今日の「 お気に入り 」 は 、作家 谷崎潤一郎さん の
長編小説「 細雪 」の一節 。
引用はじめ 。
「 脚気は阪神地方の風土病であるとも云うから 、
そんなせいかも知れないけれども 、此処の家
では主人夫婦を始め 、ことし小学校の一年生
である悦子までが 、毎年夏から秋へかけ脚
気に罹り罹りするので 、ヴィタミンBの注射
をするのが癖になってしまって 、近頃では医
者へ行くまでもなく 、強力ベタキシンの注射
薬を備えて置いて 、家族が互いに 、何でも
ないようなことにも直ぐ注射し合った 。そし
て少し体の調子が悪いと 、ヴィタミンB欠乏
のせいにしたが 、誰が云い出したのかそのこ
とを『 B足らん 』と名づけていた 。
ピアノの音が止んだと見て 、妙子は写真を
抽出に戻して 、階段の降り口まで出て行った
が 、降りずにそこから階下を覗いて 、
『 ちょっと 、誰か 』
と声高に呼んだ 。
『 ―― 御寮人(ごりょうん)さん*注射しやはる
で 。―― 注射器消毒しといてや 』」
( * 大阪を中心に西日本の店において 、商家
では主に「若奥さん」を意味する言葉 )
引用おわり 。
(⌒∇⌒)
「 細雪 」を読むのは 、この年 ( 76歳 ) になって 、初めての
こと 。永年「 アラサ―女性の婚活小説 」くらいに考えて 、
敬遠していた 。読み始めてすぐに出会ったのが 、上掲のくだ
りである 。一つ一つの文章は 、概して 、だらだらと長い 。
話し出すと止まらない 関西のおっちゃんの「 おしゃべり 」の
ように 、どこまでも続く 。読み馴れてくると 、なぜか心地よい 。
この小説 が描く物語は 、明治42年 ( 1909 年 ) 生まれの筆
者の母が 、生まれ育った大阪船場や二十代 、三十代に住み暮
らした阪神間がその舞台のようである 。十六歳 、年の違う長
兄が 、二十年ほど前に亡くなる直前 、病床に持ち込んでいた
文庫本が「 細雪 」だった 。自分が生まれ育った世界を懐かし
んでのことだったのではないかと今にして思う 。
小説の全篇にわたって使われている「 船場言葉 」を筆者の
母 ( 大阪船場の材木商の長女 ) も79年の生涯変わらず使っ
ていた 。彼女も 、嫁いだ先で「 ごりょんさん 」と呼ばれ
ていた時期があったらしい 。
小説の第一章のおわりにある 上掲の 「 家庭医療 」の風景 、
かかりつけ医から 注射法の指導を受けた上でのことと思わ
れるが 、戦前の昭和10年代に 一般人が家庭で注射をしてい
たのは 、当時の阪神間では 、事実だったようである 。その
名残りか 、家庭内注射は 、戦後生まれの筆者も 、昭和30
年代の小学生の頃に 、家でよく目にしたもので 、母も 、そ
して十六歳 、年の違う兄も 、日常的に 、ビタミン剤 、ブド
ウ糖などの薬剤を 、家で注射器を消毒して 、皮下注射のみ
ならず 、静脈注射をしていた記憶が 、筆者にはある 。素人
が 、よく自分で自分の腕に注射が出来るもんだと感嘆の面
持ちで眺めていたものである 。
疲れた風を見せると 、「 B足らん 」と筆者もよく言われた 。
脚気の原因が 、日本で医学的に「 潜在性ビタミンB欠乏症 」
とされたのは 昭和9年 のことだそうで 、その頃から広まった
風ではなかろうか 。
栄養状態の改善とビタミン剤の普及により 、筆者が小学生だっ
た昭和30年代には 、脚気による死亡者数はかなり減っていた
ようである 。膝小僧を叩く脚気の検査やその遊びは今でもよく
覚えている 。
(⌒∇⌒) 。
因みに「 細雪 」の最後の一文は 、嫁ぎ行く三女 雪子の
「 ・・・ 下痢は とうとうその日も止まらず 、
汽車に乗ってからもまだ続いていた 」。
なんで「 下痢 」で終わるの? 現代ならストレスからくる
「 潰瘍性大腸炎 」とでも診断される症状かもしれない 。
ワカマツのんでも 、アルシリン錠のんでも下痢が止まらない 、
嫁ぎ行く雪子の不安定で 、心許ない 心情が表現されているの
だが 、作家自身の痼疾だったのかもしれない 、そんな気がする 。
(⌒∇⌒) 。
( ついでながらの
筆者註:「『 細雪 』(ささめゆき)は 、谷崎潤一郎の長編
小説 。1936年(昭和11年)秋から1941年(昭和16
年)春までの大阪の旧家を舞台に 、4姉妹の日常
生活の明暗を綴った作品 。阪神間モダニズム時代
の阪神間の生活文化を描いた作品としても知られ 、
全編の会話が 船場言葉 で書かれている 。上流の
大阪人の生活を描き絢爛でありながら 、それゆえ
に第二次世界大戦前の崩壊寸前の滅びの美を内包し 、
挽歌的な切なさをも醸し出している 。作品の主な
舞台は職住分離が進んだため住居のある阪神間
( 職場は船場)であるが 、大阪( 船場 )文化の
崩壊過程を描いている 。」
「 谷崎潤一郎の代表作であり 、三島由紀夫をはじめ 、
多くの小説家・文芸評論家から高く評価され 、しば
しば近代文学の代表作に挙げられる作品である 。
『 細雪 』は昭和天皇にも献本され 、天皇自身は
通常文芸作品を読まないが 、この作品は全部読了
したと谷崎は聞いたという 。」
「 1950年代に 、英語( The Makioka Sisters )に翻訳 、
アメリカで出版されたことを皮切りに 、世界各国
でも出版されており 、スロベニア語・ドイツ語・
イタリア語・中国語・スペイン語・ポルトガル語・
フィンランド語・ギリシャ語・フランス語・セルビ
ア語・ロシア語・韓国語・オランダ語・チェコ語・
トルコ語に翻訳されている 。
なお 、作中には年号の表記が出てこないが 、作中
で四季の移り変わりと 、阪神間を襲った大きな気象
災害( 阪神大水害 )が克明に描かれているため 、
この作品は日中戦争勃発の前年1936年(昭和11年)
秋から日米開戦の1941年(昭和16年)春までのこと
を書いているとされている 。
大阪船場で古い暖簾を誇る蒔岡家の4人姉妹 、鶴
子・幸子・雪子・妙子の繰り広げる物語 。三女・
雪子の見合いが軸となり物語が展開する 。
主な登場人物
蒔岡家
・鶴子 - 長女、本家の奥様
・辰雄 - 鶴子の婿養子、銀行員
・幸子 - 次女、分家の奥様 -「ごりょうんさん」
(船場言葉「御寮人さん」= 若奥様)
谷崎の妻・谷崎松子がモデル。
・貞之助 - 幸子の婿養子 、計理士
・悦子 - 幸子と貞之助の娘
・雪子 - 三女 - 「 きやんちゃん 」
「雪(ゆき)姉ちゃんがつづまった言葉)
・妙子 - 四女 -「 こいさん 」
( 船場言葉「小娘さん」= 末娘 )」
(⌒∇⌒) 。
「 脚気(かっけ 、英語: beriberi )とは 、ビタミン
欠乏症の1つであり 、重度で慢性的なビタミンB1
(チアミン)の欠乏により 、心不全と末梢神経障害を
きたす疾患である 。軽度の場合は 、チアミン欠乏症
と呼ばれる 。 」
「 強力ベタキシンは 、バイエル社から売り出
されていた合成結晶ビタミンB1の商標名
で 、1 日に 1、2アンプルを皮下または
筋肉内に注射することで脚気の治療に効果
があった 。」
「 ワカマツ:『 ワカ末(マツ)錠 』は 、
古来民間で健胃・下痢止として用いられ
た “ 黄柏(オウバク)” から抽出された
塩化ベルベリンを成分とする『 下痢止 』。
健康の源であるおなかの調子を整え 、
下痢 、食あたり 、水あたりなどによく
効く 」とか 。
「 アルシリン錠『タケダ』:腸内清掃、吸著
殺菌剤 」とか 。
以上ウィキ情報 ほか 。)
(⌒∇⌒) 。