みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

やっぱ

2006-01-26 23:29:22 | Weblog
今週は疲れた、かナ?
家に帰ってすぐにバタンキュー寝てしまった(今は、ちょっと起きてるけど)。

何でこんなに疲れてるんだろう?と考える。
まあ、当たり前っちゃ当たり前なぐらい毎日動き回っているわけだから、多少グロッキーになっても「まあいいか」で、今日のところは自分を許す。
私は、基本的に自分にはとことん厳しく、他人には優しく甘い人間なので、自分の疲れにはあまり容赦はしない。でも、さすが、今週はハードだったかもしれない。
今日も、フルフルのプロモーションのミーティングを行ったり、雑誌社の人とのミーティングをしたりした後帰ってきてから、来週電話インタビューするNYメトロポリタン・オペラのスター・ソプラノ、アンナ・ネトレプコのインタビュー内容でも考えようかナと思っていたが、これは明日回しだ。
とりあえず、今日は睡眠。疲れては何もできません。

ほとんどTVは

2006-01-26 01:33:06 | Weblog
見ないのだが(というか、見るヒマがない)、ニュースだけは見る。
なので、ホリエモンの話題はちゃんと追っている。でも、「まあね、やっぱりね」というのが正直な感想。なにが「やっぱりね」かというと、別に、出る杭は打たれる的な意味ではなくって、あの人のやり方は「礼」を欠き過ぎていたから、やっぱり「刺された」なという感じ。私自身はマネーゲームにもお金自体にもまったく関心がないので(だから未だにお金が残っていないのだが)、お金を追えば、あのぐらいのあこぎなやり方は当然なのだろうなと思う。富みは富みを生み、富まないところは益々富まなくなるのが資本主義の原理なのだろうから、お金を元手にお金を増やすこと自体「悪」だとも何とも思わない(別に、善だとも思わないけど)。問題は、やはり生き方なのではないだろうか。
人と人とが社会を作っているのなら、その社会のルールや思想に従うのは当然のこと。法律を犯さない。人を殺さない、傷つけない、そして助け合うのは世の中の最低限のルール。でも、あの人はその最低限のルールを守っていこうとはしなかったのではないだろうか。あまりにも、人の心を逆なでするような言動が社会生活を脅かす。少なくとも、日本の検察はそういう風に感じたから、彼を罪に問おうとしたのだろうし、そういう社会生活のルールを守らなかった人間としてスケープゴート(いけにえ)にしたのだろうと思う。
私は、私自身お金をまったく追ってこなかったからこそ(今でもお金にはまったく頓着がない)、今でも第一線でメジャーの仕事をし続けられるのではないかと思っている。人間にとって人間以上の財産があるのだろうか。本気で私はそう思っている。

今日は、自宅で数人レッスンをつけた後、会議。いやはや、仕事はとてつもなく多いのだなということが日を追うにつれてわかってくる。またいろんな人のお世話にならなくては(こんな時も助けてくれる仲間を持っていることがどれだけありがたいことかと思う)。

雑誌「毎日が発見」のためのCD評の原稿を書く。今月の目玉CDは、ソプラノのルネ・フレミングが歌うジャズのCD。彼女は、今や世界中のオペラファンを虜にしているプリマドンナの一人。その彼女が歌うジャズを聞いて正直驚いた。これほど「本物の音楽」を表現できる人は珍しい。まさしく極上のワインを飲んでいるような嬉しさだ。普通、クラシックの人がジャズを歌うとまったく聞けないことが多いのだが(まったくジャズになっていないから)、彼女のジャズは本物のジャズだし、ある意味、ジャズもクラシックも超越した「本物の音楽」だとも言える。『Haunted Heart』というタイトルのCD。私のここ数年のヒットCDの一つだ。

同じく、雑誌『ザ・フルート』の連載の最後の原稿を入れる(書き上げて渡したという意味。それぐらいわかるか?)。私は、あまり音楽専門誌に原稿を書かない人なので、今回の『ザ・フルート』の原稿は、ある意味、書いていてとても面白かった。いつも、私の読者は一般大衆だと思っていたので、こういう専門誌の読者が何を望んでいるのかがイマイチよくわからなかった。きっと、楽器の技術的なことを知りたがっているのだろうけど、それを雑誌に求めるのは間違っているような気がする。雑誌は、あくまで雑誌であって、世の中の息抜きのような存在なのだろうと思う。教科書や教則本のような真剣さで読むようなモノではないと思うのだが。どうなのだろう?