みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

春雷

2006-05-03 09:28:29 | Weblog
しゅんらい。
とってもいい響きだと思う。でも、家を直撃して火事まで起こすと、そう風流だとばかりも言っていられない。
自然は宇宙の中の地球という星の営みを繰り返しているだけなのだから、その中のほんの端っこにいる人間という生物に容赦なんかしてくれない。自分たちも自然のほんの一部なんだということを忘れない方がいいだろう。

春は三寒四温というけれど、今年の暑かったり寒かったりはかなり激しいナと思いつつ、渋谷のクアトロに浜田真理子さんのライブを見に行く。クアトロに行くのも久しぶりだけれど、浜田さんのライブを生で聴くのも初めて。これまで何度もそのチャンスはあったのだけれども、いずれも実現していなかった。
以前浜田さんのインタビューを雑誌ミセスでしていた関係もあって、招待席に案内されてちょっと気がひけた(だって、中は超満員なので、自分だけが特等席にゆったりと座っちゃっていいのかナ?って思ってしまう)。大体、クアトロの招待席はいかにもっていう場所にあるので、なおさら他のお客さんたちの視線が痛い(イタッ!)。

うん。でも、彼女の歌はかなりイイ(当たり前だけれども)。
彼女の歌はまさに「うた」としか言い様がない。
うたも楽器の演奏も、人間の心の表現なのだけれども、その表現方法を知っている人は意外に少ない。しかも、彼女は声がいい。
声だけで人を感動させられる人、声だけで人を泣かせられる人もそれほど多くない(おおたか静流さんや井上陽水さんなんかもそれができる人たちだけれども)。
聴きながら、いろんなことを考えた。
こういう歌は、若い人にこそ聴いて欲しいナと思った。
今、私がプロデュースしている若い子たち全員に聴かせたいとも思った。
勉強して欲しい、というより、これが本当の音楽だよ、これが本当の表現だよと見せてやりたいという気持ちになった。
音楽には呪術的な面があるので、ひたすらリズムやノリで聴く音楽も一方で音楽の表現としては必要なモノなのだが、音楽にはコミュニケーションという大事な側面もある。
コミュニケーションの基本は人の心と心のキャッチボール。
きっと、昨日のクアトロのお客さん一人一人と浜田さんの歌は何かしらの心のキャッチボールができていたのだろうナ?
そんな気がした。