CSテレビ映画・チャンネルNECOで観る(2019年10月19日(午後10時50分~)
解説
映画化もされた「告白」「白ゆき姫殺人事件」などで知られる人気作家・湊かなえの小説を実写映画化。
『繕い裁つ人』などの三島有紀子監督がメガホンを取り、「人が死ぬ瞬間を見たい」という願望を持つ2人の女子高生が過ごす夏休みを、それぞれの視点で描く。
親友同士のヒロインを、テレビドラマ「恋仲」でも共演したことのある本田翼と山本美月が演じ、17歳という多感な時期の心の闇を体現する。
桜川高校2年生の敦子は毎日学校の裏サイトで自分の悪口を書かれていないかをチェックする。
敦子が周囲の評価にビクビクするようになったきっかけは中学最後の剣道の大会。
その決勝戦で敗れたことを学校の裏サイトで罵られているところを目撃してしまった敦子は有名私立・黎明館への剣道推薦を蹴り、今も周囲から浮かないように気を遣って過ごしている。
そんな敦子を見かねた親友の由紀は、敦子をモデルにした小説「ヨルの綱渡り」を書いて励まそうとしていた。
しかし、そんな友紀の小説は桜川高校の国語教師・小倉によって盗作されてしまう。
自称作家の小倉は由紀の小説を盗んで新人賞を受賞。
校内に掲載された文章を見た敦子は「由紀が書いた」と見ぬいたが、「自分はネタにされた」と感じ由紀の真意には気づかない。
一方、自分の小説が盗作された由紀は復讐するため、小倉のノートPCを持ち出す。
どうやら小倉は黎明館高校のセーラというあだ名の女子高生と付き合っているらしい。
それとは別に、由紀は全職員当てに全生徒の国語の成績表を添付したメールを送信する。
由紀は軽い復讐のつもりだったが、これが職員室で大問題となり小倉は自主退職。
数か月後、小倉は電車のホームから転落し、亡き人となった。
小倉のPCを由紀と一緒に見ていた敦子は、小倉によるセーラとの交際日記の一文に目が留まった。
「さすが黎明館のセーラは最高。桜川のクズどもとは違う」
頭にきた敦子は八つ当たりで黎明館の裏サイトに適当な悪口を書き連ねる。
「セーラは援助交際している。相手は盗作男」
盗作の一件で気まずい間柄になってしまった由紀と敦子は、転校生の紫織と一緒に行動するようになる。
紫織は言う。
「親友の遺体を目撃したことがあるの」
それを自慢のように感じた2人は「人の命の終わる瞬間」を目撃したいと思うようになる。
夏休み。2人はそれぞれボランティア活動をすることに。
敦子は老人ホームへ、由紀は小児科病棟へ。
目的は、人の遺体を見ること――。
老人ホームで敦子は高雄という男と出会う。
最初は敦子を避けるようにしていた高雄だったが、ある事件を機に打ち解けていく。
高雄は「ヨルの綱渡り」を持っていて、敦子に「それは君のために書かれた小説だよ」と諭した。
小説をちゃんと読み、由紀の優しさに気づいた敦子は涙を流す。
しかし、なぜ高雄は最初よそよそしい態度をとったのか?
実は高雄は優秀な営業マンだったが、女子高生に痴漢の冤罪を着せられてクビになっていたのだ。
そのせいで、妻とも離婚し、病気の子供にも会えていないという。
方、由紀は病院で昴とタッチーという2人の少年に出会う。
昴は手術成功率7%という難病にかかっている。
タッチーはそんな昴のために、離婚して行方が分からない父親を探してほしいと由紀に頼んだ。
由紀はこれを了承。
昔アルバイトをしていたモデルハウスで情報を集めようとするが、個人情報は教えてもらえない。
そうしていると、由紀は隣の住宅メーカーの男・三条から「夜に来れば教えてやる」と声をかけられる。
これは身体を要求されているということだろうか…。
由紀は1つ年上の彼氏である牧瀬に協力を頼む。
夜。由紀と三条のやりとりを牧瀬がこっそり撮影している。
三条のセクハラの証拠をつかんだ由紀たちは、表沙汰にしないことと引き換えに情報を引き出す。
なんと昴の父親は老人ホームの高雄だった。
由紀と高雄、そして居合わせた敦子は昴の待つ病院へ向かう。
「昴!」
高雄はそういって「タッチーを」抱きしめた。
そして、さらに衝撃的なことが起こる。
「パパ!」と抱きしめ返したタッチーが果物ナイフで高雄の背中を刺したのだ。
敦子はナイフをすばやくたたき落とし、トラウマから顔面蒼白になっている由紀の手を引いて病院から走り去る。
由紀(いつかもこんなことがあった)
由紀は昔同じように敦子に助けられたことを思いだし、2人は再びわだかまりのない親友同士に戻った。
後日、事情を説明するメールが由紀に届く。
実は昴とタッチーは入れ替わっていたのだという。
由紀がタッチーだと思っていた本当の昴は、父親(高雄)を恨んでいた。
高雄は冤罪であったが昴の母親はそれを信じず離婚、さらに心の病に罹り病室にも訪れなくなったという。
父親を刺せば母親に会えるはず。
そう思っての行動だったという。
そして、手術成功率の低い難病にかかっていたのも本当は由紀がタッチーだと思っていた方だった。
タッチーの手術は失敗し亡くなったが、最後に高雄の冤罪を理解し、一緒に過ごせて幸せだったという。
「少女」の結末
さて、ここからがイヤミス・湊かなえの真骨頂。
小説「少女」の終章は冒頭の「誰のモノかわからない遺書」の続きとなっています。
冒頭を読んだ時には誰もが「これは由紀と敦子、どっちの遺書だ?」とミスリードされた遺書の謎。
終章ではその遺書を書いた主が紫織だと判明し、紫織は親友と同じように自分で自分の命を絶って物語はジ・エンド。
「えっ、なんで紫織がそんなことに!?」
実は小説「少女」の裏テーマは「因果応報!地獄へ落ちろ!」(認知症の由紀の祖母のセリフ)
物語の裏では由紀や敦子が気づかないうちに、ドミノ倒しのように不幸が連鎖していました。
そのドミノ倒しをスタートさせる一押しは、物語終盤の3人のやりとりから…。
夏休み明け。由紀・紫織・敦子が一緒にいる。
紫織が高いブランドバッグを持っていることに気づく2人。
どうやって買ったかと尋ねられ、紫織は「ウソ痴漢したから」と答える。
示談金でけっこう稼げたという。
例の亡くなった親友もウソ痴漢をしていたが、その子は相手にハマって交際に発展したそうだ。
放課後。由紀と敦子は紫織を映画に誘うが、断られる。
「毎月この日は星羅のお墓参りだから」
由紀はその言葉にかすかな違和感を覚えたのであった。
さて、それではいよいよ「少女」裏の物語のネタバレ解説です。
湊かなえ「少女」ネタバレ解説
因果応報。全ての始まりは紫織のウソ痴漢から。
紫織は最後にターゲットにした相手が父親の知り合いだったからやめたと語りますが、この最後の被害者の正体は高雄。
これにより高雄は会社をクビになり、表の物語へとつながっていきます。
また、紫織の親友「星羅」の正体は「セーラ」
桜川高校の盗作国語教師・小倉の交際相手だった人物です。
では、なぜセーラは自分で命を絶ったのか?
その理由は学校で周囲に虐められていたからでしたが、そのいじめの原因になったのは学校裏サイトに突然書き込まれた悪口でした。
「セーラは援助交際している。相手は盗作男」
敦子が軽い憂さ晴らしのために書いた悪口が、セーラを自ら手首を切らせるまでに追い詰めていたのです。
一方、由紀もそれと知らず不幸のドミノを加速させていました。
紫織の「ウソ痴漢」の話を聞いて自分もブランド品が欲しくなった由紀は、セクハラ男・三条から小遣いを巻き上げようと考えます。
結果、三条は女子高生に猥褻な行いをしようとした罪に問われ逮捕。
そして、実は三条は紫織の父親だったのです。
紫織は父親が逮捕されたことが原因で、学校でいじめられるように。
由紀も敦子も、そんな紫織から離れていきました。
紫織は考えます。
由紀や敦子を恨もうとは思わない。
自分も星羅に同じことをした。
99通来たメールを、すべて無視した。
結局は、他人事だったのだ。
そんなわけで物語は終章の「紫織の遺書」へとつながります。
紫織に注目すれば、自分が「ウソ痴漢」したことが遠因となって父親が逮捕され、自分も虐められるようになったわけですね。
そしてそれを苦にして…。
まさに因果応報。
地味に由紀や敦子が知らないうちに他人の人生をめちゃくちゃにしているという点も、イヤミスらしいじっとりとした読後感を生みだしています。
まとめ
湊かなえ「少女」が実写映画化!
今回は複雑な原作のネタバレ解説をしてみました。
小説「少女」は2人の親友の友情物語…とみせかけて裏ではえげつないもう1つの物語が進行しているさすがの構成!
冒頭と結末で語られる「遺書」の内容によって裏のストーリーが判明し、本編中に散りばめられていた伏線が一気に「紫織の最後」へと結びつく展開にはゾクッとしました。
この物語のテーマが因果応報なら、作中で罪を背負っている由紀と敦子にも相応の罰が下るのでは…?
そんなさらにもう1つの展開まで想像させれられる、まさにイヤミス的な作品「少女」
映画のWヒロインを演じるのは本田翼さん&山本美月さんということで実写版にも期待です。
人気作家「湊かなえ」が「告白」の次に書いた同名小説を、本田翼・山本美月の共演で映画化したのが、現在公開中である話題の映画「少女」だ。
「しあわせのパン」「繕い裁つ人」の三島有紀子監督がメガホンをとり、「人が死ぬ瞬間を見たい」という願望に突き動かされる2人の女子高生が、それぞれに過ごす夏休みを描きながら、原作小説とはまた違った映画独自の展開と結末が楽しめる本作。
今回鑑賞したのは、公開二日目の午後のTOHOシネマズ新宿。残念ながら客席は4〜5割の入りといったところだろうか?不穏な空気に満ちた予告編が強烈な印象を残し、嫌でも期待が高まっていた本作だけに、この観客の入りは少し意外だった。さて、肝心の映画の出来はどうだったのだろうか?
ストーリー
高校2年生の由紀と親友の敦子は、それぞれに私生活での問題と、過去のあるトラウマから来る心の闇を抱えていた。ある日二人のクラスに転校生の紫織が転入して来る。彼女が親友の死体を見たと話すのを聞いて以来、二人は次第に自分達も人の死を目撃してみたい、との思いに囚われる様になっていく。
やがて訪れた夏休みの期間、由紀は小児科病棟でボランティアをはじめ、余命わずかな少年たちの死に立ち会うことで、己の願望を満たそうとする。
一方、クラスメイトからの陰湿ないじめにより、精神的に追い詰められていた敦子も、誰かの死を見れば生きる勇気を取り戻せるのではないかと考え、老人ホームでボランティアを始める。しかし、一見交わることの無いと思われた二人の選択枝が、やがて因果応報とも言える運命の交錯により悲劇を呼ぶことに・・・。
原作小説とは違った、映画版の魅力に注目!
(C)2016「少女」製作委員会
本作に登場する印象的な言葉、「因果応報」。これにより運命を狂わされていく人々の姿を、よりホラー映画的に描いたのが、この映画版の特徴だと言えるだろう。
とにかく、登場する人物に「普通の人間」が少ない!学校の教師からクラスメイト、転校生や彼氏、果ては自分の家族まで。皆どこか普通と違う人間ばかりなのだ。唯一まともに見えるのが、物語後半から登場する男の子二人なのだが、実はそれも・・・。
こうした登場人物たちの独特の設定に、演じる役者陣の適役振りも加わって、原作小説のミステリー要素の変わりに独特のホラー要素を盛り込むことに成功しているのが、本作の魅力だと言えるだろう(特に夏休みに入る前の、映画前半部の描き方)。
逆に映画の後半部は、タイトルの通り「少女」の持つ危うさと、学校の外の社会が持つ悪意と残酷さを描いており、ひと夏の経験を通して未来に進もうとする彼女たちの成長物語として楽しむことが出来る。ここは好みの差はあると思うが、原作小説とは違って未来に明るい希望を抱かせる映画版のラストも、意外とアリなのでは?個人的にそう思った。
ただ残念だったのが、こうした前半と後半のアンバランスさのためか、ネットの評価で酷評する方が意外と目立つ点だ。
正直、アンジャッシュの児嶋一哉が演じる、現国の先生の行動があまりに不自然だったり、山本美月の足問題など、細かい部分への疑問や不自然さが残るのは否定出来ないのだが、主役二人の好演がそれらを補って余りあるのも確かだ。
万が一映画の展開に不満や疑問を持った方には、是非鑑賞後に原作小説を読まれることをオススメする。
見事なキャスティングの勝利!そして本田翼の正しい起用法に拍手!
(C)2016「少女」製作委員会
本作の魅力の一つである、思春期の少女たちが持つガラスのような美しさと、彼女達が心に隠しているトラウマや悪意との絶妙なバランスは、やはり主演二人の女優の起用にあるのではないだろうか。
既に今年、山本美月は「貞子vs伽椰子」に主演しており、その恐怖の表情が正にホラー映画のヒロイン向きであったのは、まだ記憶に新しいところだ。
今回、知的でミステリアスな由紀役を本田翼が、天真爛漫だがクラスメートからのいじめにょり、過度の不安症を抱える敦子役を山本美月が演じることで、原作小説のミステリー要素よりもホラー映画的要素が濃くなったのは、本作にとっては幸運だったと言えるだろう。
中でも本作での最大の収穫は、本田翼の思わぬ怪演!にあったと断言出来る。
個人的に、今まで本田翼が恋愛物に出演しているのを見て、正直何か違和感を感じずにはいられなかったし、彼女がふいに見せる鋭い眼差しやシリアスな表情を見る度に、絶対ホラーかサスペンス物の方が合っているのでは?と、ずっと思っていたからだ。
本作で彼女は、幼い頃の異常な体験による心と体の傷を抱え、更に日常的に家庭内で抑圧されている思いを、自身の書く小説にぶつけている由紀を演じているのだが、これが実は予想以上にハマり役となっていて驚いた!
特に映画の前半部で、担任教師のある行為により徐々に精神的に追い詰められ、次第にその狂気を増していく様は、彼女の過去のトラウマの原因となった祖母の現在と重なって、観客への恐怖感を増大させることに成功している。その後の教師への復讐の方法といい、前半部で観客に強烈な印象を残すのは、紛れも無く彼女の演技だと言っていい。
ただ、残念なのは夏休みで二人が別行動を取るようになると、一気に彼女の芝居が変わってしまい、意外と普通の少女のようなキャラクターに変化してしまう点だ。
とはいえ、今までの彼女のキャラを打ち破るかの様な怪演振りは、劇場で観る価値あり!とだけ言っておこう。彼女の新たな魅力誕生の瞬間を、是非劇場で目撃して頂きたい。
実はまだ終わってない!日本版「ファイナルデッド」シリーズとして楽しめる本作!
(C)2016「少女」製作委員会
ネットのレビューでも多く見られたのが、本作でのラストシーンの解釈について。
映画のラスト、由紀が小説の最後の一節を書き終え、最後に「了」と書き込む直前でぶった切った様に暗転して、この映画は終わる。一見全ての出来事に決着が着き、ハッピーエンドに終わったかの様に思えるのだが、いやいや、ちょっと待って頂きたい!
全てが終わって「了」と書き込む寸前で終わるということは、まだまだこの物語は終わりを迎えていないと言うことを意味する。因果応報の言葉通り、由紀と敦子、この二人がそれぞれ他人に行った悪事の報いを、やがては彼女達も受けるであろうことを匂わせてこの映画は終了する、とも解釈出来るのではないか?
実際、「因果応報」の言葉の通り、本作の登場人物たちは自分が行った悪事への報いを受けて破滅して行くのだが、その中で唯一由紀と敦子は自身の行為への報いを受けていないのだ。
もちろん、本作での稲垣吾郎親子のエピソードのように、過去の報いを逃げずに受け止めることで、悪意の連鎖を止めることに成功したとも考えられるのだが、さあ、果たしてあなたはどの様に受け取られただろうか?
ちなみに個人的な感想なのだが、こうした「因果応報」の死の連鎖やラストシーンなどを観て、死を免れた人々が結局順番通りに連鎖反応的に死んでいく人気ホラー映画、「ファイナルデッド」シリーズを思い出した、とだけ言っておこう。(これは、あくまでも個人の見解ですので、念のため)
最後に
(C)2016「少女」製作委員会
注:今回ラストの展開に関して、若干のネタバレを含みますので、ご注意下さい
過去の邦画作品で例えると、「幻の湖」や「愛旅立ち」の様な、記憶に残るが一種カルト的内容の作品がお好きな方には、迷わずオススメ出来るのが本作。
特に、由紀が狂気を増していく描写と、悪意と冷酷さに満ちた狡猾な復讐の手口が描かれる映画の前半部までは、文句無く今年のベスト映画候補!と思ったほどだ。しかし、転校生が現れて二人個々の夏休みの描写が始まると、映画のトーンは一転して少女の成長物語的な側面を色濃く出してくる。
そこからまた、終盤で意外な展開を見せるものの、最終的には「因果応報」の言葉通り、主人公達に悪意を持って近寄って来た人間が、全て自業自得と言える報いを受けてしまうという結果に・・・。結局主人公の二人の少女は、邪魔者のいなくなった広い世界に向けて走り出すという、一種の「ひと夏の少女の成長物語」として幕を閉じる本作。
しかし前述した通り、一見物語が閉じられたことを示唆して終わるように見えるラストシーンだが、見方によっては次は彼女達が報いを受ける番なのか?との見方も出来るように作られている。小説版でのラストに遺書が公開され、主人公である少女の計算高さと悪意が描かれる終わり方と違い、今回の映画オリジナルのラストにより、主人公二人の友情とトラウマの克服というテーマがより明確になった点は、成功だと言えるだろう。
残念ながら、「少女」という簡潔なタイトルからは作品内容が判り難いためか、同時期の他の公開作品に比べて興業的に苦戦しているように見える本作。ただ、今年公開された作品の中でも、間違いなく上位に入る問題作なので、是非劇場に足を運んで頂ければと思う。
(文:滝口アキラ)
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