高知発 NPO法人 土といのち

1977年7月に高知県でうまれた「高知土と生命(いのち)を守る会」を母体にした、47年の歴史をもつ共同購入の会です。

命の糧(かて)ということ

2014-04-01 09:00:00 | 土といのちからのお知らせ
理事長 丸井一郎です。

 内田樹(たつる)という思想家のインターネットサイトに、農業と食糧について大変参考になるエッセイがあります。
JAの雑誌に出たものだそうです。
「我々には普通の食材も他国ではゲテもの」という指摘にあるように人類の食は多様です。
それこそが人類の生存に不可欠であるとし、さらに次のように述べます(筆者による要約と補足)。

 グローバル経済はその多様性を許さない。
全員が同じ食物を競合的に欲望するというありようがコストを最小化し、利益を最大化するための最適解だからである。TPPが目指すのは、「手元にない食資源」を商品として購入すること、食文化を均質化することだからである。
世界中の70億人が同じものを、同じ調理法で食べる。そういう食のかたちを実現することが自由貿易論者の理想である。
そうすれば市場需要の多い商品作物だけを、生産コストが安い地域で大量生産して、莫大な収益を上げることができる。
例えば、世界中の人間が米(や麦や牛肉)を食うようになれば、最低の生産コストで米などを生産できるアグリビジネスは、競合相手を蹴散らして、世界市場を独占できるし、独占したあとは価格をいくらでも自由にコントロールできる。
だから、グローバル経済はその必然として、世界中の食生活の標準化と、固有の食文化の廃絶という方向に向かう。

 食糧自給を放棄し、製造業や金融業に特化して、稼いだ金で安い農作物を中国や南米から買えばいいというようなことを考える人は、「自分の食べるもの」の供給が停止する事態をたぶん一度も想像したことがない。
日本の国債が紙くずになったときも、円が暴落したときも、原発がまた事故を起こして海外の艦船が日本に寄港することを拒否したときも、食糧はもう海外からは供給されない。
数週間から数ヶ月で日本人は飢え始める。

 食糧は供給量があるラインより上にあるときは商品としてふるまうが、ある供給量を切ったときから商品ではなくなる。
供給量があるラインを割った瞬間に、それは商品であることを止めて、人々がそれなしでは生きてゆけない「糧」というものに変容する。
だから、食糧は何があっても安定的に供給できる手立てを講じておかなければならない。
食糧を、他の商品と同じように、収益や効率や費用対効果といった用語で語ることは不適切であり、それに気づかずビジネスの用語で農業を語る風儀を「過経済化」と呼んでいる。

 同胞が飢えても、それで金儲けができるなら大歓迎だと思うことをグローバルビジネスマンに向かって「止めろ」とは言わない(言っても無駄だ)。
しかし「日本の農業はかくあらねばならぬ」というようなことを言うのだけは止めて欲しい。農業と医療と教育についてだけは何も言わないで欲しい。(それらの「過経済化」を拒否する。) 

 「学校教育の目的は、集団の次世代を担う若い同胞の成熟を支援すること」であるという常識、「傷ついた人、病んだ人を癒やすことは共同体の義務であり、そのための専門職を集団成員のうちの誰かが分担しなければならない」という常識はもう忘れ去られつつある。
食糧自給と食文化の維持は「生き延びるための人類の知恵」であって経済とは原理的に無関係である。農業が経済と無関係だというと驚く人がいるだろう。驚く方がおかしい。
農業は「金儲け」のためにあるのではない、「生き延びる」ためにある。

 まさに「常識」に立つ含蓄のある考えです。
各地に伝承されてきた食の多様性を保持し育てることは、単なる保守ではなく、人が人として生き続ける未来のための作業です。
単なる金と物の交換ではなく、共に生きうる生活の場を確保することが大切。
互いに顔の見えない大きな組織では無理でしょう。
      
コメント
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