1953年・昭和28年の今日2月1日・NHK東京テレビジョンが
本放送を開始しました。
そのため本日をもってテレビ放送60周年という事で
ここ数日は記念番組など組まれているようですね。
ちなみに民間放送では遅れること約7カ月、
1953年8月28日に日本テレビが本放送を開始します。
ここで注目すべきは、本放送の開始こそNHKが早いですが
予備免許について、またテレビの導入について功績があったのは
日本テレビであるという点です。
日本テレビでは米の技術を導入(輸入)したため、
本放送が遅れることになった。
戦後日本はテレビの研究はGHQにより禁止されていた。
(理由は時期尚早であるということと、軍事的ともみなされたため)
研究が再開されたのは1946年7月。
テレビの歴史を語る上で外せない人物がいる。
正力松太郎である。日本テレビの生みの親である。
正力は全国にテレビネットワークを展開するという
構想があった。全国をマイクロウェーブで結ぶのである。
現在は広域放送・県域放送が基本になっているが、
日本テレビの正式な名称は「日本テレビ放送網株式会社」
社名に「正力構想」が残っている。
予備免許日は次の通り
日本テレビ 1952年7月31日
NHKテレビ 1952年12月26日
KRTテレビ(現在TBSテレビ) 1953年1月16日
参考資料
NHK出版 20世紀放送史 本史 上巻
本放送を開始しました。
そのため本日をもってテレビ放送60周年という事で
ここ数日は記念番組など組まれているようですね。
ちなみに民間放送では遅れること約7カ月、
1953年8月28日に日本テレビが本放送を開始します。
ここで注目すべきは、本放送の開始こそNHKが早いですが
予備免許について、またテレビの導入について功績があったのは
日本テレビであるという点です。
日本テレビでは米の技術を導入(輸入)したため、
本放送が遅れることになった。
戦後日本はテレビの研究はGHQにより禁止されていた。
(理由は時期尚早であるということと、軍事的ともみなされたため)
研究が再開されたのは1946年7月。
テレビの歴史を語る上で外せない人物がいる。
正力松太郎である。日本テレビの生みの親である。
正力は全国にテレビネットワークを展開するという
構想があった。全国をマイクロウェーブで結ぶのである。
現在は広域放送・県域放送が基本になっているが、
日本テレビの正式な名称は「日本テレビ放送網株式会社」
社名に「正力構想」が残っている。
予備免許日は次の通り
日本テレビ 1952年7月31日
NHKテレビ 1952年12月26日
KRTテレビ(現在TBSテレビ) 1953年1月16日
参考資料
NHK出版 20世紀放送史 本史 上巻