「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

自覚のない多神教徒 Long Good-bye 2023・08・31

2023-08-31 05:15:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、

  歴史作家 関裕二さん の 「 スサノヲの正体 」から 。

  備忘のため 、抜き書き 。昨日の続き 。

  引用はじめ 。  

  「 日本列島で独自の文化を築き上げていた縄文人たちは多神教的発想

   をよく守り 、大自然には太刀打ちできないとかしこまった 。

    一神教の考えは正反対だ 。一神教は唯一絶対の神が宇宙を創造し 、

   神に似せて人を創ったと説く 。だから 、人は神になりかわって大自

   然を支配し 、改造する権利を持つと考えた 。人間の理性が 、正義と

   考える 。そして 、この一神教的発想が 、さらに恐ろしい文明を造り

   始める 。

    一神教は砂漠で生まれた 。生命を排除する苛酷な砂漠で生きていた

   人たちは 、豊穣の大地を追われた人たちでもある 。だから 、政敵や

   他民族を呪い 、復讐の正統性を求めた 。これが 、一神教の原点だ 。

   だから 、『 旧約聖書 』の中で 、神自身が復讐を誓っている 。

    ちなみに一神教は 、多神教が発展して成立したと信じられてきた 。

   だから 、キリスト教徒たちは 、野蛮な多神教徒たちをキリスト教の

   高みに引き上げる義務があると 、真剣に考え 、植民地支配を正当化

   してきたのだ 。

    結果 、世界の多くの人びとが 、一神教を信じるようになった 。

    先進国の中で多神教を守り続けているのは 、日本だけなのだ 。

    古代の列島人が 、文明や進歩に懐疑的だったことを 、考古学が明

   らかにしてしまったのだ 。しかし 、なぜ文明にさからうことがで

   きたのだろう 。

    なぜ文明を嫌ったのだろう 。 」

  「 われわれ日本人は 、多神教的精神世界に生きてきたのだ 。その点 、

   現代日本人も 、潜在的に文明や進歩に対し懐疑心を抱き続けている

   と思う 。そしてこの発想こそ 、スサノヲの問いかけに通じている

   のだ 。 」

  「 ヤマト建国にもっとも貢献していたのが 、スサノヲのモデルとな

   った人物だった 。しかし裏切られてしまったために 、スサノヲは

   祟る恐ろしい神と信じられ 、だからこそ 、神の中の神と称えられ

   たわけである 。

    また 、スサノヲが称えられる理由は 、もうひとつあったと思う 。

   スサノヲは文明論を掲げていて 、それが 、縄文時代から継承され

   てきた列島人の三つ子の魂に寄り添うものだったから 、スサノヲ

   こそ 、偉大な指導者とみなされていたのではないか 。紆余曲折の

   上 、ヒョウタンから駒のような形で完成した『 ヤマトという連合

   体 』だが 、そのきっかけを作ったのがスサノヲであり 、しかも 、

   しっかりとした思想に裏付けられていたように思えてならない 。

   それは 、『 文明に抗う発想 』である 。ヤマト建国は 、世界史的

   にみても 、奇跡的なできごとだった 。『 文明と富と権力に抗った

   ネットワーク 』が 、北部九州や出雲で成長した国々に立ち向かっ

   たのである 。

    その後の日本も 、文明と距離を置くことに成功している 。七世紀

   のヤマト政権は隋や唐で生まれた律令制度を導入したが 、猿マネ

   ではなかった 。強大な権力を握る中国の皇帝のための法制度を 、

   日本風にアレンジしている 。天皇は祭司王で 、実権は合議制の太

   政官に預けた 。

    ヤマト政権は遣隋使や遣唐使を派遣し 、最先端の文明をよく学び 、

   多くの文物を持ち帰ったが 、取捨選択をして 、日本の文化と習俗に

   合うものだけを受け入れた 。また 、中国の冊封体制に組み込まれる

   ことを嫌っている 。

    日本列島人が文明を積極的に取り入れなかったのは 、島国で 、外敵

   の侵入を容易に防ぐことができたからでもある 。

    現代人はつい『 人間は進歩することに意味があるのではないか 』と 、

   想いがちだ 。しかし日本列島に暮らしてきたわれわれの御先祖様たち

   は 、『 無闇に文明と富を手に入れれば 、人間は破滅する 』ことを 、

   『 暗い予感 』とともに知っていたのだろう 。

    そして 、かたくなに自身の文化に固執した古代人のシンボル的存在が

   スサノヲであり 、列島人に慕われ 、語り継がれ 、だからこそ『 日本

   書紀 』編者は神話に登場させざるを得なかったのだろう 。 」

 

  「 孤独なスサノヲを 、私は知っている 。

    ヤマト建国の立役者だったにもかかわらず裏切られ 、『 祟る者 』と恐

   れられ神話の中に封印された 。そして 、暴れ者で賤しい者と 、レッテル

   を貼られてしまったのだ 。弁明する機会を与えられず 、誤解されたまま 、

   疫神のイメージだけが独り歩きした 。

    なぜ今回 、スサノヲを書きたかったのかといえば 、今こそスサノヲが求

   められていると思ったからだ 。ヤマトという古き良き時代の終焉とともに 、

   権力欲にまみれた藤原氏の手でスサノヲは正体を抹殺されてしまった 。邪

   神にすり替えられ 、理解されないまま孤独を味わったスサノヲの姿は 、今

   日の日本が置かれている状況と似ていると思ったのである 。

     十九世紀に 、一神教的思想と西洋文明が日本に押し寄せ 、近代化した日

   本は富国強兵政策を断行し 、文明国の仲間入りを果たした 。ただし 、帝

   国主義の手口を模倣し 、多神教徒の王だった天皇を一神教の神のような存

   在にすり替え 、『 未開の人びとを教化する正義 』を掲げ 、帝国主義の尖

   兵となったことで 、取り返しのつかない失敗を経験した 。西洋の真似は

   してみたものの 、一神教徒になりきれなかった 。だから日本人は今 、た

   しかな道しるべを失ってさまよっている 。

    現代日本人に問いただせば 、多くは 『 信仰に無関心 』と答えるだろう 。

   だがわれわれの正体は 、『 自覚のない多神教徒 』なのだ 。だからほぼ一

   神教に染まった世界の人々の思想や動きと 、うまく調和できないでいる 。

   つまり『 取り残された多神教徒 』として日本人は孤立し 、誰にも理解さ

   れず 、日本人自身も 、その理由がわからないでいるのである 。

     孤独なスサノヲと日本人 。しかし 、大自然を神と崇め 、大自然の猛威に

   人間は無力だと感じる多神教的な『 かしこまった信仰 』は 、どうしても

   守らなければならない 。

    『 神に似せて創られた人類が地球を改造し 、支配できる 』という一神教

   的発想に 、染まってはならないと思うのである 。

    日本人は 、多神教徒としての自覚と責任を感じる時代がやってきた 。

   だからこそ 、スサノヲの蘇りを願っているのである 。 」

   ( 関裕二著 「 スサノヲの正体 」新潮社 刊 所収 )  

  引用おわり 。

   

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