高知発 NPO法人 土といのち

1977年7月に高知県でうまれた「高知土と生命(いのち)を守る会」を母体にした、47年の歴史をもつ共同購入の会です。

新米シニアのひとり旅 その2

2019-03-14 09:00:00 | 連載
新米シニアのひとり旅 その2 byアメミヤ

ウラジオストクの町には丸一日ほどいました。初めてのロシアー旧ソビエトー共産主義の国
ということで、どんなかな~とわくわくしてたけど、後で行くヨーロッパの国、町となんら
かわりませんでした、と言いたいとこですが、私が知っているインドの臭いがしました。後
でわかることですが、これは西へ行くほど変わっていってウクライナ辺りでまた感じたので
した。

ウラジオストクでうろうろしていてはモスクワまでたどり着きません。出発です。夕方、と
言ってもまだ明るい空のしたロシア号はほぼ定刻通りホームを離れました。このロシア号で
三泊し、途中、バイカル湖見物ができるイルクーツクで一泊、列車を乗り換えてモスクワま
で四泊というのが私のシベリア鉄道計画。

ロシア号の車掌さん、見習か初期研修中だったと思います。
車掌は乗降のチェックや車内での客との対応、車内トイレの掃除もします。
掃除のときは作業服を羽織ってました。
二人で交代で業務につき、何日かで別の二人組に変わります。

どちらも二等寝台(二段ベッド4つのコンパートメント)、ロシア号は車両が新しいのか
きれいでした。一番印象的だったのは各車両にサモワール(給湯器)がついていること、
高さ60㎝直径40㎝くらいのブラスのタンクで、下方手前に蛇口があって、中程には中の湯
の温度が円い温度計で示されています。奥や下側に配管があってシューシューと音がして。
発車後直ぐに車掌さんが点検してました。このお湯はきれることがありませんでした。客は
カップ麺やお茶、コーヒー等をつくるのに利用します。つまり、乗客は自分の食料を持ち込
んで乗り込むわけです。食事時間はあっちからもこっちからもカップ麺の臭いがしました。
ほかには、マッシュポテトやお粥がよくありましたね。ちなみに、朝食はパンもよく食べら
れていました。持ち込まれている食料はほかに、ビスケット、ひまわりの種、果物など、
手作りと思われるコロッケ状のものなどを保存容器に容れて持参している場合もありました。

停車駅では売店や物売りもあってピロシキやパン、菓子類、それに水などの飲料ペットボ
トルなど売られています。食べ物以外のお土産物を売る店もありました。食堂車もあります。
時間が限られますが食事、軽食がたべられます。食堂車で売っているピロシキをトレイで
販売にも来ていました。お茶(紅茶)やコーヒーは結構頻繁に好きに飲んでいます。
サモワールのお湯の活躍です。

車内でお茶を頼むとこのカップに入ってきます。
メタルのカップ受けにシベリア鉄道の図柄が入っています。
これは、値段は忘れたけれど、売っていて、
手にいれたかったけど、まだ旅は始まったばかり、
鞄に少しの空間もないので涙を飲んで諦めました。

停車駅のことをここで書いておきます。各車両の中央辺り、廊下の壁に(コンパートメント
のドアの外に巾1m位の通路があって、ドアのない方は窓になっています)列車の運行表が
張ってあります。これでどこに何時について何分停車するかがわかります。ただし時刻は
モスクワ時間なので時差を計算しなければなりません。時差ベルト(ここからここまでは
時差四時間とか)もかいてあります。二本の列車はどちらも定刻通りに走っていました、
えらい!

ハバロフスクを出てしばらくは良い具合に15分位の停車駅があったけれど、モスクワに近づく
につれ間遠になり、停車時間も減ったようにおもえました。(勿論、例外あり)5分以下の
停車ではおろしてくれませんでした。つまり、車外で買い物したり、あるいたり、タバコを
吸ったりとみんな停車を楽しみにしていたようにみえました。時には、ここで同室の人が
下車して新しい乗客が乗り込んできます。

書き出すとなかなか細かくなってしまっていけません。
今回もモスクワまで行けませんでした。

※ この記事は、NPO法人土といのち『お便り・お知らせ』2019年3月号より転載しました。
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