今日の「 お気に入り 」は 、作家 谷崎潤一郎さん の
長編小説「 細雪 」の 、あとがき「『 細雪 』回顧 」
から 。
引用はじめ 。
「 私が『 細雪 』の稿を起したのは太平洋戦
争が勃発した翌年 、即ち昭和十七年のこと
である 。
これがはじめて中央公論に出たのは昭和十
八年の新年号であったが 、それから三月号
に載り 、次いで七月号に掲載される筈の所
がゲラ刷になったまま遂に日の目を見るに
至らなかった 。陸軍省報道部将校の忌諱(き
き)に触れたためであって 、『 時局にそわ
ぬ 』というのが 、その理由であった 。当
時すでに太平洋の戦局は我に不利なる徴候を
見せ 、軍当局はその焦慮を露骨に国内の統
制に向けはじめていたことであるから 、全
く予期されぬことではなかったが 、折角意
気込んではじめた仕事の発表の見込が立たな
くなったことは打撃であった 。いや 、こと
は単に発表の見込が立たなくなったと云うに
つきるものではない 。文筆家の自由な創作
活動が或る権威によって強制的に封ぜられ 、
これに対して一言半句の抗議が出来ないばか
りか 、これを是認はしないまでも 、深くあ
やしみもしないと云う一般の風潮が強く私を ( 同調圧力 )
圧迫した 。江戸時代の作者たちが時の要路
の役人の忌避に遭って手錠五十日とか禁錮百
日とか云うような刑を加えられたことはかね
て聞き及んでいたが 、私は手錠も禁錮も科
せられたわけではなかったけれども 、昔の
作者たちの鬱屈は人ごとならず察せられたこ
とであった 。但しその時の当局の話では活
字にして売り広めなければよいということで
あったので 、滞りがちの稿をついでどうやら
上巻に予定した枚数に達したのを機会に 、知
己朋友に頒つことを目的とした私家版『 細雪 』
を上木したところ 、これがまた取締当局を刺
激し 、兵庫県庁の刑事と云うものの来訪を受
けたことがあった 。その時私は折よく熱海に
行って留守であったので 、家人が応対したと
ころ 、今度だけは見逃すが今後の分を出版す
るようなことがあったらどうとかすると云っ
て脅かしたと云う 。そうして始末書の提供を
要求したので 、旅行中不在の由を告げると 、
それなら熱海へ出張すると云って帰って行っ
たと云うことであった 。熱海の警察から
呼出しが来るかと思っていたが 、とうとうそ
のようなこともなくて済んだ 。その頃戦勢は
ますます我に不利で 、警察署でも人手の不足
に苦しんでいた時であるから 、よほどの大事
件でもないかぎり 、そのような手数をかける
こともなかったのであろう 。従ってその方の
関係で当局と交渉を持ったのはそれ限りで 、
自分では一度も厭な応対一つするでなし 、始
末書一本書くこともなくて済んだのは幸運で
あった 。
こう云う謂わば弾圧の中をとにかくほそぼそ ( 口先介入 )
と『 細雪 』一巻を書きつづけた次第であった
が 、そう云っても私は 、あの吹き捲くる嵐の
ような時勢に全く超然として自由に自己の大地
に遊べたわけではない 。そこにそこばくの掣肘
や影響を受けることはやはり免かれることが出
来なかった 。たとえば 、関西の上流中流の人
々の生活の実相をそのままに写そうと思えば 、
時として『 不倫 』や『 不道徳 』な面にもわ
たらぬわけに行かなかったのであるが 、それ
を最初の構想のままにすすめることはさすがに
憚られたのであった 。これは今日から顧みれ
ばたしかに遺憾のことに違いない 。しかしま
た一面から考えれば 、戦争という嵐に吹きこ
められて徒然に日を送ることがなかったならば 、
六年もの間一つの作品に打ち込むこともむずか
しかったかも知れなかったのであるし 、今云う
ように頽廃的な面が十分に書けず 、綺麗ごとで
済まさねばならぬようなところがあったにして
も 、それは戦争と平和の間に生れたこの小
説に避け難い運命であったとも云えよう 。」
。(⌒∇⌒) 。
「『 細雪 』には源氏物語の影響があるのではな
いかと云うことをよく人に聞かれるが 、それは
作者には判らぬことで第三者の判定に待つより
仕方がない 。しかし源氏は好きで若いときから
読んだものではあるし 、特に長年かかって現代
語訳をやった後でもあるから 、この小説を書き
ながらも私の頭の中にあったことだけはたしか
である 。だから作者として特に源氏を模したと
云うことはなくても 、いろいろの点で影響を受
けたと云えないことはないであろう 。ただ作者
と云うものはいつも一つところに止まっている
ものではないから 、私にしても僅かながらの移
り変りはあるであろう 。『 細雪 』を書いた時
は『 春琴抄 』の時とは可なり違った気持だった
し 、『 細雪 』を書き終った今日では 、この次
には何を書くかまだよく極めてはいないが 、もう
『 細雪 』と同じようなものを書こうとは思って
いない 。文章などももっと短く 、簡略に書きた
い 、と思うようになっている 。 」
引用おわり 。
登場人物の心の内や発言が 、ごく身近な立ち位置にいるかのごとき作
家によって物語られる小説なので 、移ろい易い人の心に 、読者も 、作家
同様 、振り回される 。感情移入できるのは 、そういう理由からだろう 。
本心は 、誰にも分からない 、 ・・・ 本人にも 。
小説「 細雪 」の作中には 、年号の表記は出てこないが 、書かれている
事象から、日中戦争勃発の前年1936年(昭和11年)秋から日米開戦の
1941年(昭和16年)春までの時代を書いているようである 。作家自身
の言葉を借りれば 、「 戦争の影響と云えば 、この小説に書かれた事
柄それ自身が 、日本が戦争の準備期に入り 、だんだん内部的に変質し
て行くと云うか 、いろいろの横辷りを生じて行く時代の様相と繋がっ
ているのであるから 、何年何月にはこういうことがあったと云うよう
なことを年代記風に覚え書にして 、それに対応したあらすじを終りま
で書いておかねばならなかった 」。
昭和16年といえば 、日本の敗戦まであと4年というタイミング 。
「 細雪 」の蒔岡家の4姉妹同様 、筆者の父 、母 、年の離れた兄 も 、
同時代を生きた 関西人 として 、あっという間に時代の大波に吞まれ
てゆく 。
因みに 、団塊世代の筆者は 、その激動の時代に 、まだ存在の兆しも
ない 。