今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「無想庵物語」から。
「この世は些事からなる。」
「私は大事より些事に興味がある。」
「座してくらえば山もむなしいという。」
「人みな飾って言う。」
「どんなに正直に書きたくても書けないことがある。」
「自分のことは書けないが人のことなら書ける。」
「ありのままを書くことは人間には出来ないのではないか。」
「純文学の作者の多くは本当のことを書きたがるがそんなことが可能だろうか。自伝の多くは自慢話である。」
「彼はこう思った、彼女はこう思ったと他人の気持を都合のいいように、また神のように書いては
ならぬという意見がある。田山花袋などの意見である。」
「告白と言い自伝と言うのも所詮は自慢話で、人はついに本当のことは言わぬもので、言おうとするのは出来ない相談だ。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「『タイトルだけが人生だ』というのは、『サヨナラダケガ人生ダ』という名文句を私がもじったのである。『人生別離足ル』という五言絶句の結句を、むかし井伏鱒二がサヨナラダケガ人生ダと訳して、あんまり名訳なので今はこのほうが残っているくらいである。
人に何かを売りつけるのに大事なのはタイトルである。家具の丸井は『クレジット』と称して大成功した。それまで丸井はただの月賦屋だとさげすまれていた。それがクレジットと名のったばっかりに次第に月賦屋でなくなって、今ではデパートと間違えられるまでになった。
ネーミングまたタイトルをつけるのは才能で、このごろは片カナにかぎるがその才がなければ片カナに改めても甲斐がない。タイトルはまず人目を奪ってしかもすぐ覚えられるものでなければならない。『アンアン』『ノンノ』は片カナの名の古株だから私も知っている。」
「人目を奪って手にとらせて買わせる算段である。
こんなものが才かというと才なのである。これしきの才さえない編集者が多いから、威張ったものなのである。」
「それなら『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)『心に太陽を持て』『唇に歌を持て』(山本有三)なら立派かというと実は根は同じ才なのである。君たちはどう生きるかなんていいタイトルである。まじめ人間なら買わずにはいられない。
けれども『心に太陽を持て』の中身は修身である。美談である。どう生きるかと問われて答えられる人はこの世にひとりもいない。羊頭をかかげて狗肉を売るたぐいである。唇に歌を持てなんてこれまた絶妙である。思いついたときは誰しもとびあがる。タイトルの才とはかくの如きものである。七月十四日(フランス革命記念日)を巴里祭(パリさい)とわざと誤訳した才の仲間である。」
「『アンアン』の才はいかさまの才だといわれれば不まじめ派は渋々承知するが、『君たちはどう生きるか』のまじめ派は承知しない。そしてこの世はまじめ派の天下なのである。
私はこの世界で衣食しているものの一員として顧みてジャーナリズムというものはいやなものだな、賎業(せんぎょう)だなと思わないではいられないのである。大新聞であれ豆雑誌であれ内心忸怩とせよ、他をとがめる資格なんかあると思うなと何度も言うのはこの故で、ところがまじめ派はその資格があると思って俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じないから始末におえないのである。不まじめ派のほうがまだましかと思うのである。『今こそ国会へ』と60年安保のとき大新聞は書いた。」
(山本夏彦著藤原正彦編「『夏彦の写真コラム』傑作選1」新潮文庫所収)
「『タイトルだけが人生だ』というのは、『サヨナラダケガ人生ダ』という名文句を私がもじったのである。『人生別離足ル』という五言絶句の結句を、むかし井伏鱒二がサヨナラダケガ人生ダと訳して、あんまり名訳なので今はこのほうが残っているくらいである。
人に何かを売りつけるのに大事なのはタイトルである。家具の丸井は『クレジット』と称して大成功した。それまで丸井はただの月賦屋だとさげすまれていた。それがクレジットと名のったばっかりに次第に月賦屋でなくなって、今ではデパートと間違えられるまでになった。
ネーミングまたタイトルをつけるのは才能で、このごろは片カナにかぎるがその才がなければ片カナに改めても甲斐がない。タイトルはまず人目を奪ってしかもすぐ覚えられるものでなければならない。『アンアン』『ノンノ』は片カナの名の古株だから私も知っている。」
「人目を奪って手にとらせて買わせる算段である。
こんなものが才かというと才なのである。これしきの才さえない編集者が多いから、威張ったものなのである。」
「それなら『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)『心に太陽を持て』『唇に歌を持て』(山本有三)なら立派かというと実は根は同じ才なのである。君たちはどう生きるかなんていいタイトルである。まじめ人間なら買わずにはいられない。
けれども『心に太陽を持て』の中身は修身である。美談である。どう生きるかと問われて答えられる人はこの世にひとりもいない。羊頭をかかげて狗肉を売るたぐいである。唇に歌を持てなんてこれまた絶妙である。思いついたときは誰しもとびあがる。タイトルの才とはかくの如きものである。七月十四日(フランス革命記念日)を巴里祭(パリさい)とわざと誤訳した才の仲間である。」
「『アンアン』の才はいかさまの才だといわれれば不まじめ派は渋々承知するが、『君たちはどう生きるか』のまじめ派は承知しない。そしてこの世はまじめ派の天下なのである。
私はこの世界で衣食しているものの一員として顧みてジャーナリズムというものはいやなものだな、賎業(せんぎょう)だなと思わないではいられないのである。大新聞であれ豆雑誌であれ内心忸怩とせよ、他をとがめる資格なんかあると思うなと何度も言うのはこの故で、ところがまじめ派はその資格があると思って俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じないから始末におえないのである。不まじめ派のほうがまだましかと思うのである。『今こそ国会へ』と60年安保のとき大新聞は書いた。」
(山本夏彦著藤原正彦編「『夏彦の写真コラム』傑作選1」新潮文庫所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「大江健三郎はタイトルをつけることの名人である。『芽むしり仔撃ち』『見るまえに跳べ』『万延元年のフットボール』のごときは一度聞いたら忘れられない。
題をつけることのうまい人に高見順がある。中野重治があることはいつぞや紹介した。高見には『わが胸の底のここには』『如何なる星の下(もと)に』などがある。『わが胸の底のここには』は藤村詩集の『吾胸の底のここには言ひがたき秘密(ひめごと)住めり』からとった。『如何なる星の下に生れけむ、われや世にも心弱き者なるかな』という文句は高山樗牛にある。『月の夕(ゆうべ)、雨のあした、われ『ハイネ』を抱きて共に泣きしこと幾たびか』と書いて、樗牛は満都の子女の紅涙をしぼったが、昭和になってからは全く読まれなくなった。高見はそれをおぼえていてタイトルだけ借りたのである。このたぐいなら私にもできないではない。
けれども『万延元年のフットボール』は大江でなければつけられない題である。凡手でないというより天才である。」
(山本夏彦著藤原正彦編「『夏彦の写真コラム』傑作選1」新潮文庫所収)
「大江健三郎はタイトルをつけることの名人である。『芽むしり仔撃ち』『見るまえに跳べ』『万延元年のフットボール』のごときは一度聞いたら忘れられない。
題をつけることのうまい人に高見順がある。中野重治があることはいつぞや紹介した。高見には『わが胸の底のここには』『如何なる星の下(もと)に』などがある。『わが胸の底のここには』は藤村詩集の『吾胸の底のここには言ひがたき秘密(ひめごと)住めり』からとった。『如何なる星の下に生れけむ、われや世にも心弱き者なるかな』という文句は高山樗牛にある。『月の夕(ゆうべ)、雨のあした、われ『ハイネ』を抱きて共に泣きしこと幾たびか』と書いて、樗牛は満都の子女の紅涙をしぼったが、昭和になってからは全く読まれなくなった。高見はそれをおぼえていてタイトルだけ借りたのである。このたぐいなら私にもできないではない。
けれども『万延元年のフットボール』は大江でなければつけられない題である。凡手でないというより天才である。」
(山本夏彦著藤原正彦編「『夏彦の写真コラム』傑作選1」新潮文庫所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「寒川猫持の歌に『尻舐めた舌でわが口舐める猫 好意謝するに余りあれども』がある。一読破顔するのは、小学唱歌『水師営の会見』をふまえた上でのことである。
旅順開城の約定成ったあと、水師営で昼食(ひるげ)を共にしたとき、ステッセル将軍が乃木(のぎ)大将に言うには『我に愛する良馬あり。今日の記念に献ずべし。』『厚意謝するに余りあり。軍のおきてにしたがいて 他日わが手に受領せば、ながくいたわり養わん。』 戦後生れはこの歌を知らないから下半分で笑っている。『如何にいます父母 恙(つつが)なしや友がき』と聞いただけで涙ぐむ人がいる。友垣なんて床しい言葉はこの歌のなかできかなければ、永遠に耳にすることはないだろう。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
「寒川猫持の歌に『尻舐めた舌でわが口舐める猫 好意謝するに余りあれども』がある。一読破顔するのは、小学唱歌『水師営の会見』をふまえた上でのことである。
旅順開城の約定成ったあと、水師営で昼食(ひるげ)を共にしたとき、ステッセル将軍が乃木(のぎ)大将に言うには『我に愛する良馬あり。今日の記念に献ずべし。』『厚意謝するに余りあり。軍のおきてにしたがいて 他日わが手に受領せば、ながくいたわり養わん。』 戦後生れはこの歌を知らないから下半分で笑っている。『如何にいます父母 恙(つつが)なしや友がき』と聞いただけで涙ぐむ人がいる。友垣なんて床しい言葉はこの歌のなかできかなければ、永遠に耳にすることはないだろう。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「無想庵物語」から。
「物を識ることと物を創ることは全く別だ。」
「才能なんてめったにあるものではない。」
「人は常にわが田に水をひくものだ。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
「物を識ることと物を創ることは全く別だ。」
「才能なんてめったにあるものではない。」
「人は常にわが田に水をひくものだ。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)