今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「大江健三郎はタイトルをつけることの名人である。『芽むしり仔撃ち』『見るまえに跳べ』『万延元年のフットボール』のごときは一度聞いたら忘れられない。
題をつけることのうまい人に高見順がある。中野重治があることはいつぞや紹介した。高見には『わが胸の底のここには』『如何なる星の下(もと)に』などがある。『わが胸の底のここには』は藤村詩集の『吾胸の底のここには言ひがたき秘密(ひめごと)住めり』からとった。『如何なる星の下に生れけむ、われや世にも心弱き者なるかな』という文句は高山樗牛にある。『月の夕(ゆうべ)、雨のあした、われ『ハイネ』を抱きて共に泣きしこと幾たびか』と書いて、樗牛は満都の子女の紅涙をしぼったが、昭和になってからは全く読まれなくなった。高見はそれをおぼえていてタイトルだけ借りたのである。このたぐいなら私にもできないではない。
けれども『万延元年のフットボール』は大江でなければつけられない題である。凡手でないというより天才である。」
(山本夏彦著藤原正彦編「『夏彦の写真コラム』傑作選1」新潮文庫所収)
「大江健三郎はタイトルをつけることの名人である。『芽むしり仔撃ち』『見るまえに跳べ』『万延元年のフットボール』のごときは一度聞いたら忘れられない。
題をつけることのうまい人に高見順がある。中野重治があることはいつぞや紹介した。高見には『わが胸の底のここには』『如何なる星の下(もと)に』などがある。『わが胸の底のここには』は藤村詩集の『吾胸の底のここには言ひがたき秘密(ひめごと)住めり』からとった。『如何なる星の下に生れけむ、われや世にも心弱き者なるかな』という文句は高山樗牛にある。『月の夕(ゆうべ)、雨のあした、われ『ハイネ』を抱きて共に泣きしこと幾たびか』と書いて、樗牛は満都の子女の紅涙をしぼったが、昭和になってからは全く読まれなくなった。高見はそれをおぼえていてタイトルだけ借りたのである。このたぐいなら私にもできないではない。
けれども『万延元年のフットボール』は大江でなければつけられない題である。凡手でないというより天才である。」
(山本夏彦著藤原正彦編「『夏彦の写真コラム』傑作選1」新潮文庫所収)