「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

「 細雪 」回顧 Long Good-bye 2024・10・25

2024-10-25 06:11:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、作家 谷崎潤一郎さん の

 長編小説「 細雪 」の 、あとがき「『 細雪 』回顧 」

 から 。

  引用はじめ 。

 「 私が『 細雪 』の稿を起したのは太平洋戦
  争が勃発した翌年 、即ち昭和十七年のこと
  である 。
   これがはじめて中央公論に出たのは昭和十
  八年の新年号であったが 、それから三月号
  に載り 、次いで七月号に掲載される筈の所
  がゲラ刷になったまま遂に日の目を見るに
  至らなかった 。陸軍省報道部将校の忌諱(き
  き)に触れたためであって 、『 時局にそわ
  ぬ 』というのが 、その理由であった 。当
  時すでに太平洋の戦局は我に不利なる徴候を
  見せ 、軍当局はその焦慮を露骨に国内の統
  制に向けはじめていたことであるから 、全
  く予期されぬことではなかったが 、折角意
  気込んではじめた仕事の発表の見込が立たな
  くなったことは打撃であった 。いや 、こと
  は単に発表の見込が立たなくなったと云うに
  つきるものではない 。文筆家の自由な創作
  活動が或る権威によって強制的に封ぜられ 、
  これに対して一言半句の抗議が出来ないばか
  りか 、これを是認はしないまでも 、深くあ
  やしみもしないと云う一般の風潮が強く私を  ( 同調圧力 )
  圧迫した 。江戸時代の作者たちが時の要路
  の役人の忌避に遭って手錠五十日とか禁錮百
  日とか云うような刑を加えられたことはかね
  て聞き及んでいたが 、私は手錠も禁錮も科
  せられたわけではなかったけれども 、昔の
  作者たちの鬱屈は人ごとならず察せられたこ
  とであった 。但しその時の当局の話では活
  字にして売り広めなければよいということで
  あったので 、滞りがちの稿をついでどうやら
  上巻に予定した枚数に達したのを機会に 、知
  己朋友に頒つことを目的とした私家版『 細雪 』
  を上木したところ 、これがまた取締当局を刺
  激し 、兵庫県庁の刑事と云うものの来訪を受
  けたことがあった 。その時私は折よく熱海に
  行って留守であったので 、家人が応対したと
  ころ 、今度だけは見逃すが今後の分を出版す
  るようなことがあったらどうとかすると云っ
  て脅かしたと云う 。そうして始末書の提供を
  要求したので 、旅行中不在の由を告げると 、
  それなら熱海へ出張すると云って帰って行っ
  たと云うことであった 。熱海の警察から
  呼出しが来るかと思っていたが 、とうとうそ
  のようなこともなくて済んだ 。その頃戦勢は
  ますます我に不利で 、警察署でも人手の不足
  に苦しんでいた時であるから 、よほどの大事
  件でもないかぎり 、そのような手数をかける
  こともなかったのであろう 。従ってその方の
  関係で当局と交渉を持ったのはそれ限りで 、
  自分では一度も厭な応対一つするでなし 、始
  末書一本書くこともなくて済んだのは幸運で
  あった 。
   こう云う謂わば弾圧の中をとにかくほそぼそ  ( 口先介入 )
  と『 細雪 』一巻を書きつづけた次第であった
  が 、そう云っても私は 、あの吹き捲くる嵐の
  ような時勢に全く超然として自由に自己の大地
  に遊べたわけではない 。そこにそこばくの掣肘
  や影響を受けることはやはり免かれることが出
  来なかった 。たとえば 、関西の上流中流の人
  々の生活の実相をそのままに写そうと思えば 、
  時として『 不倫 』や『 不道徳 』な面にもわ
  たらぬわけに行かなかったのであるが 、それ
  を最初の構想のままにすすめることはさすがに
  憚られたのであった 。これは今日から顧みれ
  ばたしかに遺憾のことに違いない 。しかしま
  た一面から考えれば 、戦争という嵐に吹きこ
  められて徒然に日を送ることがなかったならば 、 
  六年もの間一つの作品に打ち込むこともむずか
  しかったかも知れなかったのであるし 、今云う
  ように頽廃的な面が十分に書けず 、綺麗ごとで
  済まさねばならぬようなところがあったにして
  も 、それは戦争と平和の間に生れたこの小
  説に避け難い運命であったとも云えよう 。」

  。(⌒∇⌒) 。

 「『 細雪 』には源氏物語の影響があるのではな
  いかと云うことをよく人に聞かれるが 、それは
  作者には判らぬことで第三者の判定に待つより
  仕方がない 。しかし源氏は好きで若いときから
  読んだものではあるし 、特に長年かかって現代
  語訳をやった後でもあるから 、この小説を書き
  ながらも私の頭の中にあったことだけはたしか
  である 。だから作者として特に源氏を模したと
  云うことはなくても 、いろいろの点で影響を受
  けたと云えないことはないであろう 。ただ作者
  と云うものはいつも一つところに止まっている
  ものではないから 、私にしても僅かながらの移
  り変りはあるであろう 。『 細雪 』を書いた時
  は『 春琴抄 』の時とは可なり違った気持だった
  し 、『 細雪 』を書き終った今日では 、この次
  には何を書くかまだよく極めてはいないが 、もう
  『 細雪 』と同じようなものを書こうとは思って
  いない 。文章などももっと短く 、簡略に書きた
  い 、と思うようになっている 。 」

  引用おわり 。

  登場人物の心の内や発言が 、ごく身近な立ち位置にいるかのごとき作

 家によって物語られる小説なので 、移ろい易い人の心に 、読者も 、作家

 同様 、振り回される 。感情移入できるのは 、そういう理由からだろう 。

  本心は 、誰にも分からない 、 ・・・ 本人にも 。

  小説「 細雪 」の作中には 、年号の表記は出てこないが 、書かれている

 事象から、日中戦争勃発の前年1936年(昭和11年)秋から日米開戦の

 1941年(昭和16年)春までの時代を書いているようである 。作家自身

 の言葉を借りれば 、「 戦争の影響と云えば 、この小説に書かれた事

 柄それ自身が 、日本が戦争の準備期に入り 、だんだん内部的に変質し

 て行くと云うか 、いろいろの横辷りを生じて行く時代の様相と繋がっ

 ているのであるから 、何年何月にはこういうことがあったと云うよう

 なことを年代記風に覚え書にして 、それに対応したあらすじを終りま

 で書いておかねばならなかった 」。

  昭和16年といえば 、日本の敗戦まであと4年というタイミング

 「 細雪 」の蒔岡家の4姉妹同様 、筆者の父 、母 、年の離れた兄 も 、

 同時代を生きた 関西人 として 、あっという間に時代の大波に吞まれ

 てゆく 。

  因みに 、団塊世代の筆者は 、その激動の時代に 、まだ存在の兆しも

 ない 。

 

コメント
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