今日の「 お気に入り 」は 、田原総一郎さんと佐藤優さんの
共著 「 人生は天国か 、それとも地獄か 」( 白秋社 刊 ) の
中で 、佐藤優さんが書かれた文章のいくつか 。
備忘のため 、抜き書き 。
小文のタイトルは「 死と孤独こそが喜びと安らぎである 」。
引用はじめ 。
「 死んだらどうなるのか 、この世での存在が消え
たら『 無 』になるのか ―― 。
『 死 』は誰にでも訪れるものですが 、その真
実は誰にも分かりません 。死後のことは 、誰も
世の中に伝えることができないからです 。この
ように死後の様相がまったく分からないことが 、
死に対する恐怖の実体です 。古から多くの宗教
が 、死をどう捉えるかという問いに対して 、い
くつかの答えを出してきました 。その答えこそ
が 、宗教が人々に求められる最大の要因だとい
ってもいいでしょう 。
人間が必ず何らかの宗教に帰依すべきとは思い
ませんが 、その様々な死生観に触れることは 、
自分の死と向き合ううえで 、大きなヒントを与
えてくれます 。」
「 たとえば私が信仰するキリスト教においては 、
死ぬと肉体も魂も一度完全に滅びてしまいます 。
しかし 、その滅びた肉体も魂も 、イエス・キ
リストの再臨という形で復活し 、審判にかけら
れます 。これが『 最後の審判 』です 。
神を信じ 、神の意向にならって生きたものは 、
イエス・キリストと共に神の国に行き 、永遠の
命を得るとされています 。
ただし 、プロテスタントは『 絶対者の恩恵 』
を基本としており 、自分がどんなに善行を行お
うと 、それが神の国に行けるかどうかに影響す
ることはありません 。すべては予め神が決める
ことなのです 。突き詰めると 、人間は生まれ
たときから 、神の国に行き永遠の命を持つ者と
滅びる者とに分けられている 、ということにな
ります 。
だからといって 、『 だったら何をしてもいい
ではないか 』とはなりません 。というのも 、
こう考える人は 、そもそも選ばれていない人
だからです 。選ばれている人は自ずと神の意
志に従い 、神にならって正しく生き 、やがて
死を迎える ―― こう考えるのがプロテスタン
トの信者です 。
ですから 、死こそが信仰の完成であり 、目的
となります 。英語の『 end 』という言葉には 、
『 終わり 』という意味と同時に 、『 目的 』
という意味があります 。これは 、こうしたキ
リスト教的概念が反映されているからなのです 。
そのキリスト教には『 一粒の麦 』という言葉
があります 。
『 一粒の麦は 、地に落ちて死ななければ 、一
粒のままである 。だが死ねば 、多くの実を結
ぶ 』(『 ヨハネによる福音書 』一二章二四節 )
自分の命を守って自分だけの命とするならそれ
きりですが 、自分の命を捨てて犠牲になること
で多くの命がそこから生まれる 、という比喩で
す 。
キリスト教徒でない人から見ると 、ヒロイズム
に酔っている 、ちょっと困った人間にしか見え
ないかもしれません 。しかし 、それほどにイエ
ス・キリストの存在感は私たちに影響を与え 、
死の恐怖も孤独の恐怖も乗り越えさせてくれるの
です 。それどころか 、死と孤独こそが喜びと安
らぎであることを実感させてくれます 。」
引用おわり 。
(⌒∇⌒)
( ついでながらの
筆者註:「 ヨハネ伝第12章24節
『 一粒の麦もし地に落ちて死なずば 、ただ一つ
にてあらん 、死なば多くの実を結ぶべし 』」
あるいは 、
「 一粒の麦死なずば 、ただ一つにてあらん 。
もし死なば 、多くの実を結ぶべし 」
といった文語体の邦訳も趣きがある 。英文にも
いろいろあるよう 。
「 " I am telling you the truth: a grain of wheat
remains no more than a single grain untill
it is dropped into the ground and dies.
If it does die, then it produces many grains.
――Today's English Version "
" Most assuredly, I say to you, unless a grain of
wheat falls into the ground and dies, it remains
alone; but if it dies, it produces much grain.
――New King James Version " 」
以上ウィキ情報 ほか 。)