新潮45の休刊問題

2018年09月28日 06時51分04秒 | 社会・文化・政治・経済
最盛期は10万部、最近は平均1万6800部にまで落ち込む。
雑誌ジャーナリズムは、人間や社会の本音を描き、議論を巻き起こす「商法」。
過激は表現で世の中の醜悪さを報じることもある。
背景には、出版市場の低迷への焦りもあり、安易な記事や、常識を逸脱した特集もある。

「新潮45」LGBT差別…
江川紹子が指摘、休刊だけですまされない問題の本質
連載 > 江川紹子の「事件ウオッチ」
2018年9月25日 - 杉田水脈衆議院議員が、性的少数者LGBTの人々を「生産性がない」などと書いた文章を掲載した、新潮社の月刊誌「新潮45」(新潮社)が、同議員を擁護する特別企画「 そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」(同10月号)で、さらなる批判を浴び
むしろ、11月号で休刊とし、同号をこの一連の「事件」を検証する特集にするべきではなかったか。
同社や社長や新潮45編集部が何を問題としたのか、なぜこうなってしまったのかということを説明するべきだ。

月刊誌『新潮45』が休刊!問題の

2018年9月25日 - 新潮社が9月25日、月刊誌「新潮45」の休刊を公式サイトで発表した。 同誌は、8月号に杉田水脈氏が同性愛者について「生産性がない」と記した寄稿文を掲載、さらに10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した特集を組んで批判を浴びた。
2018年9月25日 - 近現代史研究者の辻田真佐憲さんの話 極端から極端に振れたという印象だ。こういう問題が起きるとすぐに「休刊すべきだ」となりがちだが、それでは話を単純化してしまう。
問題の記事を寄稿した人が「言論弾圧だ」と主張する言質を与えることに。

寺内大吉の『競輪上人随聞記』

2018年09月28日 05時31分28秒 | 未来予測研究会の掲示板
寺内大吉の『競輪上人随聞記』(昭和36年)は、6編の小説からなっているが、そのなかに競輪を扱ったものが2編ある。一つは本のタイトルともなった「競輪上人随聞記」であり、もう一つは「黒い旅路」である。これが競輪小説と言えるのかという気もするが、なにも、賭けた、当たった、外れただけが競輪ではない。生きられた生の軌跡なかに競輪との出会いがあり、起らなかった生の軌跡のなかにも生がある。<競輪>小説ではなく、まさしく物語<小説>になっている。

②-1 「競輪上人随聞記」

この小説のあらすじを作者が書いているので、まずそれを載せておく。

ある僧侶が競輪に凝って、空襲で焼けた本堂の再建資金をすっかり費いこんでしまった。檀家総代に頭を下げて勘弁してもらったが、何としても口惜しくてたまらず、遂にある必勝法を考え出し、大儲けをする。しかしギャンブルの恐ろしさを痛感し、かつ、この泥沼にうごめいている人間たちを何とかして救い出そうと発心する。儲けた金をそっくり寺に寄進して、自分は僧職を捨てて巷の予想屋になっていく。  (『はくれ説教』p.184)

この小説の特色は、主人公が僧侶であり、崩れて僧籍を離れても自分では僧侶であることをやめていないところにある。主人公の服装は、この小説のキー・ポイントになっている。

主人公・伴が初めて競輪場に足を踏みいれたのは、昭和28年5月で(競輪発祥は昭和23年)、そのときは月掛けの集金にまわるので、「僧服ではなく背広の俗装であった」。そして寺を去ることになった決定的な競輪へ出掛けた時は、僧衣・「白衣の上に黒い道服」姿だった。そして予想屋になった今は眼のさめるような緑衣・「ぼくら僧侶の社会で香衣と称している僧衣」姿だった。

作者が大学時代の旧友である伴に出会ったのは、「重畳たる北上の山々をきりひらき、海岸線へいたる幾条かの道路を開通させている」鞭牛(べんぎゅう)禅師の事蹟を尋ねた帰りである。そして結末は次のようになっている。

彼(*伴)を高僧伝の一人に加えたとしても、おそらくぼくはあわて者のそしりを受けずに済むだろうと思われる。
自分がいささかギャンブルという難路で、ゆき悩んだ経験を持っているだけに、ぼくは伴春道の開路作業に大きな期待をよせているのである。  (p.72)

伴を、将来の成長した伴を高僧の一人にするには、高僧とはどんな僧かが問われる。鞭牛禅師が高僧であることが確実なら、月並みだが人のために人生を投げ出す僧ということになるだろう。伴も、それらしい行動(自分の的中したお金を帰りの交通費もないような人に与える、とか、よく研究して無理をしないで賭けるように説教する等々)をしているが、これが高僧と言われるような条件を満たしているかは疑問である。

緑衣を着て、少し高くなった予想台に立って説教をする・・・それも「正しい競輪道を亡者どもに説いて」やるためである。競輪場は確かに亡者たちがたむろしている場所ではある。しかし競輪をやめなさいと説いているのではない。ギャンブルは人間の欲求に根差しているものではあるが、そのために他のことを犠牲にしてしまうものでもある。そんな亡者たちの群れのなかで、どんな説教をすればいいのか?「正しい」競輪道とは、どんなものであるのか?

伴が使い込んだ穴を埋めるために考えた必勝法は、かなり稚拙なものだった。あるスポーツ新聞の第二本命(◎ー×)の出現するのが平均6レースに1回であることを、膨大な資料から割り出し、あるレース場で6回以上出ていない時にその目を買う。それが外れたら、次を2倍に、そして4倍に、8倍にと買えば、当たった時に元がとれる・・・・というものだった。このやり方は、かなり昔からやられているようで、私は競馬で、大川慶次郎の◎ー×(だったと思う)で試したというような物を読んだことがある。

今でも部屋に膨大な新聞が置いてあるように、日々研究に余念がなく、レースも1日2,3レースは買って、ほぼ的中しているようであるが、その研究は説教を続け、ときには施しもするためだけなんだろうか。施しをするだけなら、鼠小僧やタイガーマスクのように、貧しい家や施設に金や品物を投げ入れてくることもできるが、伴はあくまで競輪に拘っている。また僧侶にも拘っている。イメージとしては強烈な場面が演出できているが、この先はどうなるのか、不明である。場内設備も変われば、来場者も変わる、選手も変われば、レースも変わる。

ギャンブルを、ギャンブルをする自分を許容して生きる、普通の人間ならできるだろう、というか仕方なくそうしている。破綻の危機に直面することもある。お金を賭けることは、それがなくなったときに、様々なところに負荷が飛び火する。生活が単純化されている僧侶なら、飛び火は深刻になりやすい。僧侶としてギャンブルをどのように許容するのか。今の伴は、それを競輪場の亡者たちの前で<正しい競輪道を説教>することで、折り合いをつけている。でもこの先、もし自分が買った車券が外れたら、南無阿弥陀仏と唱えなさい、と<説教>するのであろうか。

この物語には無視できない女性が登場している。今は伴の伴侶となっている<裏目の女>である。ギャンブルの怖さを知っている女性でもある。伴はギャンブルを捨てず、この女性とともに生きることを選ぶ。「ぼくらはね、みんなに勝負の恐ろしさを教えなくてはいけないということだ」。これは「正しい競輪道」を教える使命のようにみえて、実は愛の指針、愛の言葉になっている。そういう意味で、この小説は恋愛小説でもあるが、物語としては、予想屋をやっている僧侶、の方が衝撃が大きいし、伴の行く末は作者の課題でもあることが強烈な緑の僧衣の後ろに見え隠れしている。

橋本英也 30年ぶりに競輪3000mの記録を更新

2018年09月28日 05時10分17秒 | 未来予測研究会の掲示板
競輪学校113回生 岐阜

橋本英也 113回生 岐阜 神山雄一郎選手以来の30年ぶりに3000mタイムトライアルの記録を更新した橋本英也生徒のインタビューです。
橋本生徒は、中距離種目でオリンピックのメダルを狙っています。
先ごろ行われたUCIトラック世界選手権にオリンピック種目のオムニアムで出場しました。
競輪は世界を見ても素晴らしいものだと思います。
滝澤校長先生の言葉が大きいですね。
競輪選手を目指した理由は?
「リオオリンピックの自分だったら競輪学校にいるということは想像できていなかったと思っています。海外のプロチームから誘いとかあって、本当に海外で走りたかったですけど断って、リオオリンピックというのは自分にとってのターニングポイントでしたね」
やはり選考されなかったことが?
「出場して、結果を出すことが自分の目標だったので、選考されなかったことで良い経験ができました」
そこからどうして競輪学校に?

世界選手権を走る橋本生徒 「そうですね、その時は学生でリオに向けて、ロードも走って、中距離も走って。リオに向けてどんどん一つに集中しようという方向へもっていきたかったので、そこで卒業して、中距離一本に絞って、250mバンクがある伊豆に住んでリオに備えたかったのですが、もう後戻りができないところで落選してしまった。もっと早く決まっていれば修正が出来たと思うけれど、一本に決めてしまっていたのでほかの選択肢がなくなってしまったんですよ。
それから逆に選択肢を広めようと思ったのと、世界を見ても競輪のシステムは素晴らしいもので、これを活かして次のオリンピックを目指そうと思いました。競輪選手になり、中距離でオリンピックを目指し、今ブリヂストンチームに入っていてロードも走る。履くわらじを増やすことによって、自分のキャパシティを増やすことができると思いますし可能性も上がるのではないかと思っています」
学校生活はどうですか?
「競輪学校で学べば学ぶほど、競輪は素晴らしいなと思いますし、仲間たちと切磋琢磨して同じ目標に向かっていくのはとてもいいですね。自分の場合は競輪学校に入って、加速が良くなりました」
さて、3000mでの30年ぶりの記録更新の感想はいかがですか?
「競輪学校に入る時からの神山さんの記録を更新しようという一つの目標でした。滝澤校長先生のT教場に呼んでいただいて、一つ弾けたところがありました。競輪学校に入って僕は単に神山さんの記録を更新しようとしか思っていなかったのですが、校長先生から、「東京オリンピックに向けてそれがスタートだ」というアドバイスをもらって。その時に競輪と競技がつながったというか。それが嬉しかったですね。第1回記録会は失敗してしまいましたが、第2回記録会で達成できてよかったです」
デビューに向けてはどうでしょう。
「ワクワクしていますね。日本で中距離を走っていても限られたメンバーで走っていましたし。これまで戦うことがなかった選手と走るのはワクワクします」

形が自在に変形する座り物

2018年09月28日 04時56分31秒 | 日記・断片
取手駅ビル4階は、中学生、高校生たちがたむろす場所になっている。
横になって寝ている姿も見かける。
また、壁際のテーブル席で本を開いたり、ノートに何かを書いている姿も見かける。
パソコンを開いている大人の人もいる。
カップ麺を食べている高校生も。
形が自在に変形する座り物。
ビーズクッションであであろうか?
座椅子と違って、色んな座り方(寝方)が出来る
砂のように細かい(0.5mm)発泡ビーズ。
弾力性があり、座るたびにビーズが流動し、
座った人の動きに合わせてクッションが変形するため、
体に吸い付くようなフィット感が生まれるとされている。

自己責任ではなく社会的問題として捉え

2018年09月27日 12時52分06秒 | 社会・文化・政治・経済
高齢者にとどまらない単身世帯化。
介護負担による離職と失職。
若年から中高年期にわたるひきこもり。
はびこる暴力や虐待。
時として家族や本人問題と捉えられ、地域の見守り助け合いの解決が奨励される。
しかし、自己責任ではなく社会的問題として捉える。
たとえば、政府による再分配政策が十分に機能sいていないために、本来、人々の社会参加を促すための社会保障政策が、逆に人々の分断を助長している。
また、育児や高齢者介護などのケア政策が、家族-家庭-特に女性に大きな負担を強いる結果、社会的つながりが奪われていく。
家庭内暴力や虐待も、強制力をもつ政府や自治体事態の一定の介入がなければ解決できない側面がある。
立教大学教授 湯沢直美さん

富士山が初冠雪

2018年09月27日 06時25分25秒 | 日記・断片
強風、横から降るような雨。
ビニール傘、長くつで散歩へ。
テレビによると、午前5時、14.7度まで下がっていた、都内の温度。
11月なみの冷え込みという。
2日連続、最高温度は19・9度、極端だ。
富士山が初冠雪。
パソコンは、9月25日から、Yahoo!JAPANはホームページに設定されなくなる。
このパソコンでは今後Google Chromeのアップデートは受信できません。の表示。

9月26日(水)のつぶやき

2018年09月27日 03時21分23秒 | 医科・歯科・介護

心を育てるものは心

2018年09月26日 22時21分00秒 | 医科・歯科・介護
自分に負けない人が、最後に栄冠をつかむ。

心を育てるものは心である。

思いやりを形にする。

寝たきりの人の排泄を極力、おもつではなくトイレに誘導する。
すると、一人、二人と元気を取り戻し、車椅子での移動や歩ける人が増え、笑顔で過ごしてもらえるようになった。
まさに「人間性の尊厳を取り戻した」と確信できた。
福祉法人小田原福祉会時田純会長

ボランティア意識の広がりの意義

2018年09月26日 22時02分27秒 | 社会・文化・政治・経済
ボランティア活動が広がっている。
欧州は日常生活の一部に
<草の根>の自発性が重要に
今の地域社会では人と人とのつながりが希薄化している。
その隙間を埋め、人々の絆を深めていく対策が大事だ。
「助けてあげる」という<上から目線>ではなく、「人ごとではない、自分のこと」と受け止めるボランティア意識の広がりの意義は大きい。
神奈川県立保健福祉大学名誉教授・顧問の山崎美貴子さん

盲導犬の贈呈 夢みるこども基金

2018年09月26日 13時50分21秒 | 夢みるこども基金
社会福祉活動


盲導犬「はっくん3号」

夢みるこども基金が、九州盲導犬協会への盲導犬の寄贈を始めたのは、平成14年の春に開催された「こども会議」で福祉について話し合い、夏のイベントでは「バリアフリーの社会を作ろう」のテーマでシンポジウムを催し、九州盲導犬協会への盲導犬贈呈を決めたことにさかのぼります。
基金は、これまでに3頭の盲導犬を寄贈しています。「はっくん1号」(平成14年に寄贈)と「はっくん2号」(平成19年に寄贈)は引退して「はっくん3号」が福岡市内の河口まき子さんのパートナーとして活躍しています。
なお、「はっくん」は夢みるこども基金のイメージキャラクターです。こどもの「夢」と歯の型から生まれました。盲導犬の愛称もここから名付けられました。
環境保護活動
地球環境の悪化で地球の危機が指摘されています。
基金では地球を守るために様々な活動をしています。平成22年に林野庁から佐賀県脊振山系の国有林5.6ヘクタールを借りて「夢みるこども基金の森」を開設、基金以外のこどもたちも含めて多くの人たちに自然体験を楽しんでもらっています。

環境保護活動
夢みるこども基金の森

基金の森は、2010年にできました。
5・6haの森林内は、ほとんど人の手が入らずに、自然のままの植生が残っています。
今では、夏のイベントの目玉の一つです。イベントの前夜祭は必ずここであります。
イベントに参加したこどもたちが、夏休みなどで基金の森へ訪れたという話も、最近はよく聞くようになりました。
森の中で、こどもたちは秘密基地をつくったり、自然観測をしたりします。森にはこどもたちの笑い声が響きます。
森の中でこどもたちが夢中になって楽しんでいる姿をみていると自然に笑顔が広がります。
海外教育支援活動
平成12年にバングラデシュ・カラムディ村に「夢みるこども基金学校」を開設しました。
小学校からスタートしてその後、中学校と高校を増設して現在1,300人を超える児童・生徒が学んでいます。
バングラデシュ国内では学業、スポーツなども有力校に成長し、入学希望者が多いです。

海外教育支援活動
夢みるこども基金学校

基金の資金援助によって建設・開校したバングラデシュ「夢みるこども基金学校」は設立から15年がたちました。
児童、生徒数も増加し、現在1,300人余りのこどもたちが学んでいます。学業成績もすばらしく、スポーツや文化的なコンクール(歌や踊り、弁論大会など)でも多くの賞を獲得しています。
県内だけでなく県外からも注目を浴び、入学希望者が殺到しています。
この学校からバングラデシュの新しい国づくりの人材が生まれることが期待されています。

夢みるこども基金とは

2018年09月26日 13時48分39秒 | 夢みるこども基金
歯科医院などから提供される歯の金属冠を財源に次世代を担うこどもたちの夢を育み、実現を支援することを目的に1995年に設立されました。
第1回「夢みるこどもキャンペーン」では阪神・淡路大震災で両親を亡くしたこどもたちを熊本県阿蘇に招いて励ましました。その後の「夢みるこどもキャンペーン」を通して、バングラデシュでの「夢みるこども基金学校」の建設と運営、バリアフリーの社会を作ろうシンポジウムの開催、盲導犬の贈呈、「夢みるこども基金の森(佐賀)」の開設などの様々な活動を展開しています 。

夢みるこどもキャンペーン

毎年、秋から冬にかけて全国の小、中学生を対象に「わたしのかなえたい夢」をテーマに作文と絵を募集します。
審査を経て春休みに、上位入賞者が福岡に集い、「こども会議」を開きます。
「こども会議」では、こども達がそれぞれの「夢」を交換した上で、早期に実現したい共通の「夢」を形づくります。
夏休み、全員が一同に再会してその「夢の実現イベント」を開きます。
これらの体験を踏まえ、夢みる子どもたちはその後、各自それぞれの夢を肉づけしていきます。

夢や希望があるからこそ人は頑張れる

2018年09月26日 13時47分16秒 | 夢みるこども基金
夢みるこども基金理事 長尾 怜美 夢みるこども基金OB・OG会会長 歯科医師

 『1995年に始まった夢みるこども基金は、皆様方のご支援のおかげで、2015年に20周年を迎えることができました。
この間、たくさんのこどもたちの夢が生まれ、絆が生まれました。私も基金に夢をもらった一人です。

 第一回の作文の部で最優秀賞を頂き、私が作文に託した夢を夏のイベントにて実現して頂いたときの感動は今でも覚えています。
そして、後にこのイベントが全国の歯科医師の皆様の御支援によって支えられていたことを知って感銘を受け、私が歯科医師を目指すきっかけとなりました。

 この基金は春に「私がかなえたい夢」の絵・作文の入賞者が集まり、皆で夏のイベントの内容を決めて、夏にイベントを行います。春に初めて会ったこどもたちは互いに緊張した面持ちですが、「こども会議」で夏のイベントを決める時は皆キラキラした笑顔でたくさんの提案を出してくれます。「自分の夢が現実になるかも」という期待感で溢れているこどもたちの顔は本当に生き生きとしています。そして、帰り際にはすっかり仲良くなったり、また夏での再会を約束し、夏のイベントの2日間は仲間と「夢」を作るというどんなものにも代えがたい貴重な体験をし、強い絆を生み出します。日本にはたくさんの絵・作文のコンクールがありますが、こうして2回も同じメンバーが同じ場所に集い、互いに作文や絵に描いた夢を語り合う---他ではない醍醐味でしょう。そしてこの経験がこども達の可能性をもっと広げ、また新たな未来へと進んで行く原動力になっていると実感します。

 今年は阿蘇を震源地とする熊本大地震が起きました。
こども基金の第一回イベントは阿蘇で開催されて、私たちにとって阿蘇は心の故郷ともいうべき大切な場所です。ショックを受けている最中、すぐさま連絡が入りました。第一回イベントで出会い、一緒に阿蘇にホームスティをした阪神・淡路大震災の遺児の方からでした。九州地方に住む私たちへの気遣いと、阿蘇でホームスティをしたご家族の安否を気遣う連絡でした。遺児の方が「私たちも21年前、温かく迎え入れてもらった。自分にできることをしたい」とおっしゃってくれました。その後、阿蘇のご家族とも無事連絡が取れ、互いに物資支援などを行いました。他の基金のOB・OGからも連絡が来るなど、基金が生み出した人とのつながりの温かさや有り難みを感じました。復興にはまだまだ時間がかかりますが、またあの素晴らしい阿蘇の地を取り戻せるよう私たちも全力で支援していきたいと思っています。

 夢みる心はこどもだけのものではありません。夢や希望があるからこそ人は頑張れるのです。
震災からも這い上がれるのです。明るい未来への希望が私たちを奮い立たせてくれます。
私も歯科医師として自分の新たな夢の実現のため精進する毎日です。今は歯科を通じてこどもたちの夢を応援したいという気持ちから小児歯科専門医を目指して奮闘しています。
夢みるこども基金は20年という節目を迎え、新たなスタートをきりました。

 この夢みるこども基金を通して、こどもたちが夢を諦めない力を育てて欲しいと願っています。
そしてこれからもずっとこどもたちの夢を応援していきたいと思います。全国の歯科医師の皆様を始め、教育関係の皆様など基金へのご理解とご協力をよろしくお願い致します。そして是非一度イベントへ足を御運び頂ければ光栄です。

歯の治療の際に取り外された金属冠を再生

2018年09月26日 13時45分37秒 | 夢みるこども基金
夢みるこども基金理事長 八尋 晋策 元読売新聞西部本社論説委員 経済部長

子どもの夢を応援して下さい!

 『夢みるこども基金』は、こどもたちに夢を見る事の楽しさと、それが実現した時の喜びを味わってもらうためのボランティア団体です。

 1995年(平成7年)に福岡市に事務局を置き、歯科医師を中心に多くの人たちの賛同を得てスタートし、今年で22年になります。
こどもたちの夢は無限で、そして様々です。基金が毎年実施している「私のかなえたい夢」と題する作文・絵の募集には全国の小、中学校から多い年は4,000点を超える募集があります。
これらの夢を形にして夏休みにイベントを実施しています。毎年、趣向を変えて国内ばかりではなく、海外も視野に入れて取り組んで参りました。
第1回目は阪神淡路大震災の翌年でしたので、震災で両親を亡くしたこどもたちを熊本県阿蘇高原に招いて交流、励ましました。

 2回目以降は、バングラデシュに学校(初めは小学校だけでスタートし、のちに中学、高校も増設)を建てたり、盲導犬を贈呈したり、佐賀県・背振山系に国有林を借りて「夢みるこども基金の森」を開設したり、さらには東日本大震災被災地のこどもたちを支援したりしてきました。

 このキャンペーンの財源は、歯科医院や歯科大学などから提供される、歯の治療の際に取り外された金属冠を再生したものです。
歯科医師のご協力がなければ基金は成り立ちません。基金設立時から毎年欠かさず、金属冠を送って頂く方が多数いらっしゃいます。
こどもたちはそのような方々に見守られてキャンペーンの中で成長し、現在、社会の第一線で活躍している人が増えてきました。
基金の運営・管理に当たる理事会メンバーも16人中4人がそうした"元夢みるこどもたち"です。
この基金の最終目標である「こどもたちのための、こどもたちによる基金」に向けて発展して行くために皆様の一層のご協力をお願い致します