今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、「父母よ友よ笑え」と
題した小文です。
「 ある晩、私は泣いてみた。もうなん十年も泣かないから、泣き方を忘れていはしまいかと、
はじめ私は危ぶんで、ひとり声をしのんで泣いてみた。やがて思い出して、高く低く、次
第に真に迫って泣いた。そしたら、あとからあとから涙がわいて出て、さっぱりした。
――秋の祭に、片思いの恋人の家に招かれて、(と、嘉村礒多は書いた)、瀬戸の火鉢の
ふちをかかえて立つと、手からすべり落ち、灰やおきが畳いっぱいにちらばった時の面目
なさが、あらたに思い出されては、あるに堪えなく、この五体が筒の中で搗(つ)きくだか
れて消えたかった。『あッ、あッ』と、私は奇妙な叫び声を発して下腹をおさえた。両手
の十本の指を宙にひろげて机の前であばれ騒いだ、云々。
嘉村礒多は、己が恥辱を筆舌に尽した作者である。尽さないで、たいていの人は数々の
恥ずべき思い出をかくし持っている。だから私はためしに泣いて、その数々を洗い流して
みたのである。屈辱の思い出を一つも持たないまま死のうとは図々しい。ところが昨今の
親は、子にそれを持たせまいとする。
すなわち、親子の仲でも、親は子を笑ってはならぬと禁じる。笑うと子の心に深い傷を
残すからだそうだ。
けれども世の中には笑われておぼえることが多いのである。親が子を笑うのだから、そ
こに悪意はない。思わず笑って、なに悪かろう。これしきのことに傷つくなら、世間へ
出たら、どんなに傷つくか知れはしない。そのための準備にも、笑われておいたほうが
いい。ところが親は、せめて家にいる間だけでもと、ほとんど無菌状態で育てたがる。
昔はこれをお乳母(んば)日傘といった。金持のひとりっ子だけにあったことで、おんば
日傘で育った子は、ろくなものにならなかった。唐様で書く三代目に終るのが常だった。
私の知人のひとりに、雪乃丞変化のことを、雪乃丞変カというのがいる。変カじゃある
まい、変ゲだろうと、三十すぎてはもう誰も言ってくれない。私も言わない。
それを言ってくれるのは、せいぜい中学生までである。親でさえ笑っていけないのだか
ら、友が友を笑ってはなおいけないと、今の中学生は教えられ、それに従って笑わぬと
みえ、変カはふえるばかりである。いずれ、日本中変カだらけになって、変ゲは間違い
になろう。
ある日偶然、実はあれは変ゲだったと知ったら、彼は本式に傷つくかもしれない。それ
を恥辱だと思ったら、とてもあるに堪えないだろう。どうして親が、友が笑ってくれな
かったかと、さか恨みするかもしれない。
しないかも知れない。どうせこのとしまで気がつかないくらいだから、死ぬまで気が
つかないかもしれないし、気がついても恥辱に思わないかもしれない。
人はすべて同じ個所で怒りはしない。また喜びはしない。だから、恥辱に思う個所も、
人さまざまである。火鉢をとり落したのを、終生の恨事(こんじ)としない人もあろう。
けれども、他を恨事とするから同じことである。
実を言えば、人が傷つかないところで傷つくのは、才能の一種なのである。だから、
どこでも、なんにも傷つかないのは、俗物というより人外の魔物なのである。
金とひまにあかして、わが子を魔物に仕立てようとしても、それは出来ない相談であ
る。どんな凡夫も傷つく。どこかであるに堪えない思いをする。
それはいくら防いでも、防ぎきれないことである。保護して及ばないことである。
それなら父母よ友よ、遠慮なく笑うがいい。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
題した小文です。
「 ある晩、私は泣いてみた。もうなん十年も泣かないから、泣き方を忘れていはしまいかと、
はじめ私は危ぶんで、ひとり声をしのんで泣いてみた。やがて思い出して、高く低く、次
第に真に迫って泣いた。そしたら、あとからあとから涙がわいて出て、さっぱりした。
――秋の祭に、片思いの恋人の家に招かれて、(と、嘉村礒多は書いた)、瀬戸の火鉢の
ふちをかかえて立つと、手からすべり落ち、灰やおきが畳いっぱいにちらばった時の面目
なさが、あらたに思い出されては、あるに堪えなく、この五体が筒の中で搗(つ)きくだか
れて消えたかった。『あッ、あッ』と、私は奇妙な叫び声を発して下腹をおさえた。両手
の十本の指を宙にひろげて机の前であばれ騒いだ、云々。
嘉村礒多は、己が恥辱を筆舌に尽した作者である。尽さないで、たいていの人は数々の
恥ずべき思い出をかくし持っている。だから私はためしに泣いて、その数々を洗い流して
みたのである。屈辱の思い出を一つも持たないまま死のうとは図々しい。ところが昨今の
親は、子にそれを持たせまいとする。
すなわち、親子の仲でも、親は子を笑ってはならぬと禁じる。笑うと子の心に深い傷を
残すからだそうだ。
けれども世の中には笑われておぼえることが多いのである。親が子を笑うのだから、そ
こに悪意はない。思わず笑って、なに悪かろう。これしきのことに傷つくなら、世間へ
出たら、どんなに傷つくか知れはしない。そのための準備にも、笑われておいたほうが
いい。ところが親は、せめて家にいる間だけでもと、ほとんど無菌状態で育てたがる。
昔はこれをお乳母(んば)日傘といった。金持のひとりっ子だけにあったことで、おんば
日傘で育った子は、ろくなものにならなかった。唐様で書く三代目に終るのが常だった。
私の知人のひとりに、雪乃丞変化のことを、雪乃丞変カというのがいる。変カじゃある
まい、変ゲだろうと、三十すぎてはもう誰も言ってくれない。私も言わない。
それを言ってくれるのは、せいぜい中学生までである。親でさえ笑っていけないのだか
ら、友が友を笑ってはなおいけないと、今の中学生は教えられ、それに従って笑わぬと
みえ、変カはふえるばかりである。いずれ、日本中変カだらけになって、変ゲは間違い
になろう。
ある日偶然、実はあれは変ゲだったと知ったら、彼は本式に傷つくかもしれない。それ
を恥辱だと思ったら、とてもあるに堪えないだろう。どうして親が、友が笑ってくれな
かったかと、さか恨みするかもしれない。
しないかも知れない。どうせこのとしまで気がつかないくらいだから、死ぬまで気が
つかないかもしれないし、気がついても恥辱に思わないかもしれない。
人はすべて同じ個所で怒りはしない。また喜びはしない。だから、恥辱に思う個所も、
人さまざまである。火鉢をとり落したのを、終生の恨事(こんじ)としない人もあろう。
けれども、他を恨事とするから同じことである。
実を言えば、人が傷つかないところで傷つくのは、才能の一種なのである。だから、
どこでも、なんにも傷つかないのは、俗物というより人外の魔物なのである。
金とひまにあかして、わが子を魔物に仕立てようとしても、それは出来ない相談であ
る。どんな凡夫も傷つく。どこかであるに堪えない思いをする。
それはいくら防いでも、防ぎきれないことである。保護して及ばないことである。
それなら父母よ友よ、遠慮なく笑うがいい。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)