振り込め詐欺に通じるもとがある

2018年09月26日 13時28分53秒 | 社会・文化・政治・経済
社会に違和感を覚えた若者が、精神的な価値を求めてオウム真理教に集まったとされている。
今日、「ネット掲示板にあふれる憂さ晴らしのような書き込み」。
オウム教団の野田成人元幹部(51)は、サイバー空間で吹き荒れる無差別的攻撃に「不気味さを感じる」という。
「教団の事件当時より満たされない思いを抱いている人は多いのかもしれない」と危惧している。
サイバー攻撃は、「振り込め詐欺に通じるもとがあるのを感じた。相手の顔は見えない。無差別攻撃なら加害者という感覚も薄められる」セックハック365の北村拓也さん(26)は危機感を抱く。


2018年4月1日 - 国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)は2017年にナショナルサイバートレーニングセンターを立ち上げ、「SecHack365(セックハック 365: 若手セキュリティイノベーター育成プログラム)」の実施を発表した。

創作欄 真田と千代 4)

2018年09月26日 11時51分58秒 | 創作欄
2013年12 月 6日 (金曜日)

千代は母が亡くなった時、遺品を整理した。
その中に桐の箱に入った金杯を見つけた。
「戦没者叙勲記念」と書かれていた。
千代の父親はアジアの南方で戦死していて、それが唯一の生きた証であった。
母と父の結婚生活はわずか2年。
その金杯を貴金属店で鑑定したみたら、ほとんど価値のないものであった。
母が誇りにしていた「お国にから頂い金杯」はそのようなものであったのだ。
終戦後まだ若かった母は再婚できたが、独身を貫き一人娘の千代を育てた。
真田は千代からそのようなことを聞かされ、切ない気持ちになる。
「お国のために・・・」 満蒙開拓団満蒙開拓移民は、満州事変以降太平洋戦争までの期間に日本政府の国策によって推進された。
中国大陸の旧満州、内蒙古、華北に入植した日本人移民の総称である。
日本政府は、1938年から1942年の間には20万人の農業青年を、1936年には2万人の家族移住者を、それぞれ送り込んでいる。
満蒙開拓青少年義勇軍は15歳~19歳の若者で編成された。
千代の母親の弟も15歳で満州に渡って命を落としている。
母親の長兄は教師の立場から教え子たちを送り込む立場にいた。
生き残って日本へ戻ってきた教え子は誰も居なかった。
長兄は罪悪感にとらわれ、戦後は教師を辞め農業に身を転じた。
真田と母親の長兄が偶然、同じ師範学校出身学校であった。
真田も戦後、教師に戻ることはなく闇市で無頼の徒に身を落とした。
教え子たちに言っていた「お国のために」が不遜であったのだ。
戦場では「天皇陛下万歳」と叫んで、「万歳突撃」で戦友のほとんどが無為な死を遂げた。 「戦争は、無謀だったのね」千代は真田から「万歳突撃」の実態を聞かされた。
「戦後、何度も戦場が夢に出てきて、うなされた。それを紛らわすため酒を無茶飲みし、賭博にものめり込んだ。ヒロポンもやった」
「ヒロポン?」
「ヒロポンは覚せい剤なんだ。一時的に疲労や倦怠感を除き、活力が増大に錯覚させられた。それで中毒になった奴もいた」
もはや戦後とは言えないが、戦争の傷が完全に癒えたわけではなかった。
1970年安保に多くの国民は距離を置いたが、全国の主要な国公立大学や私立大学ではバリケード封鎖が行われ、「70年安保粉砕」をスローガンとして大規模なデモンストレーションが全国で継続的に展開された。
1970年安保は1960年安保に比べると反対運動はあまり盛り上がらず、世論も、安保延長は妥当という見方が強まっていたため、大規模な闘争にはならず収束した。
還暦を迎え真田の戦後も終わったのである。
「60歳になったのね。お祝いをしなけば」と千代は言った。
「そんなものよしてくれ」と真田は苦笑した。
60歳まで生きてこられたことが奇跡のようにも思われた。
千代はバーの経営を続けていた。
「私には水商売が合っているの」
「そうかい。好きなようにしればいい」真田は千代を束縛するつもりはない。
女子大生であった竹内雅美は都市銀行に就職した。
時どき同僚たちと飲みに来て、店でカラオケを歌っているそうだ。
真田は千代と一緒に暮らし初めてから、店へ顔を出していない。

http://www.youtube.com/watch?v=m0u0yzJ5y-g  

http://www.youtube.com/watch?v=8OjDIq5uyi8

2013年12 月 3日 (火曜日)
創作欄 真田と千代 3)
「恋や愛に理屈はない―と誰かが言っていたけど、私が真田さんに、男として惹かれたのは理屈じゃないの」千代が言う。
「一緒に暮らそうか?」真田はホテルのベッドから身を起こしながら手枕をしている千代を見詰めた。
千代は左手を出して、「起こして」というので、真田はその手を握り引き寄せた。
「そうね。考えておくわ」 千代は女子大生の竹内雅美と自由が丘の一軒屋に暮らしていたので即答を避けた。
真田は原宿の分譲マンションで暮らしていた。
これまでずっと一人で暮らしてきた真田であったが、家で待ってくれる人がいることを欲する気持ちになっていた。
「俺も家庭の温もりや安堵を求めていたのか?」自分の気持ちの変化にむしろ驚いた。
真田は何時も誰かを好きになっていたい、という質の男であったが、好きになった女と暮らそうとは思っていなかった。
「会いたければ会いにいけばいい」と割り切っていた。
また、去って行く女を追いかける気持ちもなかった。
もし、戦争がなかったら、妻子と平凡に暮らしていただろう。
真田は何時の間にか、東京大空襲で失った妻子の夢を見なくなっていた。
それなのに、父母や兄弟たちの夢は見ていた。
夢の中の自分は旧制の中学生の姿のままである。
夢の中には初恋の人も出て来た。
相手はお寺の女の子で内気であった。
当時の女の子は着物姿であり、いかにも立ち居振る舞いがおっとりとしていた。
可憐で繊細であり大和撫子というイメージである。
初恋の子の姫木園子は出会うとうつむいて顔を赤らめていた。
真田が長い髪の女に好意を寄せるのは、初恋の女の子の思い出が原型になっていたと思われる。
里山の一本の田舎道にたたずみ、真田を帰りを待っていた少女の姿が夢に何度も出てきた。 「最近、真田さんの夢を見る」と千代は言っていたが、真田の夢は不思議と日本の戦前の原風景のなかで展開された。

創作欄 徹の青春 1

2018年09月26日 11時23分26秒 | 創作欄
2012年3 月 7日 (水曜日)

高校生の徹は、ある大学の芸術学部を目指していた。
映画界や芸能界にその大学の出身者が多く名を連ねていた。
また、その大学の芸術学部の出身者には、いわゆるマスコミ関係者も多い。
徹が住む材木町の近所に住んでいた先輩の一人がその大学に合格し、帰郷した時に大学の話を誇らしげにしたのを徹は羨望の目で聞いた。
徹は群馬県の沼田の高校生であった。
高校生の徹は将来に夢を抱き、映画や絵画に興味をもち多感だった。
沼田城址で度々、1年後輩の彼女とデートを重ねながら、未来に夢を馳せていた。
その日、秋の夕陽は徐々に傾き子持山に隠れようとしていた。
紅葉した桜の葉が風に舞っていたのを、徹が見詰めていた。
沼田城の石垣だけが、いにしえの名残を留めていた。
「私のこと将来、お嫁さにしてくれる?」
握りしめていた加奈子の手に力がこもった。
徹は加奈子の体を再三求めていたが、それまで拒絶されていた。
徹は同級生たちから性の体験を聞かされていたので、実体験を欲していたのだ。
だが、人生には何が起きるか分からないものだ。
このことは、徹に実に暗い影を落としたが、後で徹の美登里宛の手紙の形式で記す予定だ。
17歳の徹には、14歳の妹が居た。
昭和20年、父が硫黄島で戦死して、母は戦後に父の弟と再婚した。
そして妹の君江が生まれた。
妹は徹のことを子どもの頃からとても慕っていた。
徹が嫌がっていたが、妹が一緒に風呂に入りたがっていたし、寝床にも潜り込んできた。
それは、妹が初潮を迎えてからも続いていた。
「お前は、女の子なんだ。もう、一緒に風呂へ入るのはよそうな」
ある日、囲炉裏傍で徹は、炭を足しながら言った。
突き放された君江は、悲しそうに徹を見つめていた。
鍋の煮物から香ばしい匂いが漂っていた。
当時、母は僅かな田で米を収穫したり、畑に色々野菜を栽培いた。
また、蚕も育ており、それが我が家の収入源となっていた。
2012年3 月 8日 (木曜日)
創作欄 徹の青春 2
徹は義父から尾瀬沼のことを聞かされていた。
明治23年(1890年) 平野長蔵が、沼尻に小屋を設置した、これが尾瀬開山の年とされる。
そして、 昭和13年(1938年)日光国立公園特別地域に指定された。
昭和31年(1956年 )国指定天然記念物になり、ブームが起こったが、尾瀬沼は、徹の父の世代は観光地ではなかった。
「お前の親父さんと、俺と沼田中学の先輩と3人で、尾瀬沼へ行ったことがあるんだ。バスなんか当時はないから、尾瀬沼まで沼田から歩いていった」義父は囲炉裏端で煙草のキセルを吹かしながら誇らしげに語った。
「印象に残っているんだが、ともかく熊笹が多かったな」
義父の話に妹の君江が目を輝かせた。
「私、尾瀬沼へ行ってみたいな。兄ちゃん行こう」
君江は何時も囲炉裏端で、兄の徹に寄り添っていた。
そして甘えるように膝を密着させてきた。
徹はその膝の感触に戸惑う。
義父の話で初めて分かったのであるは、沼田中学の先輩は偶然にも加奈子の父親であった。
徹の父は硫黄で戦死し、加奈子の父親はガダルカナル島で戦死していた。
二人は旧制沼田中学の同期生であったのだ。
加奈子は父親が戦死した翌年の昭和20年3月に生まれた。
徹の同級生たちには、父親が戦死し母子家庭に育った生徒たちが少なくなく、それぞれが憂いを秘めたように寡黙であった。
徹が加奈子に心が惹かれたのは、その寡黙さと下向きな感情であった。
徹が高校生の2年の6月、加奈子と妹の君江と3人で尾瀬沼へ行く。
中学生の時、授業で「日本の植物学の父」といわれた牧野 富太郎の存在を知った。
牧野は多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。
長蔵小屋の名で知れる平野長蔵は、日本最高の植物学者である牧野富太郎が駒草の花を大量に採ってきたとき怒鳴り叱ったとされる。
あの日、徹たち3人は、長蔵小屋に泊まった。
2012年3 月 9日 (金曜日)
創作欄 徹の青春 3
バスが老神温泉を過ぎたころ、「あ、順子だ」と声を発して加奈子が立ち上がって、左側の前の席へ向かった。
声を掛けられて、お下げ髪を結った少女が振り向いた。
顔立ちが加奈子に似ていた。
「今日、帰ってきたん?」
つり革につかまりながら、加奈子が笑顔で問いかけた。
少女はうなずくが、笑顔を見せなかった。
「お母さん、もう、ダメだって・・・」
少女は深く頭を垂れた。
「おばさんが?」
少女は顔を上げずにうなずいた。
つり革から手を離した加奈子は、口に右手をあてがい涙ぐんだ。
そして、加奈子は席へ戻ってきて、「私、次のバス亭で降りていい」と徹に聞く。
「何故?」徹は驚いて聞く。
「おばさんが、死にそうなの」
徹は言葉を失った。
妹の君江は座席にもたれて寝ていた。
加奈子は少女の席へ向かった。
だが、意外な反応が起きた。
「ダメ! おかさんは、誰にも会いたくないて言っているの!」
少女の声は甲高くなった。
加奈子は絶句した。
死を迎えた人が、「誰にも会いたくない」ということがあるのだろうか?
だが、少女の母親は骨肉腫の手術で顔面を大きく損傷していたのだ。
少女は次のバス亭でボストンバックを抱えて降りていった。
バス停には、少女の4人の妹や弟が待っていた。
「あの人は、誰なの?」徹は背後を振り返って聞いた。
左右に田圃が広がる1本道であり、バスの窓から少女たちの姿がいつまでも見えた。
「私の従妹なの。中学を卒業して、東京の大田区の町工場で働いているの」
加奈子に聞くとこころによると少女の父親も戦死し、母親に育てられていた。
その母親も、徹の母のように再婚していた。
3人の楽しいはずの尾瀬沼行きに暗い影を落とした。
2012年3 月10日 (土曜日)
創作欄 徹の青春 4
バスは沼田から老神温泉~鎌田~戸倉を経て鳩待峠に到着した。
鳩待峠(はとまちとうげ)は、群馬県利根郡片品村にある峠である。
尾瀬ケ原や尾瀬沼に行くには山を超えて向かう道程がある。
旧制沼田中学の学生であった徹の父と加奈子父のたちが、熊笹を分け入って行ったとされる登山道を辿るのである。
「父たちも昔、この道を行ったのね。胸がとても高鳴る」
加奈子は足をとめて群生した熊笹を見つめた。
脇を歩いていた徹の妹の君江は、「加奈子さんは、鳩胸だね」と言った。
14歳の君江は、自分の薄い胸を意識しながら、16歳の加奈子の豊かな胸に眼をやった。
セーラー服ではそれほど目立たなかったが、黄色のセーターを着た加奈子の胸に徹は改めて目を留めた。
君江と加奈子は同じようなポニーテールであり、ニットの帽子をかぶっていた。
君江の帽子は水色で、加奈子の帽子は紺色であった。
啄木鳥がブナ林の中で鳴いていた。
3人は自然を満喫し、深呼吸をしながら一歩また一歩と山道に足を運んだ。
原生林には、立ち枯れの木もあり、自然の姿に圧倒され、癒され、穏やかな血流が体にしみわたっていくようであった。
太古の昔からの自然の営みを想った。
自然に朽ちていく樹木もあれば、雷に打たれた木もあるだろう。
「戦死した父たちの分をも生きたい」
徹が鳥の声に耳を傾けていると、加奈子が独り言のよう呟いた。
バスの中で偶然出会った加奈子の従妹も父を戦争で亡くしていた。
「僕らは、特別の世代かもしれないね」
17歳の徹を含め、父親を戦争で失った世代がまさに青春を迎えているのだ。
君江は母が徹の父の弟と再婚して、戦後に生まれたのであった。
鳩待峠から山の鼻に至る山道ではミズナラの木が見られた。
どれくらい歩いたのだろうか?
3人はあいにく腕時計を持っていなかった。
尾瀬ヶ原の入口・山ノ鼻に到着した。
6月の尾瀬は水芭蕉などが咲き誇って、凄くキレイであった。

2012年3 月11日 (日曜日)
創作欄 徹の青春 5
徹は、詩人・小説家の室生犀星の抒情小曲集の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」の詩句に出会って、室生犀星に興味を持った。
そして、『性に目覚める頃』も本屋で買って読んだ。
その小説は、寺の子として育った青少年の「性」の目覚めと葛藤を描いた作品である。
作家の実体験をもとに書かれていた。
そして犀星が幼少の頃に過ごしたとされる雨宝院が登場する。
徹は犀星と同じような「性」の目覚めと葛藤を覚えていた。
たぎるほどの性への衝動とそれを抑制するために、常に葛藤もしていた。
小説には作家・室生犀星の赤裸々な実体験が書かれており、その体験の赤裸々さはそのまま徹にも色濃く投影されたのだ。
だから、妹の君江と加奈子の3人で尾瀬へハイキングに行くことにした。
加奈子と二人きりになったら、徹は性の衝動を自制することが出来ないと自分を怪しんだのだ。
思春期の男の子のように、女の子も「性」に目覚め、葛藤することがあるのだろうか?
徹は度々想ってみた。
話は前後するが、1956年に売春防止法が制定され、1958年4月1日から完全施行された。
それは徹が中学校3年になった14歳の時であり、近隣の高校生までが、いわゆる売春宿が廃業する前に、駆け込み的に性の体験を求めて売春婦を求めて沼田にもあった色街へ行ったのだ。
そして、19歳の徹の従兄の浩までが売春宿へ足を運んで、性の体験談を自慢話として徹たち中学生に聞かせていた。
みんなが固唾を呑んで、その体験談を聞いていた。
「お前たち、まだ中学生で残念なことをしたな」
従兄の浩はタバコを吹かしながら、みんなの顔をニヤニヤしながら見回した。
17歳になった徹は、16歳の加奈子の体を求めたが拒絶されていた。
「結婚前は、ダメ」
その時の加奈子の表情は、言い知れぬ悲しい表情をしながらポニーテールの頭を振った。
それが1960年(昭和35年)ころの高校生の女の子の普通の貞操観念であった。
貞操観念とは、異性関係について純潔を守ろうという考えのことを指す表現。
2012年3 月12日 (月曜日)
創作欄 徹の青春 6
尾瀬は果てしなく広がる湿原地帯だった。
そこから3人の尾瀬沼一周ハイキングのコースが始まった。
尾瀬を訪れる観光客や登山客たち全員湿原の草の上を歩いたら貴重な植物は失われてしまうだろう。
環境保全のため、歩いて良いのは湿原の上に作られた木の板の歩道のみであった。
木道を歩みながら加奈子と君江が「夏の思い出」を歌った。
「加奈子さん、歌がうまい」
先頭を歩く君江が感嘆して振りかえった。
徹は加奈子が歌うのを始めて聞いた。
徹はラジオ世代で育ったので、声にはとても敏感である。
1952年(昭和27年)、NHK連続ラジオドラマ『君の名は』が放送開始された。
徹が9歳の頃であったが、番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という来宮良子のナレーションが流れ、「忘却とは忘れ去ることなり」は流行語にもなった。
そして、主人公の氏家真知子役の阿里道子の美しく可憐な声は今も徹の耳に残っている。
徹は改めて加奈子の甘美な声に魅せられた。
徹の母親は、戦死した夫の思い出を重ねるようにして、ラジオドラマに耳を傾けながら、涙を流していた。
戦争の最中空襲で男女が偶然に出会い、その後は運命に翻弄されるドラマは、戦後まだ7年が経過した歳月の中であり、国民の多くの人たちの心を揺さぶるドラマとなった。
思えばラジオから流れる声が人々の想像を駆り立てるように、加奈子の美しい歌声は徹の胸に深く響いた。
水芭蕉は満開で丁度見頃であり、尾瀬は気持のよい至福の時間であった。
「きれいね」と君江がかがんで水芭蕉を眺めた。
澄んだ水を湛える尾瀬沼に至仏山が映じていた。
あるいは、時々小川のせせらぎの音がかすかに聞こえてきたので、加奈子は耳を傾けるように立ちどまった。
悠久の歴史を秘める尾瀬は、特有の貴重な植物群落が見られ昭和31年に天然記念物に、徹たちが尾瀬を訪れた昭和35年には特別天然記念物に指定された。
尾瀬沼が見える手前に分岐があった。
この分岐で右回りか左回りかを決定する。
ここから沼の折り返しとされる沼尻休憩所まで、右回りの場合約3kmで1時間要し、左回りは約4kmで1時間20分。
この分岐で左に行く人が多かったのでそれに付いて、3人は長蔵小屋のある方向へ行った。
尾瀬ヶ原には、相対するように二つの山が有る。
至仏山(2,228m)と燧ケ岳(2、346m)だ。
両山とも深田久弥の日本百名山に選定されている。
歩き始めてから1時間ほどで3人は長蔵小屋のある休憩所に到着した。
長蔵小屋は昭和9年に建築されたが、こば板葺きの屋根や黒光りする木の廊下など、落ち着いた風情が漂っていた。
徹が確認したら収容人員は約300人であった。
3人は長蔵小屋に泊まることにした。
2012年3 月13日 (火曜日)
創作欄 徹の青春 7
「私たちの罪ね」
加奈子は肩を激しく震わせて、徹の腕の中で豊かな胸を当てて泣いた。
沼田城址の桜の木立で競うように蝉が鳴いていた。
陽は子持山に隠れようとしており、時折遠雷が聞こえ風は激しく木立を揺らした。
徹は人影を感じていたが、加奈子を強く抱き寄せて加奈子の唇を吸った。
加奈子はポニーテールの頭を振るようにして、徹の口を避けた。
徹は欲情を抑えらないので、激しい息遣いのなかで再び加奈子の頭を両手で押さえて顔を強引に引き寄せた。
「ヤメテ、今日はダメ!」加奈子は激しく身を捩った。
徹は加奈子の女心を理解していなかった。
話は前後するが、尾瀬のハイキングで長蔵小屋に泊った日、徹は加奈子の豊かな胸を弄った。
妹の君江が隣で寝息を立てていた。
加奈子は、しばらく徹の手をそのままにしていたが、「もう、ヤメテ」と強く手を払った。
「おばさんが、死にそうなの。それを考えると私寝られないの」
加奈子は徹に背を向けて、咽び泣いた。
徹は身を起して、「悪かったね」と加奈子の背向かって声をかけた。
人生には、何が起こるかわからないものだ。
尾瀬のハイキングから、2か月が過ぎていた。
沼田の祇園祭は全国各地の祇園祭の例に見られるように、京都の八坂神社祇園祭に端を発している。
沼田祇園祭を「おぎょん」と呼んでいた。
加奈子と君江を誘って徹は「おぎょん」へ行く。
加奈子の浴衣姿は豊かな胸を一層際立たせていて、徹は欲情を駆り立てられた。

「おぎょん」と呼ばれた沼田祇園祭は、8月3・4・5日の3日間開かれていた。
“蚕すんだら沼田のまつりつれていくから辛抱おしよ”と唄われていた。
勇壮豪快な御輿が並んで街を練り歩くが、優美華麗な山車運行が祭りの主役でもある。
この山車のことを「まんどう」と呼ぶのも沼田の独特である。
その日も200軒を越える露店が集まっていた。
群馬県沼田の夏祭りは、この「沼田まつり・おぎょん」で終止符を打ち、『おぎょん』を境にして農家は農繁期に入るのである。




夢みるこども基金だより№23号

2018年09月26日 07時41分53秒 | 夢みるこども基金
☆夢みるこども基金事務局よりお知らせです☆
 夢みるこども基金だより№23号を平成30年9月14日付で発行しました。
今年の夏のイベント「耳の不自由な人のために聴導犬を育てたい」などを中心に、今年の活動状況をまとめています。
 多くの方々のご協力を得て、これからもこども達の夢のキャンペーンを広げていきたいと思います。
 基金だよりをご希望の方は、基金事務局へご連絡ください。

"競輪女子"が急増中!!

2018年09月26日 06時54分56秒 | 未来予測研究会の掲示板
今女性の間で密かにブームになっている競輪の魅力とは?
20代~40代の女性の間で密かなブームになっている"競輪"
競輪全盛期から比べ人気は低迷し、廃れたギャンブルという認識を持たれがちだが、意外や意外。
今競輪選手の応援や競輪場でのイベントに参加するべく足しげく通う"競輪女子"が急増中!!
今競輪界で何が起こっているのかを徹底解明しちゃいます!!

競輪選手の魅力


鍛え上げた自分自身の肉体で勝負できること. 競輪は、自転車に乗って競争する競技です。
そして、その自転車は自分の足でこぎます。
自分の肉体だけが原動力です。
鍛え上げた肉体を駆使して自転車をこぎ、その速さを競うところが、競輪の一番の魅力 でしょう。
実際、高校や大学の自転車競技部で活躍した選手はもちろん、種目は違っても、高校、大学でスポーツ選手として活躍した肉体自慢が、競輪選手になっています。
恵まれた肉体を鍛え、鍛え上げた肉体でお金を稼ぐことが、競輪選手にとっては大きな魅力になっ ...
競輪の魅力. 競輪は、協力しながら駆け引きするライン戦に注目. 風の抵抗、体力の消耗、さまざまな要因を考慮した高度な戦略がぶつかります。
前半が頭脳戦、後半が総力戦のレース展開. 位置取りによる読み合い、ラストスパートの全力疾走。
レースに潜む二面性に注目します。
独特な自転車とそのスピード性能. 競輪専用の自転車「 レーサー」の特徴を紹介します。 選手のランク分けにより、実力が伯仲してレースの興奮度がアップ. 6つのグレードに分けられた、同ランク同士のエキサイティングな戦いが見られます。

競輪って純粋に面白い!その魅力と楽しさに迫る - もぐもぐめんぼうの ...
あなたは、 競輪やったことありますか? 一昔前は、直接会場へ行ったり、サテライトへ行ったりしなければ買えませんでしたが(厳密には、電話投票があった)、最近ではネットが進化してやろうと思えば、誰でもどこででもできるようになりましたね。 こんなに身近になった競輪ですが、実は売上が落ちています。 1991年度は1兆9553億円売上がありましたが、2013年度には6063億円まで減少しているんですね。 しかし、競輪が嫌われ ...
ライン戦

鍛え抜かれた選手たちが乗る自転車のスピードは、時速70km/hを超えることもあります。
その分空気抵抗の影響が大きく、そのまま走っていては体力を消耗してしまいます。
そこで誰かの後ろに入って空気抵抗を抑えようとします。
でもただ個人で空気抵抗を抑えるだけだと、レースに勝てなくなってしまいます。
そこで考えられたのが数名の選手たちが隊列を組んで協力しながら走る方法がラインです。

同じ地元同士や仲の良い県同士などでラインを組んだりして、
他のラインの選手をブロックしたり、仲間の空気抵抗を減らしたりして走ります。
競輪選手

競輪は全力でペダルを踏み、物凄いスピードの中ぶつかり合う事が日常茶飯事です。
競輪選手たちは肉体を鍛え上げ、極限のスピードを追求して接触にも耐えなければなりません。
特に太ももの鍛え方は尋常ではなく、中には片方だけで74cmもの太ももを持つ選手がいるほどです。



競輪選手の精神力

競輪選手にケガはつきものと言われ、どうしても大怪我などのアクシデントやトラブルにあってしまいます。そのような逆境を乗り越えてバンクに帰ってくる選手たちの精神力は、鍛え上げられた肉体以上に凄いかもしれません。

自転車

競輪で使われる自転車は『レーサー』といい、ブレーキも変速機もありません。ギアが固定されていて空回りしないようになっています。
極限のスピードを追求するために余計なものはすべて取り払ってあります。
一般的な自転車が約18kgに対してレーサーは約7kgまで軽量化してあります。



、底辺で張りめぐらされていると自負している」(p.243)、と。しかし一方で「私は自分自身のことを人間失格だと思っている」(p.5)とも書いている。

親兄弟との縁が薄くなっているばかりか、社会の構成単位である家庭をすら満足に築くことができなかった。その原因の大半は、私の生活に依っているが、博打好きだったという点も、わずかばかり影響しているだろう。  (p.5)

かなり控えめに書かれているが、「わずかばかり」の影響では、なかっただろう。
色川武大の、弟との確執を描いた小説を思い出す。
ギャンブルから得た<人生観>とは、どのようなものだったのだろうか。白川は大学生の頃から、こじんまりとした人間にはなるまい、その輪を精一杯拡げて生きてみようとしていた。その限界で得られるもの・体験こそがその人物の値打ちであると思っていたのではないか。そんな体験を基にして作家になった。作家の価値観は<人間失格>の価値観を包み込む。そんな価値観の下に目いっぱい拡げられた、厚みのある<人生観>がある、ということだろう。白川の作品にはそんな安定感がある。

白川は競輪ファンの成長過程を4段階に分けている。
第1段階 選手も競輪の理屈もほとんどわからないのに、ただギャンブルとしての競輪をおもしろがっている。
第2段階 選手の名前や戦法、競輪の理屈などがわかってきて、自己流の車券戦術がたてられるようになる。
第3段階 競輪の奥深さを知ると同時に、怖さも知る。ファンを続けるか、キッパリ足を洗うかの正念場を迎える。
第4段階 感情の抑制もできるようになり、負けても翌日まで引きずることがなくなる。

第3段階はかなりの個人差があるのではないだろうか。ギャンブルで失敗して自殺した人や転落して自堕落になって消えた人も多い。第4段階までたどり着けていない。また深みにはまりこまないように自重して、浅瀬を迂回した人も多い。白川は、自分は今第4段階にいると書いているが、深みをしのいで渡り第4段階にまでたどり着けているのは、幸運と才能に恵まれていたからだろう。

第4段階は、別の言い方では、こんな風に書かれている。

つまるところ、私がギャンブルをやっているのは、自分自身の今、を確かめたくてやっているようなもの、と言えなくもない。  (p.244)

寺山修司もこのようなことを書いていたが、寺山(または寺山ワールドの登場人物)の場合には中心にギャンブルがあるわけではないことの反映である。しかし深みをしのいで渡って第4段階にたどり着いた人も、ギャンブルがもはや中心ではなくなっているのでは、ないだろうか。

白川はこの本の終わりで、競輪引退の決意を述べている。
その理由として、本業(*作家のこと)の都合上、経済的な理由、その他いろいろある、と。記憶力が落ち、体力の衰えがもっとも大きな理由だったのではないだろうか。衰えとともに見えてくる人生の終末。中心はそちらへ移っていったのではないだろうか。


阿佐田の勧める買い方をまとめると、つぎのようになるだろうか。
①レースパターンを抽出・分類し、配当の妙があるパターンを見つけること
②「見」が大事であること
③勝つときは大きく勝つこと

①は阿佐田自身の経験に基づいている。「一定の買い方をしていると、通算してプラスになる」レースパターンのことで、阿佐田はそんなパターンを18種類くらいもっていて、楽にプラスになっていた。
ただ、これは20年くらい前の話で(『競輪教科書』が平成元年に出版されているから、昭和40年代の半ば頃か)、当時もすでに「自力屋」が台頭してきていて、レースパターンを複雑にしていたが、現在ではさらに増加してきている。
したがってチャンスパターンはさらに少なくなっているか、信頼度が下がってきているのではないだろうか。

ただ問題は、そんなチャンスパターンを見つけ出そうと、レースをいろいろに分析し、分類してしまう傾向(あえて資質といわない)である。そこには勝つためにギャンブルをやる、ということが身にしみついていた。

対極にいるのが寺山修司で、彼の賭けは、自分の運勢を占うためであった(実際の競馬コラムでは、けっこう本命馬を押さえたりしているようだが)。
この言い方はかなり奥が深く、儲けようと思ってやっているうちに、負けがこむと、そうとしか思えなくなる、そんな相対化のトゲをもっていた。

②「見」は毎レース買って、しだいに資金を減らしていくギャンブル愛好家と真に勝つためにやる人とを分ける分水嶺というか溝のようなものである。また、③とも関係している。

『競輪教科書(バイブル)』に、弟子入りしてきた<プリ夫>に最初に教えたのが「見」であった。

「ただ、見ているだけですか」
「面白くないだろう。仕事が面白いというのが、まずいけない。面白くないことをしなくちゃ、仕事にならない」
「今まで、ずいぶん見てきましたが」
「生意気いっちゃいけない。まず、見(ケン)が第一歩。見はギャンブルの予備運動。力士が四股をふむようなものだ」  (『競輪教科書』p.10)

必勝本の類は世にたくさんあるが、この教科書がまさしくバイブルであるゆえんである。「見」は精神修養にもなっている。













「新潮45」休刊へ

2018年09月25日 20時24分45秒 | 社会・文化・政治・経済
LGBT特集で「原稿チェックおろそか

―新潮社
9/25(火) 18:38配信

 新潮社は25日、LGBT(性的少数者)に関する論文掲載をめぐり批判を集めていた月刊誌「新潮45」を既刊の10月号までで休刊すると発表した。

 数年来の発行部数低迷を受け、「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになった」ことを背景に挙げている。

 同誌は8月号の特集で、杉田水脈衆院議員の論文を掲載。LGBTの人々には「生産性がない」などとした点が批判を浴びながら、10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と杉田氏を擁護する特集を改めて掲載。
一層の批判を集め、「常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」とする佐藤隆信社長名の声明を出す事態となっていた。

 同社は25日発表した文書で「このような事態を招いたことについておわびする」と正式に謝罪。
休刊について「会社として十分な編集体制を整備しないまま、刊行を続けてきたことに対して深い反省の思いを込めて決断した」と説明している。 

【関連記事】
杉田氏不処分「若いから」=安倍首相
「常識逸脱した偏見」=月刊誌LGBT特集で見解-

安曇野に似た昭和30年代の取手の風景

2018年09月25日 14時21分47秒 | 日記・断片
取手生まれ、取手育ちの寺川さんが言っていた。
「長野県の安曇野へ行った時は、風景が昭和30年代の取手のようだったね。小高い山が周囲に見えて、どこまでも田圃が青々と広がっていたよ。小川も流れていたな」
船の形をした船山も存在し、沼地も点在していたそうだ。
「それに、取手のどこかられ筑波山も見えたな」
「競馬場もあって、近くに我が家の畑もあったんだ」
「そうですか、取手のその頃の写真は残っていませんか?」
「あの時代、カメラの趣味はなかったな」
小学校5年生の時、カメラを買ってもらい、花や蝶、トンボ、犬や雲の写真を写したが、自分には景色を映した記憶がない。
多摩川、田園調布、雪谷、洗足池界隈、蒲田、浅草、有楽町、銀座、新宿、渋谷などの街の写真を写しておけば良かった。
「君は何歳、写真上手ね」と写真屋さんに褒められていたのだが・・・。






長野県の安曇野



<悩む>ことがあっても<迷う>ことはない

2018年09月25日 13時58分42秒 | 社会・文化・政治・経済
一流の人には共通点がある、そうだ。
それは、何があろうと<鍛錬の道>を自信を持って突き進む精神力。
人は不調に陥ると、環境に振り回されるばかりに。
焦ってしまい、これまでのやり方と違った、何か特別なことをしなくてはと試行錯誤をする。
結局は、あれこれと手を出し、自分自身をを崩してしまう。
一流の人は、<悩む>ことがあっても、<迷う>ことはない。
不安を紛らわせるだけの小手先の解決策を求めて迷走せず、信念の努力を積み重ね、逆境を跳ね返すことだ。
人生の社会も、変化の連続。
揺るぎない信念、哲学を持つ人は負けない。




2018年セリーグ成績表(9月4日現在)

2018年09月25日 13時23分41秒 | 社会・文化・政治・経済
広島  133試合 77勝 54負 2引分 .588勝率 
    打率.264 得点678 本塁打171 打点654 盗塁83

ヤクルト132試合 67勝 63負 2引分 .515勝率
    打率.268 得点610 本塁打125 打点584 盗塁64

巨人  137試合 63勝 69負 5引分 .477勝率
    打率.255 得点594 本塁打141 打点575 盗塁60

DeNA  133試合 62勝 69負 2引分 .473勝率
    打率.251 得点538 本塁打170 打点521 盗塁71

阪神  129試合 58勝 69負 2引分 .457勝率
    打率.256 得点544 本塁打83 打点522 盗塁67

中日  138試合 61勝 75負 2引分 .449勝率
    打率.265 得点582 本塁打93 打点563 盗塁59

阪神 勝率5位 打率4位 得点5位 本塁打6位 打点5位 盗塁3位
これでは、3クラスのはず!

阪神 貧打撃 3位・Aクラスは遠退く。

2018年09月25日 11時57分10秒 | 社会・文化・政治・経済
阪神9月24日デイリースポーツ
「阪神-巨人」(24日、甲子園球場)

阪神打線が六回まで1安打に封じられ、右翼スタンドから「気合を入れろ、タイガース」のコールが鳴り響いた。

白熱した投手戦。0-0の六回2死からファンのゲキが飛んだ。
糸原が四球で出塁するも、続く森越が三振に倒れて無得点。メルセデスをなかなか攻略できないでいる。

甲子園騒然 不可解判定…巨人阿部の打球、塁審アウトのジェスチャーも判定覆る2018年9月24日
7回巨人無死二塁、阪神・金本知憲監督(左)は巨人・阿部慎之助の打球の判定をめぐり橘高塁審に抗議する


阪神がまたも不可解判定を受けた

 0-0で迎えた七回、無死二塁の場面。5番・阿部が打ったライナー性の打球が一塁に飛んだ。
一塁・ナバーロが捕球すると、塁審・橘高がアウトのコール。
飛び出した二走・岡本を刺そうとした送球が反れた。
この間に三塁に進まれたが、阿部は一塁に残ったまま。

 巨人・高橋監督がベンチを出ようとすると、審判団が集まって協議。
数分後、責任審判の橘高一塁審が「ファーストライナーでアウトと判定しましたが、4審判で協議の結果、ショートバウンドのキャッチとし、ノーアウト、走者一、三塁で再開いたします」とアナウンス。
これに阪神・金本監督がベンチを飛び出して抗議したが、覆らなかった。

 記録は阿部の出塁が一塁・ナバーロの野選。
岡本の三塁進塁は一塁手の失策とされた。それでも、この最大ピンチで岩貞が長野を捕邪飛に仕留めると、ゲレーロを見逃し三振に、大城を空振り三振に斬って、無失点で脱した。

 阪神は7月4日のヤクルト戦(神宮)でも、ヤクルト・藤井の走塁に関する判定で、NPB側が後日、誤審を認める異例の事態が起きている。
「阪神0-0巨人」(24日、甲子園球場)

 阪神がまたも不可解判定を受けた。試合後、谷本球団本部長は、球団として意見書を提出する考えを明かした。
試合は両チームとも得点が遠く、延長十二回までゼロ行進で引き分けた。

 0-0で迎えた七回、無死二塁の場面。5番・阿部が打ったライナー性の打球が一塁に飛んだ。
一塁・ナバーロが捕球すると、塁審・橘高がアウトをコール。
そして、飛び出した二走・岡本を刺そうとした送球がそれた。
この間に岡本は三塁に進んだが、阿部は一塁に残ったままでいた。

敢闘会の案内状を持って会員宅を訪問

2018年09月25日 11時38分21秒 | 日記・断片
午前10時、寺川さんとミスターマックスの駐車場で待ち合わせて、敢闘会の案内状を持って会員宅を訪問する。
その前に、雇用促進住宅に住む矢沢さんの奥さんが、「どこの歯科医院がいいのかしら?」と訪ねてくる。
故郷の大分のゆず柿と、福沢諭吉の1万年煎餅を持参して。
食事が終わって、間もなくで家人が慌ててテーブルを片づけたり、布団をしまったり。
「昨日、電話をかけたけれど、お留守だったので・・・」
「インプラントはどうなの?」と問う。
ご主人が長年人工透析を受け、闘病していたところ、昨年亡くなっている。
息子さんは1昨年の1月3日、鹿島港で海釣りをしていて、溺死した。
泳げなかったのである。
息子たちはスイミングスクールへ行っていたが、彼は泳ぎが好きでなく、取手小学校のプールでも泳いでいなかった。
「大好きな釣りで死んで・・・」と半分、諦めたそうだ。
遺骨は未だ、仏壇にある。
「お墓、どこがいいのかしら?」と聞く。
家人は「インプラントより、お墓を買うのが先」と矢沢さんが帰った後に嫌味を言う。
当方は、雇用促進の友人たちの最近の消息を聞けて、矢沢さんにお礼の言葉を述べる。
最近は、3年か4年に1度、彼らを訪ねていくのみ。
さて、敢闘会の会員宅訪問、雨が降り出す。
まず、小堀(おおほり)地区の赤嶺宅。
駐車場に居たので、そこで案内状を手渡し、立場話し。
「寺川さんの車、怖かった?」
「命がけの想いです」
「スピード出すだろう。みんな怖いと言っているよ」
「実際、怖いです」
「先ほど、ガスの仕事で隣の家まで、倉田さん来ていたよ」
「そうですか」
ついで、井上宅へ。
ご本人が出てきた。
頬がこけている。
「支部の会合、赤嶺さんの家で毎週、やってますが、来ませんか」
「忙しいと思って、案内こないね」と井上さんが言う。
この後は、石田さん宅へ。
いつもは2台の車が庭にあるがない。
やはり、留守である。
猫の話を寺川さんがする。
「にゃん子は、生き物だから大変、12歳のにゃん子は高いとこから落ちて怪我して腫れて、可哀想なので、病院へ連れて行った。治療費は7500円、熱中症のにゃん子も治療費が7000円、年金生活で貯蓄も減るばかり、4度も就職で面接に行ったけど、65歳までと断られた。年齢は待ってくれない。4匹の猫の世話が大変。にゃん子のトイレの砂を遠くまで捨てに行いきたいが、今日は雨で延期だね」
今年、1月、5匹の猫の1引匹は心臓が止まり死んだそうだ。
雨は一時小降りとなったが、台宿地区の鈴木さん(留守)、平川さん、石井さん、最後の訪問先の倉田さん宅へ行った時は、大粒の雨に打たれた。
「傘、どうぞ」と奥さんに手渡されたが、「車ですから、大丈夫です」と遠慮した。
皮肉なもので、家は戻ったら雨は止んでいた。

輪子の競輪日記 大波乱

2018年09月25日 03時38分37秒 | 未来予測研究会の掲示板
向日町競輪場GⅢ 平安賞
11レース準決勝戦

「今日、1番かたいレースだな」と輪子の指南役の電電公社の武蔵さんが言っていた。
元法務省のほら吹きさんもうなずいていた。
「取れるレースしかやらない」が持論の土浦の山田さんも「勝負だな」と1万円札を数枚を膝辺りのポケットから取り出す。
濃紺の土建業の作業ズボンは独特なデザイン。
競輪用、収支ノートを30年も綴る武蔵さんは、堅実そのもの。
「輪子も、収支ノートつくれよ」とアドバイスする。
でも、輪子は実行していない。
1番人気は9番菅田壱道選手
2車単9-4 570円 9-5 800円 9-3 1010円
3連単9-4-3 1480円 9-4-5 1880円
3連単9-5-4 2670円 9-5-3 32680円
皆さん、この範囲内で勝負。
でも、「競輪、これでは面白くない」と9-4の1番人気をあえて買わない人もいる。
それが川口のチャップリンさん。
非凡な人だと輪子は関心を寄せている。
「京都の地元に勝って、もらおうや」と1番の山田久徳選手流しの車券。
確かに、2日目の10レース二次予選で見せた捲りで1着の山田選手の脚は光っていた。
1-5を厚めに、1番から総流し。
5番の稲垣裕之を軸にしないところが、チャップリンさんの非凡さ!
結果は?
8番手に置かれた1番人気9-4ラインは捲り不発。
6番金子哲大選手はスローペースに持ち込み、逃げる。
6-7-2 1-5-8 3(単騎) 9-4の展開に。
波乱を選出したのは7番成清貴之選手の失格走行。
このため、稲垣裕之選手もあおりを受けて失速して、5着に。
3番、8番選手を落車させる。
1-2-6に500円!
何と!254万4300円をゲットしたチャップリンさん
「オッズを見ていなかったんだ」と大興奮していたの。

1 山田 久徳 93 京都
2 齊藤 竜也 73 神奈
3 園田  匠 87 福岡
4 菊地 圭尚 89 北海
5 稲垣 裕之 86 京都
6 金子 哲大 95 埼玉
7 成清 貴之 73 千葉
8 伊代野貴照 101 奈良
9 菅田 壱道 91 宮城













真実の人間の偉大さとは何か?

2018年09月24日 11時49分33秒 | 社会・文化・政治・経済
新しい歴史の扉は、青年によって開かれる。
幕末から、明治維新へ。
若い逸材が陸続と育ち、いかんなく力を発揮してこそ、国も、社会も、団体も、永続的な発展がある。
現代にあって、青年の役割は?

「真実の人間の偉大さとは何か?」
それは、行動によって決まる。
人間を基軸とした、社会の発展、平和の実現。

私設図書館

2018年09月24日 11時31分06秒 | 社会・文化・政治・経済
人間の強さとは、肉体的な能力によるものではなく、不屈の精神力によるものである。
ガンジー
大いなる理想のために、書き続ける不屈の魂。
インド・ガンジー研究評議会のN・ラダクリシュナン議長

一番重要な人とは今この瞬間に目の前にいる人-トルストイ

今、頑張っていること、挑戦していることは?

私設図書館
京都の静かすぎる図書館としてNHKドキュメント72時間密着にとりあげられるのは私設 図書館。
場所は白川にあるカフェ風自習室。
民間経営の自由な雰囲気で京大生にも愛されている。
私設図書館:深夜午前0時の閉館まで明かり。
哲学の道の方向に進むと「私設図書館」という看板を掲げた古い白壁の建物がある。
どこか洋館の趣を感じさせる建物は、読書にふける人、試験勉強に励む学生らに愛される知る人ぞ知る図書館で、40年以上続いているらしい。