「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

宰相鈴木貫太郎 2006・8・15

2006-08-15 08:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「昭和二十年七月二十八日、ポツダム宣言の要旨がわが国の全新聞に出た。当時の新聞は裏おもてたったの二ページだったから、いくら小さくてもそれは読者の目を射た。ポツダム宣言は日本の降伏の条件を枚挙したものだから、政府がこれを全新聞に掲載せしめたのは、よしんば新聞のコメントが笑止千万と書こうとも、それはわが国に降伏の意志があることを中外に示したものと解していいのである。
 いっぽうでは本土決戦を辞さないと呼号しながら、いっぽうでは降参するつもりなのだなと若年の私にもそれは分った。
 このときの首相は元侍従男爵鈴木貫太郎である。鈴木は二・二六事件のとき陸軍軍人に襲われて、九死に一生を得た人である。いまポツダム宣言を新聞に発表させるのは勇気のいることである。再び軍人に襲われる危険がある。
 これよりさき四月十二日米大統領ルーズベルトが脳溢血で頓死したとき、鈴木は日本国首相としてラジオの海外放送で哀悼の意を表した。海外向けの放送だから内地では聞かれなかったが、もし聞かれたらこれまた大問題になったはずである。
 ”出てこいニミッツマッカーサー出てくりゃ地獄へさかおとし、という歌がうたわれていたころである。アメリカの大統領が死ねば狂喜するはずなのに、はるかに哀悼の辞を述べたから、心あるアメリカのクオリティ・ペーパーは武士道いまだ地におちずと書いた。アメリカに亡命中のトーマス・マンは、そのドイツ向けの放送のなかで、罵詈罵倒の言葉しか吐かなかったヒトラーとくらべて、鈴木の礼譲と品位を礼讃してやまなかった。
 鈴木はこれによって世界中に講和の意志があることを伝え、それは確かに伝わったのである。鈴木はいまだに本土決戦をするつもりの陸海軍人をだまさなければならない。彼はもと陛下の侍従だから、陛下のポツダム宣言を受諾するご意志はつとに承知している。御前会議の席上どたん場で陛下の聖断を仰いだのは、鈴木の打った大芝居だと小堀桂一郎氏はこまごま証拠をあげて論じたことがある(『諸君!』昭和五十六年十一月号、十二月号)。
 今年もまた八月がきた。小堀氏の論証を多としてその主旨を取次ぐ。」

 (山本夏彦著「美しければすべてよし」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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