昨日も午前中に3つもミーティングをいれておお忙しだったのだが、今日も朝からミーティング。
ふつう、音楽関係者は午前中にミーティングや仕事なんか入れないのに!と昨日も言われてしまったけど、まあ、相手がミュージシャンだったらそれも言えるのだが、相手が音楽関係とはサラリーマンの人だと、午前中の方が都合がいい場合もある。たまたま昨日、今日と連続でそういう日だったということだ。
今日の午後は出版社の人と打ち合わせで渋谷だったので、時間調整のため渋谷駅前のTSUTAYAに立ち寄る。
あまり真剣に借りるつもりはなかったけど、フランス映画のある階に行くと、『あるぜんちんなんとか』とかいう日本映画のDVDの予告ビデオがエンドレスで流れていた。というより、その階にエスカレーターで上がった時、その映画の音楽だけが先に聞こえてきて「あれ、『アメリ』のまた別ヴァージョンでも出たのかナ?」と思ってしまったぐらい、この『あるぜんちんなんとか』の音楽は『アメリ』に酷似していた。けっこうヤバイぐらいそっくりで、テーマらしき音楽以外にも似ている曲が数曲あった。日本映画は、最近脚本とか俳優さんなどが世界的に注目され、その実力が評価されてき始めているのに、音楽のレベルはこの程度なのかナ?と思ってしまう。洋楽が日本に入ってきて150年なのに比べたら、映画の方がもっと歴史が浅いだろうに、日本の洋楽というのは、未だに西洋のコピーというレベルからなかなか脱却できないでいるのかナ?と思う時がある。
先日行ったトルコのバーバズーラのライブを思い出す。トルコやアラブ系の中近東ポップスの人たちは、本当に独自の音階、独自のサウンド、独自のノリで民族的な主張、宗教的な主張をはっきり持っている。今の日本には、宗教も哲学も、民族意識もほとんどないのだろうナと思う。右翼的な民族意識とはまったく違うレベルで日本人としての哲学や美学、民族意識はあってもいいような気がするのだけど。
まあ、日本語のことばや知識を覚えるよりも先に英語を教えようとするぐらいヒドイ国になってしまった今の日本ではいたしかたのないことなのかもしれない。ことばというのは、人間の思考にとって最も大事な道具だし、意識の基本なのだから、日本語というものを基本に知識や経験、哲学を作らないうちに英語教えて一体どんな人間に育てようとするのだろうか?と真剣に思う。
アメリカに暮らしている時に、能や日本音楽、文化について質問された時、そういうことを日本で体験してきた自分にとっても感謝した。英語で説明しようとしたって、肝心の中身を知らなくては何も説明しようがないのだから。
ふつう、音楽関係者は午前中にミーティングや仕事なんか入れないのに!と昨日も言われてしまったけど、まあ、相手がミュージシャンだったらそれも言えるのだが、相手が音楽関係とはサラリーマンの人だと、午前中の方が都合がいい場合もある。たまたま昨日、今日と連続でそういう日だったということだ。
今日の午後は出版社の人と打ち合わせで渋谷だったので、時間調整のため渋谷駅前のTSUTAYAに立ち寄る。
あまり真剣に借りるつもりはなかったけど、フランス映画のある階に行くと、『あるぜんちんなんとか』とかいう日本映画のDVDの予告ビデオがエンドレスで流れていた。というより、その階にエスカレーターで上がった時、その映画の音楽だけが先に聞こえてきて「あれ、『アメリ』のまた別ヴァージョンでも出たのかナ?」と思ってしまったぐらい、この『あるぜんちんなんとか』の音楽は『アメリ』に酷似していた。けっこうヤバイぐらいそっくりで、テーマらしき音楽以外にも似ている曲が数曲あった。日本映画は、最近脚本とか俳優さんなどが世界的に注目され、その実力が評価されてき始めているのに、音楽のレベルはこの程度なのかナ?と思ってしまう。洋楽が日本に入ってきて150年なのに比べたら、映画の方がもっと歴史が浅いだろうに、日本の洋楽というのは、未だに西洋のコピーというレベルからなかなか脱却できないでいるのかナ?と思う時がある。
先日行ったトルコのバーバズーラのライブを思い出す。トルコやアラブ系の中近東ポップスの人たちは、本当に独自の音階、独自のサウンド、独自のノリで民族的な主張、宗教的な主張をはっきり持っている。今の日本には、宗教も哲学も、民族意識もほとんどないのだろうナと思う。右翼的な民族意識とはまったく違うレベルで日本人としての哲学や美学、民族意識はあってもいいような気がするのだけど。
まあ、日本語のことばや知識を覚えるよりも先に英語を教えようとするぐらいヒドイ国になってしまった今の日本ではいたしかたのないことなのかもしれない。ことばというのは、人間の思考にとって最も大事な道具だし、意識の基本なのだから、日本語というものを基本に知識や経験、哲学を作らないうちに英語教えて一体どんな人間に育てようとするのだろうか?と真剣に思う。
アメリカに暮らしている時に、能や日本音楽、文化について質問された時、そういうことを日本で体験してきた自分にとっても感謝した。英語で説明しようとしたって、肝心の中身を知らなくては何も説明しようがないのだから。