今日4/22は、私と恵子の39回目のアニバーサリー。
来年が40回目。
この40回目をルビー婚って言うらしいけど、まだルビーか…っていう感じ(笑)。
ということは、今日はプレ・ルビー婚になるわけだ。
婚姻届けを出したのは一週後だったけど、39年前の今日は二人の結婚パーティを開催した日だ。
台風のような春の嵐の過ぎ去った後の妙に生暖かいムッとするような天気の日だったことを覚えている。
全員会費制のパーティにしたのはその当時としてはかなり画期的な結婚パーティだったと思うけれどこれは友人たちのことを考えてのこと。
というのも、私は学生結婚だったので(当時私はまだ4年生だった)他の学生の友達にお金の負担をかけたくなかったからだ。
司会を先輩にやってもらい、私も演奏したり友達や先生たちがいろいろ演奏したり歌を歌ったりの本当に立食の「パーティ」のノリだったので経済的と言えばかなり経済的な結婚パーティ。
中には「ビールがぬるいぞ」と文句を言うヤツもいたけど(誰だったかは今でもよく覚えている)、両方の家族も友人も先輩も入り乱れていたのでけっこう面白いパーティだった。
恵子の父親が大学教授と牧師を兼ねている人だったのに「結婚式やめましょうよ」と私は申し入れた。
そして、その私の提案にまったく反対せずにむしろ「それでいいんじゃない。でも、みんなにはちゃんと披露しないとネ」と笑顔で頷く義父だった。
それで、私と彼とで二人で決めたのがこのパーティ形式だった(義父もリコーダーを演奏して上機嫌だったのをよく覚えているが、彼はきっとこれがやりたかったのかもしれない)。
以来39年がたったことになる。
彼女と付き合い始めた時点から数えると43年目だ(彼女との最初の出会いは大学の最初の授業。ちょうど前と後ろに座っていたことから私が話しかけたのだ)。
その間に私の留学にもつきあわせ一緒にアメリカで住んだこともあったし、それこそ数え消えないほどのいろいろなことがあったのだけれども今年はそれまではまったく違う記念日を迎えることになった。
今日の朝起きた時に私がちょっと不機嫌そうな顔をしていたのを見とがめて、彼女はベッドから起き上がり(今の彼女にとってこれはけっこう大変な作業だ)「もうヤになっちゃった?」と私に泣きながら話しかけてきた。
退院して以来ほとんど四六時中彼女の行動の面倒を見ていることや今回の引っ越しの片付けも家事も全てやっている私にきっと負い目を感じていたのかもしれない。
そんな感じのする涙だった。
「そんなことはないよ。私が一番愛しているのはウサギなんだから、ウサギが困っているのを助けるのは当たり前じゃないか。でも…」。
私はそう言って彼女の顔を見るが彼女の顔はけっして納得していない。
彼女は、「私だって一生懸命やろうとしているの。でも、新しいところに来てやることが多過ぎて身体がついていってないの。だから、歩き方も病院の時よりちょっとヘタになっちゃってる…」。
そうか、この家は今の彼女にとって「新しい環境」なのか(このことを私は見落としていたかもしれない)。
けっして以前ずっと住んでいた「住み慣れた環境」ではないのだ。
トイレに行くことやベッドに行くことはできても自由にベランダから海を眺めることもできないし、それこそ自由に外に出歩けるような身体にはまだなっていない。
彼女の動き回れる環境は本当に限られている。
「でも、全部をいっぺんにやろうとしないで順番をちゃんと考えた方が良いよ。家事なんかは全部後回しでいいからまずしっかり歩けるようにしよう。それができれば他のものも全部できているはずだから」。
これまでの二人の人生の「泣き笑い」とは比べ物にならないぐらいの「泣き笑い」のアニバーサリーだ。
来年が40回目。
この40回目をルビー婚って言うらしいけど、まだルビーか…っていう感じ(笑)。
ということは、今日はプレ・ルビー婚になるわけだ。
婚姻届けを出したのは一週後だったけど、39年前の今日は二人の結婚パーティを開催した日だ。
台風のような春の嵐の過ぎ去った後の妙に生暖かいムッとするような天気の日だったことを覚えている。
全員会費制のパーティにしたのはその当時としてはかなり画期的な結婚パーティだったと思うけれどこれは友人たちのことを考えてのこと。
というのも、私は学生結婚だったので(当時私はまだ4年生だった)他の学生の友達にお金の負担をかけたくなかったからだ。
司会を先輩にやってもらい、私も演奏したり友達や先生たちがいろいろ演奏したり歌を歌ったりの本当に立食の「パーティ」のノリだったので経済的と言えばかなり経済的な結婚パーティ。
中には「ビールがぬるいぞ」と文句を言うヤツもいたけど(誰だったかは今でもよく覚えている)、両方の家族も友人も先輩も入り乱れていたのでけっこう面白いパーティだった。
恵子の父親が大学教授と牧師を兼ねている人だったのに「結婚式やめましょうよ」と私は申し入れた。
そして、その私の提案にまったく反対せずにむしろ「それでいいんじゃない。でも、みんなにはちゃんと披露しないとネ」と笑顔で頷く義父だった。
それで、私と彼とで二人で決めたのがこのパーティ形式だった(義父もリコーダーを演奏して上機嫌だったのをよく覚えているが、彼はきっとこれがやりたかったのかもしれない)。
以来39年がたったことになる。
彼女と付き合い始めた時点から数えると43年目だ(彼女との最初の出会いは大学の最初の授業。ちょうど前と後ろに座っていたことから私が話しかけたのだ)。
その間に私の留学にもつきあわせ一緒にアメリカで住んだこともあったし、それこそ数え消えないほどのいろいろなことがあったのだけれども今年はそれまではまったく違う記念日を迎えることになった。
今日の朝起きた時に私がちょっと不機嫌そうな顔をしていたのを見とがめて、彼女はベッドから起き上がり(今の彼女にとってこれはけっこう大変な作業だ)「もうヤになっちゃった?」と私に泣きながら話しかけてきた。
退院して以来ほとんど四六時中彼女の行動の面倒を見ていることや今回の引っ越しの片付けも家事も全てやっている私にきっと負い目を感じていたのかもしれない。
そんな感じのする涙だった。
「そんなことはないよ。私が一番愛しているのはウサギなんだから、ウサギが困っているのを助けるのは当たり前じゃないか。でも…」。
私はそう言って彼女の顔を見るが彼女の顔はけっして納得していない。
彼女は、「私だって一生懸命やろうとしているの。でも、新しいところに来てやることが多過ぎて身体がついていってないの。だから、歩き方も病院の時よりちょっとヘタになっちゃってる…」。
そうか、この家は今の彼女にとって「新しい環境」なのか(このことを私は見落としていたかもしれない)。
けっして以前ずっと住んでいた「住み慣れた環境」ではないのだ。
トイレに行くことやベッドに行くことはできても自由にベランダから海を眺めることもできないし、それこそ自由に外に出歩けるような身体にはまだなっていない。
彼女の動き回れる環境は本当に限られている。
「でも、全部をいっぺんにやろうとしないで順番をちゃんと考えた方が良いよ。家事なんかは全部後回しでいいからまずしっかり歩けるようにしよう。それができれば他のものも全部できているはずだから」。
これまでの二人の人生の「泣き笑い」とは比べ物にならないぐらいの「泣き笑い」のアニバーサリーだ。