高知発 NPO法人 土といのち

1977年7月に高知県でうまれた「高知土と生命(いのち)を守る会」を母体にした、47年の歴史をもつ共同購入の会です。

40年前、なにを思い、なにをしていましたか その9

2017-03-04 09:00:00 | 生産者からのメッセージ
南国市 奥田養鶏場の奥田誠志です。

『新聞配達と自転車』
40年前...私は中学生でした。

地元の学校に自転車で通ってました。
学校は嫌いでした。
昼休みを待ち、そして午後の授業を終え解放されるまで待ち、一日が長く感じたこと。
お昼ご飯、ほとんどは母が作ってくれたお弁当。
パン屋さんが購買にパンを届けており、それらを買うこともできたし、
近所のパン屋さんかスーパーに出て、パンや飲み物を買ってくることも自由でした。

部活は何も興味なく、真っ直ぐ帰りテレビを観るがほとんどだったような。
たまに、仲の良い二三人で後免まわりで豚太郎ラーメンか、お好み焼き。
お好み焼きは看板もないような町外れの食品店のおばさんがやっていて、
セルフで商品ケースから具材の天ぷらとか取って、これ入れてとか。
ソース汚れの漫画見ながら、そこが居心いい場所でしたね。

中学に入ってから夕刊配達を始めてたから、ラーメンやお好み焼きに寄るのは土曜日だったかも。
新聞配達は朝刊もやってたので月収は多い時で1万円ぐらいあったと思います。
父はすでに養鶏をやっていましたが、たまに手伝うぐらいでした。
その頃鶏が何羽いたかはわかりませんが、
私が養鶏を手伝い始めた1984年ぐらいが一番多く飼育していて6千羽いたから、
当時はまだ鶏舎棟数が少なかったから2千か3千羽ぐらいでしょうか。

新聞配達でもらったお金の使い道は、ほとんど買い食いだったと思うけど、
一番高額の買い物は中3だったかな、
片倉シルクっていうメーカーの自転車(今でいうロードバイク)6万5千円でした。
入学の頃はスーパーカーブームで、その影響か流行りの自転車は
ゴテゴテした乾電池式のフラッシャーとかいうのが付いていました。

入学時に買ってもらった自転車は前のライトまわりだけ豪華版で、
後ろはサッパリした中途半端なタイプでした。
目立つのは好きじゃないのでそれを選んだと思います。
しかし直ぐにスポーツタイプの自転車に憧れ、
買ってもらった自転車は軽量化しようとあれこれ外し、ハンドルを換えたりしてました。
ある日、仲間5人で室戸岬まで日帰りサイクリングに行きました。
私は帰り道、国道手結山の下り坂を調子こいて飛ばし、左折自動車に巻き込まれ吹っ飛びました。
怪我なく無事だったけど、帰り道、踏むペダルが重いこと。
後ろタイヤと歪んだフレームが擦れているのでした。
廃車となり、新聞配達の収入でミニサイクルを買いました。

片倉シルクはスタンドすらなく通学にも新聞配達にも使えないので、
近所を走り回るか、何度か高知市内まで走ったぐらい。
私は高1から県外に出たので、再び乗るのは就農した84年からでした。
乗るっていっても主に家から鶏舎の往復でした。
実は今私の長男が乗っています。
次男は高知南高校の頃、これで通学してたから度々タイヤの交換をさせられました。
中学の頃購入以来、自分でパンク修理や交換をしてきたけど、
これまでタイヤは何セット替えたやら。
今の「土といのち」まで同じ歳月乗ったんだ。

新聞配達と自転車、私の中学時代の思い出です。

※ この記事は、NPO法人土といのち『お便り・お知らせ』2017年3月号より転載しました。


管理人記
現在、40周年の記念本を作成中です。
“土”と“いのち”を大切にする生産者たちの思いを伝え、
若い人たちの未来につながるような本にしたいと思ってます。
乞うご期待!!
コメント
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