- 今朝見た夢。
2階の書斎に、白いセキセイがいる。この子が妹のというか、甥の鳥であることはわかっている(現実世界で甥が鳥を飼っているわけではない。好きらしいけど)。外に出しっぱなしでは拙いので、手に載せて、ペン殿のいたケージに入れてあげた。
ケージのある部屋に行くと、窓が開いている。そこにも黄色いセキセイが畳の上を歩いている。この子は迷いインコらしいのだが、なんだか友達のところのピーちゃんそっくりだ。とにかく、このままではいけないので、この子もペン殿のケージに入れてあげた。
ケージを見ると、今入れた2羽のほかに、前から1羽のメジロの子がいる。この子は5月にうちに迷い込んできた子にちがいない。あのときもどこかにケガがないか、いったんケージに入れて外から観察したことがあった。だからこのメジロの子イン ペン'ズハウスという図式は実際にあった光景だ。この夢のように、3羽もいることはなかったけど。たぶんこのメジロはペン殿の生まれ変わりなんだろうな、と考えている。面影があるとかそういうことはないが、何となくわかる。
3羽も入ると狭苦しいかなと思うが、そうでもないようだ。 なんだか、賑やかで悪くない・・。
・・、という話でした。まあ、オチはないですね。
- アメリカウォッチャーとして有名なこちらの方が、最近のウェブでこう語っておられる 。
何と言うか、アメリカについて語ることは昔ほど面白くはないし、重要度も薄れてきているような気がする。もちろん多くの人の関心が得られるとも思えない。(中略)アメリカウォッチャー業界にとっては、冬の時代が到来しているのかもしれない。
そこまで言ってはあれだが、今になってその感想?という気がしないでもない。これは僕の完全に個人的な感想だが、気がつけばアメリカの存在感は僕の若い頃に比べるとずいぶんと薄くなったものだ、と思う。洋楽(ほとんどはアメリカ音楽だ)も昔ほどちまたで流れていないし、昔はアメリカンなんちゃらというネーミングの商品が結構あった気がしたけど(ほとんど意味なくアメリカンとつけていた)、今そんな名前をつけたら、結構恥ずかしいような気がする・・。
まあ、話はそういうレベルに落として進めていくわけだけど(かんべえさんは本当は政治経済の世界の話をしているのだが)、僕らぐらいの世代以上の人がとらえるアメリカ観と、今の20代ぐらいの人がとらえるアメリカ観には、既にかなりギャップがでているのを良く実感する。上の世代の人は、アメリカはこう考えているようだ、という話を聞くと、興味津々となるが、若い人はそれが何か?とか言いそうだ。
アメリカへのあこがれが一番強かったのは、団塊世代の一部の人たちあたりかもしれない。その辺の感覚は僕らには既にないが、僕らの若い頃にはまだその余熱みたいなものもあったのだろう。僕らの世代でもアメリカの存在感はかなり大きかった。
僕自身の、全く個人的な話になるが、長年北米系の外資企業にいたことが多くて、その環境をどう自分の中で消化していくか、長年苦労してきた(ガイジンになりきっちゃう同僚もいたけど、そうはなれなかった。そのくせ、伝統的日本的企業文化みたいのは大の苦手で、そこから逃げたかったのだ)。なんだかんだいって、米系企業にいた頃が企業環境としてはもっともしっくり来ていたとおもう。
今は米系ではなくなり、かつて当たり前であったことが通用しない文化に今でも慣れていない・・。つもりでいたが、いつの間にかだんだん適応してきてしまったみたいだ。なので、かつて身近だったアメリカが、今は遠くに行ってしまった感じが強い。
・・いったい何をいいたいの?と言われそうですが、これ、書いているうちに話しがどんどん広がって収集がつかなくなってしまい、思ったよりずっと時間がかかっちゃいました。単なる駄文です。
写真は本文とは何の関係もありません・・実家で作ったゴーヤ
和装招き猫。