今日の「 お気に入り 」は 、沢木耕太郎さん ( 1947 - )
の随筆「 飛び立つ季節 ― 旅のつばくろ ― 」( 新潮社
電子オリジナル版 )の中から抜き書き 。備忘のため 。
この文章が入っている小文のタイトルは 、
「 風景をつなげる 」。
引用はじめ 。
「 人生において後悔というものをあまりしない
私が 、旅において後悔していることがひとつ
ある 。それは 、都市や国のあいだの移動に
夜行の乗り物を使ってしまったことだ 。
たとえば 、二十代における海外旅行の際 、
イランの国境に近い都市であるメシェッドか
ら首都のテヘランまでの移動に夜行バスを使
ってしまった 。そのときの旅は 、ユーラシ
ア大陸の外縁を地続きで旅するというものだ
ったが 、夜行で通過したその区間だけは風景
の記憶が欠落している 。
あるとき 、それはずいぶんもったいないこ
とだったなと思うようになった 。その風景と
は 、一期一会 、もう二度と巡り会えないか
もしれなかったからだ 。
以来 、私は初めての土地を移動する際 、夜
行の乗り物を利用することがなくなった 。 」
「 しかし 、人生最初の大旅行である十六歳の
ときの東北一周の旅では 、夜行列車に乗って
移動することで一泊の宿代を浮かせられると
喜んでいた 。」
「 実際 、私は十一泊のうち 、国民宿舎という
安い宿に泊まったのが二晩 、駅のベンチで眠
ったのが二晩 、残りの七晩は夜行列車の中で
眠ったのだった 。 」
引用おわり 。
(⌒∇⌒)
作家と同学年の筆者も 、十六歳のとき 、すなわち高校二年
の夏休みに 、人生最初の大旅行である「 東北一周 」をして
いる 。作家同様 、旧国鉄の「 東北周遊券 」を利用しての
旅である 。当時 、この周遊券が学生にとって「 魔法の
チケット 」だったことは 、作家も 、同じ小文の中で 、
次のように書いておられる 。
「 私は十六歳のとき 、東北を一周する旅に出た 。
まず上野から向かったのは秋田だった 。」 ( みちのくひとりたび )
「 その際 、私は出発点である上野駅で 、何番
線から 、何という名前の夜行列車に乗って秋
田に向かったのだろう 。
いま 、古い時刻表で調べてみると 、私が買
った旧国鉄の周遊チケットは 、正式には『 均
一周遊券 』の中の『 東北周遊券 』というもの
で 、通用期間は十二日間 、値段は『 学割 』
で二千六百四十円であったらしい 。
アルバイトで貯めた金は 、それを買うと三千
円余りしか残っておらず 、それで十二日間を
過ごすのは大変だったはずだが 、意気軒昂と
していた 。それは 、その『 東北周遊券 』が 、
東北エリア内なら急行も準急も乗り降り自由と
いう魔法のチケットだったからである 。」
「 さらにその古い時刻表を調べていくと 、私が
乗った可能性がある午後九時台までの急行列車
は二本だということがわかった 。
上野から東北本線で福島まで行き 、そのまま
奥羽本線に入って秋田まで行くという夜行列車
は 、十九時四十五分発の『 おが1号 』か二十
一時三十分発の『 津軽 』である 。『 おが1
号 』なら十二番線 、『 津軽 』なら十一番線
から出ていることになっている 。
一人旅だった私は 、うっかり眠り込み乗り過
ごしてはいけないと思ったはずだから 、青森ま
で行ってしまう『 津軽 』ではなく 、秋田が終
着の『 おが1号 』を選んだ可能性が高い 。」 ( てっちゃん ならずとも 興奮するね )
引用はここまで 。
学校の夏休みに 、当時の旅好き ( なりかけ ) の若者は 、
魔法のチケット を買って 、夜行列車やユースホステル
利用して 、日本全国 、貧乏旅して回ったものである 。
(^-^)/
( ついでながらの
筆者註:「 沢木 耕太郎( さわき こうたろう 、1947年11月
29日 - )は 、日本のノンフィクション作家・エ
ッセイスト・小説家・写真家 。
人 物
東京都大田区生まれ 。東京都立南高等学校(当
時)を経て 、横浜国立大学経済学部卒業 。大学
時代のゼミの指導教官は 、後に神奈川県知事と
なる長洲一二だった 。
大学卒業後は富士銀行(当時)に入行するも 、
初出社の日に退社した 。出社途中に信号待ちを
しているときに退社を決めたという 。その後 、
ゼミの指導教官だった長洲から『 何か書いてみ
ないか 』と誘われたのをきっかけに文筆活動を
始める 。
ルポライターとして 1970年(昭和45年)、
『 防人のブルース 』でデビューし 、1979年
(昭和54年)には演説中に刺殺された日本社会
党委員長の浅沼稲次郎と 、その犯人である少
年の交錯を描いた『 テロルの決算 』で第10回
大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した 。以後 、
スポーツや旅などを題材にした多数のノンフィ
クション作品 、小説 、エッセーなどを発表し
ている 。
名 前
『 沢木耕太郎 』はペンネームである 。雑誌
の取材を受け 、『 あなたの本名はあらゆる文
献を見ても どこにも掲載されていない 。なぜ
なのか 』と問われた沢木は 、『 ペンネームを
使う以上 、わざわざ本名を名乗るのなら使う必
要がない 』と答えている 。実父の没後に その
句集を出版した際にも 、苗字をつけず『 二郎 』
とファーストネームだけの名義を用いた 。」
以上ウィキ情報 。)
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