「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

因幡街道 Long Good-bye 2024・11・11

2024-11-11 05:55:00 | Weblog

 

 

  今日の「 お気に入り 」は  、司馬遼太郎さん の

 「 街道をゆく 9 」の「 播州揖保川・室津みち 」。

  今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に

 連載されたもの 。以下は 、この紀行文「 播州揖保

 川・室津みち 」の旅がはじまる前の導入部分 。

  作家の旅の同行者の紹介などもある 。挿絵を担当

 する須田画伯や編集部のHさんは 、「 街道をゆく 」

 の常連さん 。

 備忘のため 、数節を抜粋して書き写す 。

  引用はじめ 。

 「 私どもは 、大阪湾をかこむ地方に住んでいる 。
   淀川の河口を中心とすれば 、私はその東郊の中
  河内の猥雑な低湿地に住み 、須田画伯はその西郊
  の摂津(せっつ)夙川(しゅくがわ)という高燥閑雅な
  住宅地に古くから住んでいる 。文学博士安田章生
  (やすだあやお)氏は 、やや内陸?に入った北摂の
  石橋に住む 。石橋には歌の名所の待兼(まちかね)
  山があり 、歌人であるほか 、『 古今 』『 新古
  今 』の学究として定評のあるこの人の住む場所に
  ふさわしい 。
   京都に住む編集部のHさんは 、この朝 、まず夙
  川の河口の須田画伯宅から画伯を運び出し 、つい
  で北上して石橋へゆき 、難なく安田夫妻をのせて 、
  そのまま中国縦貫自動車道路という高速道路に宝塚
  から乗った 。この山間部を西へ直進する道路でゆく
  と 、一時間ほどで播州山崎に着けるという 、かつ
  ての距離感覚からいえば 、うそのような交通地
  理になっている 。
   幸いなことにこの縦貫道路は大阪の東郊の私の住
  むあたりまで延びてきている 。私はこの道路にさ
  え乗っかれば 、二十分後には 、この道路の宝塚
  地点で待つ須田画伯や安田夫妻と合流できるわけ
  である 。
   実際そのとおりになった 。ニ十分後には私は宝
  塚地点にいたし 、そこでいそぎ車を乗りかえ 、
  すぐさま安田氏の座席の横にすわるというふしぎ
  な変化の中にいた 。」

 「 車中 、播州門徒の話になった 。
  『 播州は一向宗( 本願寺門徒 )の強い土地です
  から 』
   と私がなにげなくいうと 、自分の知らないこと
  については少年のような質問したりする安田氏は 、
  このときも 、ははあそれほど門徒の勢力がつよか
  った土地ですか 、と反問した 。
   本願寺ではいまでも 、門徒勢力の強かった土地
  については 、とくに国名を冠して特別な地帯のよ
  うにして称(よ)んでいる 。加賀(かが)門徒 、三
  河(みかわ)門徒 、播州門徒 、安芸(あき)門徒と
  いうようにしてよぶ 。この四大勢力のほかは東海
  門徒ということばが存在する程度で 、あまり他の
  土地については聞かない 。たとえば越中( 富山
  県 )なども強い勢力があったのに 、とくに越中門
  徒というぐあいにしてよばないのは 、あるいは戦
  国期の一向一揆と関係があるかもしれない 。」

 「 まことに中国縦貫自動車道路は 、快適である 。
   戦国の織田信長のごときは早い時期に上方をお
  さえていながら 、中国への入口である播州へ進
  出するのにその晩年の長い歳月をついやしてしま
  い 、代官の羽柴秀吉によって播州の平定を見た
  とき 、本能寺で死んだ 。私どもは宝塚を出てか
  ら一時間ほどで山崎へ入り 、『 山崎 』と書か
  れた標識のそばを通りぬけて普通道路に降りた 。
  信長の苦心などは 、こんにちの交通条件の上を
  走っているかぎりは 、まことに実感をうしなう 。
   降りた道路は 、北上して因幡( 鳥取県 )へ
  ゆく国道29号線である 。私はこの稿の表題で
  この道を仮りに『 揖保川・室津みち 』などと
  便宜上よぶことにしたが 、しかし土地では『 因
  幡街道 』といういかにも旅の道にふさわしいい
  い名前でよばれている 。ついでながら因幡の国
  に入るとこの道は名が変って『 若桜街道 』とい
  う優美な名前でよばれる 。鳥取県に若桜という
  土地があって 、道路がその在所を通っているた
  めだが 、要するに殺風景によべば国道29号線
  であることに変りがない 。
   山崎の町に降りたが 、町へは帰りに寄ることに
  し 、いまは一気に北上して伊和郷の一宮神社へ
  行ってみることにした 。」

 「 因幡街道は 、南流する揖保川に沿って北上して
  いる 。揖保川はこの上流までくると浅瀬が多く 、
  陽が水底の白い小石にまでよく透っており 、鮎が
  多く棲むというだけにまことに透明度が高い 。対
  岸は晩春の若葉で装われた雑木山だけに 、流れに
  も山にも風が光をさざなみ立たせているようで 、
  じつにあかるい 。」

   引用おわり 。

   ひとは去ったが 、

   作家の旅から五十年後のこんにち 、

  室津みちの風景は 、かわらずにあるんだろうか 。

  (⌒∇⌒)  。。

  ( ついでながらの

    筆者註:「須田 剋太(すだ こくた 、1906年5月1日 -

        1990年7月14日 )は 、日本の洋画家 。埼玉県生 。

        浦和画家 。

        人 物

         当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが 、1949

        年以降抽象画へと進む 。力強い奔放なタッチが特徴

        と評される 。司馬遼太郎の紀行文集『 街道をゆく 』

        の挿絵を担当し 、また取材旅行にも同行した 。」

        (⌒∇⌒) 。。

       「 安田 章生( やすだ あやお 、1917年〈大正6年〉

        3月24日 - 1979年〈昭和54年〉2月13日)は 、昭和

        期の歌人 、国文学者 。文学博士 。

        人 物

         尾上柴舟門下の歌人・安田青風の長男として兵庫県

        に生まれる。

        ( 中 略 )

         中世和歌の精神を短歌に導入することにつとめ 、

        国文学者としては藤原定家 、西行研究の大家であ

        った 。1964年、『 藤原定家 』で大阪大学より文

        学博士号取得 。」

        (⌒∇⌒) 。。   

         以上ウィキ情報 。

 

 

 

 ( 季節は移り 冬眠間近? )

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする