26日の土曜日は、久しぶりに作曲家/ピアニスト・久保田修とのコンサートを荻窪のかん芸館でやる。
私も久保田修もどちらも作曲家/演奏家という立場なので、今回は作曲や即興演奏に関する話をしながらいろいろな曲を演奏していくつもり。ただ、二人の作曲手法もセンスも近いようでけっこう違うので、もしいらっしゃることができればその辺を直に感じていただければ思う。
彼はもともとがピアニスト。つまり、ピアノという楽器をもとに自分の音楽性を培ってきた人。当たり前のことながら、それは彼の音楽の至るところで感じられる。
同じピアニストでも、自分の指を鍵盤の上に乗せそれらを上下左右に動かしていくアクションやそこから出てくる音の響きを聞きながら曲を作っていくタイプの人と、自分の指とピアノの鍵盤とのふれあい(つまり楽器との対話ということかナ?)の中から音楽を紡いでいくタイプと2通りあるような気がする。本人は否定するかもしれないが、私には久保田修の音楽はこの「対話型」に思えてならない。
それに対して、私の作る音楽は、いつも私がフルーティストであるというところから来ているような気がする。私の曲作りはいつもメロディから始まる。なので、それをアレンジしていく段階で、リズムやハーモニーを考える時、私は鍵盤奏者とはまったく違ったアプローチをする。時に、それが通常の鍵盤奏者のそれとはあまりにも違うために、多くの鍵盤奏者から「?」という顔をされるけれど、私にしてみればそれが何で「?なの?」という感じ。
このハーモニーからこのハーモニーへはスムースにつながっていくという和声法のルールを全く無視することもけっこう多いのできっと「?」という顔をされるのだろうと思うけど、私にしてみると、逆に、「そんなにモーツァルトみたいにスムースに音を動かしたいわけ?」という感じがいつもしている。確かにモーツァルトやバッハは素晴らしいけど、すべての音楽がみんなモーツァルトやバッハみたいだったら「ツマラナイじゃない」とも思う。
だから、ピアニストがどんなに「弾きにくい」と言おうが、どんなに「変だよ」と言おうが。私は自分の感性はひたすら信じて音楽を作っていく(というかなり強情なヤツです)。
ある意味、それは即興でも同じ。即興演奏=ジャズと思う人があまりにも多い中、「自分のメッセージを伝えるために即興的に演奏する」という即興演奏の根源的な意味をどうやったら伝えられるのかなと思いながら即興演奏を行う。
自分のメッセージを伝えるためには、ジャズだろうが、ロックだろうが、クラッシクだろうがそんなものはこれっぽっちも関係ない。自分の意思が音になり、その音が聞いている相手に伝わればいいだけの話。
それなのに、音楽を専門的にやっている人(つまり楽器演奏の相当な技術を持っている人)の中でも即興演奏ができない人が多いのは私にとって実に不思議なこと。だって、私たちは毎日台本や原稿通りに生きているわけではなく、みんな、その場その場で即興的に行動し即興的にことばを発しながら生活しているのに、楽器の演奏に精通している音楽家の中に即興演奏ができない人がいるということが私にはただただ不思議でならない…。
9.26の私と久保田修のコンサートに興味のある人はこちらをクリックして見てください。
http://www1.linkclub.or.jp/~flute/live.html
私も久保田修もどちらも作曲家/演奏家という立場なので、今回は作曲や即興演奏に関する話をしながらいろいろな曲を演奏していくつもり。ただ、二人の作曲手法もセンスも近いようでけっこう違うので、もしいらっしゃることができればその辺を直に感じていただければ思う。
彼はもともとがピアニスト。つまり、ピアノという楽器をもとに自分の音楽性を培ってきた人。当たり前のことながら、それは彼の音楽の至るところで感じられる。
同じピアニストでも、自分の指を鍵盤の上に乗せそれらを上下左右に動かしていくアクションやそこから出てくる音の響きを聞きながら曲を作っていくタイプの人と、自分の指とピアノの鍵盤とのふれあい(つまり楽器との対話ということかナ?)の中から音楽を紡いでいくタイプと2通りあるような気がする。本人は否定するかもしれないが、私には久保田修の音楽はこの「対話型」に思えてならない。
それに対して、私の作る音楽は、いつも私がフルーティストであるというところから来ているような気がする。私の曲作りはいつもメロディから始まる。なので、それをアレンジしていく段階で、リズムやハーモニーを考える時、私は鍵盤奏者とはまったく違ったアプローチをする。時に、それが通常の鍵盤奏者のそれとはあまりにも違うために、多くの鍵盤奏者から「?」という顔をされるけれど、私にしてみればそれが何で「?なの?」という感じ。
このハーモニーからこのハーモニーへはスムースにつながっていくという和声法のルールを全く無視することもけっこう多いのできっと「?」という顔をされるのだろうと思うけど、私にしてみると、逆に、「そんなにモーツァルトみたいにスムースに音を動かしたいわけ?」という感じがいつもしている。確かにモーツァルトやバッハは素晴らしいけど、すべての音楽がみんなモーツァルトやバッハみたいだったら「ツマラナイじゃない」とも思う。
だから、ピアニストがどんなに「弾きにくい」と言おうが、どんなに「変だよ」と言おうが。私は自分の感性はひたすら信じて音楽を作っていく(というかなり強情なヤツです)。
ある意味、それは即興でも同じ。即興演奏=ジャズと思う人があまりにも多い中、「自分のメッセージを伝えるために即興的に演奏する」という即興演奏の根源的な意味をどうやったら伝えられるのかなと思いながら即興演奏を行う。
自分のメッセージを伝えるためには、ジャズだろうが、ロックだろうが、クラッシクだろうがそんなものはこれっぽっちも関係ない。自分の意思が音になり、その音が聞いている相手に伝わればいいだけの話。
それなのに、音楽を専門的にやっている人(つまり楽器演奏の相当な技術を持っている人)の中でも即興演奏ができない人が多いのは私にとって実に不思議なこと。だって、私たちは毎日台本や原稿通りに生きているわけではなく、みんな、その場その場で即興的に行動し即興的にことばを発しながら生活しているのに、楽器の演奏に精通している音楽家の中に即興演奏ができない人がいるということが私にはただただ不思議でならない…。
9.26の私と久保田修のコンサートに興味のある人はこちらをクリックして見てください。
http://www1.linkclub.or.jp/~flute/live.html