百菜健美☆こんぶ家族ラボ

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菊乃井 村田吉弘「日本のこころ、和食のこころ」八月 お精霊さん

2016-08-01 | Weblog

菊乃井・村田吉弘 【日本のこころ、和食のこころ】 撮影=小林庸浩

蓮の葉に菊南瓜、なす、冬瓜、れんこん、京いんげん、
小いも、ししとうの精進の炊き合わせを盛って。
朝露がこぼれる風情が夏を思わせる。
京都ではお盆の期間、
蓮の葉の上に野菜や果物を盛り、仏壇に供える。
八月十五日の朝には蓮の葉に包んだ白蒸しを同様に仏壇にお供えする。

八月【お精霊さん】お精霊(しょらい)さんとは御霊(みたま)のこと。  京都では尊敬と親しみを込めてそう呼びます。  お盆の行事は家ごとに違いますが、  先祖を敬い、心からお迎えするのは皆同じです。  お精霊さんの膳は八月十三日から十六日の朝まで  毎日献立を替えてお供えします。

〝お精霊さんをお迎えし、精進料理でもてなす。  京都では今でもお盆のしきたりを大切にします

 お精霊さん。というてもよその地方のかたは、なんや?と思わはるかもしれへんな。京都ではご先祖さまなんかの御霊のことをそう呼びます。御霊をお迎えする行事は「盂蘭盆会(うらぼんえ) 」といいます。もともとはお釈迦さまのお弟子さんの目もく連れんが七月十五日に供物を供えて餓鬼道に落ちた母を救ったという『盂蘭盆経』の教えに基づいて営まれる法会が、後々先祖の霊を供養する行事になったそうです。京都はことのほかご先祖さまを大事にします。うちもお祖父さん、お祖母さん、親父の月命日は必ずお花としきみを持ってお墓参りに行きます。お坊さんもお経をあげにきてくれますしね。盂蘭盆会もどこのおうちでもそのおうちのしきたりどおりに今でもなさっています。ちょっと長うなりますが、日を追ってご説明いたしましょう。

  • 八月の茶室のしつらい。

    八月の茶室のしつらい。天龍寺平田精耕老師筆の達磨の掛軸に、蓮の花、ほおずきの香合。

  • のっぺい汁(手前)とあらめの炊いたん

    のっぺい汁(手前)とあらめの炊いたんはお精霊さんの膳に欠かせない。村田家では、毎月八がつく日(八日、十八日、二十八日)にもあらめをいただく。

十六日は皆さまもご存知の大文字の送り火
 八月十一日までに六道さん『珍皇(ちんのう)寺』に御霊をお迎えに行きます。そこで迎え鐘をつき、ご先祖さまの名前を塔婆に書いてもらって水をかけ、お供えします。夏の暑い中、子どもの頃はよくついていって帰りにすいか氷を食べさしてもらうのが楽しみやったな。その後はうちの菩提寺である本能寺さんにご先祖さまをお迎えに行きます。普通のおうちの盂蘭盆会は十三日から十六日ですが、うちは創業者であるお祖父さんの命日が十一日なので、だいたいこの日から十五日までですね。その間毎日お精霊さんにお膳をあげます。料理はもちろんお精進です。ご紹介したのっぺい汁やあらめの炊いたもの、精進の炊き合わせといったものでだしも精進でとります。水くさい味ですが素材の味がよくわかってこれはこれでいいものです。あらめは八のつく日も作るおばんざいで、よう食べますね。お盆の最後の日に「追い出しあらめ」といってお供えするおうちもあるようで、あらめのゆで汁を門口にまくと、お精霊さんは帰っていかれるそうです。そうそう最後の日はお土産団子もお供えします。これは白玉粉で作ったひねり団子。白色と茶色のがありますがうちは白色のを供えます。僕らはご先祖さまはひねり団子に乗って帰りはんのや、と教わりました。お盆の最初の日は同じようにお迎え団子を供えますがこれは白玉で作った丸いお団子です。どちらもお下がりをいただくのが楽しみでした。十六日は皆さまもようご存じの大文字の送り火があり、これでお盆の行事も終わりです。盂蘭盆会は大人にとってはご先祖さまに思いをはせ、家族を思う大切な日、子どもにとっては、親戚のおじさん、おばさんやいとこと会える夏休みの楽しみなイベントでもあります。

  • 赤坂店の入り口

    赤坂店の入り口には御影石の手水鉢がしつらえられ、いつも季節の花を入れて、客を迎える。

  • 精進だし(奥から)大豆、かんぴょう、昆布、干ししいたけ

    精進だし(奥から)大豆、かんぴょう、昆布、干ししいたけ。料理によって使う材料、合わせる割合を変える。

「煮る」という調理法の発達は精進料理がもたらした
 ご先祖さまを敬うというのは、日本人にとって当たり前の気持ちです。法事も、初七日から、三三回忌まで、地方によっては五〇回忌で弔い上げとなるところもあります。昔はみんないつもご先祖さまがそばについててくれはる、という意識があったものです。精進の元祖といわれているのが日本曹洞宗の開祖、道元禅師です。著書『典座(てんぞ)教訓』にその精神が詳しく述べられています。日本の精進料理は寺院の食事として発達しました。獣肉・魚介を禁忌としただけでなく、粗末な料理という意味合いが強く、いわゆる野菜料理として定着したのは約八〇〇年前のことです。恵みである食材をいかにおいしく、しかも余すところなくいただくか。そこに知恵を絞り、そのため自ずと調理法も発達していきます。一二世紀、栄西、道元が入宋して中国の禅宗を日本に伝えますが、一三世紀になると禅僧の食文化ももたらされました。それは日本料理の発達にも大きく寄与いたしました。豆腐・ゆばは料理のレパートリーを増やし、日本料理の基本となる「だし」もこの頃から発達していきます。特に、「煮る」という調理法の発達は精進料理の発展がもたらしたといって過言ではありません。また、いわゆる京料理も精進料理の影響を多く受けています。食べることは、生きている命をいただくこと。命を奪うからには何一つ無駄にはしない。禅の考え方は日本人なら誰しも自然に心に刻んでいることでしょう。命を己が体内に取り込む。食事をするときにそのありがたさも一緒にかみ締めたいものです。

 

出典元

http://www.kateigaho.com/food/rensai/20160801_1998_1.html

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