私が毎月CD紹介の原稿を書いている雑誌『毎日が発見』の編集部に行って、11月にやる私のコンサートの後援をお願いしてきた。その足で、先日インタビューした藤原道山さんの尺八と友吉鶴心さんの薩摩琵琶の演奏をオペラシティのギャラリーに聞きに行く。
琵琶の友吉さんとはかなり久しぶりの再会だ。もう十五年ぐらいは会ってなかったかもしれない。彼とは、頻繁に、それこそ一週間のうち数回会うぐらいの交流があった時期もあったのが夢のようだ。
浅草の老舗の店に生まれた彼は小さい頃から和モノのお稽古ごとはひと通りやっていたという(本当は、琵琶のプロになるのではなく、日本舞踊のある流派の名取りになるはずだった人だ)。彼の自慢話しの一つに、京都の祇園の芸子さんに三味線や太鼓の稽古をつけて料金をただにしてもらったというのがあるが、それはまんざらマユツバでもなく聞こえるぐらい彼はこの伝統芸能の世界の人間だった(今でもその世界では第一人者の一人だ)。将来、確実に人間国宝クラスになる人だ。その彼に関してもう一つ驚いたのが「聞き酒」ならぬ「聞き醤油」ができるという話し。
彼は老舗のお店の育ちなので、もともとDNAの中に芸事だけでなく、伝統の味の舌を聞き分ける下地を持っている人でもあった。それにしても「これはどこどこでできた醤油」というのを言い当てられるというワザには驚かされた。
彼とつきあいのあった頃、彼を通じて日本の伝統的な芸能の世界を垣間見、こんなにも和文化の世界と西洋文化の世界が違うのかという事実に愕然としたものだった。私たちは音楽をやっているからといって、そのすべての人間と交流があるというようなことはけっしてないが、和の世界ではその楽器が三味線だろうが尺八だろうが、琵琶だろうが踊りだろうが、一つの伝統芸能の世界でくくられお互いにかなり交流があるのだということにも驚かされた。例えば、歌舞伎の舞台の上で長唄を歌っている人、踊りを踊っている人、太鼓を叩いている人、そして主役クラスの人、....。皆さん、小さい頃からの仲間、と言ってもいいぐらいの狭い社会なのだという。
うん、西洋音楽はそれほど狭い社会ではないナ、とその頃はよく思った。ただ、長い間、この芸能の世界にずっと浸っていると、かなり狭い社会だなということは日に日に実感させられる。まあ、芸事の世界は要するに堅気の世界ではないのだから、一般の人の世界とは違って当然なのかもしれないのだが...。
フルフルが日に日に形になっていき、私の目指す世界に近付いていくのを見るのは嬉しい。おそらく、私の目指している世界が彼女たちにも少しずつ見えてきたのかもしれない。まだ誰も見たことのない神秘の世界、ってわけじゃないけれど、とにかく、まだ誰もやったことのない舞台であることは確かだ。まだことばだけが先行している部分も多いけど、とにかく前進していることだけは確かだ。ライブがかなり楽しみになってきた(以前は、どうしたもんかナ?という気持ちの方が強かったけれど...)。
琵琶の友吉さんとはかなり久しぶりの再会だ。もう十五年ぐらいは会ってなかったかもしれない。彼とは、頻繁に、それこそ一週間のうち数回会うぐらいの交流があった時期もあったのが夢のようだ。
浅草の老舗の店に生まれた彼は小さい頃から和モノのお稽古ごとはひと通りやっていたという(本当は、琵琶のプロになるのではなく、日本舞踊のある流派の名取りになるはずだった人だ)。彼の自慢話しの一つに、京都の祇園の芸子さんに三味線や太鼓の稽古をつけて料金をただにしてもらったというのがあるが、それはまんざらマユツバでもなく聞こえるぐらい彼はこの伝統芸能の世界の人間だった(今でもその世界では第一人者の一人だ)。将来、確実に人間国宝クラスになる人だ。その彼に関してもう一つ驚いたのが「聞き酒」ならぬ「聞き醤油」ができるという話し。
彼は老舗のお店の育ちなので、もともとDNAの中に芸事だけでなく、伝統の味の舌を聞き分ける下地を持っている人でもあった。それにしても「これはどこどこでできた醤油」というのを言い当てられるというワザには驚かされた。
彼とつきあいのあった頃、彼を通じて日本の伝統的な芸能の世界を垣間見、こんなにも和文化の世界と西洋文化の世界が違うのかという事実に愕然としたものだった。私たちは音楽をやっているからといって、そのすべての人間と交流があるというようなことはけっしてないが、和の世界ではその楽器が三味線だろうが尺八だろうが、琵琶だろうが踊りだろうが、一つの伝統芸能の世界でくくられお互いにかなり交流があるのだということにも驚かされた。例えば、歌舞伎の舞台の上で長唄を歌っている人、踊りを踊っている人、太鼓を叩いている人、そして主役クラスの人、....。皆さん、小さい頃からの仲間、と言ってもいいぐらいの狭い社会なのだという。
うん、西洋音楽はそれほど狭い社会ではないナ、とその頃はよく思った。ただ、長い間、この芸能の世界にずっと浸っていると、かなり狭い社会だなということは日に日に実感させられる。まあ、芸事の世界は要するに堅気の世界ではないのだから、一般の人の世界とは違って当然なのかもしれないのだが...。
フルフルが日に日に形になっていき、私の目指す世界に近付いていくのを見るのは嬉しい。おそらく、私の目指している世界が彼女たちにも少しずつ見えてきたのかもしれない。まだ誰も見たことのない神秘の世界、ってわけじゃないけれど、とにかく、まだ誰もやったことのない舞台であることは確かだ。まだことばだけが先行している部分も多いけど、とにかく前進していることだけは確かだ。ライブがかなり楽しみになってきた(以前は、どうしたもんかナ?という気持ちの方が強かったけれど...)。