「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

三輪神社 Long Good-bye 2023・09・13

2023-09-13 04:49:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

  「 三輪山 」の一節 。

  備忘の為 、抜き書き 。

   引用はじめ 。

  「 『 この神社の名前は 、ややこしいですね 』

   と 、編集部のHさんは 、杉木立の参道を歩きながらいった 。

    まったくそのとおりで 、このお宮は通称 、

   『 三輪明神

   もしくは三輪神社と言われながら 、活字の上の正称 ( ? )

   はそうではなく 、大神神社と書いてオオミワジンジャと訓

   ( よ ) ませるのである 。

    人を馬鹿にしていると思うが 、しかし考えてみると 、日

   本語は法則についてはきわめて厳密でない言葉で 、たとえ

   ば 、

   『 白 』

   という漢字に 、アオというふりがなを振ってもかまわない

   のである 。

    いまどき国語問題の右派のひとびとが古 ( いにしえ ) を

   よしとして国語の紊乱をやかましくいうようだが 、そもそ

   ものむかしから日本人は国語について勝手気儘なもので 、

   共同のたてまえを尊重する思想に乏しかった 。

    大神という漢字を 、訓で捩じあげてオオミワなどと読ませ

   たのは 、どうやら明治初年の神主さんであるらしい 。その 

   ように社名を作った事情と神主さんの心理を推測するに 、

   こうであろう 。

    まず 、明治初年に神仏分離がおこなわれたことが 、事情の

   一つである 。それより以前 、平安時代に神仏混淆思想が完

   成され 、明治までそれがずっとつづいてきたのがその事情で 、

   天台・真言の政略感覚に長けた僧たちが 、『 日本土着の神も 、

   蕃神といわれる仏教の仏も 、あれは二つのものでなく一つの

   ものです 』という説を確立し 、仏教普及のために 、日本の

   神に仏教的な名称をつけた 。たとえば権現というのも明神と

   いうのも 、そうである 。権現とは日光サンを東照権現とい

   ったように 、仏教の仏が権 ( かり ) に神の姿で現われたもの 、

   という仏教語であり 、明神というのは 、諸説はあるが 、た

   とえば『 陀羅尼経 』に『 当 ( まさ ) ニ神明ヲ以テ証トナ

   スベシ 』といったぐあいにいわれるように 、仏教語である 。

    明治は 、文化大革命期であり 、その最大なものの一つは 、

   日本固有の神から仏教臭を消してしまう大運動であった 。その

   ため権現や明神の呼称は廃され 、あらためて日本らしい神名もしく

   は神社名をつけねばならなくなった 。従って三輪明神も 、明神

   というホトケ臭い称号が廃された 。むろんこれは 、新政府の至

   上命令だから 、神主さんの責任ではない

   『 で 、どういう社名を新政府に登録しようか 』

    と 、神主さんが頭をひねったと想像する 。このとき 、わが

   三輪山の神主さんの心に勃然と湧きあがったのは 、千数百年の

   鬱屈から来た言語的自己肥大の衝動であろう 。

    その鬱屈というのは 、

   『 三輪の神は 、日本の土着神の元締めでありながら 、単に大

   和地方の一地方神のようにおもわれてきた

    ということであったか 。

    なるほど上古 、どこからか ( ? ) 来て大和盆地を征服した

   崇神 ( すじん ) 帝は 、原住民 ( 出雲族 ) があがめていたこ

   の三輪山を 、政略上これをあがめ直すことによって 、原住民

   を慰撫しようとした 。中世 、この神は神殿は無くとも社格は

   高く官幣大社として帝室から礼遇されたりしたが 、しかし一般

   に知られることが薄く 、江戸時代にいたっては 、名所として

   の全国的知名度はじつにひくい 。わずかに 、

   『 大和名所図会 ( ずえ ) 』

    という江戸時代の通俗地誌 ( 寛政三⦅1791⦆年編集 全六巻

   七冊 ) に 、優遇とはゆかないまでも多少のスペースが割かれ

   ている程度で 、それ以外には醸造業者から商神として信仰さ

   れてきた程度であろう 。

    その鬱屈が 、明治初期 、社名を政府にとどけ出るにあたって 、

   『 大神神社 』

    と書き 、オオミワと読ませる愚をやってしまったに相違ない 。

   もっとも祭神が大物主大神 ( おおものぬしのおおかみ ) とな

   っており 、明治以前 、大神大物主 ( おおむちおおものぬし )

   の社 ( やしろ ) とよばれたこともあるようだから大神という

   文字は無縁ではないにせよ 、それにしてもこれをオオミワと読

   ませるのは押しつけがましい 。

   『 新聞の県版でもこの社名には弱っているらしいですね 』

    と 、Hさんがいった 。大神神社と書くと 、奈良県の人でも

   そんな宮どこにあります 、と支局に問いあわせがくるらしい 。

   三輪神社のことです 、と答えると 、ああ誤植ですか 、といわ

   れることもあるという 。だからこの稿では 、奈良県人が言いな

   らわしているように三輪神社と書く 。 」

   引用おわり 。

 

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