今日の「お気に入り」。
われ行けばわれに随き来る瀬の音の
寂しき山をひとり越えゆく
瀬の音の岩にひゞきて岩のうへの
椎の繁りは風絶えにけり
日ざかりの暑さをこめて楢の木の
一山は蝉のこゑとなりけり (太田水穂)
われ行けばわれに随き来る瀬の音の
寂しき山をひとり越えゆく
瀬の音の岩にひゞきて岩のうへの
椎の繁りは風絶えにけり
日ざかりの暑さをこめて楢の木の
一山は蝉のこゑとなりけり (太田水穂)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「無想庵物語」から。
「往年の旅行者たちは自在に外国人と語りあったようなことを言う。西洋婦人との間に恋物語があったように言うが、私は疑わしく思っている。日本人であることを忘れたかのような話は本当らしくない。いたるところのショーウィンドウにうつったのは、あの土け色の顔ではなかったか。
旅行者の多くは本音をはかない。帰ればほかのことでは争っても、その身が西洋人と似たものであったということにかけてはかたく結束して留守中の我々をあざむいてなん十年になる。ひとり漱石にモデルがあるのにだれも本当のことを言わないうちに星移って何十年、毎年何百万の旅行者が海外に行くようになってしまった。
彼らは文化ショックをうけるかというとうけない。あれは『はとバス』の海外版だと私は言ったことがある。日本がそっくりそのまま移動しているのだからショックのうけようがないのである。ロバは旅をしても馬になって帰ってくるわけではないという私の大好きな諺がある。私のことを言っているのだと感服した。繰返すが私は西洋人のなかに日本人と同じ所を見て違う所を見ない。」
「当時も今も私は人間にしか関心がない。それはいいが西洋に行って、日本と同じものを見たのでは行った甲斐がない。
然り、行った甲斐がないのである。私はただはげしい文化ショックを受けただけである。漱石はロンドンに住んだ二年あまりはもっとも不愉快な二年だったと言った。自分を水の中の油、狼のなかのむく犬のようだったと書いている。漱石は雲つくようなイギリス人のなかにあって、子供かと見られた。その上あばたである。漱石は茶の会によばれてフロックコートを着てシルクハットをかぶったら、一寸法師がイギリス人のような恰好をしていると言われた。教育のないものはまじまじと見て、支那人にしてはハンサムだと言った。教育のあるものは言わないが、内心同じことを思っているにちがいない。
鷗外はそう思わなかったようだ。ドイツ人を相手に論争して論破したり、演説したりしている。性質というものは人によって違うが、日本人の半ばは漱石のように感じたとみていい。容貌風采のことだけではない。文化ショックを受けること今も昔も変らないはずなのに、このごろそのことを全く聞かないのは、今は団体でぞろぞろ行くから日本国がそのまま移動してショックをうける性質の人も受けないで帰るのだろう。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
「往年の旅行者たちは自在に外国人と語りあったようなことを言う。西洋婦人との間に恋物語があったように言うが、私は疑わしく思っている。日本人であることを忘れたかのような話は本当らしくない。いたるところのショーウィンドウにうつったのは、あの土け色の顔ではなかったか。
旅行者の多くは本音をはかない。帰ればほかのことでは争っても、その身が西洋人と似たものであったということにかけてはかたく結束して留守中の我々をあざむいてなん十年になる。ひとり漱石にモデルがあるのにだれも本当のことを言わないうちに星移って何十年、毎年何百万の旅行者が海外に行くようになってしまった。
彼らは文化ショックをうけるかというとうけない。あれは『はとバス』の海外版だと私は言ったことがある。日本がそっくりそのまま移動しているのだからショックのうけようがないのである。ロバは旅をしても馬になって帰ってくるわけではないという私の大好きな諺がある。私のことを言っているのだと感服した。繰返すが私は西洋人のなかに日本人と同じ所を見て違う所を見ない。」
「当時も今も私は人間にしか関心がない。それはいいが西洋に行って、日本と同じものを見たのでは行った甲斐がない。
然り、行った甲斐がないのである。私はただはげしい文化ショックを受けただけである。漱石はロンドンに住んだ二年あまりはもっとも不愉快な二年だったと言った。自分を水の中の油、狼のなかのむく犬のようだったと書いている。漱石は雲つくようなイギリス人のなかにあって、子供かと見られた。その上あばたである。漱石は茶の会によばれてフロックコートを着てシルクハットをかぶったら、一寸法師がイギリス人のような恰好をしていると言われた。教育のないものはまじまじと見て、支那人にしてはハンサムだと言った。教育のあるものは言わないが、内心同じことを思っているにちがいない。
鷗外はそう思わなかったようだ。ドイツ人を相手に論争して論破したり、演説したりしている。性質というものは人によって違うが、日本人の半ばは漱石のように感じたとみていい。容貌風采のことだけではない。文化ショックを受けること今も昔も変らないはずなのに、このごろそのことを全く聞かないのは、今は団体でぞろぞろ行くから日本国がそのまま移動してショックをうける性質の人も受けないで帰るのだろう。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)