「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・08・21

2006-08-21 10:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私の母は戸籍では明治十九年正月生れになっているが、実は十八年の十二月生れだと当人が言っていた。今も昔も暮もおしつまって生れると正月生れにして届ける。だから酉どしで戌どしではないというのは酉と戌では運勢がちがうからで、これは昨今の娘が、自分の星が何座かによって運命が違うから気にするのと軌を一にしている。
 明治十九年生れの母は菊池寛とほぼ同時代人で、明治三十七年に嫁に行くまで芝居を見ている。幼いときから子守に背負われていわゆる団菊左を見ている。団菊は明治三十六年、左団次はあくる三十七年に死んでいるから、三人の晩年の舞台は全部見ている。ほかに七代目団蔵も見ている。これは西国巡礼をしたあと瀬戸内海に身を投じて死んだ八代目の実父で、団菊と同じくらい名人だといわれた役者である。八代目は父親崇拝だったからその名を継ぐことをいやがったが、なぜか松竹は襲名させたがって、やむなく継ぐことは継いだが、それを恥じて死んだふしがある。すくなくともそれは入水の一因かと思われる。
 ほかに母は円朝の人情噺を聞いている。俗に下駄屋の小さんといわれた小さんも聞いている。日本橋本石町(ほんこくちょう)の生れだから当時は芝居を変り目ごとに家中で見にいく習慣があって、同じ狂言を何度も見てせりふはたいていおぼえた。狂言の主人公は生きている人より生きていたのである。
 嫁に行ってからも見ている。日本橋の商家の娘が根岸の士族に嫁にいったから、その士族の家では変り目ごとに見る習慣がなかったから見ること少くなった。したがって母がよく知る芸人は嫁入前に見たものである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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