事はデヴェンドラナート・タゴール(英語版)やケーシャブ・チャンドラ・セーン(英語版)に引き継がれた。プラーナやタントラを否定するブラフモ・サマージの思想は知識層の関心を集めたが、大衆レベルではまったく人気が無かった。

1875年にローイの影響を受けたダヤーナンダ・サラスワティー(英語版)は、ブラフモ・サマージに内在する民族主義を発展させたアーリヤ・サマージ(アーリヤ協会)を発足させた。アーリヤ・サマージはヒンドゥー教を純粋なヴェーダの形態に戻すべきと主張し、ヴェーダ文化を振興させる活動を通じてインドの国民意識を喚起した。アーリヤ・サマージは教育面での貢献が大きく、インドの初代首相ジャワハルラール・ネルーは、「抑圧された階級の地位をあげ、女子の状態を改良し、少年、少女の教育のためにアーリヤ・サマージは多くの仕事をした」と評価している[57]。

また、ロシア人オカルティストのヘレナ・P・ブラヴァツキーらによる神智学協会は、本拠地をアメリカからインドに移し、ヒンドゥー教や仏教思想を取り入れて、転生(輪廻)やカルマ(業)を強調した神秘思想を説いた。インドには聖者とされた人々が数多あるが、その内にはブラヴァッツキーに始まる近代神智学(接神論)の者もおり、彼らは外国人ながらインド独立運動に関わり、2代目会長のアニー・ベサントは国民会議の年次大会議長になる等、インド・ナショナリズムの運動に大きな影響を及ぼした。なお、ヴィヴェーカーナンダは、神智学協会を疑似ヒンドゥー教であるとしており、真面目な宗教運動であったか疑問視する声もある[60]。

一方で、バクティ運動の直接の影響を受け、ローイらのように西洋式教育を受けていない田舎のバラモンであったラーマクリシュナは、聖典に興味を持つこともなく、純粋なバクティを説き、複雑な神学体系なしに、知性ではなく純粋な信仰を捧げることで神に近づこうとした。彼の信仰はカーリー女神へのバクティを中核とし、タントラ的な性格を持つが、イスラム神秘主義やキリスト教の修行も実践して様々な神を見たとされ、易々と神秘体験に入り得ることで注目を集め、『世界の全ての宗教は神に至る道』と説いた。その神秘体験と、子供のような特異な人格で多くの人を魅了し、彼の影響下でブラフモ・サマージの流れとも異なるヒンドゥー教改革運動が生じた。弟子のヴィヴェーカーナンダは、ヒンドゥー教は普遍宗教であると主張して、各々の宗教の寛容を強調し、神性の本質は各個人の内にあり、ヒンドゥー教の実践を通じて理解できると主張し、宗教統一理論をもとにヒンドゥー教を再構築した。ヴィヴェーカーナンダは、1893年にシカゴで開かれた万国宗教会議(英語版)に参加してヒンドゥー教を世界宗教のひとつとして認めさせることに貢献し、1895年にはラーマクリシュナ僧院とラーマクリシュナ・ミッションを創設し、世界にアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)を根幹とするネオ・ヴェーダーンタ(英語版)を布教し、インド内で社会奉仕活動を行った。

教典

リグ・ヴェーダは最古の、そして最も重要なヴェーダであり[64]、世界的に見ても最も古い聖典の一つとされている。

マハーバーラタの登場人物、クリシュナ
詳細は「ヴェーダ」、「マハーバーラタ」、「バガヴァッド・ギーター」、「ラーマーヤナ」、および「プラーナ文献」を参照
古代のヒンドゥー教の聖典はサンスクリット語で書かれている。そしてこれらはシュルティ(英語版)(天啓)とスムリティ(英語版)(聖伝)の2種類に大別される。ヒンドゥー教の聖典は何世紀にもわたり口承にて編纂され、記憶され、そして世代を超えて伝承され、後に文字に起こされた。何世紀にもわたりリシ(聖仙)たちは教義を磨き上げ、それをシュルティとスムリティに展開した。さらにはヒンドゥー哲学の6学派は認識論、形而上の理論をシャーストラと呼ばれる書物にまとめた。

シュルティ(聞かれた物の意)は通常ヴェーダのことを指す。ヴェーダはヒンドゥー教の聖典の中でも最も早い時期に記録されたもので、古代のリシ(聖仙)たちに明かされた永遠の真実が記されていると考えられている。ヴェーダには『リグ・ヴェーダ』『サーマ・ヴェーダ』『ヤジュル・ヴェーダ』『アタルヴァ・ヴェーダ』の4つが存在し、それぞれのヴェーダはさらにサンヒター(賛歌、祈り)、アーラニヤカ(儀式、祭祀について)、ブラーフマナ(儀式、祭祀の解釈)、ウパニシャッド(瞑想、哲学について)の4つの部門に分けられる。最初の2つ(サンヒター、アーラニヤカ)はカルマカーンダ(Karmakāṇḍa、施祭部門)とよばれ、残りの2つがジュニャーナカーンダ(Jñānakāṇḍa、哲学的、宗教的思索部門)と呼ばれる。

ウパニシャッドはヒンドゥー哲学の基礎であり、シュルティの中でも特に優れた聖書であるとされ、その基本理念は後の時代のヒンドゥー教哲学や信仰にも継続的に影響を与え続けている。サルヴパッリー・ラーダークリシュナンは、ウパニシャッドは歴史に登場して以来ずっと支配的な役割を果たしていると語っている[80]。ヒンドゥー教には108のムクティカー・ウパニシャッド(英語版)が存在し、学者よって幅があるがそのうちの10から13は特に重要なものとしてムキャ・ウパニシャッド(英語版)と呼ばれる。

最も重要なスムリティ(記憶されたものの意)はヒンドゥー叙事詩とプラーナ文献である。具体的には『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』がヒンドゥー叙事詩であり、『マハーバーラタ』にその一部として含まれている『バガヴァッド・ギーター』は最も一般的なヒンドゥー教の聖典の一つであり[83]、ヒンドゥー教徒の信仰生活を実質的に規定してきた。『バガヴァッド・ギーター』(「神の歌」の意)は時にウパニシャッドとみなされギートパニシャッド(Gitopanishad)と呼ばれる。そのためシュルティに数えられることもある。また『ラーマーヤナ』はラーム・リーラー(英語版)、『マハーバーラタ』はラース・リーラー(英語版)という名で歌舞劇にされており、各地で祝祭に合わせて上演される伝統がある。一方のプラーナ文献はおよそ西暦300年あたりから編纂され始め[87]、広範な神話を含む。これらはヒンドゥー教の共通のテーマを、生き生きとした物語を通して人々に伝えるという役割を担い、布教の中心となっている。またヨーガについて記された古典『ヨーガ・スートラ』は20世紀になって再評価されている。

19世紀のヒンドゥー教現代主義者らはヒンドゥー教のアーリア人起原の要素を再評価し、タントリズム(密教)の影響を受けたヒンドゥー教を純化しようという試みのなかで埋もれていたヴェーダの要素を強調した。たとえばヴィヴェーカーナンダは、たとえそれが古代のリシ(聖仙)たちに明かされたものでないにしても、ヴェーダは精神世界の法律であるという立場をとった。タントリズムでは「アーガマ (ヒンドゥー教)(英語版)」という語が彼らにとって権威のある聖典全体を指す言葉であり、また同時にシヴァがシャクティに語った教えを意味する。一方で「ニガマ」(Nigama)という語はヴェーダを意味し、同時にシャクティがシヴァに語った教えを意味する。アーガマ派(聖典シヴァ派)ではアーガマをヴェーダと同等なものとして同様に重視している。

聖地

ワーラーナシーにおける沐浴
ガンジス川添いには沐浴場(ガート)が設けられた聖地がある(以下は上流側から順に記載)。

ガンゴートリー
バドリーナート
リシケーシュ(リシケシ、リシュケシュ) - 沐浴場のほかヨガの道場(アーシュラム)も多く存在し、ビートルズのメンバーも一時滞在した。
ハリドワール(ハルドワール)
アラーハーバード
ワーラーナシー(バラナシ、バナーラス、ベナレス) - 北インド中央、ガンジス川左岸に位置するガンジス川最大の沐浴場。
4大巡礼地

プリー - インド東部、ベンガル湾沿いに位置するヴィシュヌ神の町。ジャガンナート寺院がある。
バドリーナート・ケーダールナート - 北インドにある。
ドワールカー(ドワーラカー) - インド西部にある。
ラーメーシュワラム - 南インドにある。
他には、神話の舞台や由緒ある寺などが聖地とされている。

アヨーディヤー - 『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の故郷。
ヤムノートリー
マトゥラー - ヴィシュヌ神の化身クリシュナの生誕地。
カーンチープラム - インド南部の聖地、7世紀頃から栄えたため、古い寺院が多く残っている。
ウッジャイン
遺跡
プランバナン寺院群 - インドネシアのジャワ島にあり、世界文化遺産の一つ。プランバナン寺院には、かつて約240もの祠堂が建てられていたそう。その後、地震やムラピ山の噴火などでそのほとんどが崩壊。現在は、大小合わせて18の祠堂が修復、再建されている。中心にそびえ立つのはヒンドゥー教の3大主神、ブラフマ(創造の神)、ヴィシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)の3つの祠堂。


アンコール遺跡 - カンボジアにあり、世界文化遺産の一つ。
ドゥルガー・プージャ、ドゥルガー女神とその子ども達の像は毎年新しく制作され、祭りが終わると川に流される。中央がドゥルガー神、向かって左端が象頭のガネーシャ神。

デリー近郊の民家のディワーリー祭の灯明、戸口に幸運の女神を呼び込む明かりが灯される。
ヒンドゥー教の祭りはウツァヴ(梵語: Utsava、「高く上げること」の意)と呼ばれ、個人と社会生活をダルマ(法)と結び付ける儀式とされている。年間に多くの祭りが開催され、日取りはヒンドゥー暦(太陰太陽暦)に従って定められる。これらは満月(ホーリー)か新月(ディワーリー)、または季節の変わり目を起点にして開催されるものが多くみられる。地域ごとに限定され彼らの伝統を祝う性質の祭りも存在するが、一方でホーリー祭や、ディワーリー祭は汎ヒンドゥー教的性格を持ち、国を越えたヒンドゥー教文化圏全土で祝われる。「色祭り」として知られるホーリー祭は、ヒンドゥー教の春の祭典。祭りの期間中、参加者たちは音楽に合わせて踊り、お互いに色粉を投げつけ合う。

ヒンドゥー教の祭りは通常宗教的なテーマや、例えばラクシャー・バンダンのような家族の絆を祝うといった側面を持っている[98][102]。同じ祭りでも宗派によって違うストーリーを背景に持っている場合もあり、また、地域ごとのテーマ、伝統農業や地域の伝統芸能、家族の集まりや、 プージャ (お祈り)、祝宴を取り込んでいる場合もある。




映画 ザリング2完全版

2023年07月08日 06時52分11秒 | 社会・文化・政治・経済

7月8日午前1時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。

子役の演技に感嘆する。

 
海を越えた“呪いのビデオ”の恐怖が再び…『リング』の中田秀夫監督が贈るハリウッド・リメイク版の続編

ザ・リング2』(The Ring Two)はアメリカ合衆国ホラー映画で、『ザ・リング』の続編作品。監督は中田秀夫。

全米公開は2005年3月18日日本での公開は同年6月18日

続編『The Ring 3D』も製作中であったが、名称を『ザ・リング/リバース』に変更し2016年10月28日全米公開されることとなった

大ヒットJホラー『リング』の中田秀夫監督が、同作のリメイク版の続編でメガホンを握ってハリウッドデビュー。

前作から半年後を舞台にした完全オリジナルストーリーで、親子愛を軸に新たな恐怖を描き出す。

呪いのビデオ”の謎を解明してから半年後。

 
商品情報
 
世界が震えた!リメイクを超える《ハリウッド完全オリジナル・ストーリー》
ママ助けて! その呪いを解くためには息子を・・・

●『リング』シリーズの集大成!驚異の認知度95%を誇り、劇場大ヒット!
●ハリウッド完全オリジナル・ストーリー《ディレクターズ・カット版》で登場!!
●『リング』の恐怖がパワーアップ!呪いを解くには愛する息子を殺さなければならない・・・!?
●『リング』シリーズ生みの親 中田秀夫監督ハリウッド・デビュー作
●“ホラーのヒロイン”=ナオミ・ワッツ主演!
●アカデミー賞常連のヒットメーカーが結集

公式ホームページ:http://www.thering2.jp/

あの恐怖から六ヵ月後−忌まわしい記憶から逃れるべく、シアトルから片田舎アストリアへと引越しをしたレイチェルとエイダン親子。平和な生活を送るはずが、エイダンの体に異変が起きる。息子に一体何が起きたのか?謎を追って再び旅に出るレイチェル。呪いを解くためには、愛する息子を殺さねばならない・・・?究極の選択を迫られたレイチェルが下した決断とは・・・?

新聞記者レイチェルは息子エイダンとオレゴン州の田舎町へ引っ越し、地元の新聞社に勤めながら静かに暮らしていた。そんなある日、高校生ジェイクの変死事件を聞きつけて現場に向かうと、遺体は恐怖のあまり顔が歪んでいた。

呪いのビデオによる事件と確信したレイチェルは、ジェイクの家からテープを回収し処分する。だが、テープに宿っていたサマラの霊がエイダンに憑依してしまう。

 

概要

前作『ザ・リング』は日本映画版『リング』のリメイク作品だったが、本作はあくまでアメリカ版映画の続編であり、日本のどの『リング』作品(原作小説および映画)とも異なる独自の展開になっている

監督は、前作のゴア・ヴァービンスキーに代わり、オリジナルを監督した中田秀夫が担当。

あらすじ

「ザ・リング」で描かれた事件から6か月後。

サマラの呪いの恐怖を体験したレイチェルは、サマラから逃れるためにシアトルから、片田舎アストリアへと息子のエイダンと共に引っ越して、小さな新聞社に就職していた。

ある日ラジオから、10代の男性が死亡しているのが発見されたとの情報が入り、現場へ向かった。

呪いのビデオをダビングし、“サマラ”の呪いから幼い息子エイダンを救ったシングルマザーのレイチェル。

半年後、レイチェルとエイダンはオレゴン州の田舎町で新生活を送っていた。

だが、女子高校生が怪死する事件が発生し、レイチェルは“サマラ”の呪いが終わっていないと知る。

自分やエイダンに迫る新たな危機を察知したレイチェルは、家族に殺されたという“サマラ”の過去を調べ、“サマラ”の母親エヴリンに接触するが……。

そこで遺体を確認し、顔が異様に歪んで死んでいるのを見たレイチェルは、サマラの呪いがまだ存在しているのを確信して、犠牲者の家にあったテープを焼却する。

その後、トイレでエイダンの前にサマラが現れたり、母子で鹿に襲われたりし、おかしくなったエイダンがレイチェルに「しゃべらないであの子が現れるから」と言ったりする。

低体温症になった我が子を救うため、サマラが養子だということからシアトルに戻り、養子相談所、島の家、聖マグダグレン女性の家で調べ、サマラの実母だというエヴリンに会いに精神病院に行く。

エイダンが「僕は眠らない」と言うので睡眠薬を飲ませ、水死状態に置くとサマラが出ていき、レイチェルはテレビの井戸の中に引き込まれる。

追われながらも井戸をよじ登り、蓋をしてサマラを閉じ込めることに成功する。

意識を取り戻したレイチェルは「すべて終わった」とエイダンを抱き締めた。

キャスト

役名 俳優  
レイチェル・ケラー ナオミ・ワッツ  
マックス・ローク サイモン・ベイカー  
エイダン・ケラー デヴィッド・ドーフマン  
サマラ・モーガン ダヴェイ・チェイス  
エヴリン シシー・スペイセク  
エミリー エミリー・ヴァンキャンプ  
エマ・テンプル エリザベス・パーキンス  
マーティン ゲイリー・コール  
イーブル・サマラ ケリー・ステイブルス  

スタッフ[編集]

脚注

  1. ^ The Ring Two (2005)”. Box Office Mojo2011年8月25日閲覧。
  2. ^ キネマ旬報2006年2月下旬号
  3. ^ IMDb『The Ring 3D』ページ
  4. ^ 同時期に全米公開された『ダーク・ウォーター』(同じ鈴木光司原作の日本映画『仄暗い水の底から』のアメリカ版リメイク)を意識した、「水」のトリックが使われている。

外部リンク


映画 ジョーカー

2023年07月08日 06時20分46秒 | 社会・文化・政治・経済

『ジョーカー』(原題:Joker)は、DCコミックス「バットマン」シリーズに登場するスーパーヴィランであるジョーカーをベースとした、2019年のアメリカのサイコスリラー映画。

映画『ジョーカー』ブルーレイ&DVDリリースの画像
映画『ジョーカー』ブルーレイ&DVDリリースの画像
 

監督はトッド・フィリップス、脚本はフィリップスとスコット・シルヴァーが務め、ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイらが出演した。R15+指定。

興行収入はR指定映画として初めて10億ドルを超えた。第76回ヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され金獅子賞を受賞、第92回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、脚色賞を含む最多11部門にノミネートされ、フェニックスが主演男優賞、ヒドゥル・グドナドッティルが作曲賞を受賞した。

本作は、「DCエクステンデッド・ユニバース」をはじめ、過去に製作された「バットマン」の映画・ドラマ・アニメーションのいずれとも世界観を共有しない、恐らくマルチバースの関係にある完全に独立した映画である。

ジョーカーの原点を描いた内容ではあるが、本作以前の映像作品に登場している、どのジョーカーの過去でもない。

公開時のキャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」。

ストーリー
舞台は1981年のゴッサム・シティ。大都市でありながらも、財政の崩壊により街には失業者や犯罪者があふれ、貧富の差は大きくなるばかり。

そんな荒廃した街に住む道化師、アーサー・フレックは、派遣ピエロとしてわずかな金を稼ぎながら、年老いた母親ペニーとつつましい生活を送っていた。

彼は緊張すると発作的に笑い出してしまう病気のため定期的にカウンセリングを受け、大量の精神安定剤を手放せない自身の現状に苦しんでいる。

しかしアーサーには一流のコメディアンになるという夢があった。

ネタを思いつけばノートに書き記し、尊敬する大物芸人マレー・フランクリンが司会を務めるトークショーが始まれば彼の横で脚光を浴びる自分の姿を夢想する。


心優しき道化師アーサー

ある日、アーサーはピエロ姿で店の看板を持ちながらセールの宣伝をしていると、不良の若者たちに看板を奪われる。若者を追いかけたアーサーは、待ち構えていた彼らに暴行を受ける。

後日、アーサーは派遣会社から看板を壊したことと、仕事を放棄したことを責められ、まともに話も聞いてもらえない。

アーサーを心から気にかけてくれるのは小人症の同僚ゲイリーだけだった。

またアーサーは同僚ランドルから護身用にと半ば強引に拳銃を受けとる。

アーサーの生活は酷く困窮しており、ペニーは30年ほど前に自分を雇っていた街の名士トーマス・ウェインへと救済を求める手紙を何度も送っていたが、一向に返事は届かない。不運が続くアーサーの心のよりどころは、同じアパートに住むシングルマザーのソフィー・デュモン。

アーサーはソフィーとは挨拶をする程度の関係だったが、アーサーは度々ソフィーの後をつけ、その姿を眺めていた。


初めての罪

ある日、アーサーは同僚のランドルから受け取った拳銃を小児病棟の慰問中に落としてしまい、上司からクビを宣告される。同僚ランドルが保身のために嘘を吐いたことも分かり、絶望したアーサーが地下鉄に乗っていると、1人の女性が酔っ払ったスーツの男3人に絡まれていた。

アーサーは見て見ぬふりをしようとするも発作が起きて笑いが止まらなくなり、気に障った3人から暴行を受けると、反射的に拳銃を取り出して全員を射殺してしまう。

混乱と焦燥感に襲われ駅から駆け出すアーサーだが、次第に言い知れぬ高揚感が己を満たしていった。

実は死んだ3人は、ウェイン証券に勤めるエリート社員だった。

社長として報道番組に出演したトーマスは、素顔を晒さず逃げた犯人を「ただのピエロだ」と罵った。

しかし、貧しい人々はこの事件を、貧困層から富裕層への復讐と捉え、犯人に共感していた。「ピエロ」発言を、貧困層そのものを嘲る言葉と解釈する人々。

トーマス自身は市の現状を憂い、改善に尽力する人物なのだが、大富豪ゆえに貧困層の恨みを買い、激しいバッシングが巻き起こった。

予算不足を理由にカウンセリングや薬の処方を打ち切られたアーサーは、意を決してかねてより視察していたクラブのステージに立つと、笑いの発作に悩まされながらも無事にやり遂げ、成果を上げることができた。

加えて、地下鉄殺人の犯人を支持する市民の様子にアーサーは気分を上げ、ソフィーと仲を深める。


ウェイン邸へ

そんな中、帰宅したアーサーがペニーの書いた手紙を盗み見ると、そこには自分がトーマスの息子であるように書かれていた。アーサーに問い詰められたペニーは手紙の内容を認め、トーマスの頼みで距離を取ったことを明かす。

真実を確かめるべくウェイン邸を訪ねたアーサーは、庭で遊んでいたトーマスの息子ブルースと出会う。

手品で気をひき柵越しに話をしていると執事のアルフレッドが駆け寄ってきたので、隠し子の件を匂わせトーマスに会おうとするが、ペニーの妄想だと突っぱねられる。

母を侮辱され逆上したアーサーは掴みかかるが、傍でこちらを見ているブルースに気付くと逃げるように帰宅する。


裏切り

アパート前はパトカーや救急車で騒然としており、中から出てきたのはストレッチャーに横たわり搬送されるペニーだった。アーサーは病院の前でギャリティ刑事とその相棒に話しかけられ、自分が地下鉄殺人の犯人だと目星をつけられていることを知る。

アーサーがソフィーと共に病院のベッドで眠る母に付き添っていると、病室のテレビでは憧れのマレーのトークショーが放送されており、何と先のクラブのステージでネタを披露するアーサーの姿が映し出される。

驚きつつも幸福感を抱くアーサーだったが、マレーは彼をジョーカーと呼び、ネタの拙さや立ち居振る舞いを馬鹿にして笑いをとっていた。

憧れの人物が自分を「笑いもの」にする光景に、テレビを見つめるアーサーの表情は険しくなっていく。

一方、街ではピエロの仮面を被った市民による抗議デモが頻発し、トーマスへも非難の声が上がっていた。


出生の秘密

翌日、トーマスがサイレント映画「モダンタイムズ」を鑑賞している劇場の前では、やはり抗議デモが起こっていた。アーサーは劇場へ侵入しボーイに変装すると、トイレでトーマスが1人になったところを見計らって隠し子の件を聞き出そうする。

しかしトーマスはアーサーが養子であり、ペニーとの肉体関係はなく、彼女は逮捕され州立病院に入院したこともあると告げる。

話を信じられないアーサーは激高し言葉をまくし立てるが、ペニーを「イカれた女」と呼ばれたことをきっかけに笑いの発作が起きてしまう。

トーマスはアーサーを殴ると、息子に近付けば殺すと警告してその場を去っていく。

失意のアーサーのもとに、マレーのトークショーのスタッフから電話がかかってくる。話を聞くと、アーサーの映像を流した回の反響が凄く、翌週の番組に出演して欲しいのだという。

自分を「笑いもの」にするつもりだと気付きつつも話を承諾したアーサーは、アーカム州立病院を訪れて事務員にペニーの過去のカルテを確認してもらっていた。

事務員はペニーに酷い妄想障害があり、自分の子供の健康を害したことで有罪になったことを読み上げると、カルテを渡すには本人の署名が必要だとアーサーに告げる。

アーサーはカルテを強奪して中身を読み進め、トーマスの話が真実であること、自分がペニーの恋人によって酷い虐待をされていたこと、虐待する恋人をペニーが止めなかった理由が「虐待されても笑っているから」だったことを知る。

全てに絶望したアーサーは大声でむせび泣き、笑い崩れた。


母親殺害

ずぶ濡れの姿でアパートへ帰りソフィーの部屋へと入るアーサーだが、出会ったソフィーはまるで初対面であるかのように怯えている。

アーサーはソフィーとの仲を深めることなどできておらず、これまで過ごした2人の日々は全てアーサーの妄想だったのだ。

自分の部屋に移り笑い続けるアーサーは、アパートに帰ってくる前の出来事を回想する。ペニーの病室に佇み、悲劇だと思っていた自分の人生が実は喜劇だと気付いたと語ると、アーサーはペニーの顔に枕を押し付け窒息死させていた。


元同僚惨殺

明くる日、アーサーは自宅でマレーとの会話を想定した一人芝居を演じることで、番組の最中に拳銃自殺するためのリハーサルを行う。

迎えた放送当日、自宅で髪を緑に染め上げピエロのメイクを施すアーサーの元に、元同僚のゲイリーとランドルが訪問してくる。ゲイリーはペニーの弔問が目的だったが、ランドルは先日、事務所で拳銃をアーサーに渡した経緯からアーサーが地下鉄殺人の犯人だと感づいており、拳銃の出所について証言の口裏を合わせるため来訪したのだ。

アーサーは隙をついてランドルの胸と目にハサミを突き刺し、頭を何度も壁に打ち付けるなどして惨殺する。

ゲイリーに番組「マレー・フランクリン・ショー」に出演することと、唯一優しく接してくれたことへの感謝を伝え、彼を無事に帰す。

ピエロのメイクを完成させたアーサーはアパートを出て踊りながら長い階段(後のジョーカー・ステアーズ)を下っていく。

そこへ声をかけて来るギャリティ刑事とその相棒。逃げるため地下鉄へ駆け込むアーサー。そこは偶然にもこれからデモに向かうピエロの仮面を被った市民で溢れかえっていた。

刑事たちは電車内で掴み合いになると無実の市民を誤射してピエロたちの暴行を受ける事態に陥り、アーサーを逃がしてしまう。

無事にスタジオに到着したアーサーは、控え室で対面したマレーに自分のメイクは昨今の情勢とは全くの無関係であることを告げ、「自分を本名ではなくジョーカーと紹介してほしい」と頼む。


生放送での殺害

間もなく生放送が始まった。出番になり登場したアーサーだが、口を開く度にマレーに茶々を入れられて拍子を外され、次第にリハーサルとは違う行動を取り始める。

流れで地下鉄での証券マン3人の殺人の犯人であることを告白すると、続いて社会の不条理を主張し始めた。マレーに全ての人間が最低なわけではないと反論されたアーサーは「僕を笑い者にしようとしてるマレーもあいつらと同じだ」と怒りを露わにする。

そして、涙の訴えも聞き入れられず退場を宣告されたアーサーは、感情に身を任せてマレーを射殺。

逃げ出す観客をよそにテレビカメラの前でステップを踏み、マレーの決め台詞「That's life!(それが人生!)」を真似しようとする。

しかし、寸前で放送は中断し、その場で逮捕されてしまう。


暴徒

アーサーの凶行をきっかけに街のいたるところで暴動が起きる中、パトカーで護送されるアーサーがその光景を美しいと表現した直後、パトカーに暴徒の乗った車が激突する。

街では富裕層の人々が悪辣な暴行を受けており、家族で舞台を鑑賞していたトーマスは騒動を避けるべく路地へと逃げ込むが、それを見ていた1人の暴徒によって妻と共に射殺され、息子のブルースだけが生き残った。

パトカーのボンネットで気絶から目覚めたアーサーはその場に立ち上がると、自らの血で口元のメイクをグラスゴースマイルのように変えた後、周囲を囲むピエロ姿の暴徒たちがあげる歓喜の声に両手を広げ受け止める。


最後に

場面は変わり、ノーメイクのアーサーが手錠を付け煙草を吸いながら精神分析を受けていた。

「ジョークを思いついた」と笑う彼にカウンセラーはそれを話すよう頼むが、アーサーは「理解できないさ」と断り、代わりにフランク・シナトラの『That's Life』を口ずさむ。部屋から出たアーサーは廊下に血の足跡をベッタリ残して歩を進め、突き当りの窓際で陽光に照らされながら踊り始める。

すぐに病院の職員に見つかると、アーサーは右へ左へと逃げ回るのだった。

キャスト
アーサー・フレック / ジョーカー
演 - ホアキン・フェニックス
精神的な問題や貧困に苦しみながらも、スタンダップコメディアンを目指している道化師。

認知症気味の母の面倒を見る心優しい男だが、自分の意思に関係なく突然笑いだしてしまう病気を患っており、また妄想と現実の区別もつかなくなってきている。自身の辛い境遇から精神のバランスを崩し、次第に常軌を逸した行動を取っていく。
マレー・フランクリン
演 - ロバート・デ・ニーロ
人気トーク番組「マレー・フランクリン・ショー」の司会者。アーサーが憧れている。
ソフィー・デュモンド
演 - ザジー・ビーツ
アーサーと同じアパートに住むシングルマザーの女性。
ペニー・フレック
演 - フランセス・コンロイ
アーサーの母親。認知症気味で体が少し不自由。

若い頃はゴッサム随一の大富豪のウェイン家にメイドとして仕えていたとアーサーに語り、トーマス・ウェインなら自分たちを助けてくれると信じている。
トーマス・ウェイン(英語版)
演 - ブレット・カレン
ゴッサムシティに多数の企業を持つ大富豪。政界に進出し市議会議員となるが、医療制度の解体を推し進めたことで困窮する貧困層からバッシングを受けている。
ギャリティ刑事
演 - ビル・キャンプ
ゴッサム市警の刑事。
バーク刑事
演 - シェー・ウィガム
ゴッサム市警の刑事。
ランドル
演 - グレン・フレシュラー
アーサーの同僚の道化師。暴行を受けたアーサーに半ば強引に拳銃を貸し与える。
ゲイリー
演 - リー・ギル
アーサーの同僚の道化師。小人症で他の同僚に身長をネタにからかわれる。アーサー曰く、彼に優しく接する唯一の存在。原作においてジョーカーのずっと昔の相棒であるギャギーというヴィランが元ネタ。
ジーン・アフランド
演 - マーク・マロン(英語版)
「マレー・フランクリン・ショー」のプロデューサー。
アルフレッド・ペニーワース
演 - ダグラス・ホッジ(英語版)
トーマス・ウェインの執事。
ブルース・ウェイン
演 - ダンテ・ペレイラ=オルソン(英語版)
トーマスの息子。原作である『バットマン』の主人公。原作では両親を目の前で喪った悲しみから、成人後にコウモリのコスチュームを纏って犯罪者に立ち向かうクライムファイターとなる。
カール
演 - ブライアン・タイリー・ヘンリー、日本語吹替 - 武田太一[12]
アーカム州立病院の事務員。
製作
背景
監督を務めたトッド・フィリップスは本作がアメリカの社会格差を風刺する作品として話題を集めたのを認めつつ、映画の超目標はあくまでもアーサー・フレックという個人がいかにしてジョーカーという悪役へ変遷するかを描く人物研究めいた作品であるとコメントしている。この構想を立てたフィリップスはスコット・シルヴァーと共におよそ1年をかけて脚本を執筆した。脚本は「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」などマーティン・スコセッシ監督・ロバート・デ・ニーロ主演の作品群に影響を受け、原作コミックから大きく逸脱する内容に完成したが、配給のワーナー・ブラザースは特別な指摘を示さなかった。作品の舞台は原作コミックに共通するゴッサム・シティであり、時代背景は70年代から80年代を彷彿とさせる様相を見せているが明確な定義づけはなされず、フィリップス、マーク・フリードバーグ、エドウィン・リベラらによって1981年のニューヨークをモチーフに創造された架空の都市である[13]。

キャスティング
ジョーカーことアーサー・フレックには個性派俳優として知られるホアキン・フェニックスがキャスティングされた。当初はスコセッシが監督し、彼の盟友であるレオナルド・ディカプリオがキャスティングされる構想もあったが、実際にメガホンを取ったフィリップスは脚本の執筆段階からフェニックスを意識してジョーカーのイメージを手がけ、彼以外起用は考えられないとコメントしている[14]。ジョーカーに次いで重要な役どころとなるマレー・フランクリンにはロバート・デ・ニーロが起用された。トーマス・ウェイン役にはドナルド・トランプの物真似で有名なアレック・ボールドウィンが検討されたが、最終的にブレット・カレンに決まった。

新たなジョーカーの創造
本作の主人公であるジョーカーはDCコミックスのアメリカンコミック「バットマン」に登場するスーパーヴィランで、主人公のバットマン(ブルース・ウェイン)の対極に位置づけられる最悪の悪役として、ビル・フィンガー、ボブ・ケイン、ジェリー・ロビンソンによって創造された。彼に関する明確なオリジンは確立されておらず、またジョーカー自身が狂人であるため語る度に変化していると設定されている。最も有名なエピソードとして「元々は売れないコメディアンで、強盗を犯したところをバットマンから逃げる途中に化学薬品の溶液に落下し、白い肌、赤い唇、緑の髪、常に笑みをたたえる裂けた口の姿に変貌した」がパブリックイメージとして浸透している。本作ではこのオリジンないし、原作コミックや他のメディアミックス作品などとの関連性は撤廃され、一部を踏襲しながらも、脚本を手がけたトッド・フィリップスとスコット・シルヴァーによって、ゴッサム・シティで母と暮らす「アーサー・フレック」というまったく新たなオリジンが定義されたが、同時に本作のジョーカーを「信用できない語り部」とする事で、このオリジンが真実であるかどうかは全くの不明というコミックの設定も踏襲している。

ジョーカーの姿は原作コミックや映像作品が有する「白い肌」「緑の髪」「赤く笑ったように裂けた唇」といった特徴が本作の彼にも踏襲されているが、先述のオリジンでは意図せず発現したこれらはすべて、コメディアンを志すジョーカーことアーサーが自ら手がけたメイクとして描かれている。

衣装は原作やこれまで幾多の俳優が演じたジョーカーのスーツ姿が踏襲されたが、カラーリングは一新され、赤系統色のジャケットが特徴的なファッションが定着した。

ジョーカーを演じるにあたってフェニックスは撮影開始3ヶ月前には80kg以上あった体重を「1日をりんご1個と少量の野菜のみで過ごす」過酷な食量制限によって58kgまで減量した。

撮影
2018年9月より、ニューヨーク市内で撮影がスタートした[16]。ロケ地となったのはブルックリンのチャーチ・アベニュー駅、ブロンクスのベッドフォード・パーク・ブールバード駅。

ブルックリンの9番街駅の廃プラットホームでは暴力シーンの撮影も行われた。クイーンズのアストリアにあるファースト・セントラル・セービングス・バンクなどである。

ニュージャージー州のジャージーシティでも撮影が行われ、ニューアーク・アベニューが一時閉鎖されてのロケが行われた。

10月にはニューアーク、11月には郡道501号での撮影が行われた。

公開
当初、日本での公開は11月の予定だったが、後に10月4日に日米同時公開に変更となった。

日本でのキャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」。

評価
興行成績
10月4日に公開され、アメリカでは公開初日からの3日間で9,620万2,337ドルを記録。

R指定作品として、全世界での興行成績において、『デッドプール2』が保持していた7億8,500万ドルの世界記録を塗り替え、10億ドルを超え[21]、1位を記録。

日本では、10月4日に全国359スクリーンで公開され、土日2日間で動員35万6000人、興行収入5億4800万円で週末動員ランキングで1位を獲得し、初日から3日間では、動員49万8071人、興行収入7億5566万8700円を記録した。

10月8日までの5日間で10億2,241万3,800円を記録した。

興行収入が2019年12月15日に50億円を突破した。

評論
興行的には大成功を収めた一方で、ストーリーラインがマーティン・スコセッシ作品の「タクシー・ドライバー」「キング・オブ・コメディ」のオマージュである点、暴力や殺人を美化する内容、精神疾患に関する問題があるとされた描写から、評論家による作品への評価は賛否両論となった。

Rotten Tomatoesによれば、高評価をつけたのは503件の評論のうち347件の69%、平均して10点満点中7.28点である。

Metacriticによれば、58件の評論のうち高評価は32件、賛否混在は15件、低評価は11件で、平均して100点満点中59点という平均的評価にとどまっている。

受賞
賞 カテゴリ 対象 結果
アカデミー賞 作品賞  ノミネート
監督賞 トッド・フィリップス ノミネート
主演男優賞 ホアキン・フェニックス 受賞
脚色賞 トッド・フィリップス
スコット・シルバー ノミネート
衣装デザイン賞 マーク・ブリッジス ノミネート
作曲賞 ヒドゥル・グドナドッティル 受賞
撮影賞 ローレンス・シャー ノミネート
編集賞 ジェフ・グロス ノミネート
音響編集賞  ノミネート
録音賞  ノミネート
メイクアップ&ヘアスタイリング賞  ノミネート
英国アカデミー賞 作品賞  ノミネート
監督賞 トッド・フィリップス ノミネート
主演男優賞 ホアキン・フェニックス 受賞
脚色賞 トッド・フィリップス
スコット・シルバー ノミネート
キャスティング賞  受賞
撮影賞  ノミネート
編集賞  ノミネート
美術賞  ノミネート
音響賞  ノミネート
メイクアップ&ヘアスタイリング賞  ノミネート
作曲賞 ヒドゥル・グドナドッティル 受賞
ゴールデングローブ賞 作品賞(ドラマ部門)  ノミネート
監督賞 トッド・フィリップス ノミネート
主演男優賞 (ドラマ部門) ホアキン・フェニックス 受賞
作曲賞 ヒドゥル・グドナドッティル 受賞
日本アカデミー賞 最優秀外国作品賞  受賞
全米映画俳優組合賞 主演男優賞 ホアキン・フェニックス 受賞
ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞  受賞
放送映画批評家協会賞[29][30] 作品賞  ノミネート
主演男優賞 ホアキン・フェニックス 受賞
脚色賞 トッド・フィリップス
スコット・シルバー ノミネート
作曲賞 ヒドゥル・グドナドッティル 受賞
美術賞  ノミネート
撮影賞 ローレンス・シャー ノミネート
メイクアップ&ヘアスタイリング賞  ノミネート
グラミー賞 最優秀スコア・サウンドトラック ヒドゥル・グドナドッティル 受賞
最優秀編曲(インストゥルメンタル/アカペラ) ノミネート


闇バイトー凶悪化する若者のリアル

2023年07月08日 06時12分52秒 | 事件・事故

闇バイト 凶悪化する若者のリアル (祥伝社新書) by [廣末登]

廣末登 (著) 

「闇バイト」がなくならないワケとは?――

2023年1月19日、東京都狛江市に住む90歳の女性が
自宅で殺害されているのが見つかった。
女性の遺体には激しい暴行の跡が見られ、これまでとは次元の違う強盗殺人事件として世間を震撼させた。
本件をきっかけに注目を集めたのが、「闇バイト」といわれる犯罪だ。
指示役に集められた素性のバラバラな集団によって行なわれる犯罪で、同種の事件は後を絶たない。
中でも詐欺よりも手っ取り早く稼げる「タタキ(強盗)」の増加が危険視されている。
本書では、非行経験のある犯罪学者が当事者たちを取材。
闇バイトを取り仕切る半グレや犯人の更生に従事した保護観察官の声から見えてくる、その真実とは。
最終章では、闇バイトを生み出す日本社会の闇を分析。
失うもののない「無敵の人」を生み続ける構造に警鐘を鳴らす。

著者について

1970 年、福岡市生まれ。社会学者、博士(学術)。専門は犯罪社会学。龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員、久留米大学非常勤講師(社会病理学)、法務省・保護司。
2001 年北九州市立大学法学部卒業、08 年同大学大学院社会システム研究科地域社会研究科博士後期課程修了。国会議員政策担当秘書、熊本大学イノベーション推進機構助教、福岡県更生保護就労支援事業所長等を経て、現職。
裏社会の実態を科学的調査法に基づいた取材を重ね、一次情報をもとに解説する。著書に『ヤクザになる理由』『だからヤクザを辞められない』(ともに新潮新書)、『ヤクザと介護』『テキヤの掟』(ともに角川新書)等がある。
 
 
 
本書は、おそらく研究者(犯罪学)が書いた初の闇バイト本ではないか。
著者は「ヤクザ博士」の異名を持つ学者である。
福岡で保護司もしているようだから、犯罪の事例に詳しいのだろう。
今回、冒頭、いきなりフィクションで始まることにはビックリしたが、「闇バイトの危険性を読者の方に理解してもらいたい」という著者の配慮ではないだろうか。

2021年に著者が提唱した「半グレ」4分類が、5分類にグレードアップされていたこと。
これは、在日外国人も特殊詐欺に加わっていることを考えると、的を射た指摘である。
ちなみに受け子や出し子(UD)は、半グレ5分類の第2カテゴリーで、使い捨てにされる者だそうである。

特殊詐欺で逮捕された半グレや一般人の横顔として、性格特性に加えて、成育歴や犯罪歴が記述されており参考になる。確かに、彼らは、暴力団とは異なる犯罪者集団だ。

最近、メディアに出ている特殊詐欺の主犯格であるフナイム氏をはじめ、詐欺や強盗の実行犯に対するロングインタビューは圧巻である。
当事者が語る犯罪のリアリティに圧倒される。
一方で、保護観察官など更生を支援する側にも取材しているので、バランスの取れた記述となっている。

特殊詐欺の主犯で検挙される者は2%に満たない。そうであれば、UDとして特殊詐欺に加担する若者を減らすしかない。
本書を「大人が闇バイトや半グレを正しく知るための入門書」として、学童期のお子さんをお持ちのお父さんやお母さんが、夏休み前に読まれることをお勧めする。

本書では、専門用語など難解な用語は用いられておらず、淡々と事例が掛かれているので、サクッと読めて為になる一冊と思う。
誰もが詐欺や強盗の被害者になる可能性がある時代だからこそ、自衛のためにもおススメしたい。