12月6日の丸ぼうろの記事の続きになります。
とてもかわいい羊羹をいただきました。
佐賀県小城市の銘菓「小城羊羹」(ミニサイズ)です。
3cm×4cm×5cmの箱に入っています。
箱から出してみましょう。
左から、本練り、小倉、ナッツです。
こちらも、オランダや中国からもたらされた大量の砂糖を
長崎から小倉まで運んだシュガーロードで誕生した銘菓です。
【sugar-road.net様より画像お借りしました。】
この羊羹、ひと目見ただけで外側の砂糖の結晶から、
砂糖がふんだんに使われていることがわかりますが、
いただいてみると、外側が砂糖でシャリっと硬く、中は軟らかいことに気づきます。
甘さ控えめの蒸し羊羹とは違った、昔ながらの製法で作られています。
切り羊羹(昔ようかん・断ち羊羹)と言われるそうです。
シュガーロード(当時は長崎街道)沿いにあって、
大量の砂糖やお菓子作りの製法が入手しやすかったのはもちろんですが、
どうして、小城では小麦粉と合わせた西洋菓子ではなく、
羊羹作りが広まって行ったのか、その理由を調べたくなってしまいました。
●なぜ小城で羊羹作りが広まったのか?
〈自然環境的要因〉
・名水百選に選ばれた清水川(きよみずがわ)の本流の祇園川(ぎおんがわ)が流れており、
綺麗な水が豊富で羊羹作りに適していた。
・当時の小城郡富士町一帯で羊羹の原料である小豆いんげん豆が大/量に作られていた。
〈文化的要因〉
・小城町は鎌倉時代は千葉氏、江戸時代は鍋島氏が始めた城下町で小京都ともいわれ、
禅や茶道の文化が発達しており、羊羹を受け入れる下地が出来上がっていた。
〈戦争の影響〉
・賞味期限の長い羊羹は、日清戦争の時、携帯食・保存食として大量に戦地に送られ、
好評を博した。
・長崎佐世保の海軍、福岡久留米の陸軍のちょうど真ん中に小城町があるという
立地条件の良さも重なった。
様々な条件が重なり、小城の羊羹は広まって行きました。
こうして、私の口にまで入るようになったこと、感謝申し上げます。
私は、この3種の中では小倉が好きです。
夫はナッツがお気に入りのようです。
ごちそうさまでした。
シュガーロード、佐賀の旅、まだ続きます。(^-^)
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