書こうと思っていて、そのときには書けなかったことをいくつか、触れていこうと思う。この本も読み終えたら書こうと思っていて、時間がたってしまった。
別にハルキストというわけではないが、「ねじまき鳥」と、「世界の終わり」などは大好きで、折に触れて何度も読み返している。日本の作家の作品を英語で読むのは変な感じがするが、これのまえにやはり英語の短編集を読んでみたら面白くて(品川猿とか、かいつぶり、ハナレイ・ベイなどを所蔵)、日本語で読みなじんだこの作品はどうだろう、と思って買って来た。
正直言うと僕は英語だと遅読だし、ほとんど電車の行き帰りしか読まなかったので時間がかかりすぎ、作品を楽しむというところまでは行かなかった・・。一度おおきなブランクができてしまい、もう一度最初から読み直したりしている。それと、第3部後半は、日本語で読んでいてもちょっとつながりと流れの悪さが気になる(読んでいるときはそこまで考えていなかったけど)部分で、ここを読み通すのは正直ちょっとしんどかった。笠原メイの手紙って、こんなに何度も出てきたのか・・。
聞くところによると、英語版では第2部後半の一部が書き換えられているらしい。そういえば、新宿で男に突き倒されるシーンがなかったような・・。研究で読んでいるわけではないので、何をどう訳しているか、という細かなところを指摘できるほどの読み込みはしていなくって・。各シーンをどう訳してあるかも、そのときは気がついたこともあると思うが、結構忘れてしまった(^ ^;。
あれですね、普通の固有名詞、Toru OkadaやLiertenant Mamyaなんてのは別に良いけど、ちょっと癖のある名前、たとえば加納クレタ、マルタなんてのも案外違和感がなくて、Malta Kano, Creta Kano となるので、英語でもそのニュアンスは伝わっている。
笠原メイもMay Kasaharaで5月生まれだと言うことは、ストレートに伝わる。笠原さつきだったら説明が必要になるけど。ナツメグやシナモンも、全く問題ない。
その点では、牛河はUshikawa で、英語だとちょっと説明が必要。
"The name is Ushikawa That's ushi for 'bull' and kawa fo 'river'. Easy enough for remember, don't you think? Everybody calls me Ushi. Funny;"
「牛河っていいます。動物の牛にさんずいの河って書くんです。覚えやすい名前でしょう。まわりの人はみんな、ウシって呼ぶんです。〈おい、ウシ〉ってね(原文)。
ストレートに原文を訳すことで、ちゃんと英語圏の人にも意味が伝わるようになっている。村上氏、英訳されることを意識して原文書いているのかしら。
ネコのワタヤ ノボルは、戻ってきてから名前が変わってサワラになる。これはSawaraとしないで、Mackerelと直訳している。これも適切な訳しかただろう。
ストーリー全体の感想は、いつか日本語版のことを取り上げることがあったときに書ければいいな、と思っている。大好きな作品なので、かえって書きにくい・。
岡田亨のように、僕も長い間世間と隔絶してしまった時期がある。もちろん、この話のように「まわりに女の人が多すぎる」ことはなかったけど、でもまあ、寓意からだんだん具体像に還元していくと、僕とトオルさんは、どこかつながってるところがあるなあ、という思い入れがある。
物語ではトオルはなにやら暗闇のようななにかを倒し、クミコを暗闇の世界からどうにかひきだせた(のかな?いうと怒られるけど、ルークとダース・ベイダーを連想しますね。こういう書き方すると)が、その後の彼の人生はどうなっていったのかな?
僕自身は自分で自らのストーリーを作りながら(自分で人生を切り開いていく、という言い方は、ほんとうは単なる思い込みで、結局はただ流れの中で身をよじっているだけなのかもしれないが)、だんだんと牛河的な人生に近づいているのかなあ、という気分になりつつある。ねじまき鳥の牛河はそれなりに魅力がある人物だ。1Q84にでてくる、同じ姓の人物はどうもしっくりこないが・。でも、だめだな。牛河にもなれそうにないや。とりあえずしかめ面してうなずきながら、今をやりくりしているというのが現状・・。間宮中尉ほど、ニヒルにもなりきれない。
一番好きなのはムードミュージックマニアの、クリーニング屋のおじさんだ。彼のようになれたら幸せだろうな。