先日亡くなったやなせたかしさんと、糸井重里氏の対談(こちら)。
やなせさんが、晩年地方自治体に提供したキャラクターデザインの仕事のほとんどが無償だった、と語っている。
この対談を読んだ漫画家の吉田戦車氏が怒りのツイートをして、それが反響を呼んでいるそうだ(ニュース)。
この種の話はネットで時々議論になっているのを見る。自治体がイラストを公募し、但し無償としたことについて、その自治体の姿勢に職業作家として抗議すべき、とイラストレーターの方がつぶやいておられたのも見たことがある。
対談の中で、やなせさんは自治体などへの仕事は無償だったが、代わりにアンパンマンのキャラクター達が稼いでくれた、と語っておられる。また、別のところでは雑誌の編集長だったころ、スポンサーの会社(サンリオ)が、寄稿した作家の原稿料は払わないでいいだろう、と言われたことに反対し、代わりに自分の給料を削った、とも語っている。
やなせさんの言いたかったことは、仕事に対する対価の支払い、という行為が、世の中ではときには適切ではない、ということなのだと思う。対価の決定は世の中のあらゆる職業においても難しいものであり、公平で適切などという概念は存在し得ない。それでも、仕事を頼むときに、お金は払わないけどやってくれ、というのは、あまり一般的な状況ではない。ただ働きに甘えてきた自治体や組織は恥ずべき、という吉田氏の主張も理解できる。
役人が4人来て、キャラクターデザインをして欲しい。予算がないからタダで、という。
やなせさんは「私も仕事でやっているので、いくらかはもらわないと」というと、4人で小声で話し合って、わかりました、ではこれこれで、と言ったという。それじゃしょうがねえや、と思ったが、とにかくやった。「キャラクターに人気が出たので、着ぐるみを作るには予算が出るのに、俺はタダって言われるのは何でなんだ、よくわからない。」
こういう話になると、この感覚は民間企業にはないのではないかと思う。
ただし、やなせさんの場合、対談中述べておられるように、巨匠と思われることを避けたくて、小さな仕事でもなるべく断らずに引き受けようとした、という事情もあるようだ。
現実の世界には色々と大人の事情があるかも知れないわけで、そもそもこうしたことが言えるのも、やなせさんだから、という面もあるのかもしれない。
アンパンマンがヒットしたのは、やなせさんが50歳を過ぎてからのことだし、そもそもやなせさんは、子供向けの童話を書く気はなかったそうだ。他の漫画家やデザイナーを見て、これはかなわない、と思いながら生きてきたという。アンパンマンも最初は周りの大人達の評判は悪かった。ところが、3歳の子供達が争うように読むようになり、ブームに火が付いたとか。
対談ではいくつもの名言を残しておられる。
糸井 いやあ、この勢いでずっと仕事してそうですね。
気を丈夫に持つ秘訣があるんですか、心が丈夫だっていうのは、なにかあるんですか。
やなせ アホなんです。もう何ていうか、人よりもアホなんでしょうね。・それと、芸術家じゃないんだよね。
芸術をやろうと思ったことはない──あ、若い時はちょっとそういう感じがあったかな。
若い時はね、高級なやつをやろうと思ってね、
そういう時代がありましたけど、途中でイヤになりました。・やっぱりね、死んじゃうとおしまいなんだな、どんな天才でも。
だから水木しげると俺みたいに寝てるやつはね、死なないんだよ。あっはっは。
僕も頑張ってゆっくり寝ていようと思う。
ユリイカとか、やなせさんの単行本も注文したけど、到着はだいぶ先らしい。