「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・08・14

2006-08-14 08:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、昨日と同じ作家水上勉さんの「親子の絆についての断想」と題した文章の続きです。

 「みんな単独旅行者なのである。ところが、この父親は、心にふと思うのだ。はなれているから、絆があるのだと。毎日べったりと、居間で子とテレビを見、休日は車をとばしてレジャーに海へ、それから連休には温泉へ行って……いま流行の愛のファミリー建設で団欒をやってみても、それはそれで楽しいだろうが、あまりべたついてばかりいると、紐はくさってくる。風通しがわるいとゴム紐はくさる。スキンシップばかりしている親子が、絆をつよめているとはかぎらぬ。我田引水説といわれても結構だが、私はこの思いをいまも捨て難いのである。
 たとえば、私が歩けない子のことを思うのは、旅の途上である。その旅も遠くなればなるほど憶う日がいちばん多い。旅でなく、ゴルフしてあそんでいる時などもそうである。ゴルフ場で、よくコースよこの道をオートバイで走ってくるクラブハウスの要員がいる。プレイしている客に、何かをつたえるためか、はなれている茶店への連絡なのか。このオートバイに出あうと私は、足をとめ、子に何かあったな、と思う。オートバイは何も私にしらせず去る。ほっとする。それでいいのだ。また、旅の途上で、火事の音をきく時などだ。ホテルに寝ていて、救急車がしきりにサイレンをならして走る。眼をあけて、私は、歩けぬ子と、その子を看護しているだろう世田谷の妻の姿を思う。しかし、それはわずかの二、三秒のことで、すぐ眠りに入るのだ。こんなことを書けば、それは君にかぎったことじゃないぜ。家に病人をもつ人なら、みなその人を抱いているもんだといわれるだろう。そのとおりだ。人はみなそういうものだ。何も私だけのことではない、とそれが云いたかったのである。絆というものは、はなれていてこそ、しっかり結ばれる。私は、いつかテレビでボートにひっぱられて、あそぶ水上スキーの若い男女を眺めていたことがある。母船がはなれてゆくにしたがって、綱をもつ若者のにぎりこぶしに力が入るのを見て、涙ぐんだ。親と子の絆もこれと同形だろう。べったりくっついた親と子の家庭にだけ、あさましい悲劇が起きるのも、近くにいすぎて絆がもつれてしまったからではないのか、とふと思う。」

   (山田太一編「生きるかなしみ」ちくま文庫 所収)
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