「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

花のことども Long Good-bye 2024・11・20

2024-11-20 05:30:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、司馬遼太郎さん の

 「 街道をゆく 9 」の「 播州揖保川・室津みち 」。

  今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に

 連載されたもの 。備忘のため 、「 花のことども 」

 と題された小文の中から 、数節を抜粋して書き写す 。

  室津の宿の夕べ 、旅の同行者と過ごした 作家の 至

 福の時間 。

  引用はじめ 。

 「 夜になると 、この歴史のみが重い漁港にも 、
  集落(まち)らしい灯火の群れが 、暗い湾をか
  こみはじめた 。
   それらの灯を崖の中腹から見おろしながら 、
  私どもは夕食をとった 。編集部のHさんをの
  ぞいては 、下戸がほとんどの夕食である 。
  『 本当に結構ですね 』
   と 、言われたのは 、平素 、極端に少食な
  安田幸子夫人であった 。インドで天人という
  形而上的存在がうまれたのは 、現世ですでに
  諸欲すくなくうまれついている人々がいて 、
  宗教的な空想家がその煩悩の少なさにおどろ
  いて発想したのかもしれないが 、彼女はまこ
  とに稀有なその部類に属する人かもしれない
   少食という点では 、安田章生(やすだあやお)
  氏もそうである 。夫妻ともに少食なまま三十
  余年も連れ添われると 、相乗作用で本然(ほん
  ねん)以上に双方とも少食になってしまうもの
  らしい 。」

 「 安田章生氏は 、花好きである 。極端に好む
  のは 、『 古今 』『 新古今 』の学究である
  ためか 、あるいは定家の歌論を発展させた歌
  論の上に立って作詠しているせいか 、それと
  も幼時の龍野の想い出の中に揖保川河原の野
  の花の想い出が多いところからみて 、天性の
  ものであるのかもしれない 。
   氏の話の様子では 、京都の北西 ―― 古い呼
  称でいえば丹波国山国郷井戸
 ―― のあかるい
  田園の中にある常照皇寺のしだれ桜も 、すで
  にかぞえきれないほどに観に行かれたらしく
  思える 。
  『 もう咲いたかと思ってゆくと 、まだだっ
  たりします 』
   というのは 、すずやかな執念ながら 、よほ
  どのことのようである 。桜の開花は気象に対
  して神経質で 、例年から察して 、いよいよ
  今日あたりかと思い定めて行ってみると 、昨
  夜降った雨などで気温がさがっているために 、
  まだ蕾(つぼみ)が頑(かたく)なであったりす
  る 。」

 「 ある年の春 、氏はやはり一日早く常照皇寺
  の庭をのぞいてしまって 、かといってその
  まま帰る気にもなれず 、そのあたりをぼん
  やり見まわしていたところ 、掃除のおばさ
  んが話しかけてくれた 。ついでながら 、安
  田氏という人は 、見知らぬ人に積極的に話し
  かけるという芸当がうまれつき身に備わって
  いない人である 。
   その掃除のおばさんは 、永年 、しだれ桜の
  下を掃いている人だけに 、花のことがよくわ
  かっていた 。彼女は 、この桜が二分だけ咲
  くときや 、三分咲くとき 、あるいは満開の
  ときなどの説明をしつつ 、もっとも素晴らし
  い時というのは開花の季節を通じて 、
  『 ほんの四時間ですね 』
   といったという 。
   私は氏からこの話をきいて 、自分もしだれ
  桜の下でそのおばさんから話をきいているよ
  うな幸福な錯覚の中にいた 。ともかくも桜が
  もっとも素晴らしいのは一日だけということ
  なのであろう 。その一日のうちでも 、午後
  になれば花が人の目や陽にくたびれるために 、
  おそらく朝日が射しそめてそれこそ陽に匂う
  というようなときのほんの四時間ということ
  が 、その意味であるらしい 。そのたった一
  日しかない好日に 、朝日に匂っている桜の
  花のかがやきを見ることができるのは 、お
  そらくこの掃除のおばさんだけかもしれない
  のである 。」

  常照皇寺は 、臨済禅の寺である 。禅という
  のは天才の道で 、常人にとって毒物かもしれ
  ないということを私はかねて感じていた 。専
  門に僧侶として衣食するようになればいよいよ
  禅から遠くなり 、そのくせ禅という毒物を食
  うために禍害は深刻だと思ってきたが 、しか
  し同時に禅というのは人類の財宝であるとも思
  ってきた 。精神が極度に透明になった状態を
  禅の妙境だとすれば 、僧位僧階とは無縁の場
  所にいる人間のほうが 、まれに禅のほうから
  自然に参入してくるような境地を持ちうるもの
  かもしれない 。桜の花の見頃は四時間しかな
  いと見たこの掃除のおばさんの感覚は 、単な
  る意識から出たものではないであろう 。やは
  り禅機というに幾(ちか)いものであると言える
  かもしれない 。
  ( おなじ言葉がそのあたりの僧から出た場合 、
  安田氏もべつに感動はせず 、むしろ禅的衒学
  性や禅的修辞法から出たこけおどしの言い方
  と思うのではないか )
   と 、思い 、人間のことばというのは本来独
  立しがたいもので 、それを口に出した人間と
  不離にかかわるものだと思った 。この場合 、
  このことばはあくまでも虚仮(こけ)に拠(よ)る
  ところのない掃除のおばさんの口から出ねばな
  らず 、たとえば同じ内容のことを天台山国清
  寺の庭掃きをしていた寒山拾得(かんざんじっ
  とく)がいったという語録があったとしても 、
  多少のいかがわしさはつきまとう禅は 、そ
  れが禅であるということで 、すでに不純にな
  るというきわどいものではないか 。」

 「 安田氏は花の話に熱中した 。やはり山桜が
  いい 、といった 。赤い嫩葉(わかば)ととも
  に花がひらくという姿もよく 、散る姿もいい 、
  ともいった 。いちいちの内容はどうでもよく 、
  それよりも室津(むろつ)という豪華としか言い
  ようのない歴史のなかで桜の花がいかに美しい
  かということをきいていると 、自分だけがこ
  の世でもっとも贅沢な時間の中にいるという感
  じがした 。」

 「 私は 、江戸初期までの文章で 、和文でもって
  思想を伝えたものとしては『 歎異抄(たんにしょ
  う) 』がもっともよく 、技術という表現しがた
  いものをうまく表現したものとしては宮本武蔵の
  『 五輪之書(ごりんのしょ) 』がいい 、という
  と 、安田氏もほぼ同感してくれて 、しかしなが
  ら日本語は文章語としてはなかなか成熟せず 、
  むしろ短歌という詩の形式において早く成熟し
  た 、という意味のことをいった 。
   この安田氏の意見は 、とくにこの人の専門であ
  る平安朝にかぎってのことであるようで 、何某と
  いう平安朝の女流の文章を例に挙げ 、
  『 文章は 、大変よくないのです 。ところがその
  中に出ている歌だけがまず出来あがったのでしょ
  うか 』
   と 、いった 。ついでながらこの安田氏の意見は 、
  その前に述べた私の我執くさい説である『 文章と
  いうのは 、その言語を使う社会がこぞってつくり
  あげるものだ 』という意見を踏まえていわれたも
  のである 。散文は容易に文学史の中で熟せず 、ま
  ず歌が出来あがった 、という意見は 、おもしろか
  った 。」

   引用おわり 。

   作家を含め 、この旅に参じた人はみな故人である 。

   この小文の中で 、「 花 」について 、こんな感想を

  作家は述べている 。

  「 私は花の音痴だから 、ひたすらに聴き入るし
   かない 。 」

  「  私にとって好きな花といえば 、草花では
   桔梗 、木の花では白梅だが 、しかしそれ
   も現実に手もとで眺めているよりも 、イ
   メージの中で 、浅茅ケ原に咲きけむる水
   色桔梗を思いうかべたり 、あるいは春の
   闇に匂う白梅を思いえがいたりするほう
   がいい 。現実には 、失望する 。目の前
   にその花々を置いたりすると 、花とは
   それだけのものか 、と思ってしまい 、
   二秒も見ることがない 。」

   。。 (⌒∇⌒) 。。

 

 

  

コメント
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