今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」掲載の記事
の中から ふたつ 。
プーチン・ロシアによって再び 開けられた「 パンドラの箱 」。地政学などお構いなし 。
まさかのちゃぶ台返しに 、右往左往する西欧文明社会 。
エコノミック・アニマルのお株は 、疾うに中国に取られたし 、
バナナマン 日本国 も旗色を鮮明にせずばなるまいて 。
この世は 、造っては壊れ 、造っては壊し の繰り返し 、災害であれ 、戦災であれ 😢 。
この世に 、老人支配のない国はない 。軍事パレードの雛壇 ( ひなだん ) 見ててそう思う 。
「 日本の核武装 」が政策の選択肢として 現実味をもって 語られる日が 生きてるうちに
来ようとは思わなんだ 。
プーチン・ロシアがやったことは 、岸田・日本がある日 、北方領土や竹島の奪回に
乗り出すようなもの 、と考えれば わかりやすい 。東京にミサイルが飛んできても 、
モスクワに黒い雨が降っても 、おかしくはないでしょ 。相手は軍隊持った独立国
なんだから 、あの「 モスクワ 」を見舞ったミサイルが 、数百キロ先の「モスクワ 」
に飛んできても不思議はない 。
核兵器を持たず 、同盟国もいない 独立国 ウクライナ は 、竹槍で大国に立ち向かう
フリーハンド を持っている ・・・ 窮鼠猫を噛む !?
「 コサック 」なめんなよ !
核攻撃がなくても 、核報復はありうる 。
ミサイルが小型の核弾頭を積んでるかどうかはわからない 。
本当に 、核兵器は「 抑止力 」として万能なんだろうか 。
どの派の論者もめげません 、正解などないのですから 、皆々言いたい放題 、ダメとムダ 。
繫栄するのは 軍需産業 。裾野は広く 、民需 と 軍需 に 境い目 など ありませぬ 。
ウクライナ製の艦船が 、中国の空母になって化けて出るのですから 、奇々怪々 。
どこの国も 一枚岩 ではありません 。
八月や 六日九日 十五日
しょうわの日 けんぽ記念日 みどりの日
ヒトは みな 認知症 で 死ぬ 、例外はない 。
プーチンだって 、バイデンだって 、あのトランプだって、 いずれ 死ぬ 。
どこかの若い衆が 、〇〇は自害しろ 、なんて言ってたとか 、言ってなかった とか 。
待てば 海路の 日よりかな 。→
( ” If you wait , there will be a sunny day on the sea route . " )
待てば海路の日和あり → 待てば甘露の日和あり 。
引用はじめ 。
1.文春新書『老人支配国家日本の危機 』の著者エマニュエル・トッドさんの提言や意見:
・「 日本への核武装提言
2006年 、朝日新聞のインタビューにおいて 、『 核兵器は偏在こそが怖い 。
広島 、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで 、米ソ冷戦期には
使われなかった 。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテー
ブルについた 。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで 、
東アジアも中国だけでは安定しない 。日本も持てばいい 。』と述べ 、
日本の核武装を提言した 。さらにトッドは 、ドゴール主義的な考えだと
して 、『 核を持てば軍事同盟から解放され 、戦争に巻き込まれる恐れ
はなくなる 』と指摘する 。ほか 、被爆国である日本が持つ核への国民
感情については 、『 国民感情はわかるが 、世界の現実も直視すべき 』
とした 。
フランスの核武装については 、何度も侵略されてきたことが最大の理由
とし 、『 地政学的に危うい立場を一気に解決するのが核だった 』と指
摘した 。
日本が核兵器を持った場合に派生する中国とアメリカと日本との三者関係
については 、『 日本が紛争に巻き込まれないため 、また米国の攻撃性
から逃れるために核を持つのなら 、中国の対応はいささか異なってくる 』
との見通しを出したうえで 、『 核攻撃を受けた国が核を保有すれば 、
核についての本格論議が始まり 、大きな転機となる 』と指摘した 。
2010年 、日本経済新聞のインタビューでは 、日本と中国との不均衡な
関係に対して 、ロシアとの関係強化を提言した 。
” 日本は非核国なのに対して中国は核保有国です 。経済でも日本は高い
技術力を持つ先進国なのに比べて 、中国は輸出や生産の規模は大きい
が技術力は低い 。日中両国は 、均衡が取れていません 。不均衡な関
係は危険です 。実際 、中国は国内の不満をそらすために反日ナショナ
リズムを利用しています 。中国をけん制するには 、地政学的に見て
ロシアとの関係強化が有効なのです 。”
その後も 、『 文藝春秋 』2022年5月特別号に寄稿した記事『 日本
核武装のすすめ 』において 、『 アメリカの核の傘は幻想であり 、
日本は核武装をするべきである 』という主旨の提言を行っている 。」
・ 「 日本と周辺諸国間における歴史認識問題について
日本と周辺国における歴史認識問題については 、『 欧州でもユダヤ人
虐殺の贖罪意識が大きすぎるため 、パレスチナ民族の窮状を放置しがち 』
としてヨーロッパの状況をふまえたうえで 、『 日本は戦争への贖罪意識が
強く 、技術・経済的にもリーダー国なのに世界に責任を果たせないでいる 。
過去を引き合いに出しての " 道徳的 " 立場は 、真に道徳的とはいいがた
い 。』として日本の態度を批判した 。」
2.エマニュエル・トッドさんの略歴と論考 :
「 エマニュエル・トッド ( Emmanuel Todd , 1951年5月16日 - ) は 、フランスの
人口統計学者 、歴史学者 、人類学者 。学位はPh.D.( ケンブリッジ大学・1976年 )。
研究分野は 歴史人口学 、家族人類学 。人口統計を用いる定量的研究及び
家族類型に基づく斬新な分析によって広く知られている 。フランスの国立
人口学研究所に所属していたが 、2017年に定年退職した 。2002年の『 帝国以後 』
は世界的なベストセラーとなった 。経済現象ではなく人口動態を軸として人類史を
捉え 、ソ連の崩壊 、英国のEU離脱や米国におけるトランプ政権の誕生などを予言した 。
来 歴
エマニュエル・トッドは 、フランス人作家のポール・ニザン( 1905 - 1940 )の娘
アンヌ=マリー( Anne-Marie 、1928-1985 )と 、ジャーナリストのオリヴィエ・
トッド( Olivier Todd )の息子として 、1951年にサン=ジェルマン=アン=レーで
生まれた 。父方の祖父はオーストリアとハンガリーにルーツを持つユダヤ人の建築家
であったが 、彼はオリヴィエが生まれる前に妻子を捨てたことや 、両親が第二次世界
大戦中にカトリックに改宗したことから 、ユダヤ人としての教育は受けていない 。
1967年から1969年までフランス共産党員だった 。
パンテオン・ソルボンヌ大学の学部生の頃 、単位を取る必要から歴史人口学を履修し 、
ジャック・デュパキエ( フランス語版 )の授業を受けた 。
パリ政治学院を卒業後 、父の友人であるエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリの勧めで
ケンブリッジ大学に入学した 。1971年から1975年まで 、家族制度研究の第一人者で
あるピーター・ラスレットの指導を受け 、1976年に同大学より Ph.D. の学位を取得 。
学位論文は「 工業化以前の欧州における七つの農民共同体 。フランス 、イタリア
及びスウェーデンの地方小教区の比較研究 ( Seven peasant communities in pre-industrial
Europe . A comparative study of French , Italian and Swedish rural parishes ) 」である 。
当時ラスレットは 、アングロ・サクソンが工業化以前から核家族であったことを発見
しており 、核家族が世界に普遍的な家族構造であることを示そうとしていたが 、博士
論文において家族構造の多様性を見出していたトッドはそれに反対し 、ラスレットの
下を去った 。
なお 、トッドは精神疾患を患っていたため 、徴兵検査で「 軍隊のような規律の厳しい
集団生活には耐えられない 」と判定されて兵役を免除されており 、軍隊経験は有して
いない 。
研 究
『 最後の転落 』
1976 年、最初の著作である『 最後の転落 』 ( La Chute finale ) において 、
10年から30年以内のソビエト連邦崩壊を人口統計学的な手法で予想し 、注目さ
れた 。この本は7か国語に訳され 、25歳にして国際的に知られるようになった 。
前年にベトナム戦争が北ベトナムの勝利で終結し 、ソビエトの威信が高まる中 、
フランスでは 、ソビエトでは全体主義に順応した新しいソビエト的人間が生ま
れ育っているので体制崩壊はない 、という主張があった 。これに対しトッドは 、
ロシア人女性が識字率上昇の後に出産率が下がるという人類の普遍的傾向に従って
近代化していることを示し 、ソビエト的人間説を否定した 。また通常は下がり
続ける乳児死亡率が 、ソビエトでは 1970年から上がり始めたことを指摘し 、
体制が最も弱い部分から崩れ始めたと主張した 。ソビエト連邦は実際に 1991年
に崩壊し 、トッドは予言者と見なされることとなった 。
『世界の多様性』
トッドはその後 、1983年に『 第三惑星 』 ( La Troisième Planète ) 、
1984年に『 世界の幼少期 』 ( L'Enfance du monde ) を著した 。後に
この二作は『 世界の多様性 』 ( La Diversité du monde ) として一冊に
まとめられた 。トッドはこの中で世界の家族制度を分類し 、大胆にかつて
の家族型と社会の関係を示した 。ピエール・ショーニュ( フランス語版 )、
エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ、アンリ・マンドラーズ( フランス語版 )、
ジャン=フランソワ・ルヴェルらフランスの歴史学者 、社会学者に支持され 、
非常に活発な議論を引き起こした 。
トッドが示した家族型は以下のとおりである 。
絶対核家族 ( la famille nucléaire absolue )
子供は成人すると独立する 。親子は独立的であり 、兄弟の平等に無関心で
ある 。遺産は遺言に従って分配される 。イングランド 、マン島 、オラン
ダ 、デンマーク 、ノルウェー南部 、イングランド系のアメリカ合衆国 、
カナダ ( ケベック州を除く ) 、オーストラリア 、ニュージーランドに
見られる 。基本的価値は自由である 。世界の他の地域に比べ 、女性の
地位は高い 。これは 、核家族が本質的に夫婦を中心にするため 、夫と
妻が対等になるからである 。一方 、基本的価値が自由であることから 、
子供の教育には熱心ではない 。個人主義 、自由経済を好む 。移動性が
高い 。
平等主義核家族 ( la famille nucléaire égalitaire )
子供は成人すると独立する 。親子は独立的であり 、兄弟は平等である 。
遺産は兄弟で均等に分配される 。パリを中心とするフランス北部 、スペ
イン中南部 、ポルトガル北東部 、ギリシャ 、イタリア南部 、ポーランド 、
ルーマニア 、ラテンアメリカ 、エチオピアに見られる 。基本的価値は
自由と平等である 。女性の地位は 、娘が遺産分割に加わる社会( フランス
北部 )では高いが 、そうでない地域ではやや低い 。絶対核家族と同様 、
個人主義であり 、子供の教育には熱心ではない 。核家族を絶対核家族と
平等主義核家族に分け 、平等への態度が全く異なることを示したのは
トッドが最初である 。
直系家族 ( la famille souche )
子供のうち一人( 一般に長男 )は親元に残る 。親は子に対し権威的で
あり 、兄弟は不平等である 。ドイツ 、スウェーデン 、オーストリア 、
スイス 、ルクセンブルク 、ベルギー 、フランス南部 ( 地中海沿岸を
除く ) 、スコットランド 、ウェールズ南部 、アイルランド 、ノルウェ
ー北西部 、スペイン北部( バスク )、ポルトガル北西部 、日本 、朝鮮
半島 、台湾 、ユダヤ人社会 、ロマ 、カナダのケベック州に見られる 。
イタリア北部にも弱く分布し 、また華南に痕跡的影響がある 。多くは
いとこ婚を禁じるが 、日本とユダヤではいとこ婚が許され 、ロマにおい
ては優先される 。基本的価値は権威と不平等である 。子供の教育に熱心
である 。女性の地位は比較的高い 。秩序と安定を好み 、政権交代が少な
い 。自民族中心主義が見られる 。
( 筆者註 : 文中の『 ロマ 』について 、『 ロマ( Roma 、単数はロム )は 、
ジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に
由来し 中東欧に居住する移動型民族である 。移動生活者 、放浪
者とみなされることが多いが 、現代では定住生活をする者も多い 。
ジプシーと呼ばれてきた集団が単一の民族であるとするステレオ
タイプは18世紀後半に作られたものであり 、ロマでない集団
との関係は不明である 。 』と( ^ω^)・・・ 。 )
外婚制共同体家族 ( la famille communautaire exogame )
息子はすべて親元に残り、大家族を作る 。親は子に対し権威的であり 、
兄弟は平等である 。いとこ婚は禁止されるか少ない 。ロシア 、フィン
ランド 、旧ユーゴスラビア 、ブルガリア 、ハンガリー 、モンゴル 、
中国 、インド北部 、ベトナム 、キューバ 、フランスのリムーザン地
域圏およびラングドック=ルシヨン地域圏とコートダジュール 、イタリア
中部( トスカーナ州やラツィオ州など )に見られる 。基本的価値は権威
と平等である 。これから 、共産主義との親和性が高い 。トッドがそも
そも家族型と社会体制の関係に思い至ったのは 、外婚制共同体家族と共産
主義勢力の分布がほぼ一致する事実からである 。子供の教育には熱心では
ない 。女性の地位は一般に低いが 、ロシアは共同体家族の歴史が浅く例外
的に高い 。
内婚制共同体家族 ( la famille communautaire endogame )
息子はすべて親元に残り 、大家族を作る 。親の権威は形式的であり 、兄弟
は平等である 。父方平行いとこ( 兄と弟の子供同士 )の結婚が優先される 。
権威よりも慣習が優先する 。トルコなどの西アジア 、中央アジア 、北アフ
リカ 、フランス領コルシカ島に見られる 。イスラム教との親和性が高い 。
子供の教育には熱心ではない 。女性の地位は低い 。
非対称共同体家族 ( la famille communautaire asymétrique )
母系のいとこの結婚が優先される 。親は子に対し権威的であり 、兄弟姉妹は
兄と妹 、または姉と弟は連帯するが 同性では連帯しない 。インド南部に見ら
れる 。子供の教育に熱心である 。女性の地位は高い 。カースト制度において
自らを下位に位置づける 。
アノミー的家族 ( la famille anomique )
基本的に核家族に近いが 、はっきりした家族の規則は見出しにくい 。東南
アジア ( ベトナムを除く ) 、太平洋 、マダガスカル 、アメリカ先住民に
見られる 。社会の結束が弱い 。宗教に寛容であり 、上座部仏教を中心と
してイスラム教やカトリックも存在する 。
アフリカ・システム ( le système des familiaux africains )
一夫多妻が普通に見られる 。この一夫多妻は母子家庭の集まりに近く 、父親
の下に統合されるものではない 。女性の地位は不定だが 、必ずしも低くはな
い 。離婚率が高い 。それ以外は多様であり 、民族により共同体家族的でも
直系家族的でもあり得る 。北アフリカとエチオピアを除くアフリカに見られ
る 。
トッドはこれら家族制度こそが 、社会の価値観を生み出すのだと主張した 。
これを先験的( アプリオリ )と表現する 。すなわちこれらの価値観は 、
特定の家族制度のもとに生まれることで自動的に身につけるからである 。
例えば、多民族からなる帝国を築くには平等を基本的価値として持っていな
ければならないとする 。ローマ帝国 、イスラム帝国 、唐帝国は 、それぞ
れ平等主義核家族 、内婚制共同体家族 、外婚制共同体家族の帝国であり 、
先験的な平等意識に支えられている 。一方 、直系家族であるドイツ 、日本 、
かつてのアテネは 、どれも自民族中心主義から脱することができず 、帝国を
築くのに失敗している 。イングランドは大帝国を築いたが 、間接統治であり 、
他の民族を自国に統合するものではなかった 。
トッドの理論は様々な疑問を説明する 。例えば 、なぜ共産主義体制はマルクス
が予想したような資本主義先進国ではなくロシアや中国で実現したのか 、なぜ
遠く離れたドイツと日本の社会制度が似ているのか 、なぜアメリカ人は自由と
独立を重視するのか 、などである 。説明があまりに明快で決定的だったため 、
マルクス主義が失墜しつつある当時にあって 、新たな決定論であるとして激し
い攻撃を受けることとなった 。トッドはこれを 、倫理的な判断によって事実を
否定するものであるとし 、事実を事実として認める者だけが事実を乗り越えら
れると述べている 。
またマルクスに代表される 、経済を下部構造とするモデルは説明能力が無いとし 、
家族構造から識字率と経済を説明するべきであるとした 。これより 、直系家族で
ある日本がヨーロッパに追い付くが追い越しはしないこと 、東南アジアおよび
南インドが近いうちに中南米を追い越すこと 、女性の地位が低い西アジア・中央
アジアと北インドが世界で最も遅れた地域となり 、いずれギニア湾岸諸国に抜か
れること 、などを予想した 。
共同体家族システムの起源
トッドは当初 、家族型の分布は偶然であり 、何ら環境的要因はないとしていた 。
すなわち 、ドイツと日本が似ているのは同じ直系家族だからだが 、両民族が直系
家族なのは偶然の一致だと見ていた 。しかし後に 、言語学者のローラン・サガー
ルの指摘により 、家族型の分布が 、中心から革新が伝播して周辺に古形が残ると
いう周圏分布をなすことを示した 。これは言語地理学の重要な原則であり 、日本
では柳田国男の「 カタツムリ校 」でよく知られている 。ユーラシア内陸に外婚制及び
内婚制の父系共同体家族があり 、その外側のドイツや日本に直系家族があり 、
さらにその外側のイングランド 、フランス 、東南アジアに核家族が存在する 。
これは 、父系共同体家族が最も新しく 、次に直系家族が新しく 、核家族が最も
古い残存形態であることを表している 。
( 筆者註 : 文中の 、柳田国男の『 カタツムリ校 』 、正しくは『 蝸牛考 』。 )
トッドとサガールによれば 、ユーラシア中心部で生まれた父系共同体家族は 、
兄弟の連帯に基づく巨大な集団を作る点で軍事的に優位であり 、征服を通して
広まり 、集団主義と女性の低い地位をもたらした 。かつてバッハオーフェンが
主張した母権制から父権制への移行は歴史的事実ではないが 、父系社会のほうが
新しいという直感は正しかったのである 。アングロサクソンの自由主義や女性の
高い地位が 、近代性ではなく辺境の古さに由来するという結論には驚くべきもの
がある 。
トッドらは 、いつ父系共同体家族に変わったかをいくつかの地域について示して
いる 。中国が共同体家族になったのは秦による中国統一からである 。秦の軍事
的優位の一因として共同体家族制を挙げる 。東方六国は儒教に明示される直系
家族であった 。これに対し 、共同体家族の価値観を反映するのは法家思想で
ある 。秦以降の儒教は共同体家族の価値観によって変化し 、兄弟の序列を重視
しなくなった 。
エジプトでは 、ローマ帝国時代においてもまだ父系的でなく 、イスラム帝国に
よるアラブ化により共同体家族となった 。」
引用おわり 。
団塊世代の天下 は 、続く 。
本 買わなくても 、ウィキ で十分なようではある 。