今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「河竹黙阿弥は明治改元のときすでに五十になっていたが、明治二十六年七十八で死ぬまで現役の狂言作者であることをやめなかった。その黙阿弥が『島鵆(しまちどり)』という散切物(ざんぎりもの)を書いている。丁髷(ちょんまげ)を切った時代の脚本だから散切物という。登場人物のすべてが泥坊だという狂言で、私は十五代目羽左衛門の明石の島蔵、六代目菊五郎の松島千太で招魂社(しょうこんしゃ)の鳥居前の場を見ている。島蔵は改心して堅気になっていて、千太にも悔い改めよとすすめるが、千太はせせら笑ってきかない。二人は言い争ってとどのつまり鳥居前でながい立回りを演じる。いつはつべしとも思われない無言の立回りで、『島鵆』が残ったのはこの場面のためかと思われるほど美事な格闘、というよりあれは舞踊である。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「河竹黙阿弥は明治改元のときすでに五十になっていたが、明治二十六年七十八で死ぬまで現役の狂言作者であることをやめなかった。その黙阿弥が『島鵆(しまちどり)』という散切物(ざんぎりもの)を書いている。丁髷(ちょんまげ)を切った時代の脚本だから散切物という。登場人物のすべてが泥坊だという狂言で、私は十五代目羽左衛門の明石の島蔵、六代目菊五郎の松島千太で招魂社(しょうこんしゃ)の鳥居前の場を見ている。島蔵は改心して堅気になっていて、千太にも悔い改めよとすすめるが、千太はせせら笑ってきかない。二人は言い争ってとどのつまり鳥居前でながい立回りを演じる。いつはつべしとも思われない無言の立回りで、『島鵆』が残ったのはこの場面のためかと思われるほど美事な格闘、というよりあれは舞踊である。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)